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2021年6月

2021年6月26日 (土)

邪馬台国説はサギ・騙されるな・23

▼日本人よ! 日本全国民よ! 学者たちが主張するいわゆる“邪馬台国説”あるいは“卑弥呼”などの意見を著(あら)わす書物や教科書、またテレビ番組、漫画日本史なる類(たぐい)までにおよぶ学者たちの意見を、いっさい信じてはならない! というのも、それらすべてが真っ赤なウソ・欺瞞(ぎまん・ぺてん)だからだ! 
 江戸中期の新井白石(あらいはくせき/16571725)以来今日まで約300年、邪馬台国説学者たちは約2000字で構成される『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』という書物に自分勝手の独断的なデタラメを仰山(ぎょうさん)に加えて、“ここ掘れ掘れワンワン! 邪馬台国はここだ!”と自分はいかに利口(りこう)なのかと自慢し、“卑弥呼はかくかく、このような女性だった”とか作り話をデッチあげる書物をつくり、メディアを騙(だま)して図々(ずうずう)しくもテレビに出演し、役立たずの大法螺(おおぼら)を吹いて荒稼(あらかせ)ぎをし――日本人の尊厳を、日本人の根源的ないのちと魂と精神(理性を知性)を冒涜(ぼうとく)して、『魏志倭人伝』に記述された真実を抹殺(まっさつ)し、踏みつぶさんとしている。
 このような学者たちの真っ赤なウソに、日本全国民よ! まんまと騙されてはならない! 怒れ! 怒れ! 憤怒(ふんぬ)せよ! 日本全国民よ、邪馬台国説学者たちはあなたのいのちと魂の根元を侮辱し凌辱(りょうじょく)し嘲笑(あざわら)っているのだ!
 このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は前回(22)まで証明してきたように、神に誓って、『魏志倭人伝』は【邪馬台国研究】のための史料ではない。『魏志倭人伝』は新井白石以来約300年、学者たちの誰一人も想像しなかった【中国では解明できなくなった、漢字の起源の秘密】を理路整然(りろせいぜん)と詳細に明確に伝える書物であった。
 現在、メディアと大半の日本人たちは邪馬台国説学者たちに言いくるめられ誑(たぶら)かされて「『魏志倭人伝』は、邪馬台国を詳細に説明する書物である」と思い込んでいる。しかし、『魏志倭人伝』には1ヵ所も「邪馬台国」についての記事は存在しない!
 九州説と畿内説をとなえる学者たちは【多数の誤読・作為・詐偽(さぎ/虚偽・ぺてん)・詭弁(きべん)】を駆使(くし)して、世界的に第一級の重大な文献史料である『魏志倭人伝』を嬲(なぶ)り弄(もてあそ)び凌辱して抹殺しようとしている。
 『魏志倭人伝』に1ヵ所も【文献批判】という名の【誤読】を加えずに、ただひたすら・いちずに忠実に『魏志倭人伝』の全記事を読解すると、愉快なほど芋(いも)づる式に次から次へと【中国では解明できなくなった、漢字の起源の秘密】が明確となる。
 『魏志倭人伝』に記述されている真実つまり【漢字が起源した中国で失った、この漢字が起源した学術】は、今から約4000年前に習得されて以来、日本人の花咲く尊厳と、日本人の花咲くいのちと魂と精神(理性を知性)となって受け継がれた。言いかえると、【漢字が起源した学術】は【日本人の血と肉】となって受け継がれた。その証拠に、今から約1730年前に著作された『魏志倭人伝』は「中国の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)にわが国が習得した【漢字が起源した学術】は【日本人の血と肉】となった」と語っている。その後も、日本民族の前人たちは【漢字の起源の真実、世界史的にも重大な真実】をまもって受け継いだ。ところが、新井白石以後から現在までの300年間もつづく邪馬台国・空理空論説のために【漢字が起源した学術】はまったく不明されることになって消滅の寸前となった。
 【『魏志倭人伝』に記述された真実、つまり漢字が起源した学術】は、真っ先に人間として必ずまもらなければならない日本人の義務であり責務である。
 だから、このブログでは、九州説と畿内説は【漢字の起源を伝える真実】を凌辱する空理空論・妄想(もうそう)・欺瞞(ぺてん)であった実体を徹底的に科学的に証明して暴露する。

★「倭人国の地理学」のトリセツ・32

◆『魏志倭人伝』を、ただひたすら・一途に頑固(がんこ)に全記事を忠実に読解すると、【漢字の起源の秘密】が鮮烈(せんれつ)に蘇(よみがえ)る。
 『魏志倭人伝』に記述された【漢字の起源の真相】を知るためには――「わが国が最初に漢字を習得したには5世紀、あるいは6世紀である」という学界の定説は、現在、学問的にはもはや虚妄(きょもう)・空理空論である事実を知っていなければならない。
 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士は著書『字統』(平凡社発行)の序(字統の編集について)における9ページの終わり3行目~10ページの始めから3行目において、「わが国の漢字音」と題して、次のごとく指摘する。
 「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
 下に配した〔漢字生長史〕が示すように、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に、わが国は夏音(かおん)文字の学芸を習得した。この夏音文字の漢字音が、現存する最古の漢字音である。《わが国が夏代初頭に習得した夏音文字の字音》は、《中国に現存する最古の字音「上古音(じょうこおん)」の始まり・周代初頭》よりも約1000年も古い、現存する最古の漢字音である。他方、学界が「わが国が漢字を習得したのは5世紀~6世紀である」と主張する絶対的定説の漢字音だと、下に示す〔漢字生長史〕では最下部に配すべき最も新しい漢字音ということになるため、白川静著『字統』が指摘する西洋の音韻学の学問成果に反する空理空論ということになる。
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 上記した白川静著『字統』が「現存する最古の漢字音」と指摘する字音は、つまり【わが国が後期縄文時代初頭(夏代初頭)に習得した夏音文字の漢字音】は、『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』などに多数残って実在する。
 だから、「わが国が漢字を最初に習得したのは5世紀または6世紀である」と学界が主張する絶対的定説は、【1】夏音文字が『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝、また『古事記』上巻・『万葉集』などに多数記載されて残っている事実と、【2】白川静著『字統』の序(字統の編集につて)における音韻学の成果に反する空論であったことにある。
 そもそも『魏志倭人伝』に登場する「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」という字音は「現存する最古の夏音文字の漢字音」である。この夏音文字の字音よりも新しい中国の上古音だと、「卑弥呼」は「ピミカ」と発音することになる。
 邪馬台国説学者たちは「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む。だから、邪馬台国説学者たちの意見にもとづくと、【わが国は、後期縄文時代初頭に夏音文字の学芸を習得していたこと】は確実な事実となる。
 だから、邪馬台国説学者たちが「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む――この事実、つまり【わが国は後期縄文時代に夏音文字の学術を習得した事実】にもとづいて、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読むと、【『魏志倭人伝』は漢字が起源したときの学術を理路整然(りろせいぜん)と説明する書物】であったことが科学的に具体的に明かとなる。

◆漢字は今から約5000年前、 中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)によって発明された。
 【倉頡が漢字を発明した起源の詳細】は、現在、漢字が起源した中国において解明されていない。
 上記したように、江戸時代中期の新井白石以前、【わが国は、上古(後期縄文時代初頭)、倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸を習得したという学識】は高貴な良識であった。しかし、わが国では、【倉頡が漢字を発明した起源の詳細】は邪馬台国説によって解明できなくなった。というのも、新井白石以後、学者たちが【『魏志倭人伝』に多数の誤読・作為・捏造(ねつぞう)を加える反()学術運動】に情熱をそそぐことになったからである。ゆえに、反()学術運動の空理空論の邪馬台国説によって約300年間も、【倉頡が発明した漢字作成理論】は排除されて闇に葬られることになった。
 でも、しかし、【倉頡が発明した漢字作成原理】はいまだ死に至らない、不死鳥である。
 というのも、前述したように『魏志倭人伝』に卑弥呼が理路整然と【倉頡が発明した漢字作成理論】について説明し、また中国の海岸線の約3倍にして細密なわが国の海岸線に明確に保存されているからである。
 だから、約300年間も学者たちによって禁止された『魏志倭人伝』に1ヵ所も【誤読】を加えずに忠実に読解する方法を復興すれば――【倉頡が発明した漢字作成理論】は鮮烈に蘇(よみがえ)る。

◆『魏志倭人伝』には「卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)、倭国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と具体的に説明した記事が、下記のごとく2ヵ所存在する。
 一つ目の記事は、【134字で「倭国の易卜に用いる辞(ことばと文字)は令亀(れいき)の法のごとく、つまり紀元前1300年頃の殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅に文字を刻む契文(けいぶん/甲骨文字)のような文字があった」と伝える記事である。
 二つ目の記事は67字で【2】「卑弥呼が文書の用いる漢字(夏音文字)は魏の都・帯方郡・諸韓国が文書に用いる漢字(楷書)と差錯(ささく/相違)していた。このため、倭国の小国・伊都(いと)国の津()では、魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と卑弥呼が用いる夏音文字を一字一字点検し確認して正確に変換していた」と伝える記事である。

 上記した「わが国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と説明する二つの記事は、邪馬台国説によって無視され排除された。
 このため「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀、あるいは6世紀である」という空論が学者たちに流布されて――そして定説となった。
 したがって、もしも学者たちが『魏志倭人伝』をただひたすら・いちずに忠実に読解していれば【倉頡によって発明された漢字作成理論】が、このブログ以前に科学的に解明できていたことになる。

◆中国でもわが国でも「文字」を「漢字」と呼ぶ。「銀河」の別称は「銀漢」であるゆえ「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた。
 この「漢字」の由来に学者たちが気づいていれば――『魏志倭人伝』は「【倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明する書物である」ことが証明されていた。
 「漢字」は銀河(銀漢)の各部の形状から作られた。
 『魏志倭人伝』に書き記された【卑弥呼が用いた夏音文字】はもちろん、【魏都・帯方郡・諸韓国が用いた楷書】もまた銀漢から作られた。ゆえに、倭国の伊都国の港では【字源・字形の原形・原義となった銀漢各部の形状】を観察して、夏音文字と楷書を正確に変換していたことになる。
 天文学において「夏の全星座が漬()かる銀河の範囲」を、通称「夏の銀河」と呼ぶ。
 倉頡は、天文学で通称「夏の銀河」とよばれる銀河各部の形状を字源・字形・字義とする漢字作成理論を発明した。
 ゆえに、通称「夏の銀河」を、私は「文字作成銀河」を名づけることにした。
 倉頡が漢字作成理論を発明した「文字作成銀河」の写真を、下に示した。
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 天文学はじめ諸々の学術分野において、《漢字の字源・字形の原形・原義》を解明できる〔文字作成銀河の各部の名称〕は定められていない。ゆえに、《字源となった銀河・字形の原形となった銀河・原義となった銀河》の解説と証明をする際に非常に不便となるゆえ、私は下図のごとく「文字作成銀河の各部の名称」を定めた。
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◆下記に列挙する〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕によって、【黄帝時代から殷代(いんだ)前半期の漢字】は【文字作成銀河各部の形状】となった。
 倉頡はみずからが発明した漢字の学芸は強大な権力・莫大な富・最高の名声を手に入れることができる王政をささえる最強・最大・最良の権力基盤であることに気づき、この学芸知識を反体制側の人々が習得すると王朝は容易に崩壊・滅亡するにちがいないと心配して、下に示す〔三つの死刑と定めた掟〕を定めた。
■倉頡が死刑と定めた三つの掟
1】「文字は銀漢(夏の銀河)各部の形状から作られた」という秘密を暴露した者とその一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
2】多くの文字を容易に覚えるため、銀漢(夏の銀河)各部に名称をつけた者とその一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
3】書いた文字が用済みになったならば、文字を消さない者また消し忘れた者も許さず、その者の一族全員にも神罰を下して死刑にする

