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2021年1月20日 (水)

邪馬台国説はサギ・騙されるな・3

▼2021年1月元日、新年早々、午後7時から午後9時までの夜――NHKBSプレミアムテレビ・3チャンネルはお笑い芸人の爆笑問題の二人を司会者にして、「邪馬台国サミット」という番組を放送した。この「邪馬台国サミット」の一堂に会した九州説と畿内説第一線の研究者であられる諸先生方が発表したすべての意見は、司会者の二人の芸名のごとく大爆笑にして、大問題となるウソ八百で丸めた詐欺(サギ)であった。要するに、先生方全員の意見は『魏志倭人伝』の全記事とまったく関係のない他所事(よそごと)で日本国民を惑わし騙(だま)すインチキ・デタラメであったということになる。というのも、「邪馬台国サミット」の議題テーマは「魏志倭人伝のウソを読み解く」であったが、あいにく『魏志倭人伝』の全記事は真実・事実を伝えるもので一片のウソも偽りも書いていない書物であったからである。ゆえに、当然、「邪馬台国サミット」に集まった先生方全員は「魏志倭人伝にはウソの記事が多くある」と最初(はな)から先入観を抱くものであったゆえ、『魏志倭人伝』に記述された真実・事実の解明は不可能となった。だからこそ、先生方が述べた全意見はすべて滑(すべ)って転んでトンチンカンな自分の意見の妄想にウットリとしてただひたすら空論をくりかえす虚妄、つまりインチキ・デタラメであったことになる。
 約2000字で構成される『魏志倭人伝』における約1100字・約55パーセントの記事は、新井白石(1657-1725)以後約300年間、『魏志倭人伝』を研究した全学者が発表したすべての意見をはるかに超越した壮大な真理を伝えていた。つまり、『魏志倭人伝』のテーマは九州説と近畿説のウソとインチキをマルハダカにして暴くものであり、そのテーマはわれら日本人の命と魂にすりこまれて遺伝子となった東洋神秘思想の全体的で有機的な自然観・宇宙観の根源となった【漢字が起源した秘密】について語っているものであったのである


★「倭人伝の地理学」のトリセツ・12

◆この「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の前々回(1)と前回(2)において、九州説と畿内説が100パーセントの空理空論であることを解説し証明してきた。
 この2回のブログで――NHKテレビの「邪馬台国サミット」における先生方の発表テーマは「魏志倭人伝のウソを読み解く」であるのに対して、『魏志倭人伝』が記述する歴史テーマは【倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成理論】である――ことを明らかにした。
 というのも、『魏志倭人伝』は約55パーセント・約1100字の大量の記事群をもって――わが国には、紀元前2070年頃~紀元前2050年頃の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、紀元前3000年頃の五帝時代初頭に生存した黄帝に仕えた倉頡が発明した【漢字作成理論(漢字作成原理と作成方法)】と【夏代初頭の夏音(かおん)文字】を、漢字作成銀河である天文学で通称“夏の銀河”と呼ばれる巨大な銀河から土器・土偶を作った縄文の芸術家によって習得された――と説明しているからである。
 「邪馬台国サミット」に集った九州説と近畿説を説く先生方の口からは「倉頡」の「ソ」の音や声がまったく出ることもなく終わってしまったが――『魏志倭人伝』には【1】「倭人国には令亀(れいき)の法、つまり殷代(いんだい)後半の甲骨文字のような原初漢字があった」、【2】「魏の都・帯方郡・諸韓国が文書に用いる楷書と卑弥呼が文書に用いる原初漢字は差錯(ささく/相違)していたので、伊都国の港で点検し確認し、誤訳によって国交に支障が生じないようにしていた」と――具体的に「倭人国には文字があった」と説明する記事が二ヵ所もある。
 この二つの「倭人国には原初漢字があった」と説明する記事をもって、『魏志倭人伝』は「卑弥呼王朝政権基盤は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】であった」と伝えていたのである。
 つまり、『魏志倭人伝』は冒頭の「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」という記事から以後に続く、三十ヵ国と後の記事で追加した4ヵ国の小国までの説明記事をもって「卑弥呼王朝は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を政権基盤とした」とストレートに語る歴史書であったのである。

