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2021年1月 8日 (金)

邪馬台国説はサギ・騙されるな・1

▼新年早々、2021年1月元日の午後7時から午後9時までの2時間――NHKBSプレミアムテレビ・3チャンネルは「邪馬台国サミット」と題して、九州説VS近畿説をとなえる第一線の研究者たちを一堂に会して、【魏志倭人伝のウソを読み解く】ことを目的とした番組を放送した。しかし、あいにくのところ『魏志倭人伝』の全記事は真実・事実を伝えるもので、一片のウソも偽りも有していない歴史書である。だから、ウソが一片も存在しない『魏志倭人伝』を相手にしたため、この番組の魂胆(こんたん)が明瞭となり、「邪馬台国サミット」自体の陰謀つまり――「魏志倭人伝はウソの記述が多い書物である」という認識を国民の頭脳にすっかり植え付けて、近畿説と九州説が100パーセントの空論説であるようなことは絶対にありえないと国民に信じこませようとした情報操作の陰謀――が明らかとなった。したがって、この番組は九州説と近畿説第一線の「先生」とか言うレッテルのついた研究者たちを一堂に集めて、九州説と畿内説のウソで丸めた空理空論を2時間も垂れ流し続けるものであったため、それこそ鼻にひっかけるにゃあたらない・ひどい番組であった

★「倭人国の地理学」のトリセツ・10

◆このブログは前回の13回までは「フェイク&まぼろしの邪馬台国」と題していた。
 ところが、新年早々からNHKテレビが上記のごとく学問を鼻にかけてお高くとまって一貫して空理空論のみで終始した、ひどい番組を放送した。このため、私はやむをえずお色直し・お化粧直しをおこなわざるをえないことになって、今回からブログ名を「邪馬台国説はサギ・騙(だま)されるな」と変えることにした。
 しかし今回から始まるブログは前回の「フェイク&まぼろしの邪馬台国」の続篇であることを示すために、副題の『「倭人国の地理学」のトリセツ』は前回の9回につづいて10回として変えないことにした。
 前回・13回のブログ「フェイク&まぼろしの邪馬台国」で発表したように――私は九州説と畿内説が完全なる空理空論であると証明できる遺跡を発見している。
 だから、この遺跡にもとづいて、上記したように――正月早々のNHKテレビの「邪馬台国説サミット」に集めた九州説と畿内説をとなえる第一線の研究者たちが情報操作して「魏志倭人伝はウソの記事が多い」という認識を国民の頭脳に植え付けようとした意図的な思惑・詐欺(さぎ)を暴露しなければならない次第とあいなった。
 この遺跡によって、『魏志倭人伝』が説明する「日本列島の〔東〕は〔南〕へ伸びる」と説明する日本列島地理は【わが国が習得した原初漢字の秘密】を巧妙に表現する、卑弥呼が立論した学術意見を伝えるものであったことになる。だから、『魏志倭人伝』が説明する【卑弥呼が立論した日本列島地理で原初漢字の秘密を表現した学術理論体系】と比較すると、「邪馬台国サミット」で披露された諸先生方の意見は「学説」という高貴な粉飾をいささかもまとっていないデタラメ・インチキである事実が明確となった。
 これからのわが解説は、この遺跡にもとづいておこなう。