 五帝時代の原初漢字の書契(しょけい)・次の夏代の原初漢字の夏音文字・次の殷代前半の原初漢字は上記した〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕を厳重にまもった。したがって、上記した【3】の掟を厳重にももったゆえ、五帝時代の書契・夏代の夏音文字・殷代前半の原初漢字を書いた資料はいまだ一点も発見・出土しないことになった。
 紀元前1300年に出現した殷代後半の甲骨文字においては多数の文字数となったため、いちいち【3】の掟をまもるのが非常に面倒(めんどう)となって守らなくても死刑は免除されることになった。ゆえに、甲骨文字によって始めて【3】の掟は破られたため、甲骨文字を書いた資料が多数出土した。
 「漢字」は《字源・字形・字義・字音の4つの要素》から成立する。
 『魏志倭人伝』において、【(1)今から約5000年前に倉頡が発明した漢字作成理論と、(2)今から約4000年前にわが国が習得した最古の漢字音を伝える、夏音文字の字源・字形・字義】は(1)《文字作成銀河の各部の形状》と、(2)《中国の海岸線地図》と、(3)そして《日本列島各部の地図の形》によって成立する。そして、《夏音文字の字音》は『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』に楷書を音符にして多数残っている。だから、「夏音文字」は4つの要素《字源・字形・字義・字音》が全部そろっているゆえ、「文字」と定義すべきことになる。
 現在、「漢字の最も古い祖型」とされる夏音文字より約750年後の殷代後半に出現した甲骨文字は《字源・字形・字義》の3つの要素がそろっているが、《字音》が不明である。
 このように、4つの要素がそろっていない不完全な甲骨文字を学界は「文字」と定義する。だから、4つの要素がそろう夏音文字は、当然、「文字」と定義すべきことになる。
 なお、「甲骨文字」をわがブログでは「契文(けいぶん)」と呼ぶ。

◆黄帝は東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。
 しかし、黄帝時代以前の約6000年前から始まる三皇(さんこう)時代には、黄帝が研究した医学をあらわすことができる漢字は発明されていなかった。したがって、倉頡が漢字作成する目的は【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字を考案すること】であった。倉頡は【文字作成銀河(夏の銀河)の各部の形状と中国全土を包む海岸線の地宜(ちぎ/地図の形)を字源・字形・字義とする漢字】を創()くって、【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字の発明】に成功した。
 したがって、【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる人命の神秘を合体して誕生した学問(学術)】であった。
 前述したように、わが国には、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が伝来して習得された。
 というのも、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回・5回と14回・15回の4回で詳細に解説し証明したように――『魏志倭人伝』の中半に登場する「女王国より以北の名称不明の海上に浮かぶ皆倭種なりの一小国と侏儒(しゅじゅ)国・裸()国・黒歯(こくし)国、この4小国の東南に所在して船行一年にして参問(さんもん)できる、周旋(しゅうせん)五千余里ばかり」と説明する76字の記事をもって、『魏志倭人伝』は「今から約4000年前の後期縄文時代初頭、わが国は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を習得した」と証言するものであったことになる。
 『魏志倭人伝』には、34の小国が登場する。
 上記した4小国以外の対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までの30の小国名をもって、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明することにした。言いかえると、黄帝が作った医学書『内経』を残っていないが――卑弥呼は30の小国名をもって理路整然と『内径』に説明されていた医学知識を復興することにした。というのも、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を政権基盤として倭人国を統治することにしたからである。このため、卑弥呼は30の小国名をもって【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明する学術体系組織論を構築(こうちく)して「倭人国」という国家と王朝を創設(そうせつ)した。
 【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる生命の神秘を合体して生まれた学問(学術)】であったことは、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読解すると一点の矛盾点もなく系統的な合理が構築されて手に取るように明白となる。この証明は、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は前回(22)までにおいて、詳細に具体的に科学的におこなってきた。
 前回では、12番目の都支(たき)国・13番目の弥奴(みな)国・14番目の好古都国(こかた)

国・15番目の不呼(ふこ)国という4ヵ国の小国名には、【黄帝の「女性の生殖器官と性の生殖細胞の精子と女性の生殖細胞の卵子」についての考え】を説明する役割があったことを具体的に解説して証明した。

◆今回は、16番目の姐奴(つな)国・17番目の対蘇国・18番目の蘇奴(さな)国・19番目の呼邑(こお)国・20番目の華奴蘇奴(かなさな)国、この5ヶ国について解説し証明する。
 前回のブログにおいて、15番目の不呼国・旧国遠江(現在の静岡県西部)における「浜名湖の地宜(ちぎ/平面的に図化した地図の形)」は[]の字源「花の形」に相似すると見立てられたことを証明した。ゆえに、今回における[]の字を配する19番目の呼邑国もまた「遠江の浜名湖と同様に、花の形の湖」を有する小国であったことになる。
 この「花の形をした湖」の小国の呼邑国周辺に、姐奴国・対蘇国・蘇奴国・華奴蘇奴国の4つの小国が所在する。この4カ国は「蝶の形をした国々」である。つまり、「花に蝶」というわけである。
 下の図に示したように、黄帝は「女性の骨盤の正面形」は「蝶の成虫の姿」に相似するという感想を抱いた。ゆえに、黄帝は「蝶」には「花」とむすびつけた連想にもとづき、前回にて解説したように「男性の生殖能力(今日でいう、生殖細胞)の精子(せいし)と女性の生殖能力(生殖細胞)の卵子(らんし)」について考えたことになる。
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 前回のブログで指摘したように――現在と卑弥呼時代、また黄帝が生存した五帝時代初頭の黄帝を祭る廟(びょう)と墓とされる黄帝陵(こうていりょう/北緯3535)の天頂にめぐってきた銀河部は相違する。
 下に、(1)卑弥呼時代と(2)現在の黄帝陵(黄帝が居住した本拠地周辺、すなわち[]の字源となった地域)の天頂にめぐってきた銀河部の図を配した。
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 下に、五帝時代初頭の黄帝時代に黄帝陵(北緯3535)と中国全土にめぐってきた銀河部の図を配した。下の図における「北緯30度」の地域に、中国南部の紹興市(しょうこうし/『魏志倭人伝』に登場する会稽)が所在する。
 黄帝時代、黄帝陵の天頂周辺に国際天文学会の用語「北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)
と「十字の銀河の頭部とその頭部が被(かぶ)るカンムリの銀河部」がめぐってきた。
 「北天の最輝部」は「北半球で住む人々が最も輝いて見える銀河部」である。
 「北天の最輝部」は「桃色をおびた銀白色にかがやく美しい花のような銀河部」である。ゆえに、「花と蝶」から、黄帝は天頂周辺にめぐってきた西の「北天の最輝部」と東の「十字の銀河の頭部が被るカンムリの形」を注目して、「目に見えない、微小の精子と卵子の形」について考えた。 
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 下に配した上図は、黄帝時代に黄帝陵の天頂周辺にめぐってきた西の「北天の最輝部」と東の「十字の銀河の頭部が被るカンムリの銀河部」の図である。
 黄帝は「北天の最輝部」と「十字の銀河の頭部が被るカンムリの銀河部」の両者の形は相似しあうと見立て、また、その両方の銀河部の形は、下図における「花の生殖器官、つまり花冠(かかん/花弁)の形」に相似すると考えた。
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 上記したように、黄帝は【1】黄帝が居住した本拠地(黄帝陵周辺地域)の天頂周辺にめぐってきた「北天の最輝部」と「十字の銀河の頭部が被るカンムリの形状」は「花の形」に相似すると考えた。また前述したように、黄帝は【2】「女性の骨盤正面形は、蝶の成虫の姿は相似する」と考えた。
 だから、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】において「【1】花の形(黄帝が居住した本拠地の天頂周辺にめぐってきた東・西の銀河部の形)と、【2】蝶の形(女性の骨盤の正面形)」が結びついた。
 ゆえに【黄帝の医学研究】は「花と蝶」と譬(たと)えられた。だから、「花と蝶」に譬えられた【黄帝の医学研究】を、卑弥呼は姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国の5つの小国名をもって表示することにしたのである。

◆前回のブログで指摘したように――中国の南部の呉における「杭州湾(こうしゅうわん)の地宜)」は「花の形(花冠の形)」に相似すると見立てられて[()]の字源となった。
 下に、「〔東〕を上・〔西〕を下とする杭州湾の地宜」を配した。杭州湾の湾口(わんこう)は北緯3050分~北緯30度の中間に在る。下の図における会稽(かいけい)は北緯30度である。会稽は、現在の紹興(しょうこう)市である。
 前回のブログで解説し証明したように、「杭州湾の奥・銭塘江(せんとうこう)の河口近くの湾部」は「花冠をささえる花の台(うてな/萼柎)」に相当して[]の字源を示した。また、「花冠部となる杭州湾」は[]の字源を示した。したがって、「杭州湾の地図の形(地宜)」は[][]、つまり「不呼」と表示することになった。
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 下の図に示すように、「遠江の浜名湖の地宜」は[]の字源「杭州湾」と同様に「花冠の形」に相似すると、卑弥呼は見立てた。また、卑弥呼は「浜名湖の支湖の引佐細江(いなさほそえ)」は[]の字源「花の台(萼柎)」に相似すると見立てた。ゆえに、卑弥呼は「遠江の浜名湖」は「中国の杭州湾」と同様に「不呼」をあらわすと考えて、「浜名湖がある遠江、現在の静岡県西部」の小国名を「不呼国」と定めたのである。
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 前回のブログにおいて、下に配した図を用いて証明したように――[]の字源「杭州湾の地宜」は「鳰(にお)が水面に浮かぶ姿」にも相似する。ゆえに、「鳰」は[]の字源をあらわすことになった。
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 前回のブログにて、下に配した図を用いて証明したように――『魏志倭人伝』が著作された同時代の3世紀後半に生存した遠江の豪族・建比良鳥命(たけひらどりのみこと)は「鳰」は[]の字源であることを明確に示して、「不呼国、現在の静岡県浜松市北区の引佐(いなさ)町の金指(かなさし)・井伊谷(いいのや)地区の地宜」を「鳰と浮巣の形」に設計した。
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 前述したように、黄帝時代、「十字の銀河」は中国各地の天頂にめぐってきた。
 下に示すように、「十字の銀河の乳房」に「M39」と名づけられた散開星団(さんかいせいだん)が重なる。「M39」は星数の少ない、明るい星が集まった散開星団である。すこし目をこらすと、「M39」の形は「鳰と鳰の浮巣(うきす)」のような形をしているのが見える。
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 上記したように、また下に配した図に示したように、「M39」は「鳰と鳰の浮巣の形」に相似する。
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 前述したように「旧国・遠江」、つまり「浜名湖がある、浜松市を中心とする現在の静岡県西部」の小国名を、卑弥呼は15番目の「不呼国」と定めた。この不呼国であった浜松市北区の引佐町の金指・井伊谷地区の地宜は――「鳰と鳰の浮巣」の形に設計されている。したがって、引佐町の金指・井伊谷地区の地図の形は、[]の字源は「鳰」であると表示する。
 15番目の「不呼国」の次の16番目の小国名を、卑弥呼は「姐奴(つな)国」と定めた。
 というのも、上記したように、「十字の銀河の乳房と重なるM39」は「不呼国の[]の字源「鳰と鳰の浮巣の形」に見えるからである。つまり、不呼国の[]の字源「鳰」の形となる「M39」は「十字の銀河の乳房」と重なり、「姐奴国の西部」は「母となった女性の、大きな左右の乳房の形をした地宜」となる。
 だから、15番目の「不呼国」の次の16番目国を、卑弥呼は「乳房つなぎ」ということで「姐奴国」と定めたのである。

