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2021年1月14日 (木)

邪馬台国説はサギ・騙されるな・2

▼前回でも指摘したように――2021年1月元日の午後7時~9時までの2時間、NHKBSプレミアム・3チャンネルは「邪馬台国サミット」という番組を、九州説と近畿説の第一線の諸先生方を集めて「魏志倭人伝には多くのウソの記述がある」という認識を国民の頭脳に植えつけるための放送をおこなった。これゆえ、朝日新聞のテレビ欄は、この「邪馬台国サミット」の番組内容を「対決! 九州説VS近畿説 第一線の研究者たちが一堂に会して大激論! 魏志倭人伝のウソを読み解く」と要約した。この番組の司会者は芸名が「爆笑問題」の二人であった。九州説と近畿説の先生方一同は口々に「『魏志倭人伝』にはウソの記事が存在し、また情報操作の記述もある」と力説した。この先生方による全員一致のご意見に反して、『魏志倭人伝』の全記事は真実・事実を伝える歴史書であって、一片のウソも偽りも有していない。だから、『魏志倭人伝』の全記事とまったく合致しない先生方全員の意見は『魏志倭人伝』が伝える真実・事実とまったく無関係のウソでデッチあげた法螺(ホラ)・爆笑ものの空論、まさしく詐欺(サギ)であったことになる。よって、この番組は司会者の「爆笑問題」という芸名よろしく、「全部ウソと詐欺とで丸め固めた先生方よ! それは問題でしょ! 国民をなめるな! ゲラゲラの大笑い」と総括すればよいことになる

★「倭人国の地理学」のトリセツ・11

◆山尾幸久著『魏志倭人伝』(講談社発行)によると――『魏志倭人伝』は晋(しん)の武帝の太康(たいこう)年間(280289)、著者の陳寿(ちんじゅ)が歴史編纂官であった時代に著作されたことになる。
 わがブログ「フェイク&まぼろしの邪馬台国」の13回で詳細に解説したように――下に示す「1千万坪の大鳥の地上絵」は『魏志倭人伝』の同一時代の260年頃~290年頃までの30年間費やして作製された。この「1千万坪の大鳥の地上絵」は、現在の静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地図の形である。この3世紀に作製されて現存する「細江町の地宜(ちぎ/平面的に図化した地図の形)」は「『魏志倭人伝』の全記事は一片のウソも偽りも有していない。すべて真実と事実のみが記述されている」という事実が【科学】が成立して証明できる遺跡である。
 〔注 下に示すように、「1千万坪の大鳥の地上絵」を私は「卑弥呼の地上絵」と名づけることにした。また別名として、「建比良鳥(たけひらとり)の地上絵」と名づけた。というのも「1千万坪の地上絵」の作製者は――『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」と記述される人物であると考えられるため、「建比良鳥の地上絵」と名づけた〕。
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 だから、『魏志倭人伝』と「1千万坪の大鳥の地上絵」の両者がピッタリ合致して【科学】が成立する状況は【真実と事実を証明することになる】ゆえ、「邪馬台国サミット」に集合した九州説と近畿説の第一線の先生方の全員の意見は、明らかに国民の頭脳に九州説と近畿説のウソ・偽りを植えつけようとした詐欺であったことになる。
 わがブログ「フェイク&まぼろしの邪馬台国」1回~13回で詳細に解説し証明したように、また最後の13回で要約したように――紀元前2070年頃~紀元前2050年頃の後期縄文時代初頭、中国から夏音(かおん)文字の学芸に精通する名門益(えき)氏が玄界灘を渡って日本海沿岸を北上して東北地方に定住した。この夏音文字の学芸を縄文人たちが習得した時、【倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成理論(漢字作成原理と作成方法)】も習得された。
 この【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】は、一気に東日本の信濃・長野県まで伝わって広まった。
 【『魏志倭人伝』の記事】と【「1千万坪の大鳥の地上絵」の遺跡に保存された地理の秘密】の一致によって、2世紀末から3世紀半ばまでの卑弥呼王朝時代、【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】は西日本各地に広がって保存されていたことが明らかとなる。というのも、「1千万坪の大鳥の地上絵」が所在する「現在の静岡県浜松市」は旧国「遠江」であるゆえ、卑弥呼が治めた倭人国の範囲は西日本の端っこにある遠江までとなるからである。その証拠に、上に示した「遠江に所在する1千万坪の大鳥の地上絵」には――旧国「遠江」は『魏志倭人伝』に「不呼(ふこ)国」と記された小国であったと明確に表示されている。