2(前回)のブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」では――〔1〕紀元前4000年頃から始まる三皇時代には易卜に用いる記号「結縄」が考案された。紀元前3000年頃の五帝時代初頭に生存した黄帝は東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。黄帝は主に「女性生殖器と子どもの出産」を研究した。三皇時代においては、黄帝の医学研究をあらわすことができる文字が考案されていなかった。ゆえに、〔2〕黄帝に仕える史官(記録官)の倉頡は【夏の銀河から漢字を作る方法】を発明した――と解説して証明した。
 わがブログは「フェイク&まぼろしの邪馬台国」の1回~13回までと、「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の1回と2回まで、終始一貫してくりかえして倉頡は天文学における通称「夏の銀河から漢字を作る方法」を発明し、また倉頡は【漢字作成原理と作成方法】をも立論した――と解説し証明した。

◆【倉頡の発明】にもとづいて、7世紀初頭の隋代の楷書までの全漢字は作られた。
 倉頡は【「夏の銀河」から漢字を作る方法】を発明した。「夏の銀河」は、「夏の星座が漬()かる巨大な銀河」である。この「夏の銀河の各部の形状」をモデルにして、わが国においては前期縄文時代初頭から後期縄文時代初頭までの約2000年間、土器と土偶が作られた。だから、2000年に及ぶ縄文芸術の伝統を受け継ぐ芸術家たちによって【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】は習得された。
 ゆえに、後期縄文時代初頭から約2250年後の180年頃に生存していた卑弥呼によって【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を政権基盤とする王朝と倭人国が創設されることになった。この歴史が、『魏志倭人伝』の約55パーセント・約1100字の記事となったのである。
 前回「邪馬台国説はサギ・騙されるな・2回」のブログに「全漢字が作られた夏の銀河の写真」を載せた。今回は「夏の銀河の写真」は省略させていただく。
 倉頡は自らが発明した漢字は最も強大な権力・莫大な富・最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、「夏の銀河各部の形状から漢字が作られた学芸知識」を反体制側の人々が習得して革命や反乱に利用されると、容易に王朝が崩壊することと心配した。ゆえに、倉頡は「文字を容易に覚えるために、夏の銀河の各部に名称をつけた者とその一族全員には、神罰が下って即刻死刑にする」という厳しい掟を定めた。この倉頡が死刑と定めた掟によって、現在においても「夏の銀河の各部」には名称が無い。「夏の銀河の各部」の名称が無いと、「漢字の字源・字形の原形(夏の銀河の各部の形状)・原義」を解説するのに非常に不便であるゆえ、私は下に示すがごとく「夏の銀河の各部の名称」を定めた。
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◆「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の前回(2)のブログでは、【倉頡が発明した漢字作成原理】は【[][]の字源銀河・字形銀河・字義】で表示されたことを解説し証明した。【倉頡が発明した漢字作成方法】は【[][]の字源銀河・字形銀河・字義】によって構成されていることを解説し証明した。
 【倉頡は発明した漢字作成理論】は【[][]の秘密で表示される漢字作成原理】と【[][]の秘密で構成される漢字作成方法】の他に――【漢字作成理論】を象徴する聖獣を定めた。これゆえ、【倉頡が発明した漢字作成理論(漢字作成原理・作成方法)】は[]が加わる「鳥獣の足跡」あるいは「鳥獣の文」と呼ばれることになった。ゆえに、「鳥獣の足跡・鳥獣の文」についても解明する必要がある。
 というのも、『魏志倭人伝』において倭人国における最初に登場する小国の対馬(つしま)国と一大(いちだい)国は「鳥獣の足跡(鳥獣の文)の秘密」の解明が不可欠となるからである。
 「漢字は倉頡が発明した」と伝える倉頡伝説には「鳥獣の足跡」という語が登場する。
 下に示すように、「子どもを宿す、女性の生殖器の側身形」は「鳥の姿(水鳥の側身形)」に相似すると見立てられた。の側身形と水鳥の側身形
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 また、倉頡は【漢字作成理論(漢字作成原理・作成方法)】を象徴する聖獣を[][]と定めた。
 下に示す「女体に似る十字の銀河」における「子宮に相当する銀河部」は「ヒトの足跡」に類似すると見立てられた。
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 ゆえに、「女性の生殖器の側身形」に相似する「水鳥の姿」を略して「鳥」に、【漢字作成原理・作成方法を象徴する聖獣】を略して「獣」が加わり、さらに「十字の銀河の子宮」は「ヒトの足跡」に類似するというイメージ解釈が加わって、倉頡伝説では【倉頡が発明した漢字作成理論】は「鳥獣の足跡」と呼称されることになったのである。