◆下の図に示すように、15番目の不呼国から16番目の姐奴国までの中間には、14番目の好古都国・13番目の弥奴国・17番目の対蘇国の三ヵ国が所在する。また、16番目の姐奴国よりも、17番目の対蘇国のほうが、15番目の不呼国には近い。ゆえに、不呼国の次は対蘇国と定めるのが順当となる。しかし、15番目の不呼国と16番目の姐奴国の両国は、上記したように「乳房」という共通点を有するる。これに対して、15番目の不呼国と17番目の対蘇国には共通点が存在しない。だから、卑弥呼は倭人国の小国の順番を不呼国の次は姐奴国と定めたのである。
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 上の図が示すように、19番目の呼邑(こお)国は、古称が「鳰の海」であった琶湖を有する旧国近江・現在の滋賀県である。「鳰の海」の[][]の字源であり、[]の字源は「花の形の、杭州湾」であった。ゆえに、卑弥呼は「琵琶湖の地図の形」を「鳰の姿」に相似すると見立て、また、卑弥呼は「琵琶湖の地宜」は「花の形をした、杭州湾」に相似すると見立てたことになる。
 前述したように、黄帝は――下の図に示す「女性の生殖器官と花の生殖器官の形」は類似すると見立てた。だから、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】は「花」に譬(たと)えられることになった。
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 さらに、前述したように、黄帝は「女性の骨盤の正面形」は「翼を有する蝶の形」に相似すると見立てた。
 だから、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】は「花と蝶」に譬えられることになった。
 16番目の「姐奴国の地宜」は「蝶の成虫の姿」に相似すると見立てられた。17番目の「対蘇国の地宜」は「蝶の幼虫・蛹(さなぎ)・羽を有する成虫の姿」に相似すると見立てられた。18番目の「蘇奴国の地宜」は「蛹にならんとする蝶の終令幼虫(しゅうれいようちゅう)の姿」に相似すると見立てられた。19番目の「呼邑国の地宜」は「花の形」に相似すると見立てられた。20番目の「華奴蘇奴国の地宜」は「華()と蝶の成虫の姿」に相似すると見立てられた。
 このように、「16番目の姐奴国から20番目の華奴蘇奴国までの小国名」をもって、卑弥呼は「【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】は【花と蝶】に譬えられた」とあらわしている。

16番目から20番目までの小国のうち、「姐奴国・蘇奴国・華奴蘇奴国」という小国名にある[]の字は【黄帝の「女性の骨盤・生殖器官と子どもの出産」の研究】をあらわした。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の19回でも詳細に解説したように――下の図に示すように、[]の字源銀河は「鬼の姿に似る銀河と、北アメリカ星雲・ペリカン星雲」であった。
 「鬼の姿に似る銀河と、北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は[(ゆう)][(ゆう)]の字源でもあった。
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 [又]の金文形にある「渦巻き」は「産道をくぐりぬけるときの、出産する子どの4回の旋回(せんかい)」をあらわす。この「出産児の4回の旋回」を、産婦人科では「回旋(かいせん)」と名づけている。
 「母体の子宮口(しきゅうこう)が開く出産第一期・開口期(かいこうき)から出産児の顔が誕生する出産第二期・娩出期(べんしゅつき)終わりまでの、子どもの頭の4回の回旋」において、第1回旋における出産児の頭の回旋は「時計回りに90度の回旋」し、第2回旋と第3回旋は「反時計回りに90度回旋」し、第4回旋は「時計回りに90度回旋」する。
 この「第1回旋、第2回旋、第3回旋、第4回旋」という語を挿入(そうにゅう)して、[]の字源となった「4回の回旋以外の、狭い産道をくぐりぬける出産児と母体の様子」を解説すると、[]の字源解説が煩雑(はんざつ)となって難解となる。
 ゆえに、これからおこなう[]の字源解説では、〔4回の回旋〕を示す語を省略することにした。
 ――開口期において、陣痛(じんつう)がはじまると、子宮口にむかった卵膜(らんまく)は羊水(ようすい)によってふくらみ、くさび状に子宮頸管(しきゅうけいかん)をひろげ子宮口が開いていき、子の頭はしだいに押し下げられてくる。子の頭は骨盤産道(こつばんさんどう)に入り込み、骨盤産道の形に応じて向きを変えていく。正常分娩の場合には、骨盤入口の上では子のアゴを胸につけた姿勢で、子の背中は母体の左または右にある。中ほどにくると子の頭は斜(なな)め後ろ(母体の背側)に顔をむけ、出口では顔をすっかり後方(母体の背側)にむける姿勢となる。開口期の終わりには、ほぼこの状態となる。
 次は出産第二期の娩出期の始まり、子の頭が骨盤出口に近づいてとき、母体の直腸(ちょくちょう)は圧迫されるので自然に怒責(どせき/いきみ。きばること)がおこり、母体の腹圧(ふくあつ)が加えられる。陣痛と腹圧との力で、子の頭はますます押し上げられ、ついに陣痛発作(じんつうほっさ)のときには膣(ちつ)の入口から子の頭が見えるようになる。さらに進んで子の頭のもっとも大きい部分が膣の入口を通過して、子の頭が誕生する。ついで、子の頭は母体の左または右に向くが、子の肩の部分が骨盤出口を通るためである。肩はまず上(母体の腹側)にあるほうが先に、ついで下(母体の背側)の肩がでると、あとは(娩出期の終わりは)、子の顔の正面は母体の背側のほうに向いて、一気に生まれる。

 []の字源は、上記した説明における「子を出産するための母体の強大な力」であった。
 「子どもの出産における、母体が大声をあげる怒責(どせき)」は「稲妻(いなづま/雷鳴)や虎が咆()える大声」に見立てられて、[]の字源をあらわすことになった。「母体の怒責」は[]の下に[]が加えられる[]の字源となった。
 以上のごとく、「姐奴国・蘇奴国・華奴蘇奴国」という3小国名にある[]の字源は、上記した「出産第一期・開口期から出産第二期・娩出期終わりまでにおける、母体が子どもを生むときの凄(すご)い強大な力」であった。
 だから、[]の字は【黄帝の「女性の骨盤・生殖器官と子どもの出産」の研究】をもあらわすことになった。
 したがって、「姐奴国・対蘇国・蘇奴国・華奴蘇奴国」の4ヵ国の小国名は【黄帝の「女性の骨盤・生殖器官と子どもの出産」の研究】をもあらわしている。その証拠に、【黄帝の「女性の骨盤・生殖器官と子どもの出産」の研究】は「花と蝶」と譬えられたゆえ、「花」は「呼邑国」という小国名と地宜があらわし、「蝶」は「姐奴国・対蘇国・蘇奴国・華奴蘇奴国」の4ヵ国の小国名と地宜があらわす。
 下に、〔蝶と蛹(さなぎ)の姿に相似する銀河図〕を配した。
 []の字源銀河となった「鬼の姿に似る銀河」は「蛹の姿」に相似すると見立てられ、「鬼の姿に相似する銀河と十字の銀河と、その背景となる銀河」は「羽をひろげて飛ぶ蝶の姿」に相似すると見立てられた。
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 「羽をひろげて蝶の成虫をあらわす銀河」は〔東向き〕であるが、「姐奴国の地宜」の「蝶の姿」は〔西向き〕であり、「対蘇国の地宜」「蝶の姿」は「北に向く、真上から見た羽を左右に開く正面形」であり、「華奴蘇奴国の地宜」は「東に向く、真上から見た羽を左右に開く正面形」である。
 ゆえに、上記した「三小国の地宜」は「蝶の成虫や蛹の姿をあらわす銀河」の向きと異なるが、この向きの相違は、上記した「出産児の頭の4回の回旋」をあらわしている。

◆これから、16番目の「姐奴(つな)国」から20番目の「華奴蘇奴(かなさな)国までの5ヵ国の位置と範囲を解説し証明する。
 下の図に示したように、16番目の「姐奴(つな)国」は「旧国の越前、現在の福井県中部・北部」であった。[]の字には「母。姐御(あねご)」という意味がある。この[]の字義に合致して、下の図が示すように、「敦賀(つるが)半島より南部の境界線、つまり越前西部の南限の境界線」は「たくましい母親の大きな乳房・たくましい豊かな母の胸部の形」となる。
 前述したように、[]は「強大な力」(母体が子どもを生むときの、強大な力)をあらわす。ゆえに、「姐奴」の「つな」と読む夏音は「綱(つな)」をあらわすことになり、「強大な力で作られた、太い綱」を意味したと考えられる。その証拠に、「姐奴(越前)北部の地宜」は「一本の太い綱あるいは注連縄(しめなわ)を作る際、多数の細い綱を扇状(おうぎじょう)にひろげ、これらの細い綱をよりあわせて一本の太い綱にする完成間際の綱の形」に相似する。
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 なお、下の図に示すように、「姐奴国の地宜」は「蝶の成虫の姿」のごとくに観える。
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17番目の「対蘇(つさ)国」は「旧国の美濃(みの)、現在の岐阜県中部・南部」であった。
 下に配した〔対蘇国・美濃の解説図〕における上図に示したように――「美濃の東部の地宜」を卑弥呼は「蝶の幼虫の姿」に相似すると見立て、「美濃の東部の地宜」を「蝶の成虫の姿」に相似すると見立てた。ゆえに「蝶の幼虫と成虫の姿の一対」となるゆえ、卑弥呼は「美濃」の小国名を「対蘇国」と定めたことになる。
 下の〔対蘇国・美濃の解説図〕における下図に示したように――「美濃の全域の地宜」を、卑弥呼は「ジャコウアゲハの蛹(さなぎ)の姿」に見立てたにちがいない。
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 したがって、「対蘇国・美濃」を、卑弥呼は「ジャコウアゲハの幼虫と成虫と、そして蛹の形をした小国」と考えたことになる。
 美濃は現在の岐阜県中部・南部である。「岐阜」という名がつく「ギフチョウ」は「ジャコウアゲハ科」に分離される蝶であり、その名のとおり岐阜県に生息する。ジャコウアゲハのオスの羽とジャコウウシのオスの眼下腺(がんかせん)からの分泌物(ぶんぴつぶつ)はともに麝香(じゃこう)の匂いがする。
 前回までのわがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は幾度もくりかえして、黄帝が研究した「女性の生殖器官の正面形」は「ジャコウウシの顔」に相似すると見立てられた。ゆえに、【倉頡は発明した漢字作成理論】は「鳥獣の足跡」と名づけられ、「ジャコウウシ」は【倉頡が発明した漢字作成理論】を象徴する聖獣となった。
 「ジャコウウシ」は[][]の字源となって「女性の骨盤と、骨盤が包んで衛(まも)る女性生殖器官」の両方をあらわした。というのも、[]の字源となった「ジャコウウシ」は「もの凄(すご)い力を有する獣」であるからである。したがって、[]の字源・字義は「母体が子どもを生むときの、強大な力」と「ジャコウウシの、強大な力」であった。だから、[]の字義は、要するに「強大な力」ということになった。
 アゲハチョウ科のギフチョウの蛹の体は、太く短い皮膚はかたい。黒褐色(くろかっしょく)で斑紋(はんもん)はない。斑紋がない黒褐色のギフチョウの蛹に類似して、ジャコウウシもまた黒褐色の体毛(たいもう)でおおわれる。したがって、ギフチョウの蛹によって、ジャコウウシは黒褐色の毛足の長い毛のコートで体全体がおおわれている様子が伝えられていたことになる。