◆倉頡は、天文学において通称「夏の銀河」と呼ぶ、この銀河各部の形状から漢字を作成する理論を考案した。「夏の銀河」は「夏の全星座が漬()かる巨大な銀河」である。
 下に、「夏の銀河の写真」、言いかえると「漢字(文字)作成銀河の写真」を示した。
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1】倉頡はみずからが発明した漢字の学芸は強大な権力・莫大な富・最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、この知識を反体制側の人々が手に入れると王朝が容易に崩壊・滅亡すると心配して、「文字は銀河各部の形状から作られた」という秘密を暴露した者とその一族全員に神罰を下して即座に死刑にすると定めた。
2】また、倉頡は「文字を容易に覚えるため、文字作成銀河(夏の銀河)の各部に名称を付けた者と一族全員もまた即座に死刑にする」と定めた。
 だから、今日になっても夏の銀河の各部をあらわす名称が存在しない。夏の銀河の各部の名称が無いと、【漢字の字源銀河・字形となる銀河・字義となる銀河】の解説・証明するに非常に不便となるゆえ、私は下記のごとく銀河各部の名称を定めた。
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3】 倉頡は地面・灰・雪の上や石に線で刻んで書いた文字が用済みになったならば、文字を消さない者はまた消し忘れた者も許さず、その者の一族全員まで即刻に死刑にすると定めた。
 『魏志倭人伝』・『古事記』上巻・『隋書』倭国伝に記載されて残った夏音文字は、楷書で表記されている。この事情は、卑弥呼が歴史上に始めて登場して国家と王朝を創立した180年頃に、後漢王朝が用いていた漢字は楷書(原初的な楷書)であったからである。甲骨文字以後、倉頡が定めた【3】「書いた文字は用済みになった時、文字を消さない者または消し忘れた者とその一族全員まで、神罰が下って即刻に死刑にする」と定めた掟は破られた。ゆえに、夏音文字を楷書で表記することは許可されていたゆえ、夏音文字は楷書で表記されることになって現存することになったのである。

 倉頡が定めた【3】の掟のために、五帝時代の原初漢字・書契(わが国では「刻木」という)、夏后(かこう)時代の原初漢字・夏音文字、紀元前1600年頃~紀元前1300年頃の殷(いん)代の原初漢字は文字を書いた資料が発見されていない。だから、学者たちは「五帝時代から殷代前半までの漢字は存在しなかった」と断定し、「書いた文字の資料が発見された紀元前1300年頃から始まる、亀の甲羅に文字を刻んだ殷代前半の甲骨文字を最古の漢字である」と思い込む。
 【五帝時代初頭から殷代前半終わりまでの原初漢字】は【夏の銀河の各部の形状と、中国各地の地宜(ちぎ)と地名】が【字源・字形・字義】となって存在することになったのである。
 したがって、夏音文字は『魏志倭人伝』に記載された人名・小国名・官職名に用いられて残っており、また、夏音文字は『古事記』上巻の随所に〔音〕という注がついて残っている。
 現在のわが国の歴史学においては『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に残っている夏音文字を「残っていない」と断定しているが、この定説は空想・幻想・虚妄であったことになる。
 このような観点からして、『魏志倭人伝』と同一時代に作製された上に示した「1千万坪の大鳥の地上絵(卑弥呼の地上絵)」は極めて重大な遺跡ということになる。
 というのも、約2000字で構成される『魏志倭人伝』が約1100字・約55パーセントの記事が説明する【倉頡が創った原初漢字と夏音文字の字源・字形・字義】は地宜(ちぎ/平面的に図化した地上絵)と「不呼国」などの地名で表示されたからである。遠江の豪族・建比良鳥命とその氏族の人々は約30年間費やして〔1〕『魏志倭人伝』の全記事と〔2〕〔音〕という注がつく夏音文字が随所に記された『古事記』上巻の上古史が【科学】にもとづいて、今日、証明できる「1千万坪の大鳥の地上絵・卑弥呼の地上絵」を、なんと偶然の一致で『魏志倭人伝』が著作された同時代に作製したのである。
 「卑弥呼の地上絵」によって、【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字は、確かにわが国は習得して実在した】と【科学】が成立して証明されることになる。