◆『易経』繋辞下伝にある【漢字の起源記事】は、下記のごとく説明する。
 「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。近くはこれを身に取り、遠くはこれを物に取る。ここにおいて始めて八卦(はっけ)を作り、もって神明の徳に通じ、もって万物の情に類して、漢字を作った。」
 上に示した『易経』繋辞下伝の【漢字起源の説明記事】における【倉頡が発明した漢字作成理論】は「鳥獣の文」という名称となる。
 前回(2)のブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」で証明したよう、「女体に似る十字の銀河」は、下に図示するように[]の字源・字形・字義となり、倉頡は[]の字源「十字の銀河」を「夏の銀河の各部の形状から作られた全漢字が生まれる母体」と定めた。ゆえに、【倉頡が発明した漢字作成理論】は「鳥獣の文」とも呼称されることになったのである。
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◆『魏志倭人伝』には「その地には、牛馬が無し」という記事がある。
 []の字源は、わが国に生息しない「ジャコウウシ」であった。[]の字源は、わが国に生息しない「フタコブラクダ」であった。
 したがって、『魏志倭人伝』は――倭地には、[]の字源「ジャコウウシ」と、[]の字源「フタコブラクダ」は生息していない――伝えていたことになる。
 倉頡は「ジャコウウシ」を[]の字源・字形・字義と定め、「フタコブラクダ」を[]の字源・字形・字義と定めて、「牛」と「馬」を【漢字作成理論】を象徴する聖獣を定めた。
 「乾坤」という語は「天地」を意味する。
 []をあらわす「乾燥地帯のゴビ沙漠」には[]の字源「フタコブラクダ」が生息する。「茫漠とした位置と方位の測量が困難なゴビ砂漠に生息するフタコブラクダ」は道に迷わない優れた眼力を有する。ゆえに、フタコブラクダは「1度の60分の11分以内の誤差で精確に天頂緯度が測定できる人間本来(本能)の能力、つまり原始のときから人類が命をまもる方法・羅針盤となった天頂緯度線をキャッチする能力」を象徴することになった。
 また、下の図に示したように、「フタコブラクダの両目は顔の両端」に離れていると同様に「第7週ころの胎児の両目も顔の両端」に離れている。
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 フタコブラクダは砂嵐の砂が目に入らないように睫毛(まつげ)が長い。乳児の睫毛もフタコブラクダのように長い。
 ゴビ沙漠に住む匈奴(きょうど)の人々は平原に深い穴を掘り、その穴に死者を葬り、殉死(じゅんし)させた一匹のフタコブラクダの血をその墓の上にそそいで去った。翌年には雑草が生い茂って墓の位置は不明となるが、連れてきたラクダが殉死したラクダの血を嗅()ぎ当てて咆哮(ほうこう)する所に墓をさがす遺族たちは祭壇をつくって死者を供養した。ゆえに、[]の字源「フタコブラクダ」は天頂緯度線をキャッチして1度の60分の1の一分の精度で緯度を精確に測定できる神秘的な能力を有すると注目された。ゆえに、フタコブラクダは【倉頡の漢字作成理論(漢字作成原理と作成方法)】を象徴する聖獣となった。
 『魏志倭人伝』に登場する「対馬国」・「投馬国」・「邪馬壱国」・「斯馬国」・「邪馬国」の[]のすべての字は「[]の字源と字義はフタコブラクダである」と伝えるものであった。