◆「邪馬台国サミット」においては――約2000字で構成される『魏志倭人伝』は虚偽・誤記が多い、著者の陳寿の情報操作が加えられている文献である――と主張された。しかし、このブログが前回までで解説し指摘したように、また私が発見した遺跡にもとづくと『魏志倭人伝』には1ヵ所もウソの記述も情報操作も存在しないことになる。だから、九州説と畿内説のように、『魏志倭人伝』には多数の【誤読・歪曲・主観的推論】などの無駄な不必要な手間をいっさい加える必要がない。
 『魏志倭人伝』の冒頭記事は「倭人は、帯方(たいほう)の東南、大海の中に在り」である。この文中に登場する「帯方」は「現在の朝鮮半島のソウル付近にあった帯方郡」のことである。この冒頭記事から後に続く、対馬国へ到り次の一大(いちだい)国に到着しさらに日本列島本土の末盧(まつろ)国に至るまでの旅程記事には、7ヵ所の方位記事がある。
 この【対馬国・一大国までの旅程記事】は、黄帝陵(黄帝の廟と陵墓)の所在地を華北地図(モンゴル・中華人民共和国地図)で調べればわかるように「モンゴル・ゴビ砂漠の南には毛烏素(ムウス)沙漠があり、さらに南には陝西省(せんせいしょう)黄陵県(こうりょうけん)に黄帝陵が在る」と説明するものであったのである。
 なにゆえ【対馬国・一大国の旅程記事をもって、黄帝陵の所在地】が説明されることになったかと言うと――前回のブログにて解説したように、『古事記』上巻の序(古事記上巻 幷せて序)は冒頭34字で「わが国に、紀元前2070年頃~紀元前2050年頃の後期縄文時代初頭、中国の夏代(かだい)初頭に用いられた夏音(かおん)文字が伝来した。紀元前4000年頃の前期縄文時代から後期縄文時代初頭までの約2000年間に及ぶ夏の銀河の各部の形状をモデルにして土器・土偶を作った芸術家たちによって、夏音文字は習得された。というのも、紀元前3000年頃の五帝時代初頭に生存した黄帝につかえた史官・倉頡(そうきつ)は夏の銀河の各部の形状から漢字を作る原理と方法を発明し、夏音文字は倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法に則(のっと)って作られていたからである。つまり、わが国の縄文時代初頭の芸術家たちは約2000年前の前期縄文初頭から夏の銀河の各部をモデルにして土器・土偶を作っていたゆえ、夏の銀河各部の形状から漢字を作る倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字を習得することができたのである」と説明するものであったからである。
 だから、【わが国が後期縄文時代初頭に習得した倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の歴史】、つまり【わが国が習得した原初漢字の秘密】を卑弥呼は「対馬国・一大国の地宜(ちぎ/平面的に図化した地図の形)」をもって説明する方法を考案した。つまり、【対馬国・一大国の旅程記事】は「卑弥呼は【倭地(日本列島)にて習得した原初漢字の歴史】を【対馬国・一大国の地宜】で表現できる学術理論を考案した」と伝えている。
 だから、『魏志倭人伝』には「対馬国から南一海を渡る千余里、名づけて瀚海(かんかい)と曰()う。一大国に至る」という記事がある。
 上記に示した文中にある「瀚海」を注目すると【対馬国・一大国の旅程記事】には【わが国は倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸を習得した歴史についての説明】が秘められていることになる。
 卑弥呼は「対馬国(現在の長崎県対馬)と一大国(現在の長崎県壱岐)の中間の海」を「瀚海」と名づけた。「瀚海」は「モンゴルのゴビ砂漠」を意味する。
 だから「瀚海」には重大な役目があった。ゆえに、卑弥呼は「瀚海より北にある対馬国をゴビ砂漠より北のモンゴル」に見立て、「瀚海より南の一大国をゴビ砂漠より南にある毛烏素(ムウス)沙漠と黄帝陵」に見立てれば【わが国が原初漢字を習得した歴史を説明できる、とした学術理論】をとなえた。このため――【対馬国・一大国の旅程記事】には「わが倭地(日本列島)においては、【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】を習得した」と説明する機能が秘められていたのである。
 20211月元日のNHKテレビの夜の「邪馬台国サミット」に集まった諸先生方は『魏志倭人伝』に記述された「瀚海(ゴビ砂漠)」について無視して一言もふれなかった。しかし、この「瀚海」無視によって「邪馬台国サミット」の目的「魏志倭人伝はウソが多い書物である」と国民が認識するように情報操作していた先生方の目論見(もくろみ)は「九州説と畿内説以外の説は学問的価値が無い」と他の説を排除するためであったことが露呈した。