◆《天の北極の位置》と《春分点の位置が分かると同時に夏至点・秋分点・冬至点もわかる二分二至点》は〈黄道の北極〉を中心にして25,800年で大きな円を描いて一周する。円は360度であるから、25,800年割る360年は71.666年となる。つまり、《天の北極》と《春分点》は〈黄道の北極〉を中心にして描く二つの大円の線上を71.666年毎に1度ずつ移動している。この現象を「歳差(さいさ)」という。
 したがって、「歳差」によって――今から5000年前の五帝初頭においては、5,000年割る71.666年は69.77年となり四捨五入して70年となるゆえ――《五帝時代の天の北極》は《現在の天の北極より〈黄道の北極〉を中心とした70度昔の方へ戻った位置》にあり、《五帝時代の春分点》は《現在の春分点より〈黄道の北極〉を中心とした70度昔の方へ戻った位置》にある。
 五帝時代の《天の北極の位置》と《春分点の位置》に則(のっと)ると、五帝時代における中国全土の各地のおける天頂にめぐってきた銀河部が明らかとなる。

 倉頡がつかえた黄帝は東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝えられる。
 黄帝は【ヒトの生命の神秘】を研究するために【女性生殖器と胎児の出産】を研究した。この医学研究は先代の三皇時代には着手されていなかった。ゆえに、黄帝の医学研究をあらわすことができる文字が存在しなかった。黄帝の【女性生殖器と胎児の出産研究】をあらわす文字の発明は倉頡の役目となり、倉頡は【女性生殖器と胎児の出産をあらわす文字】を【夏の銀河各部の形状から作成する理論】を発明した。
 五帝時代初頭において中国全土の天頂にめぐってきた「夏の銀河」における銀河部は西から東へ向かって列挙すると、(1)ヘルクレス座・へびつかい座 (2)天文学で「北天の最輝部」と名付けられた銀河部、(3)私が「十字の銀河」と「鬼の横顔に似る銀河」と名づけた銀河の3ヵ所である。
 〔注 なお、上記した天文学が「北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)」と名づけた銀河は、「北半球の土地に居住する人々が最も輝いて見える銀河部」のことである〕。

