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2020年12月28日 (月)

フェイク&まぼろしの邪馬台国・11

▼わが国には「考古学」と呼べる学問は存在しない
「学問」の水準に達しない、[学]の字を欠く「考古術(考古学的技術)」ならば存在する

★「倭人国の地理学」のトリセツ・7

◆上記したように、わが国における「考古学」は断じて「考古学」と呼ぶことはできない。
 だから、わが国で「考古学」と名づけられるものは「考古術」と呼ぶべきことになる。
 というのも、わが国で一般的に「考古学」と言っているものは、再度言うが【学問】の体(てい)をなしていないからである。それは【非科学】と【主観的偏見】、言いかえると【空理空論】と【無知】に支配されるものであるゆえ、「考古術」と名づけるべきことになる。

◆わが国は、考古術によって「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という意見が定説となった。
 この定説は、要するに【非科学】と【主観的偏見】によって立論された空理空論である。だから、「考古学」と呼べず、この分野は「考古術」と呼ぶべきことになる。
 というのも、このブログが前回(10)までで証明してきたように――【1】『魏志倭人伝』、【2】『古事記』上巻、【3】『隋書』倭国伝の三史書は「わが国は紀元前2070年頃~紀元前2050年頃の後期縄文時代初頭に原初漢字・夏音(かおん)文字を習得した。この時に、紀元前3000年頃の五帝時代初頭に生存した黄帝につかえた史官・倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理と作成方法習得した」と説明しているからである。
 上記の【1】【2】【3】の三つの史書に記述された「わが国は【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学識】を習得した」と説明する記事を、考古技術者(一般的にいう「考古学者」)たちの誰一人も読解(つまり、正しく理解)することができない。
 だから、考古技術者たちは「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する。
 もしも【1】【2】【3】の三史書に記述された【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の習得説明】について学者やメディアが読解できていたならば、当然のことであるが「わが国が最初の漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という定説は誰も信じず、すでに空理空論であるということになっていた。
 しかし、この「わが国が最初の漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という虚妄説に学界はじめメディアも賛成して言いなりになったため、現在「わが国が最初の漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」いう虚妄説が絶対に否定することができない定説となっている。

◆夏音文字は『魏志倭人伝』・『古事記』上巻・『隋書』倭国伝に多数記載されて現在まで残っている。ゆえに、考古技術者たちがどのように弁護・反論しても「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という意見は空理空論であることは明白なる事実である。
 また、上記した【1】【2】【3】の三史書の他に、【4】わが国の古代中国漢字研究者の第一人者とされる白川静博士は著書『字統』(平凡社発行)9ページの終わりから3行目~10ページの初めから3行目までの文に「わが国の漢字音」という題をつけて、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という意見が空理空論であることを、下記のごとく指摘している。この重大な指摘に、学者の誰一人も注目しない。
 「古紐(こちゅう)や古韻(こいん)の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻学史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そして、その結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかとなった。」
 中国の現存する最古の漢字音は「紀元前1046年の周代初頭から2世紀頃の後漢後期までの漢字音」で、「上古音」と呼ばれる。
 上記した白川静著『字統』の「わが国の漢字音」と題した記事が指摘しているように――
1】『魏志倭人伝』、【2】『古事記』、【3】『隋書』の三史書に記載されて残っている多数の夏音文字は、中国に現存する最古の上古音よりも約1000年も古い紀元前21世紀末の漢字音である。 
 一方、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という定説は、中国の上古音初期の紀元前11世紀周代初頭の上古音はもちろん上古音末期の後漢後期(2世紀頃)よりも新しい漢字音となる。だから、漢字習得の定説の実体は空理空論・虚妄であったことになる。
 このように、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定されて絶対に否定することができないと思い込まれている定説は、【非科学】と【主観的偏見】による産物であったことになる。
 上記した白川静著『字統』における「わが国の漢字音」と題する記事が「わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった」という指摘に注目すれば――「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と信じられている定説はただちに空理空論であると断定することができる。

◆「わが国は最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という空論に憑()りつかれた考古技術者たちは、この空論を立論基盤にして構築した吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説こそが邪馬台国論争を決着することができる意見であると主張する。
 しかし、【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学識】の基に構成されている『魏志倭人伝』は、倭女王卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬壱(やまい)国」であると記す。したがって、「邪馬台国」という地は存在しない絵空事・空想であった。ゆえに、吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説はただちに空理空論となる。
 また、古代史研究家の古田武彦氏は『三国志』全体に記載される[()]86個、[()]56個の文字を逐一調べ、[()]の字を[()]と記す誤記が一例も無いことを証明した。『魏志倭人伝』という文献名は「『三国志』魏書東夷伝の末部・倭人伝の通称」であり、『三国志』魏書東夷伝の末部・倭人伝=『魏志倭人伝』には倭女王卑弥呼が居住した王国名は「邪馬壱国」と記してある。
 だから、『魏志倭人伝』には「邪馬台国」と記す記事は1ヵ所も存在しない。
 ゆえに、卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬台国だった」と主張する、考古術界自慢の吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説は【非科学】と【主観的偏見】による空理空論・デタラメであったことになる。

