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2020年12月28日 (月)

フェイク&まぼろしの邪馬台国・12

▼【漢字は銀河各部の形状から作られた事実】を今日の学者たちは誰一人も知っていない。このため、今日、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という定説は絶対に正しいと思いこまれているが、この絶対視される定説は明白なる空理空論である事実が簡単に容易に証明できることに学者の誰一人も気づいていない

★「倭人国の地理学」のトリセツ・8

◆考古学はじめ今日の学界は「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という意見を絶対視する。ゆえに、この定説は「空理空論である」と指摘すると“戯言(たわごと)!”と一笑される。
 しかし、このブログの前回(11)でも説明したように――わが国の古代中国漢字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社発行)9ページの終わり3行目から10ページの始めから3行目までの「わが国の漢字音」と題する記事における、下記に示す指摘を注目すれば「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という定説は「確かに空理空論である」と断定すべきことになる。
 「古紐(こちゅう)や古韻(こいん)の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻学史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そして、その結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかとなった。」

◆このブログが1回から前回(11)まで一貫して解説して証明しているように、【1】『魏志倭人伝』、【2】『古事記』上巻、【3】『隋書』倭国伝の三史書には【紀元前2070年頃~紀元前2050年の後期縄文時代初頭に中国からわが国に伝来して習得された夏音(かおん)文字】が記載されている。
 したがって、上記した三史書に【夏音文字】は記されて「夏音文字が存在する事実」を確認できるので「夏音文字は存在しない」と表現するわけにはいかず、当然、「夏音文字は中国から伝来して、わが国は習得していたのは事実である」と断言しなければならないことになる。
 中国の現存する最古の漢字音は「紀元前1046年の周代初頭から2世紀頃の後漢後期までの漢字音」で、「上古音」と呼ばれる。
 上記した白川静著『字統』の「わが国の漢字音」と題した記事が指摘しているように――
1】『魏志倭人伝』、【2】『古事記』上巻、【3】『隋書』倭国伝の三史書に記載されて残っている多数の夏音文字は、中国に現存する最古の上古音よりも約1000年も古い紀元前21世紀末の漢字音である。 
 一方、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という定説は、中国の上古音初期の紀元前11世紀周代初頭の上古音はもちろん上古音末期の後漢後期(2世紀頃)よりも新しい漢字音となる。
 だから、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定されて絶対に否定することができないと思い込まれている定説は、明確に空理空論・虚妄(きょもう)である。
 学者たちの誰一人も注目しないが――上記した白川静著『字統』における「わが国の漢字音」と題する記事が「わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった」という指摘を注目すれば――「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という意見は絶対に正しいと信じられている定説はただちに空論・虚妄であることに気づく。
 だから、【中国の上古音よりも古い、わが国の国語として残されている最古の漢字音】は【1】『魏志倭人伝』、【2】『古事記』上巻、【3】『隋書』倭国伝の三史書に記載されている【夏音文字】であったことになる。