18番目の「蘇奴(さな)国」は「旧国の若狭(わかさ)、現在の福井県南西部」であった。
 上記したように、17番目の「対蘇国の全域の地宜」は「ジャコウアゲハの幼虫や蛹の姿」に相似すると見立てられた。ゆえに、18番目の「蘇奴国の地宜」は「ジャコウアゲハやギフチョウの幼虫や、蛹になる前の終令幼虫の姿」に見立てられたことになる。
 下の図における左上の「蘇奴国の地宜」を、卑弥呼は「アゲハチョウ科のアゲハチョウ・ギフチョウ・ジャコウアゲハの幼虫や、蛹にならんとする終令幼虫の姿」に見立てて、「若狭」の小国名を「蘇奴国」と定めたことになる。
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 蝶の幼虫は脱皮(だっぴ)が近づくと食をとらずに静止し、前の胸部が膨(ふく)らむ。子宮という密室で羊水の中で過ごす月齢の少ない胎児も静止して、前の胸部が膨らむ。蝶の蛹は、食物をとらず、ほぼ静止の状態となる。子宮の羊水に漬()かって育つ月齢の少ない胎児も、食物をとらずほぼ静止状態となって過ごす。胎児は食物をとらないゆえ、生まれるまでうんちを出さない。出産で産道をくぐる時におなかが押され、初めておしりからうんちが出てくる。汁(たんじゅう)の色素に由来して、赤ちゃんが初めて出すうんちは蝶の餌となる草木の葉の色の緑色である。だから、「出産時に初めて緑色のうんちを出す赤ちゃん」は「緑児(みどりご)、つまり「嬰児」と2字の漢字で表記されて「みどりご」と読むことになった。
 なお、「若狭」という旧国名の由来は「若い13歳くらいの乙女たちの瞳は最も澄んで暗い銀河部や星をキャッチする眼力に最も優(すぐ)れている。ゆえに、13歳くらいの乙女たちは天頂にめぐってくる銀河部や星たちが映る鏡となる谷川の水面や池岸の澄んだ水面や清らかな水汲み場の水面など、すなわち“狭井(さい)”から緯度を精確に測定できる呪能(じゅのう)を有する」ということであったと考えられる。
 これゆえ、「13歳くらいの若い乙女」の[]に「狭井」の[]を加えると「若狭」となる。

◆前掲した〔文字作成銀河(夏の銀河)の写真〕を撮影したわが国を代表する天体写真家の藤井旭(ふじいあきら)氏は「銀河や星をキャッチできる最も優秀な瞳を有する13歳の乙女を連れて、銀河はじめ天体を撮影することが度々ある」と、私に説明したことがある。このように、現在でも、銀河や星や星雲・星団をキャッチする能力に最もすぐれる眼力の持ち主は13歳くらいの乙女たちである。ゆえに、「13歳くらいの若い乙女」の[]に「狭井」の[]を加えて、「蘇奴国」の旧国名は「若狭」となったにちがいない。
 『古事記』上巻に〔天照大御神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約説話〕がある。この説話には「天之真名井(あめのまない)」が登場する。「天之真名井」は「天頂にめぐってくる銀河部や星などが明るく映る鏡のような水面を有する井戸、つまり天頂緯度測量地点」を意味した。奈良県桜井市の三輪町には古くから最も聖なる山とされた三輪山、大神(おおみわ)神社の摂社(せっしゃ)の狭井(さい)神社、三輪山をご神体と大神神社が所在する。狭井川(さいがわ)は三輪山の麓の東北から狭井神社と大神神社の辺(ほとり)を南西にむかって初瀬川(はつせがわ)で合流する。
 この「三輪山の麓から流れる狭い谷川・狭井川の岸辺の天頂の銀河部を明るく映す鏡のような水面・天頂緯度測量地点」が、〔天照大御神と須佐之男命の誓約説話〕に登場する「天之真名井」であった。したがって、「天頂の銀河部を明るく映す鏡のような水面の、天之真名井」は「狭井(さい)」と名づけられたのである。
 古代、「倭人国における天頂にめぐってくる銀河部を明るく映す鏡のような谷川や池岸や水汲み場などの水面・天頂緯度測量地点」は「狭井(さい)」と呼ばれた。「狭井に映る天頂の銀河部」をとらえて精確に緯度を測定できる能力に最も優れる澄んだ瞳(ひとみ)を有するのが、13歳くらいの乙女たちである。
 だから、上記したように「旧国の若狭の地宜」を「蝶の終令幼虫の姿に相似する」と見立てた卑弥呼は、「旧国の若狭」の小国名を「13歳の乙女たち」にも見立てて「蘇奴国」と定めたのである。
 古代は天頂にめぐってくる銀河部をキャッチして緯度を測定していた。この能力に最も優秀な瞳を有する13歳の乙女は、古代において、緯度を精確に測量できる能力に最も優れる、女性の人生における最盛期と称(たた)えられていた。
 『魏志倭人伝』の末部は――卑弥呼が没する時に百余人の奴婢(ぬひ)を殺して、卑弥呼の墓に埋めた残酷な徇葬(じゅんそう)に反対して、徇葬を決行した卑弥呼の後を継いだ男の倭王に服従せず、国中の人民たちは反乱して倭王朝軍と戦った。倭王朝軍は千余人の人民を殺した――と記述する。
 この徇葬を憎悪して倭人国の国中の人民たちが倭王朝軍と戦った大乱(たいらん)を平定したのは、男王の倭王の後を継いだ倭女王の壱与(いよ)であった。『魏志倭人伝』は壱与について「また卑弥呼の宗女(そうじょ)の壱与(いよ)、年十三で王となりしを立てて、国中遂に定まる」と記述する。つまり、『魏志倭人伝』は――卑弥呼が統治する宗女(巫女界を代表する巫女)の壱与は、十三歳の時に新生「日本国」の女王に就任し、そして数年後(32歳ころ)に倭王の後を継ぐ倭女王に就任して徇葬を憎悪して倭人国の国中の人民たちが倭王朝軍と戦った大乱を平定した――と説明していたのである。
 〔注 中国の正史『後漢書(ごかんじょ)』倭伝は「倭人国の隣国は東鯷人(とうていじん)国であった」と記述する。この「東鯷人国」が倭人国の一員の小国(倭人国の35番目の小国)となって国号が「日本国」と改められた。東鯷人国・後の小国・日本国は倭人国の不呼国(遠江)の隣りの旧国の駿河から以東の駿河・伊豆・甲斐・相模・武蔵・飛騨・信濃・上野・下野・下総・上総・安房・常陸の東海地方東部から関東地方一円地域であった〕。
 『魏志倭人伝』の中半には、五世紀に生存した裴松之(はいしょうし)が加えた「倭では春に田を耕す時を一年と数え、秋に農作物を収穫する時も一年と数える二倍暦であった」と注がある。この二倍暦だと「新生・日本国の女王となった、十三歳の壱与」は「六・五歳の幼女」であったことになる。しかし、「六・五歳の幼女」には「女王となる特別に優れた能力・呪能(じゅのう)」を有していない。だから、壱与は《緯度を精確に測量できる能力に最も優れる最盛期の十三歳の時(二倍暦では二十六歳の時)》に、新生・日本国の女王に就任したと考えるべきことになる。
 したがって、『魏志倭人伝』は「倭人国では、一年365日を二年と数える二倍暦であった。しかし、卑弥呼の晩年には365日を一年とする中国の正歳(せいさい)を使用するようにした」と説明していることになる。
 〔なお、『魏志倭人伝』に記述された「卑弥呼の墓に殺して埋められた徇葬者の奴婢」は「奴」が「十八歳くらいの青年」、「婢」は「十三歳くらいの乙女たち」であったと考えられる。というのも「犠牲(ぎせい/いけにえ)」の[]の字源を、『説文解字』は「宗廟の牲(せい)なり」と解説し、『説文解字』は[]の字源を「完全なるなり」と解説するからである。
 ゆえに、『説文解字』は[][]の字源を「宗廟、つまり偉大な王や女王の墓に埋める犠牲としては毛色肢体すべてがそなわったジャコウウシがささげられた」と解説している。
 だから、ジャコウウシが生息していなかった倭国の女王・卑弥呼の墓に殺されて埋められた徇葬者の「犠牲(いけにえ)」は、「男性として完全なる最盛期をあらわす大きな手と太い腕とたくましい頑丈な肉体の持ち主の十八歳くらいの若者の[]と、最も澄んだ瞳を有して天頂緯度を最も精確に測量できる完全なる能力の瞳を有する十三歳の乙女の[]」であったと考えるべきことになる〕。

19番目の「呼邑(こお)国」は、「旧国の近江、現在の滋賀県」であった。

前述したように、[]の字源は「中国の南部の呉における、水面に浮かぶ鳰の姿に相似する杭州湾(こうしゅうわん)」であり、また「花の形に相似する杭州湾」であった。
 「琵琶湖」の古称は「鳰の海」であった。したがって、下の図に示した「琵琶湖の地宜」を、卑弥呼は「杭州湾の地図の形」に相似すると見立てて、「近江、現在の滋賀県」の小国名を「呼邑国」と定めたのである。
 「呼邑国」の[(ゆう)]の字の上部は[()]、下部は[()]である。
 白川静著『字統』は[]の字について「囗()は都邑(とゆう)の外郭(がいかく)、城壁を繞(めぐら)している形。(中略)。巴()は人の跪居(ききょ)するさま。城中に多くの人のあることを示す」と解説する。
 だから、「呼邑国」の[]は、下に図に示した「琵琶湖を包囲する比良山(ひらやま)山地・野坂(のさか)山地・伊吹(いぶき)山地・鈴鹿(すずか)山脈・水口丘陵(みなくちきゅうりょう)」であったことになる。
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 下の図に示したように、琵琶湖と杭州湾の形は「花の形」に相似する。
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 「琵琶湖の地宜」は上の図に示したように「花の形」に相似すると見立てられた。
 【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】は「花と蝶」と譬(たと)えられた。
 ゆえに、「地宜が花の形の、琵琶湖」を包囲するように、卑弥呼は「花と蝶」に譬えられた【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】をあらわして、「蝶の成虫はじめ幼虫や蛹」に見立てた姐奴国・対蘇国・蘇奴国・華奴蘇奴国の四ヵ国が包囲するようにした。