◆なお、【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】に則(のっと)って思考すると『魏志倭人伝』は「卑弥呼が居住した邪馬壱国は山陰出雲地方(現在の島根県と鳥取県西部、旧国の石見・出雲・伯耆)であった」と説明していることになる。この邪馬壱国出雲地方説は『魏志倭人伝』の全体記事と矛盾も不合理な点が1ヵ所もなく【科学】が成立する。だから、邪馬壱国出雲地方説は事実であったことになり、邪馬壱国出雲地方説こそが卑弥呼が居住した王国所在地論争を決着させる意見ということになる。
 だから、考古術界が論争を決着することができると自信たっぷりに自慢する吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説は『魏志倭人伝』の記事と1ヵ所も合致しない学問的に無価値の荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメであったことになる。
 
◆「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という空理空論に憑()りつかれた考古技術者たちは――『古事記』と『日本書紀』(『記』『紀』)8世紀に律令国家によって編纂(へんさん)されたものであるゆえ、史料的に価値には限界がある――と主張する。
 よって、考古技術者たちは『記』『紀』に記述された天皇陵についての学問的意見は、自分たちの研究成果のほうが正しいと自惚(うぬぼ)れている。
 しかし、8世紀に成立した『古事記』と『日本書紀』は断じて律令国家によって編纂されたものではない。
 『記』『紀』は人民たちの尊厳と魂の自立となり日々の生活のよりどころとなった【伊耶那美命(いざなみのみこと)が唱えた日本建国の〔愛〕の理念】を伝える反逆の歴史書であった。というのも、【伊耶那美命が唱えた日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】は律令国家が「皇祖・天照大神の聖性を汚すゆえ絶対に後世には伝えてはならぬ」と厳重に禁じていたからである。天照大神(10代崇神天皇と生母の伊迦賀色許売命)は強大な権力を最も尊重し、【伊耶那美命が唱えた日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪・蔑視して大和朝廷の基礎を築いた。ゆえに、律令国家体制を推進する40代天武天皇以後、皇室は天照大神を皇室が最も偉大な先祖と崇拝する皇祖と定めた。しかし、天照大神(崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命)は【伊耶那美命が唱えた日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪し蔑視したため、伊耶那美命の陵墓を築造する時に、多数の奴婢(ぬひ/18才くらいの青年と13才くらいの乙女)たちを殺して、伊耶那美命陵に埋める徇葬(じゅんそう)を陣頭指揮した。この天照大神が決行した残酷な徇葬を後世の人々に絶対に知られたくないゆえ、律令国家は【日本国建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】は後世に絶対に伝えてはならないと厳重に禁じたのである。
 『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国(よみのくに)訪問説話では、「天照大神」は「伊耶那美命の墓の築造を陣頭指揮した倭女王」であったゆえ「伊耶那美神命(いざなみのかみのみこと)」と名づけて、編纂スタッフは『古事記』が即刻献呈拒否されないように皇室が欲求する偽書(つまり、「天照大神」を「伊耶那美神命」という偽名で表示したゆえ、偽の歴史を記述した書物となる)を作成したと示して元明(げんめい)天皇から献呈の承認を手に入れようと企てた。この編纂スタッフの企みを元明天皇はただちに見抜いて『古事記』の献呈を拒絶した。だから、『古事記』は正史になれなかった。この伊耶那岐命の黄泉国訪問説話では「残忍な徇葬儀式」は「八雷神(やくさのいかづちがみ)」と表記された。「八雷神」は「殺されて八つの雷神の姿になって伊耶那美命の棺の周囲に葬られて配置された青年と乙女たちをあわれんで、天の神が雷鳴轟かせて五穀豊穣の慈雨を降らす、いわゆる徇葬儀式」をあらわしていたのである。
 以上のごとく、『古事記』また『日本書紀』もまた書名の「日本」が示すように【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】を後世に伝えるを作成目的に編纂された律令国家に歯向かう反逆の歴史書であった。
 この事実は――正史『続日本紀(しょくにほんぎ)』が多数の記事で「舎人親王を頭領とする伊耶那美命崇拝派の皇族・貴族・万葉歌人たちが、対立する天照大神崇拝派の面々を排除して『記』『紀』を編纂した」と伝えている。言いかえると、『続日本紀』に記述された舎人親王(676735)に関する記事を抜粋して舎人親王の一生を再現すると、舎人親王は皇祖天照大神の聖性をいちじるしく汚す【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】を後世に伝えようとした日本史上に稀(まれ)にみる反逆児であったことが明らかとなる。ところが、学者たちは『続日本紀』はじめ幾つかの舎人親王についてのさまざまな資料によって知ることができる舎人親王の一生についてまったく調査・研究をおこなっていない。
 だから、学者たちの誰一人も舎人親王の一生についてまったく知っていないため、今日、『古事記』と『日本書紀』は律令国家によって編纂されたと思い込まれている。