◆上記した「歳差」という天文現象に則って5000年前へもどした五帝時代初頭に中国全土の天頂にめぐってきた(3)「十字の銀河」と「鬼の横顔に似る銀河」の図を下に示した。
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 上の左側「十字の銀河の西半分」には、下に示すように「女性の乳房」・「妊婦の腹部」・「妊婦の腹部と重なる子宮に相当する部分」がある。
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 だから、倉頡は「女性のイメージをあらわす十字の銀河の形状」を注目して【黄帝の女性生殖器の研究】をあらわす文字(漢字)を創った。上に示した「五帝時代初頭の黄帝時代の緯度線の図」が示すように、「十字の銀河」とその西隣の「鬼の横顔に似る銀河」を注目して、倉頡は【黄帝の胎児の出産の研究】をあらわす「文字」を創った。「鬼の横顔に似る銀河における横顔」には「二つの目」があり、「鬼の横顔に似る銀河の首(後頭部とアゴ)」にも二つの目がある。ゆえに、「鬼の横顔に似る銀河」には合計目が四つあるため、倉頡の異名は「四つ目の怪人」と呼ばれた。
 「漢字は倉頡が発明した」と伝える倉頡伝説は「倉頡は四つ目の怪人であった」と表現されることになったため――現代学者たちは「人間には目が四つ無い! だから倉頡伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメである」と断定する。
 このため、現在、倉頡が漢字を発明した歴史を研究する学者は一人も存在しない。言いかえると、『魏志倭人伝』に誤読・歪曲・主観的意見などいっさい加えずに、全記事を信用して客観的に慎重に11字について深く思考していれば――この思考方法・理論的方法によって『魏志倭人伝』は「わが国は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を習得していた歴史」が解明・証明されていたことになる。
 「九州説と畿内説が最も正しい」と決定する現在の歴史学の思考方法・理論的方法は――歴史書にはウソも書かれている。『魏志倭人伝』の全記事を軽々しく正しいと信用してはいけない。なぜ信用してはならないのか、信用してはならないのはどの点なのか、あるいはどのような考え方をしたならば信用できることになるのか、などと見きわめて、『魏志倭人伝』を利用しなければならない――と定める。
 しかし、現代史学の思考方法と意見に反して『魏志倭人伝』は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を説明する、全記事が正しい文献であった。
 倉頡伝説に登場する「四つ目の怪人倉頡」は――黄帝時代には「四つの目の銀河部がある、鬼の横顔に似る銀河」が中国全土の天頂にめぐってきた、倉頡は夏の銀河から漢字を作る理論を考案した――という事実を伝えていた。しかし、現在の学者たちは「人間には目が四つあるはずがない! 倉頡伝説は荒唐無稽のデタラメだ」と断定する。この意見が空論であったと同じく、現在の学者たちの「『魏志倭人伝』の全記事は正しいなんていうことは絶対にありえない」という理論的方法も事実に反した空理空論であったのである。
 【黄帝の子どもの出産の研究】をあらわすイメージとなった「鬼の横顔に似る銀河には目が四つある」という事実を後世に伝えて、倉頡は「四つ目の怪人」と呼称された。
 だから、「四つ目の怪人倉頡」は漢字が「夏の銀河」から作られた秘密を伝えるものであったゆえ――漢字が「夏の銀河」から作られたことは真実であり事実であったことになる。

◆黄帝の医学研究をあらわす文字を作る、これを目的とした倉頡は、「母体に似る十字の銀河」を「夏の銀河の各部の形状から作った全漢字を生む母体」と定めた。これゆえ、下に示すように、周代に用いられた金文の[]の字形は「十字の銀河」を「母体の正面形」に見立て「女体の腹部(子宮)に胎児が宿る様子」を表現する図案となった。
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 また、下の金文形が示すように、倉頡は「十字の銀河」を[(べん)]の字源とし、「鬼の姿に似る銀河」を[]と字源として、[]の下に[]を加える[]を作った。[]は「当時の男たち、家族が飢えて死なないように命と生活をまもるために、獲物や石器などを求めて遠くの地に旅して目的を達成したならば帰還した、家族が待つ家」をあらわした。後世、家族主義の中国では、家譜(かふ/系譜)を尊重するとともに、宗廟(そうびょう)を建て、家族の中心である祖先をまつった。ゆえに、[]は「五帝時代の原始的な宗廟」、「後世の宗廟」をあらわすことになった。
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 前の[]の字源銀河解説図と上の[]の字源銀河解説図は、【倉頡が発明した漢字作成原理】をあらわした。
 つまり、倉頡は「子どもを生む十字の銀河」を「夏の銀河各部の形状から作られた全漢字を生む母体」、「十字の銀河における子宮となる銀河部」を「夏の銀河各部の形状から作られた全漢字を生む子宮」と定めた。
 というのも、前に示した「五帝時代初頭の黄帝時代の緯度線図」が示すように――[]の字源「十字の銀河の頭部中央から子宮南端までの緯度の丈(たけ)」と[]の字源「鬼の姿に似る銀河のうちの、横顔に似る銀河(四つ目の横顔)に似る銀河の丈」は同じである。ということは――「母体の身長」と「子(出産児)の顔の長さ」が同じとなる。さらに、「胎児」は「母体の子宮で育って生まれる」が――「母体の子宮に相当する、十字の銀河の子宮」よりも「胎児の横顔となる、鬼の横顔に似る銀河」のほうがはるかに大きい。
 この矛盾・不合理を解決するため――倉頡は「夏の各部の形状から作られた、たとえば夏の銀河の大半の巨大な形状から作られた字も、小さな十字の銀河の子宮から生まれる」と定めることにした。この工夫(くふう)によって、【「大きな鬼の姿に似る銀河」から作られた[]も「小さい十字の銀河の子宮」から生まれる】という、理論が発明された。
 つまり、倉頡は【小さな「十字の銀河の子宮」から大きな銀河から作った文字が生まれる、夏の銀河(文字作成銀河)各部の形状から生まれた全文字は「十字の銀河の子宮」から生まれる】という、漢字作成原理を発明した。この【倉頡が発明した漢字作成原理】は【一即多、多即一】でもあった。なぜならば、【[]の字源「十字の銀河の子宮」は、夏の銀河各部の形状から作られた「多数の文字」を生む子宮】であるから【一即多】となり、また【多即一】ということになるからである。
 だから、[][]の字源銀河解説図は【倉頡が発明した漢字作成原理】をあらわすことになった。