◆「乾坤」の[]の偏の[]は「地」を意味し旁部(つくりぶ)[]は「電光つまり稲妻・雷光」を意味した。ゆえに、[]は「入道雲が天高く立ち登り、一転して天空にわかに曇って雷鳴轟き雨が降って大地は潤って禾(穀物)はじめ植物が生き生きとする」と意味した。この「雷鳴轟き雨が降るジャコウウシが生息する凍土地帯(ツンドラ地帯)」を象徴する聖獣が[]の字源の「ジャコウウシ」であった。
 ジャコウウシの群れは天敵のオオカミに襲われると、子どもを真ん中に隠して円陣を組む習性がある。これゆえ、「ジャコウウシの群れが作る円陣の真ん中」は「子宮」に見立てられ、「真ん中に隠す子」は「子宮で育つ胎児」に見立てられ、「ジャコウウシの群れが作る円陣」は「女性生殖器の大半を包囲する母体の骨盤」に見立てられた。
 前回(2)のブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」にて解説したように、下に示す図は[]の図書が重なる・「大火西に下る頃」の[]の字源銀河解説図である。また、この図の下部における「禾(イネ)の図書における穂の部分が〔南〕から〔西〕へと垂れる、銀河の中心(銀河系銀河の中心)・巨龍の顔の銀河・胎児の姿に似る銀河・さそり座α星(大火)」に注目して、司馬遷著『史記』五帝本紀にて【「黄帝」の号することになった「黄龍(こうりゅう)」と「地螾(ちいん)」の二つの瑞祥の土徳】についても解説し証明した。
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 下に図に示したように、《上の「人の横顔に酷似する銀河」から下の「さそり座α星(大火)」までの巨大な夏の銀河部》は、「妊婦像」に見立てられた。
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 上の図における右下にある「胎児の姿に似る銀河」は、下に示す「第5週頃の胎児の姿」に相似すると見立てられた。
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 さらに、下に示すように、「ジャコウウシの姿」は「胎児の姿に似る銀河」と相似すると見立てられゆえ、「ジャコウウシの姿」は上の図の「第5週の胎児の姿」に相似すると見立てられた。
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 下に示す図のごとく「銀河の中心(銀河系宇宙の中心)・巨龍の顔の銀河・胎児の姿に似る銀河」・さそり座α星(大火)」の形状を注目すると――「ジャコウウシの横顔に似る銀河」は「巨龍の顔の銀河」と重なり、「ジャコウウシの横顔に似る銀河」に焦点を当てると「巨龍の顔の銀河」は欠けて見える。だから、「ジャコウウシ」は【倉頡が発明した漢字作成理論】を象徴する聖獣となった。
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 前回(2)のブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」でも解説したが――「銀河の中心・巨龍の顔の銀河・胎児の姿に似る銀河・さそり座α星、そしてジャコウウシの横顔に似る銀河」について、藤井旭著『透視版 星座アルバム』(誠文堂新光社発行)は、下記のごとく説明する。
 「わが銀河系の中心方向にむらがる無数の星と、入り乱れる星間物質が、わきあがる入道雲のような迫力に満ちた姿でせまる。」
 ゆえに、「銀河の中心・巨龍の顔の銀河・胎児の姿に似る銀河・さそり座α星、そしてジャコウウシの姿に似る銀河」のイメージは、「ものすごい、強大な力」を示す。ジャコウウシは「ものすごい、強大な力」を有する。したがって、「ジャコウウシ」は「銀河の中心に隣接する巨龍の顔の銀河・胎児の姿に似る銀河・さそり座α星の、わきあがる入道雲のような迫力に満ちた渦巻き銀河」に見立てられて――前述した[](「乾坤」の[])の字源に適合して【倉頡が発明した漢字作成原理】を象徴する聖獣となった。
 また、「凍土地帯のきびしい寒さにたえられる防寒具で身を包む、ジャコウウシの暗褐色の毛足の長い毛(ウール)」は「天頂緯度線を測量する時に用いられる糸と、そして天頂緯度線」に見立てられた。ゆえに、ジャコウウシは【倉頡が発明した漢字作成理論】を象徴する聖獣となった。
 〔注 人類は原始のときから1度の60分の11分の緯度差を測量できる天頂緯度線をキャッチして生存した。だから、この能力を有した人類は滅亡しなかった。そして、「ジャコウウシの暗褐色の毛足が長い糸()」は天頂緯度線をキャッチする時の測量具として使用された。〕