20番目の「華奴蘇奴(かなさな)国」は「旧国の山城(やましろ)、現在の京都府南部」であった。
 卑弥呼は「山城、京都府南部の地宜」を「藤や萩(はぎ)の華()の形」に相似すると見立てて、また「藤や萩の華()のように、美しい蝶の姿」に相似すると見立てて、小国名を「華奴蘇奴国」と定めたことになる。
 あるいは「山城、京都市南部の地宜」は山地や草原に生息する「ヒメシロチョウの姿」に相似する。ヒメシロチョウはモンシロチョウと同じくシロチョウ科に分類される。ヒメシロチョウ(羽をひろげた長さは40mm)はモンシロチョウ(羽をひろげた長さは4560mm)より小さな白い羽を有するモンシロチョウに似た蝶である。ヒメシロチョウが食べる草はクサフジやツルフジバカマである。クサフジやツルフジバカマの華()は藤の花と同じく房状(ふさじょう)で、その色はあざやかな藤色である。したがって、「華奴蘇奴国」とは「クサフジやツルフジバカマの藤色の華(はな)のごとく、白い可愛いヒメシロチョウのごとく華麗な小国」とも意味するものであったと考えられる。
 下の図における下部の図に示したように、[]の金文形の上部の[×]は「藤やクサフジなどの穂の両側にある多数咲く房状の花びら」をあらわし、その下の「下部の横二本の線」は「藤やクサフジの葉」をあらわし、「左へと[]の字に曲がる中央線」は「藤やクサフジの花穂(かほ)」をあらわしていることになる。ゆえに、[]の金文形は「その穂に小さな美しい蝶の成虫の姿に相似する房状の花が多数咲く、藤・萩(はぎ)・クサフジ・ツルフジバカマなどの花穂」をあらわしている。
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 ゆえに、卑弥呼が「華奴蘇奴国」と定めた小国名は「死骸と化したごとくにみえる蛹が背中を[]の強大な力で割()いて美しく命が蘇(よみがえ)る」と意味するものであり、また「藤や萩の花の形に相似する華麗な蝶の成虫はわずか数分で[]の強大な力で体を浮かせて空を飛び、強くたくましく美しく命を示す」とも意味するものであったにちがいない。

 以上のごとく、卑弥呼は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】が「花と蝶」と譬えられた故事来歴(こじらいれき)を、姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国の五カ国の小国名であらわした。

◆卑弥呼は国号を「倭人国」と定めた。
 「倭人国」の[()]は「人民たちの胃袋を食物で満たす、五穀豊穣(ごこくほうじょう)」という政治スローガンをあらわした。
 []の初文(初めの文字)は倉頡が創(つく)った[()]である。[]の字も「人民たちの胃袋を食物で満たす、五穀豊穣(ごこくほうじょう)」という政治スローガンをあらわした。
 つまり、[]の字は黄帝王朝の政治スローガンであり、【倉頡が発明した漢字作成方法における基本字】であった。
 したがって、卑弥呼は黄帝王朝の政治スローガンを受け継いだ。ゆえに、【倉頡が発明した漢字作成方法における基本字】の[]の字源・字義を受け継ぐ[]の字を国号に用いたのである。
 白川静著『字統』は[]の字について「稲魂(いなだま)を被(かぶ)って舞う男女の姿で、禾穀(かこく)の象に従う字である」と解説する。また、同書は[]の字について「声符(せいふ)は委()。委は稲魂を被(かぶ)って舞う女の形である。(中略)。男が稲魂を被って舞うのは年である」と解説する。また、同書は[]の字について「穀霊(こくれい)に象(かたど)る禾形(かけい)の作りものを被(かぶ)って舞う女の姿をいう。同じく禾形の作りものを被って舞う男を年というので、同じ構造法の字であり、男女が稲魂に扮して舞う農耕儀礼を示す」と解説する。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は21回~今回の23回をもって――卑弥呼は倉頡が創った[]の字源・字義の「稲魂を被って舞う男女の姿」をあらわすため、11番目の「伊邪(いや)国」から20番目の「華奴蘇奴国」までの10ヵ国の小国名をもって、白川静著『字統』が「[]は稲魂を被って舞う女の形」と解説する「女性グループ」に分類して、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と表示するようにした事実――を証明した。
 ゆえに、次回からは――21番目の「鬼()国から30番目の「狗奴(くな)国」までの小国名をもって、卑弥呼は白川静著『字統』が「[]は稲魂を被って舞う男の姿」と解説する「男性グループ」に分類して、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と表示するようにした事実――を、詳細に解説し証明する。
 したがって、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」が17回~20回までで詳細に証明し解説した1番目の「対馬(つしま)国」から10番目の「巳百支(じはき)国」までの10ヵ国を、卑弥呼は「邪馬壱(やまい)グループ」に分類したことになる。というのも、対馬国から狗奴国までの10ヵ国は――倉頡が創った[]の字源・字義をうけつぐ、国号の[]の源・字源をあらわすとともに、[]の字源・字義の中核となった「邪馬壱」という語源を表示するものであったからである。
 以上のごとく、『魏志倭人伝』は――卑弥呼は倭人国の30ヵ国を10ヵ国ずつ3つのグループ、つまり(1)「邪馬壱グループ」・(2)「女性グループ」・(3)「男性グループ」に分類して、倭人国の政権基盤は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】であると定めた――と記述する書物であった。
 他方、新井白石以来現在まで約300年間も学者たちが受け継いで主張する「邪馬台国」について説明する記事は、『魏志倭人伝』には1ヵ所も存在しない。
 だから、邪馬台国説は根拠無しの完全なる空理空論、真っ赤なウソ・欺瞞(ぎまん)・デタラメであったのは否定できない確かな事実となる。
 【1】邪馬台国説が空理空論であった事実と、【2】『魏志倭人伝』は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明する歴史書にして学術書であった事実は、『魏志倭人伝』に1ヵ所も【誤読】を加えない方法によって科学的に証明できる。
 邪馬台国説をとなえる学者たちは【多数の誤読・作為・詐偽(さぎ/虚偽)・詭弁(きべん)】を駆使(くし)して、『魏志倭人伝』に記述された真実、言いかえると日本人の血と肉となった学術と、日本人の花咲く尊厳と、日本人の花咲くいのちと魂と精神を凌辱(りょうじょく)して――『魏志倭人伝』に記述された日本人の血と肉となった学術と、日本人の花咲く尊厳と、日本人の花咲くいのちと魂と精神を、消滅しようとして躍起になっている。
 その証拠に、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読解する方法にのっとって思考すれば、『魏志倭人伝』は1ヵ所も【誤読(文献批判)】を必要としない正確無比の書物であった事実が証明される。にもかかわらず、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読解する方法にのっとって思考する学者はわが国には一人も存在しない。

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2021年6月20日 (日)

邪馬台国説はサギ・騙されるな・22

▼このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」が前回まで、毎回証明してきたように、神に誓って――『魏志倭人伝』は、九州説と畿内説を唱える学者たちが主張する「邪馬台国研究」のための史料ではない! 
 『魏志倭人伝』は現在の学者たちの誰一人も想像しない【中国では解明できなくなった、漢字の起源の秘密】を理路整然(りろせいぜん)と詳細に伝える書物であった。だから、『魏志倭人伝』は「邪馬台国説研究」の史料ではなかった。
 九州説と畿内説を主張する学者たちは【多数の誤読・作為・詐偽(さぎ/虚偽)・詭弁(きべん)】をもって、世界的に第一級の重大な文献史料である『魏志倭人伝』を嬲(なぶ)り弄(もてあそ)び凌辱(りょうじょく)して抹殺(まっさつ)しようとしている。
 『魏志倭人伝』に1ヵ所も【文献批判】を加えずに、ただひたすら・いちずに忠実に『魏志倭人伝』の全記事を読解すると、愉快なほど芋(いも)づる式に次から次へと【中国では解明できなくなった、漢字の起源の秘密】が明確となる。
 新井白石(16571725)以来、邪馬台国説学者たちは「『魏志倭人伝』は【邪馬台国研究】のための史料である」と【誤読の空論・詐偽・詭弁】をもって、約300年間も『魏志倭人伝』を凌辱し・蔑視(べっし)しつづけている――このような『魏志倭人伝』に対する凌辱は、実際に大罪を犯していないにもかかわらず大罪を犯した容疑で死刑が確定された冤罪(えんざい)をもって抹殺(まっさつ)されると同じ酷(ひど)い仕打ちであると言わざるをえない。だから、冤罪で抹殺されようとしている『魏志倭人伝』に記述された真実、つまり【漢字の起源の真実、世界史的にも重大な抹殺されてはならない真実】は日本人ならば当然まもらなければならない義務であり責務となる。
 だから、このブログでは、九州説と畿内説は【漢字の起源を伝える歴史の真実】を凌辱する空理空論・妄想(もうそう)だった事実を徹底的に科学的に証明して暴露する。

★「倭人国の地理学」のトリセツ・31

◆『魏志倭人伝』を、ただひたすら・一途に頑固(がんこ)に全記事を忠実に読解すると、【漢字の起源の秘密】が鮮烈(せんれつ)に蘇(よみがえ)る。
 『魏志倭人伝』に記述された【漢字の起源の真相】を知るためには――当然、「わが国が最初に漢字を習得したには5世紀、あるいは6世紀である」という学界の定説は、現在、学問的にはもはや虚妄(きょもう)・空理空論である事実を知っていなければならない。
 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士は著書『字統』(平凡社発行)9ページの終わり3行目~10ページの始めから3行目において、「わが国の漢字音」と題して、次のごとく指摘する。
 「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
 下に配した〔漢字生長史〕が示すように、現存する最古の漢字音は《わが国が、夏代(かだい)初頭(後期縄文時代初頭)に習得した夏音文字の字音》であった。《わが国が夏代初頭に習得した夏音(かおん)文字は、中国に現存する最古の字音「上古音(じょうこおん)」の始まり・周代初頭》よりも約1000年も古い、現存する最古の漢字音である。他方、学界が「わが国が漢字を習得したのは5世紀~6世紀である」と主張する絶対的定説の漢字音だと、下に示す〔漢字生長史〕では最下部に配すべき最も新しい漢字音ということになるため、白川静著『字統』が指摘する西洋の音韻学の学問成果に反する空理空論ということになる。
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 上記した白川静著『字統』が「現存する最古の漢字音」と指摘する字音は、【わが国が後期縄文時代初頭(夏代初頭)・紀元前2070年頃~紀元前2050年頃に習得した夏音文字の漢字音】であった。この【現存する最古の漢字音の、夏音文字の字音】は、『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』などに多数残っている。
 中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝には――702年に派遣された第7回遣唐使が中国王朝に「後(のち)、稍(やや)夏音を習う」と伝えた――という記事がある。この遣唐使が告げた言は「壬申の乱の後、稍々(少しだけ)習う、つまり復興する」と意味した。702年の時点では『古事記』上巻に「稍々、夏音文字を習う」予定であったが、10年後の712年に成立した『古事記』上巻には〔音〕という注がついた夏音文字が多数記載されている。
 だから、「わが国が漢字を最初に習得したのは5世紀または6世紀である」と学界が主張する絶対的定説は、【1】古事記』上巻に多数の夏音文字が習い・蘇(よみがえ)って残されている事実と、【2】音韻学の成果に反する空論・妄想であったのである。
 ――わが国は今から約4000年前の後期縄文時代初頭に夏音文字を習得していた。その証拠に、712年に成立した『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて【倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成理論】を詳細に正確に伝える夏音文字が多数残っている。ゆえに、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀~6世紀である」と断定する学界の絶対的定説は、学者たちの早合点(はやがってん)の産物・空理空論であったのである。

