G-T0XYQT12LL フェイク&まぼろし邪馬台国・4: 卑弥呼の逆襲

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2020年12月 3日 (木)

フェイク&まぼろし邪馬台国・4

▼この〔フェイク&まぼろし邪馬台国〕シリーズでは、【邪馬台国説と日本神話虚構説】を最も正論で最も合理的であると囃(はや)し立てて日本国民をダマす学者たちとメディアの不正・非理を徹底的に暴くことにした

★「古代史の謎」のトリセツ・4

3回までに解説したように――邪馬台国畿内説と九州説は【誤読】の産物・空理空論・真っ赤なウソである。

◆『魏志倭人伝』の冒頭は「倭人在帯方東南大海之中」の11字である。
 この11字の書き下し文は「倭人は、帯方(たいほう)の東南、大海の中に在り」である。この文中に登場する「帯方」は「現在の朝鮮半島のソウル付近にあった帯方郡」のことである。
 地図で調べると「帯方郡の東南」には【玄界灘】という名の大海が存在する。
 【玄界灘】は古くから中国大陸・朝鮮半島との海上交通の要路となった。現在においても風が吹き海(玄界灘)が荒れると小型船の遭難が多い。その証拠に、「玄界灘」の[]の字は三水偏()[]が加わるように、[]の字は「往来することが難(むず)しい海」と明確に示す。だから、小さな舟を漕いで往来した縄文時代、・弥生時代前半、そして魏都・帯方郡との国交を結ぶために玄界灘を往来した卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ばまで)の船、また遣隋使や遣唐使が玄界灘を往来した船は、風が吹いて玄界灘が荒れると遭難する可能性が大となる現在よりもはるかに危険な海であった。
 「玄界灘」という名称は「天の北極の高度を緯度に換算する方法で航海すると緯度が不正確に測量されるために命を落とすことになる。他方、[]いいかえると〔天頂緯度線〕をキャッチする方法で航海すると1度の60分の11分まで精確に測定できるゆえ、無事に往来できる波が荒い大海」と意味した。
 だから、「玄界灘」は「緯度が精確に測量できない天の北極は死神であるが、他方、原始から人類(ヒト)が命をまもることができる[]をキャッチする方法ならば往来できた大海」であったゆえ、「卑弥呼時代、魏都・帯方郡と倭国との国交は[]のキャッチ=天頂緯度線の測定をもって、玄界灘を往来しておこなわれた」と、現在に伝えていることになる。

 縄文人たちと弥生人たちはいくたの森林が浪うってつづく日本列島にあって、遠くの地へ旅して無事に家族が待つ家に帰還することができた――これは事実として証明されている。この事実は、遠くの地に住んでいた旧石器時代の人々が、大海中にある伊豆諸島の神津島(こうづしま)へ渡って帰還することができた事例によって証明されている。
 神津島は良質の黒曜石が産出した。黒曜石は火山活動によってできた「黒いガラス」とされ、上手に刃をつけると石槍や鏃(やじり)はもとより、皮はぎや肉切りようの石包丁(石器)として利用された。神津島の黒曜石は、関東地方、東海西部(愛知県、静岡県)、近江(滋賀県)、北陸地方(石川県能登半島)まで分布している。なんと神津島の黒曜石は約3万年の後期旧石器時代から使用されていたと証明され、縄文時代や卑弥呼が生存した3世紀まで本土に運ばれて利用されていた。神津島か伊豆半島までは30キロメートル以上も海で隔たれ、神津島から石川県能登半島までは直線距離で約400キロメートルもある。原始からヒトは頭脳のはたらきによって本能的に[]をキャッチして命をまもって生存していたゆえ、約3万年前の旧石器人たちには[]をキャッチする能力(頭脳のはたらき・眼力)を有していた。ゆえに、旧石器人と同様に縄文人も弥生人も、陸地が遠く離れる海を往来する時あるいは遠く離れる地所へ往復する時も[]をキャッチして、その旅の日々、[]をキャッチして道に迷って死ぬことをふせいで命をまもっていたことになる。

 だから、『魏志倭人伝』に登場する「大夫」と名乗った卑弥呼時代より古(いにしえ)に中国へ渡った人々と卑弥呼が帯方郡と魏都に派遣した使者もまた、[]をキャッチして玄界灘を往来していたことになる。彼らが天の北極を目印にして緯度を測量する方法で玄界灘に入ったならば、出発して間もなく緯度が不明となり死ぬことになったのである。

◆学者たちは、天の北極がある方向を〔北〕と定める日本地図を用いて邪馬台国説を主張する。この論法だと、上記したように、倭国の使節も魏国の使節も帯方郡の使節も玄界灘を往来することができなかったことになる。
 『魏志倭人伝』は計1983字に、5世紀に生存した裴松之(はいしょうし)が注とした56字を加えて合計2039字で構成される。
 邪馬台国説の【天の北極を〔北〕と定める日本地図】にもとづいて考える邪馬台国説の論法だと【倭国と魏王朝と帯方郡政庁は国交を結ぶことができなかった】ゆえ、中国は倭国の様子をまったく知ることができなかったことになる。だから、邪馬台国説の場合、約2000字で構成される『魏志倭人伝』には文字が1字も記されていなかったことになる。つまり、『魏志倭人伝』はこの世にまったく存在していなかったことになる。
 以上のごとく、邪馬台国説が成立する絶対法則にもとづくと、約2000字の『魏志倭人伝』には文字が1字も書かれていないことになり、この世に確かに存在する『魏志倭人伝』がこの世にまったく存在しなかったことになる。
 以上のごとく、邪馬台国説の実体は【合理】も【科学】もまったく成立しない非科学・デタラメ・空理空論・妄想であったことは明白である。
 邪馬台国説論者たちは【科学】をまったく無視するが、『魏志倭人伝』の冒頭の11字「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」という文は【倭国の使節と船乗りたちは玄界灘を[]のキャッチする方法をもって往来していた――この事実は『魏志倭人伝』を思考するときに【科学】が成立する絶対法則となる】と伝えていたことになる。
 だから、『魏志倭人伝』においては現在の日本地図を立論基盤することは絶対にできない。

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