◆『魏志倭人伝』は九州本土の末盧国の記事から末部の「周旋(しゅうせん)五千余里可(ばか)り。景初二年六年、倭女王は大夫(だいふ)難升米(なしめ)を遣わして郡(帯方郡)に詣(いた)る」までの記事には――「方位」を表示する記事が12ヵ所ある。
 この日本列島・本土の12カ所の方位記事に1ヵ所も【誤読・歪曲・主観的推論】を加えないで忠実に読解すると――日本列島の〔西〕に所在する末盧国・伊都(いと)国は〔北〕に位置し、九州の〔東〕の能登半島・伊豆半島は〔南〕に方位が転回して所在することになる。
 この『魏志倭人伝』に記述された「〔西〕の九州が時計回りに90度方位が転回して〔北〕、九州の〔東〕にある能登半島・伊豆半島が時計回りに90度方位が転回して〔南〕となる方位規定」は、女王卑弥呼が国名に用いた[]の字源・字形の原形・原義をあらわした。
 倉頡は【天文学で通称「夏の銀河」と呼ばれる銀河各部の形状から漢字を作る学芸】を考案した。「夏の銀河」とは「夏の星座が漬かる巨大な銀河」である。
 倉頡は中国全土の各地の天頂にめぐってきた銀河、つまり【漢字(文字)作成原理】となった[]の字源銀河とその隣の[]の字源銀河から、最高・最良の政治スローガンをあらわす「人民の胃袋を食物で満たす」を意味する[()]の字を考案した。
 この[]の字は【倉頡が発明した漢字作成方法における基本字】である。
 なお、【倉頡が発明した漢字作成原理】は【「夏の銀河」の東端にある、中国全土各地の天頂にめぐってきた[][]の二字の字源・字形の原形・原義となる二つの銀河】で構成された。

[]の字形は[]の字源銀河中央に「イネ()根・茎・葉・穂」をデザインする図書を重ね、[]の字源「人の姿に相似する銀河」における、その東部の「人の口」に観える銀河部の方へ「稲(イネ)の穂が垂れる形」に図案された。ゆえに、[]の字義は「イネ。麦。穀物(五穀)」そして「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」つまり「豊かな穀物が実るようにして、人民の胃袋を満たす政治をおこなう」という政治スローガンをあらわすことになった。[]の字源銀河は「食物(イネ・麦など)を食べて腹部が丸くなって満腹になった人の姿」や「お腹が円い妊婦の姿」に相似するゆえ、[]の下に[](「妊婦」をあらわす図書)が加わって[]の字が作られた。「五穀豊穣」は「人々の胃袋を食物・禾で満たす」と意味するゆえ、[]をあらわす人偏に[]の字が加わって[]の字が作られた。[]の字源・字形・字義は[]の字源・字義を受け継いで「五穀豊穣」をあらわすことになった。上記したように、[][](人々の胃袋を食物[]で満たす形状)の字は共に「五穀豊穣」をあらわすことになるゆえ、結局、国名の「倭人」の2字は「豊かな穀物が実るように、人民の胃袋を満たす政治をおこなう」という政治スローガンをあらわした。
 上記したように――[]の字形は[]の字源銀河中央に「イネ()根・茎・葉・穂」をデザインする図書を重ね、[]の字源となる「人の禾(食物)を食べる口の形をした銀河部」に「稲(イネ)の穂が垂れる形状」に図案された。この「人の口の方へ垂れるイネの穂のカーブ」は「南から西への時計回りに90度転回するカーブ」となる。だから、[]の字源・字形・字義は「五穀豊穣」の他に「北→東・東→南・南→西(イネの穂が人の口の方へ垂れるカーブ)・西→北、つまり方位が時計回りに90度転回する規定」をも表示することになった。そして、[][]の字源・字義を受け継ぐものであったゆえ、[]の字源・字義もまた「北→東・東→南・南→西(イネの穂が人の口の方へ垂れるカーブ)・西→北、つまり方位が時計回りに90度転回する規定」をもあらわすことになった。