◆漢字は今から約5000年前、中国の五帝時代初頭に生存した 黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)によって発明された。
 【倉頡が漢字を発明した学術の詳細】は、現在、漢字が起源した中国において解明されていない。
 わが国においては、江戸中期に生存した新井白石(16571725)が唱えた邪馬台国説によって【倉頡が漢字を発明した学術】は解明できない状況となった。
 新井白石の以前には、厳重な機密のもとに皇室はじめ、高僧たちや学問を尊重する一部の名家・氏族によって【倉頡(そうきつ)が漢字を発明した学術】は受け継がれて存在していた。この【倉頡が漢字を発明した学術】は【倉頡が定めた掟】にもとづいて厳重の機密とされた。さらに、【倉頡が漢字を発明した学術】は皇室・高僧・名家の権力、名誉、財力、徳性(理性・知性)を手に入れる特権階級基盤であった。(要するに、【倉頡が発明した漢字の学術】は現在の大会社が大会社たる財力・特権基盤となる【特許】よりも、もっと強大な威力を有していた)。ゆえに、【倉頡が漢字を発明した学術】について厳重な機密にして明確にしないことが、自分たちの「特権階級」をまもることができる方法であった。だから、学者たちによる虚偽説が出現しても正すことをせず、虚偽説を放置・無視してただひたすら沈黙を貫(つらぬ)いて、【倉頡が発明した学術】の存在を学者たちに知られないようにひた隠しにした。これゆえ、わが国には【倉頡が漢字を発明した学術】は実在するものであったが、時代が下ることに学者たちによって「わが国が漢字を初めて習得したのは中国の南北朝時代から隋代初期(5世紀あるいは6世紀)である」と錯覚・虚偽説が強まって流布されようになったため、【倉頡が漢字を発明した学術】は存在しないかの様相(ようそう)となった。この学者たちの錯覚・虚偽説の伝統を受け継いだ新井白石が邪馬台国大和説をとなえ、また後年に邪馬台国九州説をもとなえた。この新井白石から始まる空理空論の邪馬台国説は、学者たちによって「『魏志倭人伝』に始めて学問的検討を加えられた」と信仰されることになった。この信仰のため、学者たちには『魏志倭人伝』はじめ『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』などに記載されて残った最古の漢字音が残った夏音文字の学芸に【倉頡が漢字を発明した学術】が保存されている事実が感知することも察知することもできなくなった。
 だから、新井白石以後に学者たちが立論した約300年間の邪馬台国説による【『魏志倭人伝』に多数の誤読・作為・捏造(ねつぞう)を加える空論・反()学術運動】によって【倉頡が発明した漢字作成理論】は排除されて闇に葬られることになった。
 しかし、『魏志倭人伝』には【倉頡が発明した漢字作成理論】、いいかえると【漢字が起源した歴史と事情】が理路整然(りろせいぜん)と説明されている。
 だから、【倉頡が発明した漢字作成原理】はいまだ死に至らない、不死鳥である。
 というのも、【漢字の起源の秘密】は『魏志倭人伝』に卑弥呼が理路整然と【倉頡が発明した漢字作成理論】について説明し、また中国の海岸線の約3倍にして細密なわが国の海岸線に明確に保存されているからである。したがって、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読解すれば【倉頡が発明した漢字作成理論】は鮮烈に蘇(よみがえ)る。

◆『魏志倭人伝』には「卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)、倭国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と具体的に説明した記事が、下記のごとく2ヵ所存在する。
 一つ目の記事は、【134字で「倭国の易卜に用いる辞(ことばと文字)は令亀(れいき)の法のごとく、つまり紀元前1300年頃の殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅に文字を刻む契文(けいぶん/甲骨文字)のような文字があった」と伝える記事である。
 二つ目の記事は67字で【2】「卑弥呼が文書の用いる漢字(夏音文字)は魏の都・帯方郡・諸韓国が文書に用いる漢字(楷書)と差錯(ささく/相違)していた。このため、倭国の小国・伊都(いと)国の津()では、魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と卑弥呼が用いる夏音文字を一字一字点検し確認して正確に変換していた」と伝える記事である。
 上記した「わが国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と説明する二つの記事は、邪馬台国説学者たちによって無視され排除された。
 このため「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀、あるいは6世紀である」という空論が定説となった。
 したがって、もしも学者たちが『魏志倭人伝』をただひたすら・いちずに忠実に読解していれば【倉頡によって発明された漢字作成理論】が科学的に解明できていたことになる。

◆中国でもわが国でも「文字」を「漢字」と呼ぶ。「銀河」の別称は「銀漢」であるゆえ「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた。
 この「漢字」の由来に気づいていれば――『魏志倭人伝』は「【倉頡が発明した漢字作成理論】が理路整然と説明されている書物である」ことが証明されていた。
 「漢字」は銀河(銀漢)の各部の形状から作られた。
 【卑弥呼が用いた夏音文字】はもちろん、【魏都・帯方郡・諸韓国が用いた楷書】もまた同一銀漢から作られた。ゆえに、倭国の伊都国の港では【字源・字形の原形・原義となった銀漢各部の形状】を観察して、夏音文字と楷書を正確に変換していたことになる。
 天文学において「夏の全星座が漬()かる銀河の範囲」を、通称「夏の銀河」と呼ぶ。
 倉頡は、天文学で通称「夏の銀河」とよばれる銀河各部の形状を字源・字形・字義とする漢字作成理論を発明した。『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』にて「夏音文字の字音に用いられた記号となる楷書」も、夏の銀河各部の形状から作られた。
 ゆえに、通称「夏の銀河」を、私は「文字作成銀河」を名づけることにした。
 倉頡が漢字作成理論を発明した「文字作成銀河」の写真を、下に示した。
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 天文学はじめ諸々の学術分野において、《漢字の字源・字形の原形・原義》を解明できる〔文字作成銀河の各部の名称〕は定められていない。ゆえに、《字源となった銀河=字形の原形となった銀河=原義となった銀河》の解説と証明をする際に非常に不便となるゆえ、私は下図のごとく「文字作成銀河の各部の名称」を定めた。
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◆下記に列挙する〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕によって、【黄帝時代から殷代(いんだ)前半期の漢字】は【文字作成銀河各部の形状】となった。
 倉頡はみずからが発明した漢字の学芸は強大な権力・莫大な富・最高の名声を手に入れることができる王政をささえる最強・最大・最良の権力基盤であることに気づき、この学芸知識を反体制側の人々が習得すると王朝は容易に崩壊・滅亡するにちがいないと心配して、下に示す〔三つの死刑と定めた掟〕を定めた。
■倉頡が死刑と定めた三つの掟
1】「文字は銀漢(夏の銀河)各部の形状から作られた」という秘密を暴露した者とその一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
2】多くの文字を容易に覚えるため、銀漢(夏の銀河)各部に名称をつけた者とその一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
3】書いた文字が用済みになったならば、文字を消さない者また消し忘れた者も許さず、その者の一族全員にも神罰を下して死刑にする

 五帝時代の原初漢字の書契(しょけい)・次の夏代の原初漢字の夏音文字・次の殷代前半の原初漢字は上記した〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕を厳重にまもった。したがって、上記した【3】の掟を厳重にももったゆえ、五帝時代の書契・夏代の夏音文字・殷代前半の原初漢字を書いた資料はいまだ一点も発見・出土しないことになった。
 紀元前1300年に出現した殷代後半の甲骨文字においては多数の文字数となったため、いちいち【3】の掟をまもるのが非常に面倒(めんどう)となって守らなくても死刑は免除されることになった。ゆえに、甲骨文字によって始めて【3】の掟は破られたため、甲骨文字を書いた資料が多数出土した。
 「漢字」は《字源・字形・字義・字音の4つの要素》から成立する。
 現在においても、《今から約4000年前にわが国が習得した最古の漢字音を伝える、夏音文字の字源・字形・字義》は【1】《文字作成銀河の各部の形状》と、【2】《中国の海岸線地図》と、【3】《日本列島各部の地図の形》によって成立する。また、《夏音文字の字音》は『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』に楷書を音符にして多数残っている。したがって、「夏音文字」は4つの要素《字源・字形・字義・字音》がそろっているゆえ、「文字」と定義すべきことになる。
 現在、「漢字の最も古い祖型」とされる夏音文字より約750年後の殷代後半に出現した甲骨文字は《字源・字形・字義》の3つの要素がそろっているが、《字音》が不明である。
 このように、4つの要素がそろっていない不完全な甲骨文字を学界は「文字」と定義しているゆえ、4つの要素がそろう夏音文字は、当然、「文字」と定義すべきことになる。
 なお、「甲骨文字」をわがブログでは「契文(けいぶん)」と呼ぶ。

◆黄帝は東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。
 しかし、黄帝時代(今から約5000年前)以前の約6000年前から始まる三皇(さんこう)時代には、黄帝が研究した医学をあらわすことができる漢字は発明されていなかった。したがって、倉頡が漢字作成する目的は【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字を考案すること】であった。倉頡は【文字作成銀河(夏の銀河)の各部の形状と中国全土を包む海岸線の地宜(ちぎ/地図の形)を字源・字形・字義とする漢字】を創()くって、【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字の発明】に成功した。〔注 倉頡が創った始原漢字は「書契(しょけい)」と名づけられた〕。
 したがって、【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる生命の神秘を合体して誕生した学問(学術)】であった。
 わが国には、倉頡が漢字を発明した黄帝時代から約1000年後の、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が伝来して習得された。
 この【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸が習得された歴史】は、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回・5回と14回・15回の4回で詳細に解説し証明したように――『魏志倭人伝』の中半に登場する「女王国より以北の名称不明の海上に浮かぶ皆倭種なりの一小国と侏儒(しゅじゅ)国・裸()国・黒歯(こくし)国、この4小国の東南に所在して船行一年にして参問(さんもん)できる、周旋(しゅうせん)五千余里ばかり」と説明する76字の記事は、今から約4000年前の後期縄文時代初頭、わが国は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸を習得した歴史】を記述するものであったことになる。
 『魏志倭人伝』には、34ヵ国の小国が登場する。
 上記した4小国以外の対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までの30の小国名をもって、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明している。要するに、黄帝が作った医学書『内経』は残っていないが――卑弥呼は30の小国名をもって理路整然と『内径』にて説明されていた医学知識を復興して説明することにした。というのも、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を政権基盤として倭人国を支配し統治するものであったからである。このため、卑弥呼は30の小国名をもって【黄帝がつくった医学書『内径』で説明された研究成果と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然とあらわす学術体系を構築(こうちく)した。
 したがって、『魏志倭人伝』に列記された対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までの30ヵ国の小国名によって――黄帝がおこなった主なる医学研究は「子どもの出産と女性の生殖器官」であった――という事実が明確となる。
 つまり、卑弥呼は――対馬国から狗奴国までの30ヵ国の各小国の地宜と原初漢字(つまり、字源・字形・字義となる文字作成銀河各部の形状)が合理となるように――各小国名を定めて、【倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明できる一つの統合体組織論を考案して「倭人国」という国家と王朝を創設した。
 だから、卑弥呼の30ヵ国の小国名の理路整然とした統合体組織論の説明によって、【黄帝が作った医学書『内経』で説明された主なる医学研究は「子どもの出産と女性の生殖器官」】であったことが明確となる。
 【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる生命の神秘を合体して生まれた学問(学術)】であったことは、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読解すると一点の矛盾点もなく系統的な合理が構築されて手に取るように明白となる。この証明は、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は前回(21)までにおいて、詳細に具体的に科学的におこなってきた。
 前回では21番目国の鬼()国と12番目の都支(たき)国の小国名と地宜(ちぎ/平面的に図化した地図の形)は「黄帝の男性の生殖細胞の精子と女性の生殖細胞の卵子についての考え」をあらわすものであったことを詳細に解説して証明した。