▼【1】『魏志倭人伝』、【2】『古事記』上巻、【3】『隋書』倭国伝の三史書の記事によって、わが国は紀元前21世紀の後期縄文時代初頭に夏音文字を習得した時に、【紀元前3000年頃の五帝時代初頭の黄帝につかえていた史官・倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理と作成方法】も習得したことになる。
 “漢字の始祖”と崇拝された倉頡は天文学で通称「夏の銀河」と呼ばれる巨大な銀河各部の形状から漢字を作る原理と方法を発明した。
 「銀河」の別称は「銀漢」であり、「銀漢から作られた文字」を略して、中国でも日本でも「漢字」と呼称した。「漢字作成銀河」は天文学で通称「夏の銀河」と呼ばれる。「夏の銀河」は「夏の星座が漬かる銀河の帯」あるいは「夏に最も長時間みることができる銀河の帯」である。
 紀元前3000年頃から始める五帝時代から7世紀初頭の隋代に完成した楷書までの全漢字は、【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】に則(のっと)って【夏の銀河各部の形状を表現・表示する図案】となるように作られた。
 このブログの2回と7回にて解説したように――倉頡はみずから発明した漢字が最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が漢字(文字)の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易に滅亡すると心配し、倉頡は下記に示す【3つの掟】を破った本人はもちろん、その大罪は掟を破った人物の一族全員まで及び厳しく神罰が下されて死刑にすると定めた。
【倉頡が死刑と定めた3つの掟】
(1)
 夏の銀河(漢字作成銀河)各部の形状から文字が作られた秘密を容易に理解できるように明確に説明した者とその一族全員〔ただし、難解な言(説明)や叡智に満ちた説明で深く考えないと理解ができない表現をもって解説する者は死刑にはならない〕
(2)
 文字を容易に理解するため、文字となる夏の銀河(漢字作成銀河)の各部に名称をつけた者と一族
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字をただちに消さない者または消し忘れた者とその一族
 倉頡が死刑と定めた(1)の掟のために、「銀河」の別称は「銀河漢」であるから「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた事実――このように簡単に容易に想像できる事実に、今日の学者たちは誰一人もまったく気づいていない。その証拠に、わが国の中国古代漢字と字源研究の第一人者とされる字源字書『字統』を著作した白川静博士は【漢字が夏の銀河の各部から作られた事実】を知らないため、みずからが研究して解明した大半の字説(字源解説)が【夏の銀河各部の形状を説明するものであること】について知っていない。
 121年に後漢の安帝に上呈した“字書の聖典”と呼ばれる字源字字書『説文解字(せつもんかいじ)』の著者の許慎(きょしん)は【漢字が銀河各部の形状から作られた事実】を知っていたから、その字説(字源解説)の大半は【銀河各部の形状を説明するもの】であった。
 倉頡が死刑と定めた(1)の掟のために、今日の学者たちは誰一人も【漢字は夏の銀河の各部の形状から作られた事実】を知っていないゆえ、すべての学者たちは『魏志倭人伝』に記される[]の字源・字形・字義は【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】にのっとって【夏の銀河の形状】で表示されるものである事実に気づいていない。また対馬国から狗奴(くな)国までの30の小国名を10小国ずつ3つのグループに分けて【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】について説明する仕組みになっており、あるいは【小国名に用いられるすべての文字の字源は夏の銀河各部の形状である】という事実にも気づいていない。しかし、江戸時代半ばまでの各代の天皇たちは【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】が皇室存続の権勢基盤であったため、【漢字は夏の銀河各部の形状から作られた事実】を知っていた。また【漢字は夏の銀河各部の形状から作られた学識】は天下を治めるにあたって不可欠な基礎知識であったゆえ、源頼朝・足利尊氏・織田信長・徳川家康たちは【漢字は夏の銀河各部の形状から作られた事実】を知っていた。また、漢字で書かれる仏教の経典を理解するため、名だたる高僧たちも【漢字は夏の銀河各部の形状から作られた事実】を知っていた。
 そして、上記した倉頡が定めた(2)の掟のために、現在においても〔夏の銀河の各部の名称〕は存在しない。
 倉頡が死刑と定めた(3)の掟は、紀元前1300年頃から始まる殷代(いんだい)後半に出現した約4670(解釈されたものは1723字、未解釈異体のものは2949)も作られた甲骨文字において掟をその都度まもるのはたいへん面倒になったため破られることになった。このため、甲骨文字は字形を示す資料が多数出土することになったゆえ、現代史学では「甲骨文字は最古の漢字、甲骨文字は最も古い漢字の祖型である」と断定する。しかし、甲骨文字は(1)(2)の掟を厳重にまもったため、【甲骨文字の字源・字形の原形・原義は夏の銀河各部の形状である事実】に――現在の学者たちは誰一人も気づいていない。
 甲骨文字以前の【五帝時代の書契(わが国では「刻木」と称した)】・【夏代の夏音文字】・【殷代前半の原初漢字】は、倉頡が死刑と定めた(3)の掟は厳重にまもったゆえ、書いた文字の資料がいまだ出土・発見されていない。また、『魏志倭人伝』・『古事記』上巻・『隋書』倭国伝に登場する夏音文字を書いた資料も、倉頡が定めた(3)の掟を厳重にまもったために出土・発見されていない。

◆【漢字】は【字源・字形・字義・字音の4つの要素】によって成立する。
 そのうちの【字源・字形・字義の3つの要素】の本家本元は【夏の銀河の各部の形状】である。
 考古学は――漢字が書かれた最古の資料が出土・発見された、そのときにわが国は漢字を習得した――と考える。だから、夏音文字を書いた資料が出土・発見されないゆえ、わが国が縄文時代初頭に夏音文字を習得した事実は絶対にあるはずがないと思い込む。したがって、考古学は、漢字(楷書)が書かれた最古の資料にもとづいて「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定した。
 しかし、事実は【倉頡が死刑と定めた掟】によって【漢字の字源・字形の原形・原義は夏の銀河各部の形状】となった。このため、【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法を解明することができる、ほんとうの漢字は天空に輝く夏の銀河各部の形状】ということになった。
 だから、考古学が考える【わが国が最初に漢字を習得した意見】は空理空論であった。
 今日のわが国の考古学は、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定するが原因で――『魏志倭人伝』が【漢字は夏の銀河各部の形状から作られた事実】を伝える文献であり、その人名・小国名・官職名には夏音文字が用いられ、【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】をも証明できる史料であった――この事実をまったく知っていない。つまり、考古学者たちは『魏志倭人伝』の記事内容についてまったく知っていない。
 というのも、考古学者たちのごとく『魏志倭人伝』に【誤読・歪曲・主観的偏見(すなわち、文献批判)】を1ヵ所でも加えたならば即刻に空理空論・虚妄となるからである。
 したがって、考古学自慢の吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説の両説は『魏志倭人伝』の記事に多数の【誤読・歪曲・主観的偏見(すなわち、文献批判)】を加えて立論するゆえ、正真正銘(しょうしんしょうめい)の空理空論・虚妄説であったことになる。 

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