◆『魏志倭人伝』の冒頭記事は「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」である。
 ということは、『魏志倭人伝』冒頭に登場する「倭人」の2字は「[][]の字源・字義にもとづいて、末盧国以下の本土における方位規定は時計回りに90度転回して、倭地(日本列島)の〔東〕は〔南〕へ伸びると定めた地理」をあらわしていたことになる。
 その証拠に、上記したように、末盧国以下の本土における12カ所の方位記事を1ヵ所も変えないで忠実に再現すると、時計回りに90度転回して〔西〕の九州は〔北〕となり、九州の〔東〕の能登半島・伊豆半島は時計回りに90度転回して〔南〕に所在することになる。
 このように、【『魏志倭人伝』冒頭の、[]の字源・字義】と【末盧国以下の本土における12カ所の方位記事】の両者が示す方位規定は矛盾せずに合致して【科学】が成立する。
 だから『魏志倭人伝』冒頭早々から――卑弥呼は「遠くの能登半島や伊豆半島までをあらわす倭地本土地理において、九州は〔西〕にあらず〔北〕に所在し、能登半島・伊豆半島がある〔東〕は本土の〔東〕ではあらず、〔南〕と化()る」と定めた。つまり、卑弥呼は【[]の字源・字義に則(のっと)る転回本土地理】を立論した。これゆえ、卑弥呼が立論した倭人国地理は偉大であると絶賛され、【原初漢字の学芸知識】を有する面々によって卑弥呼は倭女王に推奨され、倭女王に就任した卑弥呼はわが国における最初の国家「倭人国」を創設した――と説明していたことになる。
 ゆえに、『魏志倭人伝』は冒頭2字の「倭人」という語をもって――卑弥呼王朝は卑弥呼が立論した【本土の〔西端〕の九州は〔北〕に位置し、本土の〔東端〕は〔南〕へと伸びる転回地理】を制定した――と説明するものであったことになる。
 このような【本土転回地理論】にもとづくと、倭女王卑弥呼が居住した王国の中心地域は現在の山陰出雲(島根県東部)であったことになる。当時の出雲の宍道湖周辺は[][][()]の字源・字形・字義に合致する地宜(ちぎ/平面的に図化される地図の形となる地所)が所在した。
 『魏志倭人伝』は「女王国の東、海を渡ること千余里にして復()た国有り。皆、倭種なり」という記事がある。[]の字源・字義「時計回りに90度転回する方位規定」にもとづくと、〔北→東〕となる。ゆえに、出雲より〔北〕にある地所が「女王国の東」となる。したがって「出雲の北方約40㎞の日本海上に浮かぶ、知夫里島(ちぶりじま)・西ノ島・中ノ島で構成される島前(とうぜん)と、最も大きな島の島後(とうご)4つの大島と約180の小島からなる隠岐群島」が「皆、倭種なり」と記された小国であったことになる。
 本土北の沿岸よりも〔北〕が〔東〕と化()る、その〔本土の東となる日本海上〕に浮かぶ「大小の島々からなる群島や列島等」が「皆」と表現されることになる。ゆえに、この「皆」の字義に合致する日本海上に所在する小国は「隠岐群島」のみ一ヵ所しか存在しない。だから、出雲こそが女王国・邪馬壱国であったと簡単・容易にわかる。〔注 なお邪馬壱国の範囲は現在の島根県と鳥取県西部、旧国の石見・出雲・伯耆であったと考えられる〕。
  
◆NHKテレビは、五度か六度、女王国名に用いる[]の字を大写しにした。
 この字は[]つまり[]ではない。この字は、まちがいなく[]つまり[]である。だから、女王国名は「邪馬台国」ではなく、「邪馬壱国」であったことになる。
 後漢書』倭国伝には「邪馬臺国」という4字の後に小字で「案今名邪摩惟音之訛也」つまり「今の名を案ずるに邪摩惟とする音の訛(なまり)也」と記す注がある。この注の「邪摩惟」の[]の字音は「イ()・ユイ(ユヰ)」であり、「ダイ」あるいは「ト」という字音は無い。だから、「邪摩惟」という注は「邪馬台(ヤマタイ)」・「邪馬台(ヤマト)」とは読めない。一方、多くの夏音文字は一字一音であるゆえ、「邪馬壱」は「ヤマイチ」ではなく、[]は「イ」と読むべきことになるゆえ「邪馬壱」は「ヤマイ・邪摩惟」と読むことができる。
 だから、卑弥呼が居住していた女王国の名称は「邪馬壱(ヤマイ)国」であって、「邪馬台国」ではなかった。
 約2000字で構成される『魏志倭人伝』には「邪馬台国」と記した箇所は1ヵ所も存在しない。したがって、「邪馬台国」は空想の産物であったことになる。
 だから、九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は、即刻、空理空論・空想・虚妄であったと断定すべきことになる。