◆ジャコウウシは先史時代には百頭以上の群れをつくって北半球の寒帯に分布していたが、約5000年前頃には多くの地方で絶滅したとされる。
 ゆえに、5000年前の黄帝時代には中国の毛烏素(ムウス)沙漠は凍土地帯・ツンドラ地帯となってジャコウウシが生息し、晩秋から冬になると毛烏素沙漠より南方の黄帝の居住地付近(黄帝陵付近)までで餌場(えさば)を求めて南下してきた。
 わが国が夏音文字を習得した約4050年前の夏代(かだい)初頭になると中国ではジャコウウシは絶滅して、中国より北方地域へ去った。
 現在は、ジャコウウシは北極地方で生息する。
 『史記』の五帝本紀には「師兵(しへい)をもって営衛(えいえい)す」という文があり、「黄帝軍は駐屯するとき、兵たち円陣を組んで自衛した」と意味した。黄帝軍の兵士たちはジャコウウシのごとく円陣を組んで駐屯していたことになる。この記事が示すように、ジャコウウシの大群は北のフタコブラクダが棲むゴビ沙漠から毛烏素沙漠を縦断して、黄帝が居住した地域・黄帝陵付近地域まで南下していたことになる。 

◆『魏志倭人伝』には「対馬国の南一海を渡る千余里、名づけて瀚海(かんかい)と曰()う。一大国に至る」という記事がある。
 この記事が示すように、卑弥呼は「対馬国(現在の長崎県北部の対馬)と一大国(現在の長崎県北部の壱岐)の中間の現在の東水道」を「瀚海」と名づけた。
 貝塚茂樹・藤野岩友・小野忍編者『角川漢和中辞典』(角川書店発行)は「瀚海ゴビ砂漠のこと」と解説する。
 「瀚海」を「北海、またはバイカル湖を指す」と指摘する字書もあるが、幾つかの字書は「瀚海」の初義は「ゴビ沙漠」であったと指摘する。
 司馬遷著『史記』五帝本紀に記されているように五帝のうちの四番目の帝王・堯(ぎょう)代に始めて益氏は歴史上に登場し、五番目の帝王・舜(しゅん)代に「虞()」という重職に任命され、『史記』夏本紀には夏帝禹()の後に氏族の首長が帝王に就任したと記述されている――このような名門・益(えき)氏の王子と益氏の若者たち一行は中国の地から出発して玄界灘を渡って日本列島を北上して東北地方の男鹿・米代川縄文文化圏にて、紀元前2070年頃~紀元前2050年頃の後期縄文時代初頭に定住した。
 この「益氏の王子と若者たちの日本列島移住」について、『日本書紀』巻三・神武天皇紀は初頭部で「天祖の彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)は天のいわくらを開き、雲路をおしわけて、先払いをたてて新天地(日本列島の男鹿・米代川縄文文化圏)に鴻(おおとり)が荒野に舞い降りて棲みつくがごとく定住なされた。このとき、この新天地から東日本一帯は野蛮で草深い未開地であった。このような状況にありながら、みずから正しい学芸を新天地の人々に教え養って、日本列島の東北地方における西の偏(ほとり/男鹿半島・八郎潟の東岸地域)に居住して治めた」と説明している。
 益氏は《精密な中国海岸線地図を作製する「虞」という重職》を代々200数年余りに従事していた。ゆえに、天祖・益氏の王子と若者たちは、当時(夏代初頭・後期縄文時代初頭)において、中国における最先端にして最も正確な中国海岸線地図と精密地図(地宜)作成方法を有していた。
 天祖・益氏の王子は日本列島に学芸を正しく養い文化を高めて新天地が豊かに栄えるために、五帝時代最後の五番目の舜(しゅん)帝王朝時代と夏后(かこう)始祖の禹()帝王朝時代で厳重に機密とした法律を破って【学問】つまり【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を広めた。また、益氏は200年余り「虞」という重職に従事していたゆえ、天祖は益氏が得意とする最先端の【精密中国海岸線地図と精密地図作製方法】を教えて広めた。また、天祖は東北地方西方の沿岸地域の地宜(ちぎ/平面的に図化する地図の形)を利用して【精密中国海岸線地図】を保存する方法を工夫した。だから、わが国に【当時の中国における最先端にして最高に正確な中国海岸線地図】が保存されて卑弥呼の時代まで失われずに残った。
 【倉頡が発明した漢字作成理論「鳥獣の足跡」】を理解させるためには「瀚海」は「ゴビ沙漠」と見立てる必要があった。だから、『魏志倭人伝』に記載された「瀚海」は「ゴビ沙漠」と解釈しなければならない。〔この「瀚海」が「ゴビ沙漠」を意味した証明については、わがブログはいずれ後の回で詳細に解説する〕。
 司馬遷著『史記』の〔陳杞世家〕は「帝王となった益氏の子孫は、どこに封ぜられたか不明である。史伝に記載されていないからである」と指摘する。益氏を後継する王子と若者たちは日本列島の地に定住した。このため、益氏は忽然(こつぜん)と中国から消えた。ゆえに、益氏は中国のどこにも封ぜられず、中国の史伝に記載されず不明となったのである。