◆「分娩のはじまりから子宮口がすっかり開くまでの時期」を「出産第一期・開口期(かいこうき)」という。正常分娩の場合には骨盤入口の上では胎児のアゴを胸につけた姿勢で胎児の背は母体の左または右にある。中ほどにくると胎児の頭は邪(なな)め後ろ(母体の臀部(お尻の方)に顔を向け、出口では胎児は顔の正面を母体の後方・臀部の正面に向ける状態で、開口期の終わりとする。
 下の図に示すように、出産第二期・娩出期(べんしゅつき)の終わりにおいても、胎児は顔の正面を母体の後方・臀部の正面に向ける状態となる。
S341  前に示した[]の字源銀河解説図において、胎児の顔となる「鬼の横顔に似る銀河、その顔」は「母体の腹部を正面」にして開口期と娩出期の終わる時の姿勢となる。ゆえに、倉頡は[]の字源銀河解釈において、「十字の銀河の腹部」を「母体の腹部」と見立てると不合理・矛盾するということに気づいた。
 そこで、倉頡は「十字の銀河における、母体の腹部」を180度転回して「十字の銀河における、母体の臀部(お尻)」と見立てる(解釈する)字を考案した。
 下の左図「[][][]の字源銀河解説図」に示すように、[()]の字は「母体をあらわす十字の銀河中央に、《イネ()》をデザインする図案」重ねて作られた。
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 注目すべきは――上の[]の字源銀河解説図のおける「十字の銀河のおける母体の腹部は母体の腹部ではない。180度転回して母体の臀部(でんぶ)、娩出期終わりの出産児の顔の正面となる母体のお尻」である。
 []の字形は――イネの穂を「鬼の横顔に似る銀河の口」へ向かって垂れる形――となった。したがって、[]の字形は――イネの穂が「南」(十字の銀河の南)から「西」(鬼の横顔に似る銀河の口)へ垂れる。だから、[]の字は「〔南〕から時計回りに90度転回して〔西〕と化()る」――をあらわすことになった。
 上の左図の[]の字形は、「地面に植わるイネの状況」に観えない。
 したがって、[]の契文(けいぶん)形=甲骨文字の字形は、上の右図「地面に植わる[(イネ)]の形」のごとく図案されて、その「イネの穂は〔北〕から時計回りに90度転回して〔東〕と化()る」と定められた。
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 なにゆえ、[]の字形のおける「穂」は「十字の銀河の腹部を、母体の臀部」に見立てて、「十字の銀河の臀部」の後方「鬼の横顔に似る銀河」の方へ転回することになったかと言えば――その原因・理由は、下に図示したように、「鬼の横顔に似る銀河における横顔」は「イネと麦の花」に相似し、「鬼の横顔に似る銀河の角(つの)」は「イネと麦の芒(のぎ/花の外殻の針のような突起)」のごとくに観えるからである。
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 以上のごとく、倉頡が創った[]の字源・字形・字義は「方位が時計回りに90度転回して北→東・東→南・南→西・西→北に化る」と定められた。また、[]の字源・字形・字義は「イネ。麦。イネや麦などの穀物(五穀)。五穀豊穣」などをあらわすことになり、最高の政治スローガン「人民の胃袋を穀物(食物)で満たす」とあらわすことになった。
 []の下に[]の字(「女体に相似する、十字の銀河」)が加わって[]の字が作られた。「十字の銀河」は「人体の形」に相似するゆえ、人偏に[]の字が作られた。
 [][]は、[]の字源・字義をそのまま受け継ぐことになったため「時計回りに方位が90度転回する規定」をあらわすことになった。
 だから、前回(1)のブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」で証明したように、『魏志倭人伝』は冒頭の「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」という文の先頭の[]という字をもって――「日本列島の本土・九州の末盧国以下の方位規定は時計回りに90度転回して、本土の〔西〕となる九州は〔北〕と化()り、本土の〔東〕にある能登半島・伊豆半島は〔南〕に在ると、卑弥呼王朝は本土地理を制定していた」と説明していたことになる。
 『魏志倭人伝』に記述された【末盧国より以後の記事に配された12カ所の方位記事】は「時計回りに90度転回する方位規定」で統一され、[]の字源・字義の「時計回りに方位が90度転回する規定」と合致して【科学】が成立する。
 したがって、『魏志倭人伝』は「倭人国には【倉頡が発明した漢字作成理論(作成原理と作成方法)】と夏音文字の学芸が存在した」と説明したことになる。
 また、【末盧国より以後の記事に配された12カ所の方位記事】は――【末盧国から黒歯(こくし)国までの、倭人国31ヵ所全部の本土における小国名】は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】にもとづいて定められた――と説明していることになる。
 だから、『魏志倭人伝』は1ヵ所もウソの記述が存在しない歴史書であった。この事実は、上記した「1千万坪の大鳥の地上絵」によって、【科学】が成立して証明される。