◆下に――中国大陸・朝鮮半島の地図に対する卑弥呼が立論した【転回列島像(本土転回方位規定地図)】と【実際列島像(九州説と畿内説が立論基盤とする日本地図)】――を示した。
K576

 「邪馬台国サミット」番組は開始から50分から55分頃に発表することになった、「三国志研究の第一人者」とNHKテレビが紹介した先生は――上に示した【南へ伸びる転回列島像】は「『魏志倭人伝』の著者の陳寿が、〔魏の敵国である呉に対して、倭人国の地図を南へ延ばして呉に近くなる東方に倭人国が存在すると情報操作をして、魏に味方するために倭人国が呉の東方の脅威(きょうい)とするための意図的な思惑によるウソの地図〕であった――と主張した。
 しかし、陳寿は蜀(しょく)に仕えたゆえ、魏に味方にして呉を脅かす必要はなかった。さらに、魏・呉・蜀滅亡後、陳寿は晋(しん)に仕えて、晋の武帝の晩年である太康(たいこう)年間(280年~289)の著作郎(歴史編纂官)時代に『三国志』を著作した。『魏志倭人伝』は『三国志』一部の「倭人伝」、つまり「『三国志』の魏書東夷伝末部の倭人伝」の通称である。ゆえに、『魏志倭人伝』は280年~289年に成立したことになる。だから、陳寿には魏に味方して呉を脅かす動機が無かった。よって、【陳寿情報操作説】は明確に空理空論であった。ゆえに、この先生の使命は【陳寿情報操作説】をもって「魏志倭人伝のウソを読み解く」ことであったことになる。
 【陳寿情報操作説】は「邪馬台国サミット」のテーマ「魏志倭人伝のウソを読み解く」を最も明確に示す意見である。ゆえに、諸先生方も【陳寿情報操作説】に協力して「魏志倭人伝には多くのウソの記述がある。したがって、魏志倭人伝のウソを読み解いた九州説と畿内説こそが正しい」とする意見を強調して終始一貫して主張していた。だから、「邪馬台国サミット」を開催した目的・意図は〔九州説と畿内説に対して、国民が信頼して疑問を抱かないようにするための対策〕であったことになる。

 【陳寿情報操作説】を説明した先生は――『魏志倭人伝』には「其の道里を計るに当(まさ)に会稽(かいけい)の東冶(とうや)の東に在るべし」という記事がある――と指摘した。
 〔注 上記した地図には南宋紹煕刊本(12世紀)の表記にもとづいて「東治」とした。「東治」を「東冶」と表記する出典もある〕。
 上に示した【実際の列島像】は「会稽の東治(東冶)の東北に所在」するゆえ矛盾し、また[]の字源・字義にも合致しないゆえ――『魏志倭人伝』と無関係の地図となる。ゆえに、【実際の列島像】を用いて立論する九州説と畿内説の実像は『魏志倭人伝』の全記事と無関係の空理空論・空想・虚像であったことになる。
 上に示した【[]の字源・字義をあらわす、南へ伸びる転回列島像】は、『魏志倭人伝』の記事に合致して会稽と東治(東冶)の東にある。だから、【転回列島像】は卑弥呼が立論した【倭地の東方が南へ伸びる転回倭人国地理】を示すものであったことになる。