◆このブログの3回にて、『古事記』上巻の序(古事記上巻 幷せて序)の冒頭34字の記事を詳細に説明して現代語に訳したように「わが国は後期縄文時代初頭、【原初漢字・夏音文字】」を習得し、この夏音文字を習得したときに【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】も知得した。
 「わが国は後期縄文時代に夏音文字を習得した」事実についてまったく知っていない考古技術者たちは、『記』『紀』に見える「この古墳は某天皇の陵墓」といった記述はしばしば考古術の成果と矛盾するゆえ、彼らは「『記』『紀』には強引なこじつけが多く含まれている」と主張する。
 しかし、考古技術者たちは(1)「わが国は最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と思い込む空論が原因で、(2)吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説は『魏志倭人伝』の全記事と1ヵ所も合致しない空理空論に憑()りつかれ、さらに(3)反逆の歴史書『古事記』と『日本書紀』の編纂の主宰者(しょさいしゃ)であった舎人親王の一生についてまったく知っていない。
 このように考古技術者たちは空論に空論を重ねその上にさらに無知を重ねるため、「『記』『紀』に記述された天皇の陵墓の記述は強引にこじつけたもので誤っている」と主張する。
 しかし、考古術の研究は上記した(1)(2)の空論と(3)の無知によって、強引にこじつけた非科学な主観的偏見の要素が濃い産物である。このように自分たちの研究成果は空論と無知が加わって成立するものである事実にまったく気づいていない考古技術者たちは「『記』『紀』の天皇陵の記事は矛盾する」と指摘するが、自分たちの研究成果にも矛盾点と空理空論と非科学的な意見が存在する事実を棚にあげる。
 だから、考古術の天皇の陵墓に関する研究成果を全面的に信用してはならない。

◆上記した「考古術」を「考古学」と改めて、これまで説明・証明してきた事柄をまとめると、次のごとくなる。
1〕わが国は後期縄文時代初頭に【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字】を習得したことは事実であった。ゆえに、考古学が「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する意見は空理空論となる。
2〕『魏志倭人伝』は明確に「倭女王卑弥呼は邪馬壱国・山陰出雲地方に居住した」と記述する。ゆにえ、考古学が論争を決着することになると自慢する吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説は全なる誤読の空理空論であったことになる。
3〕考古学は「『古事記』と『日本書紀』は8世紀の律令国家によって編纂された」と主張するが、『古事記』と『日本書紀』は皇祖・天照大神の聖性を汚すゆえ後世に伝えてはならないと禁止する律令国家に歯向かって【伊耶那美命が唱えた日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】を記述した歴史書であった。ゆえに、考古学の『記』『紀』に対する意見もまた空理空論である。
 第一、「『古事記』は8世紀の律令国家によって編纂された書物」であるならば、どうして元明天皇は献呈して正史にしなかったのか、この点が意味不明となって矛盾し不合理となる。『日本書紀』は『古事記』献呈拒否に懲りて【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】が曖昧模糊(あいまいもこ)となり【天照大神が徇葬儀式を陣頭指揮した事績】を省略した、編纂スタッフの作成目的と動機がかなえられない失敗作品となったゆえ、律令国家にとっては「好都合の書物」となったゆえ正史となったのである。
4〕考古学の研究成果だと「『記』『紀』の天皇の陵墓(古墳)の記述は矛盾し、強引なこじつけが多く含まれている」ということになる。しかし、考古学は上記した〔1〕〔2〕〔3〕の空理空論にのっとって『記』『紀』の天皇陵の記事には誤記が含まれると指摘する。だから、考古学の成果には〔1〕〔2〕〔3〕の虚妄と迷妄とが含まれていることになるので、考古学の研究成果は全面的に信頼できない。したがって、『記』『紀』の天皇陵の記述と考古学の研究成果に合致しない『記』『紀』の天皇陵の記事は必ずしもすべて誤っているとは言えない。

 だから、わが国の考古学は上記した〔1〕から〔4〕までの【空理空論・非科学・主観的偏見】に支配されて「学問」の体(てい)を成していないものであるゆえ――このブログの冒頭で指摘したように、わが国には「考古学」と呼ぶことができる学問は存在せず、[]が欠けた「考古術」ならば存在することになる。 

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