◆倉頡は、また、下に示す「さそり座α星がある、夏の銀河の西端の方へイネの穂が垂れる」と考えて、[]の字を作った。
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 上の右下端にある「さそり座α星」は夏から秋までの穀物収穫期、赤く輝く夏の星空でひときわ目立つ巨星の一等星である。これゆえ、わが国では「豊年星」と呼んだ。中国で「火()」「大火(たいか)」と名づけられ、「大火西に下る頃」と表現して「夏が終わると、禾(穀物)を収穫する晩秋が到来する」と、豊年の喜びを表現した。
 卑弥呼時代には、上の図の最下部に記した「南」は「晩秋(陰暦八月上旬)、大火(さそり座α星)が最南端に位置して子午線通過状況」を示し、「西」は「陰暦八月上旬の午後7時頃に、大火が西に下る頃、つまり地平線近くの西空に位置する状況」を表現した。
 黄帝時代においては、秋分の日の午後6時に、大火は真西から約10度の方角(西南西)、しかも地平線スレスレの低い高度の空に位置して30分後には地平線下に没した。この状況を注目して、倉頡は[]の字を創ったことになる。
 この秘密を伝えて、司馬遷(しばせん)著『史記』五帝本紀・巻一には「土徳(どとく)の瑞(ずい)があり、ゆえに黄帝を号す」という記事がある。「黄帝」を号することになった黄帝の土徳には二つの瑞祥(ずいしょう/めでたいことが起こるきざし)があり、そのうちの一つの瑞祥は「黄龍(こうりゅう)」である。
 上に示した「大火西に下る頃」の[]の字源銀河解説図における「銀河の中心(銀河系宇宙の中心)周辺の巨龍の顔の銀河・胎児の姿に似る銀河」は黄色く輝く。ゆえに「黄色く輝く巨龍の銀河の顔の銀河」は「黄龍の瑞祥」をあらわした。というのも「黄龍の顔の銀河」は「土(南東の地平線)」から昇り、「土(真南の地平線)」近くを通過し(つまり、子午線通過し)、「土(南西の地平線)」の下に没するからである。だから、「黄龍の顔の銀河」は「黄帝」と号することになった土徳(地平線に近い銀河部のイメージが示す徳)をあらわして「黄龍」と名づけられた瑞祥をあらわしたことになる。
 もう一つの土徳の瑞祥は「地螾(ちいん)」と名づけられた。
 上の「大火西に下る頃」の[]の字源銀河解説図における「黄色く輝く、胎児の姿に似る銀河の西端」が「地螾」の瑞祥をあらわした。「地螾」の[]は「土の徳」を、[]は「寅の体毛のように黄色く輝く胎児の姿に似る銀河」があらわした。[]の字義は「蚯蚓(みみず)」である。土の中にすむ蚯蚓のからだは、うす赤くよく伸び縮みする。ゆえに、「地螾」は「子宮に宿る胎児が育って出産様子をあらわす目出度いしるしの瑞祥の、赤いみみず腫()れの妊婦の腹部にできる妊娠線」を意味したことになる。
 以上のごとく、『史記』五帝本紀の黄帝の記事は――常に地平線近くを運行する(1)「黄龍(黄色い巨龍の顔の銀河)」と(2)「地螾(黄色い胎児の姿に似る銀河の西端)」の二つの土徳の瑞祥の銀河部によって、「倉頡がつかえた女性の生殖器と胎児の出産を研究した帝」は「黄帝」と号されることになった――と伝えていたのである。
 