◆わが国には、正確な中国海岸線地図を作製する「虞」の重職に代々200数年余り従事した後に、夏王朝の始祖帝禹()の政治を補佐し、禹の後を継いで帝となった益氏の首長の孫の王子(天祖)と若者たちが東北地方に定住した。だから、【(1)倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸と、(2)正確な中国海岸線地図と精密地図作製方法】は益氏が定住した男鹿・米代川縄文化圏から遠く離れる関東地方まで広まった。
 というのも、益氏が男鹿・米代川縄文文化圏に定住したとき、日本列島において最高級の文化を有して栄えていたのは、世界に類がない最高級の芸術の花開く関東地方であったからである。
 下に示す写真は、益氏が日本列島で定住した約1000年前に作られた、関東地方で作られた土器・土偶を代表する約5000年前(倉頡が生存していた頃の中期縄文時代初頭)に作られた日本最古の国宝土偶「縄文のビーナス」(長野県茅野市の尖石縄文考古館所蔵)である。
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 「縄文のビーナスの胸部」は「十字の銀河の胸部」と同じ十字形であり、縄文のビーナスは「妊婦像に観える、十字の銀河」をあらわして「妊婦像」となり、「縄文のビーナスがかぶる帽子」は「十字の銀河の頭部の形状」のデザインと推定できる意匠となり、「橙黄色(とうこうしょく)に輝く十字の銀河」に似せて縄文のビーナスは「雲母(うんも)を混ぜてキラキラ輝く橙黄色の土偶」である。
 関東地方の長野県・山梨県において、前期縄文時代から益氏が日本列島に定住した後期縄文時代初頭までに作られた土器には、口縁部(こうえんぶ)や胴の部分に「十字の銀河の子宮や腰の部分(妊婦の腹部・乳房・右足にも観える部分)」をモデルにして「胎児(子ども)の顔や女性の骨盤」をデザインする意匠や飾りがほどこされているものが幾つか存在する。
 下に、益氏が日本列島に定住した後期縄文時代初頭に作られた国宝・「仮面の女神」(長野県茅野市の尖石縄文考古館所蔵)の写真を配した。
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 「仮面の女神」は尖石集落の天頂にめぐってきた「十字の銀河」が「妊婦の姿」に観えると示す妊娠土偶である。また、「女神がかぶる三角形の仮面」は「精密な地図作製方法」、つまり「天頂にめぐってきた【十字の銀河】を観測して天頂緯度線をキャッチして経緯度原点地を設定して、この経緯緯度原点地を基点して三角形の本点を設置し、この三角形本点の基にさらに三角形の網や鎖を形作って精密な地図を作製した方法」をあらわしていると考えられる。
 この「仮面の女神における三角形の仮面」は「益氏が教授した精密な地図作製方法」をあらわした秘密は、尖石縄文考古館が所在する長野県茅野市南方の静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地図の形として残っている「1千万坪の大鳥の地上絵」によって解明することができる。「1千万坪の大鳥の地上絵」は『魏志倭人伝』が著作された時と同時代の3世紀後半に作製された。
 下に、「1千万坪の大鳥の地上絵とその3要素」をデザインした漫画的なイラストを配した。
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◆益氏の定住によって、【(1)倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸と、(2)正確な中国海岸線地図と精密地図作製方法】は男鹿・米代川縄文文化圏から関東地方までひろがった。
 このため、280年~289年に成立した『魏志倭人伝』と同時代(260年頃~290年頃)に、中国王朝が最も厳重に機密として国内外に絶対に知られてはならない【正確な中国海岸線地図】が不呼(ふこ)国・遠江(静岡県西部)の浜松市北区細江町における「1千万の大鳥()の地上絵の東の境界線」に図化された。この「1千万坪の鴻の地上絵」は、上記した『日本書紀』神武天皇紀初頭にある「益氏の王子の日本列島移住記事」にある「鴻荒」という難解な語の秘密を――「鴻の頭部が夏至の日の出の方向」と合致するように設計して、「夏音文字の学芸は未開の荒野であった東日本各地に居住する氏族の人々の頭脳に習得されることになった――と表現している。
 また、上記したように、尖石縄文考古館が所蔵する国宝「仮面の女神がかぶる三角形の仮面」は遠江国の「1千万坪の鴻の地上絵」によって「精密地図作成方法」をデザインするものであったと解明することができる。
 学者たちは「三角縁神獣鏡」によって邪馬台国の所在地は決定されるにちがいないと主張する。この「三角縁神獣鏡」に対抗して、遠江国「1千万坪の鴻の地上絵」は現在の静岡県浜松市北区細江町の地図の形であるゆえ「三角形卑弥呼不呼国びっくり仰天郷の地上絵」という別名をつけることができる。