◆わが前回のブログの末部にて、12番目の都支国(旧国志摩をのぞく、現在の三重県)13番目の弥奴(みな)(旧国の尾張、現在の愛知県西部)の両国は、[]の字源「カンムリカイツブリ」で共通することを指摘した。
 下に、21番目の鬼国と12番目の都支国と13番目の弥奴国、また14番目の好古都(こかた)(旧国の三河、現在の愛知県東部)15番目の不呼(ふこ)(旧国の遠江、現在の静岡県西部)の地宜(ちぎ/平面的に図化した地図の形)と範囲を示した。
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 12番目の都支国と13番目の弥奴国の両国における[]の字源「カンムリカイツブリ」の共通性について前回のブログと重複(ちょうふく)するが、これから要約して説明することにする。
 黄帝陵(こうていりょう)、つまり黄帝を祭る廟と墓は北緯3535分に位置する。
 〔注 わがブログは前回(21)まで、黄帝陵の緯度を北緯3536分と記していた。しかし、あらためて調査すると、北緯3535分が正しいことに気づいた(1分だけ違っていた)。今回から、黄帝陵の緯度を「北緯3535分」とする〕。
 現在と卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)と漢字が起源した約5000年前の黄帝陵の天頂にめぐってきた銀河部は相違する。
 「歳差(さいさ)」という天文現象にのっとると、黄帝時代の黄帝陵(北緯3535)の天頂にめぐってきた銀河部を算出して再現することができる。
 下の銀河図に、(1)卑弥呼時代と(2)現在における黄帝陵の天頂にめぐってきた緯度線を表示した。
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 下に配した上図に、黄帝時代に黄帝陵(北緯3535)と、中国南部の太湖(たいこ)南岸(北緯31)の天頂にめぐってきた緯度線を表示した。
 下に配した下図は、黄帝が研究した女性の生殖器官の正面形図である。
 上図に示すように、黄帝陵の天頂緯度は()西の「北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)の北端」から約1度の北の銀河部と、()東の「十字の銀河の頭部中央」に支(わか)れる。ゆえに、卑弥呼は「都(黄帝陵)の天頂緯度線が西と東に支れる」ということで「旧国の志摩を除く、現在の三重県」の小国名を「都支国」と定めた。
 黄帝は、下に配した下図における女性の生殖器官における左右一対の「卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)・卵管采(らんかんさい)と卵巣(らんそう))を「都(黄帝が居住する本拠地・黄帝陵付近の地域)の天頂」に見立てて、「目に見えない、微小の精子と卵子の象(かたち)」を想像した。
 つまり、黄帝は目に見えない・微小な「男性の生殖能力(今日でいう生殖細胞)と女性の生殖能力の象(かたち)」は、「北天の最輝部」と「十字の銀河の頭部が被(かぶ)るカンムリのような象」をしていると想像した。
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◆「北天の最輝部」というのは、国際的天文学における名称である。「北天の最輝部」とは「北半球に住む人々が最も輝いて見える銀河部」ということである。「北天の最輝部」は「美しい朱鷺色(ときいろ)あるいは桃色をおびて、銀白色に輝く」ゆえ、「銀河」または「銀漢」の語源となった。
 下に、「北天の最輝部」を示した。
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 下に図示したように、「銀白色に輝く、北天の最輝部の形」を、黄帝は「情熱的な求愛ダンスをするときのカンムリカイツブリのオスとメスが水面に対して直立姿勢となって足でバチャバチャと動かして水飛沫(みずしぶき)を浴びる姿に相似する」と見立てた。ゆえに、黄帝は「目に見えない微小な精子と卵子の象」は「求愛ダンスをするオスとメスのカンムリカイツブリの姿に相似する象をしている」と推定した。というのも――カンムリカイツブリの顔とノドは白く、頸(くび)以下の体下面は「北天の最輝部」のごとく銀白色に輝く。ゆえに、黄帝は「精子と卵子の象」は「北天の最輝部の形」のごとく、また「カンムリカイツブリのオスとメスのごとき姿」をしていると推定したのである。
 〔注 下の図における右側の「求愛ダンスをするカンムリカイツブリのオスとメスの図」は、今泉吉典監修者代表『イラスト・アニマル【動物綿密・生態画集】』(平凡社発行)143ページから転載した〕。
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 前述したように、今から約5000年前の黄帝時代において、黄帝陵の天頂に「十字の銀河の頭部の中央」がめぐってきた。
 下に示したように、「十字の銀河の頭部」と「真上から見た、女性の骨盤」の両者は180度向きが変わるものの、その形はたがいに相似しあう。したがって、「黄帝時代の天頂にめぐってきた、十字の銀河の頭部の中央の穴(暗黒天体部)」は「女性の骨盤口(骨盤腔/骨盤入口と骨盤出口)」の形に相似する。
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 下に、「十字の銀河の頭部が被(かぶ)るカンムリの図」を示した。
 黄帝は「十字の銀河の頭部」は「女性の骨盤」の形に相似すると見立てた。これゆえ、黄帝は「十字の銀河の頭部」は「女性の骨盤と生殖器官」と「カンムリカイツブリの巣」に相似すると見立てて、また「十字の銀河の頭部が被るカンムリ」は「北天の最輝部の形」に相似すると見立てた。さらに、黄帝は「精子と卵子の象(かたち)」は「北天の最輝部」と「十字の銀河の頭部が被るカンムリ」のごとく、また「求愛ダンスするときのオスとメスのカンムリカイツブリの姿」のような象をしているにちがいないと推定した。ゆえに、黄帝は「精子と卵子の結合」を「受精(じゅせい)」と定めた。
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 下に「女性の骨盤の上から見た図」を90度転回した図を配した。
 「女性の骨盤」は、前掲(ぜんけい)した「女性の生殖器官(卵管・卵管膨大部・卵管采・卵巣・子宮・産道)などの大半」を包囲して衛(まも)る。
 女性の骨盤における「腸骨翼(ちょうこつよく)」は「恥骨結合(ちこつけつごう)」でつながって向き合う「カンムリカイツブリの一対・二羽・オスとメスのカンムリカイツブリの横顔」に相似する。
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◆前述したように、「カンムリカイツブリ」は「卑弥呼」の[]の字源・字形・字義となった。『魏志倭人伝』に登場する12番目の小国は「都支国」、13番目の小国は「弥奴(みな)国」である。これまで解説してきたように、「黄帝が〔精子と卵子の象(かたち)〕を〔[]の字源の求愛するときのオスとメスのカンムリカイツブリの姿〕に相似すると推定したこと」にもとづいて、卑弥呼は「伊勢と熊野」の小国名を「都支国」と定めた。また、「女性の骨盤の腸骨翼(ちょうこつよく)の形」は[]の字源「カンムリカイツブリの横顔」に相似する。だから、12番目の「都支国」と13番目の「弥奴国」の両国は[]の字源「カンムリカイツブリ」で共通しあうようにして、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官」の医学研究】を理路整然と説明できるようにした。
 論より証拠に、下に配した図が示すように、13番目の「弥奴国」の「旧国の尾張、愛知県西部の地宜(ちぎ/地図の形)」は[]の字源「求愛ダンスをするときの、カンムリカイツブリの姿」に相似する。
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 黄帝の医学研究において――子宮で育つ胎児は、長い月日も羊水(ようすい)に潜(もぐ)ったまま呼吸できないにもかかわらず、なぜ窒息死(ちっそくし)しないのか?――この疑問が解明できなかった。そこで、黄帝は「子宮の羊水に潜って育つ胎児」を「人間よりも長い時間水中に潜ることができるカンムリカイツブリや鳰(にお/カイツブリ)」で譬(たと)えることにした。つまり、黄帝は「子宮の羊水に潜って育つ胎児」は「カンムリカイツブリや鳰よりも羊水に長時間潜っても窒息死しない能力」を有すると考えた。だから、「カンムリカイツブリ」は[()]の字源・字義となり、「鳰」は[()]の字源・字義となった。
 カンムリカイツブリは中国の河口や沿岸部、河川、湖沼(こしょう)、湿原(しつげん)などで生息する。カンムリカイツブリは長時間潜水するゆえ「八丁もぐり」という俗称がある。わが国には冬鳥として、北海道・本州・九州・琉球などに生息する。
 鳰は頻繁(ひんぱん)に水中に潜る。全身の羽は油をよく含んで密にはえているので、体を水に浮かせ、また水中でも体は水に濡れない。鳰は最も水と深くかかわって生活し、中国・日本において一年中生息する留鳥(りゅうちょう)である。
 カイツブリ目カイツブリ科に分類される鳥類において、カンムリカイツブリの全長(4661センチとほぼ同じ全長(4661センチ)のアカエリカイツブリは、中国と日本において冬鳥として飛来する。
 また、中国と日本の冬鳥として飛来するカイツブリ目カイツブリ科に分類される鳥類には、ハジロカイツブリがいる。鳰の全長(2529センチ)、ハジロカイツブリの全長は30センチほどで鳰よりも少し大きい。
 カンムリカイツブリの頭上には緑色をおびた黒色で両側に各1個の羽冠(うかん)があり、頸の周囲には赤い褐色の房状の飾羽(かざりばね)がある。
 ハジロカイツブリの顔には美しい栗色の飾羽があり、眉の部分は橙黄色(とうこうしょく)となる。
 妊娠6か月くらいの胎児の平均身長は約30センチであるゆえ、鳰やハジロカイツブリの全長とほぼ同じとなる。
 〔注 新生児の平均身長は4452センチぐらいである。ゆえに、カンムリカイツブリとアカエリカイツブリの全長とほぼ同じである。だから、「カンムリカイツブリとアカエリカイツブリ」を黄帝は「新生児」に見立てたと考えることは禁物となる。なぜならば、黄帝は[]の字源「カンムリカイツブリの姿」は「目に見えない微小の、精子と卵子の象(かたち)のごとく」と想像したからである。〕