◆『魏志倭人伝』は「其の国、本亦(もとまた)男子を以て王と為()す。住(とど)まる七、八十年に倭国は乱れ、相攻伐(あいこうばつ)して年を歴()。すなわち一女子を立てて王と為し、名づけて卑弥呼と曰()う」と記述する。
 この記事が示すように、西暦170年頃~180年頃には男王たちが戦いあって倭国は乱れていたが、卑弥呼によって戦乱は終息したことになる。
 この終戦の原因は、卑弥呼が立論した【日本列島地理】であったのである。
 前述したように、卑弥呼は【瀚海(ゴビ砂漠)からはるか南の陝西省黄陵県を本拠地とした黄帝と漢字を発明した倉頡の歴史は、対馬国・瀚海・一大国の地宜・方位であらわす地理で表現できる学術理論】を発表した。また、卑弥呼が立論した倭人国地理は「対馬国・一大国の南北」に合致するように「〔西〕の九州を〔北〕の対馬国に見立てて〔北〕になるように[]の字源に合致するように転回し、〔東〕の能登半島・伊豆半島を〔南〕の一大国に見立てて[]の字源に合致するように転回して〔南〕と定める本土地理」が合体して整然と組織化されていた。だから、卑弥呼が考えた【転回日本列島地理】は、天と地の神霊を呼び起こす最も神聖な最高峰の学問的偉業を示すことになった。このため【転回日本列島地理】を尊重せずになおも戦争をつづけるならば、相攻伐(あいこうばつ)して乱れる倭地全土に神が厳しく罰を与えるにちがいないと信じられることになった。
 というのも、当時の最も強大な権力は【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】であったからである。この事実は、わがブログ「フェイク&まぼろしの邪馬台国」の6回~10回までに詳細に解説した。つまり――7世紀初頭、推古天皇の摂政であった聖徳太子がおこなった崇仏政策について世間は「仏教よりも仏教の経典に用いられる難解きわまりない楷書を解読した巫女と覡(げき/神官)が精通した【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】のほうがはるかに尊い。太子の巫覡蔑視・朝廷からの排斥は明らかに失政だ」と批判して太子を虚仮(こけ)にして馬鹿もの扱いをした。だから、「世間の【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学術】のほうが尊いという評価は虚仮(ウソ)だ。ただ仏のみ是が真なり」と世間の評判に反論した太子は天皇になれなかった。このように――当時、【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】が世を支配する最大の権力であった。
 これゆえ、倭国が乱れていた180年当時、【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】にもとづく偉大なる発見を無視すると神(鬼神)は厳しく罰するにちがいないと確信されていた。【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸知識】を有していた男王・皇女・巫女や覡(げき/神官)・諸氏族の長・豪族たちの面々は、一刻も早く戦乱を終息させて【転回日本列島地理】を立論した卑弥呼を女王に選んで国家を建設しなければならないと願望するようになった。
 というのも、当時、中国軍の倭国遠征が深刻な心配の種子(たね)であったゆえ、倭国はいつまでも乱れているわけにはいかなかったのである。

◆国家を建設するにあたって、卑弥呼は三つの心配すべき問題点があった。
 その一つは、国家建設の直接原因となった中国軍の倭国遠征であった。後漢の西暦146年頃の中国の人口は約四千七六〇万人であったが、その後は戦乱がつづいたために約140年後の180年頃には、中国は一気に約4分の1(約1200万人)の人口を失っていたと推測される(というのも、魏・呉・蜀の並び立つ戦乱の三国時代の人口は、約八〇〇万人そこそこであったからである)
 ゆえに、卑弥呼はじめ倭地の人々は中国の人口が激減する殺戮(さつりく)すさまじい覇権争いによって、倭地の住民たちを人狩りして人口を増やすための中国遠征軍の来襲を想像して恐れていたにちがいない。だから、いつまでも戦争を続けていれば中国遠征軍によって倭地は占領されてしまうのではないかという恐怖が国中にひろがっていた。これゆえ、来襲する中国軍に対抗できる国家の樹立を人々は願望するようになった。このような状況であったゆえ、卑弥呼は中国の侵略に備えて、中国遠征軍来襲を恐れる各地の諸氏族をたばねて国家を建設して女王になることを決意しなければならなかったのである。
 二つ目の心配は、国家を建設して王朝を樹立すると【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】が政権基盤となるため、この学芸を反体制側の氏族や王たちが巧みに狡猾に利用して革命・反乱をおこすと、卑弥呼王朝が崩壊・滅亡することを心配しなければならなかった。ゆえに、その対策が必要となった。
 三つ目の心配は、『魏志倭人伝』が「倭女王の卑弥呼と狗奴(くな)国の男王・卑弥弓呼(ひみくこ)は素(もと)より和せず」と記述しているように、狗奴国の男王・卑弥弓呼は「従来ずっと国家を建設せずにやってきた。国家を建設すれば中国と同様に天下を手中に入れようとする王たちが各地に出現して激しい覇権争いがおこって倭国は従来よりも乱れる」と主張して、国家建設に反対して卑弥呼王朝に和せず(参加せず)に卑弥呼を憎悪・敵視した。ゆえに、倭人国創設と倭女王就任には、狗奴国の卑弥弓呼の攻撃にもそなえる必要があった。