◆ところが、「黄龍」と「地螾」の瑞祥によって、「大火西に下る頃」の[]の字源銀河解説図における[]の字源解釈に疑問符?が生じることになる。
 というのも、[]の字源解釈における「禾の穂が垂れる、【南→西】の転回方位」にもとづくと――「地螾・妊娠線」をあらわす「胎児の姿に似る銀河の西端」は「母体の臀部」でなければならないのに、「母体の腹部」となるゆえ、「何!ンゥ ?」ということになる。
 「銀河の中心(銀河系宇宙の中心)」を中心とする「巨龍の顔の銀河と胎児の姿に似る銀河」の様子について――藤井旭著『透視版 星座アルバム』(誠文堂新光社発行)は「わが銀河系の中心方向にむらがる無数の星と、入り乱れる星間物質が、わきあがる入道雲のような迫力に満ちた姿でせまる」と表現する。
 だから、「銀河の中心」周辺銀河は混乱・渦を巻いて東西が入り乱れて見える。ゆえに、「巨龍の顔の銀河」と「胎児の姿に似る銀河」は入り乱れて東西が入れ変わり、「胎児の姿に似る銀河」は「黄龍の瑞祥」と化()って「妊婦の臀部」と解釈することができる――と倉頡は考えたことになる。
 これゆえ、倉頡は「逆時計回りに方位が90度転回する、北→西・西→南・南→東・東→北となる方位規定」をあらわす[()]の字を考案した。
 上の〔南〕となる「大火西に下る頃」の[]の字源銀河部を「巫女(みこ)の腰」と見立てると、〔北〕となる「十字の銀河・鬼の姿に似る銀河・人の横顔に酷似する銀河」は「巫女の顔としなやかに踊る巫女の手」に観える。
 ゆえに、下の図に示す「人の横顔に酷似する銀河」は「踊る巫女の顔」に見立てられ、「こと座」は「巫女の肩の上にかざす[(さい)]」に見立てられて、[]の字の上半身が成立した。[呉]の下半身はもちろん「銀河系の中心方向にむらがる無数の星と入り乱れる星間物質が黄龍と地螾の瑞祥となって、わきあがる入道雲のような迫力にみちて渦巻く黄色く輝く銀河」ということになる。
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 上の[呉]の金文形右上の[口(さい)]は「無事に胎児が出産したと祝い・胎児の出産を祈祷する時巫女が用いる土器、つまり祝祷の器」をあらわした。[呉]の金文形は「北→西」つまり「逆時計回りに方位が90度転回する方位規定」をあらわす。言いかえると、「巫女の頭上となる「鬼の姿に似る銀河の臀部」の〔北〕は〔西〕の「こと座・祝祷の器(口)」となる」ゆえ、「北→西」は「逆時計回りに方位が90度転回する方位規定」をあらわした。