◆名門益氏の王子(天祖)と若者たちが日本列島の東北地方に定住したため、『魏志倭人伝』には「古(いにしえ)より以来、その使()中国に詣(いた)るに皆自ら大夫と称す」という記事がある。
 中国に到着した倭の使者たちは皆が皆「益氏の若者たちが渡った荒波が逆巻く玄界灘を征服した」と誇示して「大夫」と称した。万葉仮名の「大夫」は「ますらを」と読み、今日は「益荒男」と表記する。したがって、「益荒男」という語は「『魏志倭人伝』に記述された中国に到着した倭人国の使者たちは皆が皆口をそろえて【益氏の王子と若者たちと同じく、波が逆巻く玄界灘を征服した水行(航海)】を誇って、彼ら全員は“大夫”と自らを称した」という、この歴史を伝えていたことになる。
 前述したように、『魏志倭人伝』には「対馬国と一大国の中間の海は、瀚海と曰()った」という記事があり、「瀚海」は「ゴビ沙漠」を意味した。
 卑弥呼は「対馬国」を「モンゴル」と[]の字源「フタコブラクダ」に見立て、「瀚海」を「ゴビ沙漠」に見立て、「一大国」を「秋から冬になるとゴビ砂漠を縦断しさらに南方の毛烏素(ムウス)沙漠を越えて、黄帝が住む本拠地から遠く見える地平線上に出現するジャコウウシの大群」に見立てるとする地理説をとなえた。この地理説では「玄界灘」は「黄帝たちが居住地北方のジャコウウシを狩猟した地域」と見立てられることになり、「玄界灘の沿岸地帯の末盧(まつろ)国・伊都(いと)国・奴()国・不弥(ふみ)国」は「黄帝たちが居住した地域」に解釈されることになった。
 だから、『魏志倭人伝』は「倭人国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在していた」と伝えていた書物であった。したがって、『魏志倭人伝』と「邪馬台国」の間柄は「まったく無関係」という間柄で、「邪馬台国説」は『魏志倭人伝』の全記事とまったく合致しない空論であったという間柄であったのである。ゆえに、NHKテレビの「邪馬台国サミット」は邪馬台国研究における第一線級の鼻高の天狗さまとウソつきピノキオさまの集いであったことになる。
 次回のブログでは、「約5000年前の黄帝時代に1組百頭以上のジャコウウシが犇(ひし)めく大群が幾組も餌場を求めて烈風ふきすさぶ雪原を黄帝の本拠地近くまで南下して出現した光景」を「冬の季節風が吹く寒風ふきすさぶ玄界灘」に見立てるようにして、卑弥呼が【倉頡が発明した漢字作成理論「鳥獣の足跡」】を立論した地理説、つまり倭国の大乱を平定することになった地理説について解説し証明することにする。

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