◆卑弥呼は三つの心配を解決するため、『魏志倭人伝』が「女王国より以北には、特に一大率(いちだいそつ)を置いて諸国を検察せしむ。諸国之(これ)を畏憚(いたん)す。常に伊都(いと)国に治す」と記述するように、伊都国の一大率との共立国家体制を築くことにしたのである。
 つまり、(1)卑弥呼は中国からの侵略・襲撃を防衛するために九州・伊都国に一大率を配置することにした。
 また、卑弥呼は(2)【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】を巧みに・狡猾に利用する革命・反乱を防ぐために、一大率に特別に強大な検察力を与えて諸国の王たちが畏(おそ)れ憚(はばか)るようにして、卑弥呼王朝が滅亡しないようにすることにした。ゆえに、『魏志倭人伝』は「魏の都・帯方郡・諸韓国が文書に用いる楷書と卑弥呼が文書に用いる夏音文字は差錯(ささく・相違)していたので、伊都国の港で楷書と夏音文字の意味が同義となるように点検し確認して誤訳が生じないようにしていた」と説明する。だから、卑弥呼は一大率に強大な検察力と【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】を厳重に管理する権限を与えて、【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】を利用して興す革命・反乱を厳重に取り締まる役目も与えていたことになる。
 さらに、卑弥呼は(3)狗奴国の男王が兵を挙げた時、狗奴国討伐を指揮する倭人国軍の総大将を一大率と定めていたと考えられる。
 だから、卑弥呼は一大率に諸国の王たちよりも特に強力な権力を与えたゆえ、『魏志倭人伝』における「すなわち共に一女子を立てて王となし、名づけて卑弥呼と曰()う」という記事は、「倭人国は女王卑弥呼と伊都国の男王一大率による共立国家であった」と説明していたことになる。
 
◆以上のごとく、2021年元日の夜にNHKテレビが「邪馬台国サミット」と名づけた催しに一堂に会した諸先生方は1ヵ所もウソの記述が存在しない『魏志倭人伝』に対して、「魏志倭人伝には、多くのウソが記述されている」と誤った認識を国民に植え付けようとしていたことになる。
 2時間に及ぶ「邪馬台国サミット」の様子は、NHKオンデマンドの「邪馬台国サミット・2021」を視聴すれば確かめることができる。

 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は次回から幾回かに分けて――『魏志倭人伝』と同時代(3世紀後半)に作製された「1千万坪の大鳥の地上絵」について解説する。この「1千万坪の大鳥の地上絵」によって「約2000字で構成される『魏志倭人伝』の全記事には1ヵ所もウソの記述は存在しない」という事実が証明される。
 この遺跡によって、新井白石以後約300年に及ぶ邪馬台国説は『魏志倭人伝』に記述された【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】を無視・削除したが原因で空理空論であったことが明らかとなる。この遺跡は『魏志倭人伝』を研究した学者たちの想像をはるかに超える壮大な歴史ロマンに満ちあふれ、その秘密を探求すれば探求するほど内からの情感が深まって永遠なる真理を知ることができる。
 この遺跡は紀元前3100年頃に起源した古代エジプト文字(ヒエログリフ)も漢字と同じ「夏の銀河各部の形状から作られ事実」も【科学】が成立して解明・証明することができる。だから、同じ3世紀後半に作られた文献『魏志倭人伝』と遺跡「1千万坪の大鳥の地上絵」は日本古代史に限った遺産ではなく世界史的第一級の遺産ということになる。
 「邪馬台国サミット」の諸先生方が信じる九州説と畿内説は、未解明の古代エジプト文字(ヒエログリフ)の起源・字源も解明できる『魏志倭人伝』に記述された【漢字の起源史の証言】を抹殺する完全なる空理空論であったのである。

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