 下に、「十字の銀河」に[(さい)]が加わる[]の字源銀河解説図を示した。
 「十字の銀河」は「子授け祈願する時、子どもの誕生を祝う時に女性や巫女が舞う姿」に見立てられ、「十字の銀河の肩の上」にある[]は、「子どもの誕生を祝祷するときの土器」の図案である。
K525
 「十字の銀河」を「子授け祈願する時、また子どもの出産を祝う時に用いる土器」に見立てれば、女性や巫女たちが子授け祈願する時や子どもが誕生した時に[口・さいの土器]をかかげて祝祷して身をくねらせて舞う姿を日常生活にあって人々は見慣れていたゆえ、[]の字は「逆時計回りに〔北〕が〔西〕に90度転回して変位する考え」を示すことになった。また、帝が人心を安定させて国家を治めるために[]の字源・字形・字義が示す「国土に多数の子どもが満ちあふれる」をも政治スローガンとして掲げる必要があった。また、人民にとっても[]の字源・字形・字義が表示する「多数の子どもが生まれて、幸せにくらす状況」は最も望ましいことであった。
 白川静著『字統』は[]の字について「人が一手をあげて祝祷の器である口(さい)をささげ、身をくねらせて舞う形」と解説する。
 倉頡は、「大火西に下る頃」の[]の字源銀河における「?(疑問)」から[]の字を作って――現在の淮河(わいがわ)河口と長江口(ちょうこうこう)の中間地で中国全土を北部と南部に分けて、中国の北部地理は[]となって方位が時計回りに90度転回し、中国の南部は[]となって逆時計回りに90度転回して、石斧の刃の孔に柯()の先端がぴったり合うがごとく中国全土はがっちりと結合・固定して動かない(不動となる)――と立論した。
 ゆえに、現在、中国北部の川の名は石斧の柯()に先端をあらわして「某河」となり、中国南部の川の名は石斧の柯を固定する孔をあらわして[某江]となる。中国南部の川の河口は入江のごとく陸地の内側へと凹むゆえ石斧の孔に符合し、中国北部の河口は陸地から海へ向かって突き出て(凸状となって)石斧の孔にぴったり合って動かない柯の先端の形状に符合する。
 倉頡は「五穀豊穣」をあらわす[]の字で「中国北部の都における地平線より外界となる遠く離れる地域までの地理は時計回りに方位が90度転回する」と定義した。また、倉頡は「国土に多数の子どもが生まれる」をあらわす[]の字で「中国南部の都における地平線より外界となる遠く離れる地域までの地理は逆時計回りに方位が90度転回する」と定義した。

 以上のごとく、上に図示した【[][]の字源銀河図=字形銀河図】は、【倉頡が発明した漢字作成方法】をあらわした。
 このブログでは【[][]の字源銀河解明をもって、倉頡が発明した漢字作成原理】を、【[][]の字源銀河解明をもって、倉頡が発明した漢字作成方法】を解明し証明した。
 しかし、【倉頡が発明した漢字作成理論】の説明は未だ十分ではない。というのも、倉頡は【漢字作成原理と作成方法を象徴する聖獣】も定めたからである。
 次回のブログでは【倉頡が発明した漢字作成理論を象徴する聖獣の秘密】を解明する。

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