 上記したように、「なぜ、胎児は子宮内で長い月日、羊水に潜っていても窒息死しないのか?」の疑問は、カイツブリ目カイツブリ科に分類される鳥類で譬えられることになった。
 しかし、この譬えは「疑問を完全に払拭(ふっしょく)できない、結局、解明できない、最もむずかしい問題」ということになった。ゆえに、「むずかしい」をあらわす[]の字が作られることになった。[]の左の偏は「漢字」の[]の旁(つくり)部である。[]の右側の旁部の[(すい)]の字を、卑弥呼が始め歴史上に登場する約60年前の西暦120年頃に成立した“字書の聖典”と呼ばれて尊重された『説文解字(せつもんかいじ)』は「鳥の短尾なるものの總名(そうめい)なり」と解説する。鳰の尾は非常に短く、外観からはほぼ判別できない。したがって、「鳰」は[]を代表する小鳥であり、[]の右側の[]の字源・字義は「鳰とハジロカイツブリ」、[]の左側の字の字源・字義は「銀漢・北天の最輝部の形に相似すると見立てられた、カンムリカイツブリとアカエリカイツブリ」であったことになる。
 現在の医学においてつい最近まで、子宮内の胎児は長い月日羊水に潜って過ごしてもなぜ窒息死しないのかという問題は、黄帝同様に想像をめぐらすしかなかった。しかし、超音波検査技術の発達で子宮内の胎児の様子が観察できるようになって――胎児は必要な酸素はへその緒()と胎盤(たいばん)を通じて母親からもらっていることが判明した。胎児は肺呼吸をしていない。ゆえに肺呼吸しないから、胎児は羊水を飲んで窒息死しない。

◆前掲(ぜんけい)した〔弥奴国・尾張の地宜とカンムリカイツブリの図〕が示したように、「旧国の尾張、現在の愛知県西部の地宜」は――[]の字源「オスとメスのカンムリカイツブリが求愛ダンス(繁殖行動)するときに水面に垂直に立つ姿勢――に相似する。
 下に、「弥奴国」の[]の字源銀河「鬼の姿に似る銀河と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の図を配した。わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の19回で詳細に解説したように、[]の字源・原義は「子を主産するための母体のスゴイ強大な力」であった。
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 []の「カンムリカイツブリが求愛ダンスするときに、オスとメスが水面に垂直に立つ姿勢」になるには[]の「強大な力」が必要となる。「尾張の地宜」は[][]の両字の字源を示す「求愛ダンスするときの、強大な力でカンムリカイツブリが直立姿勢となる姿」に相似する。ゆえに、卑弥呼は「尾張」の小国名を「弥奴国」と定めたのである。

13番目の弥奴国・尾張(現在の愛知県西部)の東の隣国の三河(現在の愛知県東部)が、14番目の好古都(こかた)国であった。
 下に配した図の右上の[()]の契文形(けいぶんけい/甲骨文字の字形)について――白川静著『字統』は「女は母の形に作り、あるいは子を抱く形につくるものであって、婦人がその子女を愛好することを示す字である」と解説する。
 ゆえに、下の図が示すように、[]の字源は「十字の銀河」、[]の字源は「鬼の姿に似る銀河」であったことになる。また「十字の銀河の右手(西側の手)から鬼の姿に似る銀河の頭へ垂れる帯状の銀河」は「婦人が子女の頭を撫()でて愛好する(可愛がる)様子」をあらわすイメージとなる。
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 前述した「都支国」の解説において、黄帝は黄帝が居住した本拠地(黄帝陵付近の地域)の天頂にめぐってきた「十字の銀河の頭部」を「女性の子宮と産道」に相似すると見立てた。そして、「十字の銀河の頭部が被(かぶ)るカンムリ」を「卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)・卵管采(らんかんさい)と卵巣(らんそう)」に相似すると見立てた。
 下に「卵管膨大部・卵管采・卵巣の図」を配した。
 「卵管膨大部・卵管采」は「子女の頭を撫でで愛好する婦人の手」の形に相似し、「卵巣」は「婦人が撫でで可愛がる子女の頭」の形に相似する。だから、上に示した字源銀河と「卵管膨大部・卵管采と卵巣」は共に[]の字源であったことになる。
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 上記したように、「十字の銀河の頭部」は「女性の生殖器官のうちの子宮と膣(ちつ/産道)に見立てられ、「十字の銀河の頭部が被(かぶ)るカンムリ」は「女性の生殖器官のうちの卵管・卵管膨大部・卵管采と卵巣」に見立てられた。
 したがって、「(1)十字の銀河の頭部と、(2)十字の銀河の頭部が被るカンムリ」は「女性の生殖器官」に見立てられたことになる。
 この「女性の生殖器官の正面形」は、「ジャコウウシの顔の正面形にも相似する」と見立てられた。
 『説文解字』は[]の字源を「美なり」と解説する。
 前回(21)のわがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」でも解説したように――現在、カナダとグリーランドに生息する「ジャコウウシ」は氷河時代には、はるか南までを生息地域とし、約5000年前は黄帝が居住した本拠地(黄帝陵)周辺地域に生息していた。この「ジャコウウシ」は【倉頡発明した漢字作成理論】を象徴する聖獣となった。
 というのも、「ジャコウウシ」は天敵のオオカミに襲われると子どもを真ん中に隠し、百頭余りの群れが中央に背をむけて円陣を組んで防衛するゆえ、「ジャコウウシ」は「女性生殖器を包囲して衛(まも)る骨盤」と「女性の生殖器官」に見立てられたからである。
 下の図が示すように、「女性の生殖器官の正面形」は「ジャコウウシの顔の正面形」に相似すると見立てられて[]の字源となった。
 黄帝は「左右一対の卵管・卵管膨大部・卵管采」を「ジャコウウシの左右一対の角(つの)」に相似すると見立てた。また黄帝は「左右一対の卵巣」を「ジャコウウシの両耳」に見立てた。また黄帝は「子宮と膣(ちつ/産道)」を「ジャコウウシの顔」に見立てた。
 だから、「ジャコウウシの顔に似る女性の生殖器官」は[]の字源・原形・原義となった。
 これゆえ、『説文解字』は[]の字源「ジャコウウシの角と耳に相当する卵管膨大部・卵管采と卵巣」について「美なり」と解説したのである。
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 つまり、「うまい」が後世「美味い」と表記されることになった訳(わけ)は「ジャコウウシの肉を食べるとうまかった」からである。そして、「うつくしい」を「美」の字で表示されることになった訳は「黄帝が居住した本拠地(黄帝陵周辺地域)、つまり都はうつくしかった」と表現されることになったからである。あるいは「うつくしい」を「美」という漢字で記すことになった訳は「黄帝が居住した本拠地・都の天頂付近にめぐってきた“北天の最輝部”はうつくしい、また天頂にめぐってきた“十字の銀河の頭部とその頭部が被るカンムリの銀河”もうつくしい」ということであったことになる。
 下の図に示すように、「三河の地宜」は鳰(にお/カイツブリ)より少し大きい「夏羽のハジロカイツブリの姿」に相似すると見立てられた。
 というのも「渥美(あつみ)半島の南部」は「扇状(おうぎじょう)にひろがる金栗色(きんくりいろ)の美しい、ハジロカイツブリの飾羽(かざりばね)がある顔」に見立てられたからである。
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 下の図に示すように、「夏羽のハジロカイツブリの飾羽」は「女性の生殖器の卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)・卵管采(らんかんさい)の形」に相似する。「卵管膨大部・卵管采が、卵巣(らんそう)を撫でるように見える形状」は、前述した[]の字源「婦人が子女の頭を撫()でて愛好する(可愛がる)様子」をあらわすイメージとなる。
 これゆえ、前述したように――黄帝は黄帝が居住した本拠地(黄帝陵付近の地域)の天頂にめぐってきた「十字の銀河の頭部」を「女性の子宮と産道」に相似すると見立て、「十字の銀河の頭部が被(かぶ)るカンムリ」を[]の字源「卵管膨大部・卵管采と卵巣」に相似すると見立てた。
 ゆえに、「好古都国」の「古都」は「黄帝が居住した本拠地(黄帝陵付近の地域)」であったことになる。というのも、上記したように――黄帝が「子宮と産道」に見立てた「十字の銀河の頭部」が天頂にめぐってきた「黄帝が居住した本拠地」が「好古都国」の「古都」であったと考えるべきことになるからである。
 以上のごとく、卑弥呼は「黄帝の医学研究」と「三河の地宜」にもとづいて、「三河」の小国名を「好古都国」と定めたのである。

◆好古都国・三河の東の隣国は、遠江(とおとうみ)・現在の静岡県西部である。
 ゆえに、14番目の好古都国の次の15番目の「不呼(ふこ)国」は「遠江」であった。
 『説文解字』は「不呼国」の小国名に用いられる[]の字源を「鳥飛んで上翔(じょうしょう)し、下り来()らざるなり」、つまり「鳥・[]の字源「カンムリカイツブリ」が地上を飛び立って空を飛び下()りて来ないで去る」と解説する。
 いっぽう、白川静著『字統』は[]の字源に就いて――否定・打消しの「ず」に仮借(かしょく)して用いる。もと象形(しょうけい)で花の萼柎(がくふ)の形であるが、その義に用いられることは殆(ほとん)どなく、その本義には柎()などを用いる――解説する。
 黄帝は〔女性の生殖器官の正面形〕は〔花の生殖器官〕に類似すると見立てた。
 下に〔女性の生殖器官の正面形の図〕は〔花の生殖器官の図〕を配した。
 黄帝は「女性の卵管」は「花の花糸(かし)」に相似し、「女性の卵管膨大部・卵管采」は「花のおしべ」に相似し、「女性の卵巣」は「花のめしべ」に相似すると見立てた。ゆえに、黄帝は「おしべの花粉がめしべに付着する様子」から「卵管・卵管膨大部・卵管采を通過する精子が卵巣の卵子にむすびついて受精(じゅせい)となる」と考えたことになる。
 ゆえに、「女性の子宮」は「花の子房」に相似し、「子宮に宿る胎児」は「花の胚(はい)のう」に相当する。
 しかし、「女性の膣(ちつ」は「出産児が通過する産道」であるのに対して、「花の萼柎」は「花冠(かかん/花弁の集まり)をささえる台(うてな)」であるゆえ、両者は相似しない。
 だから、[]の字形「花の台・萼柎」を表現する図案となり、否定・打消しの「ず」をあらわすことになったのである。
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 下の図の右上に「転回方位」と示しているように――下の図は「倭国」の[]の字源「時計回りに90度方位を転回して西→北・北→東とする規定」にもとづいている。
 下の図に示す「遠江の浜名湖の地宜」は「花冠(かかん/花弁の集まり)の形」に相似すると見立てられた。
 「浜名湖の地図の形」を「花の形」に見立てると、[]の字源「花の台(萼柎)」は「浜名湖の支湖(しこ)の引佐細江(いなさほそえ)」となる。
 〔注 卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)と現代の浜名湖の地図の形は少し異なる。現代の浜名湖は外海(そとうみ)と通じる汽水湖(きすいこ)であるが、卑弥呼時代の浜名湖は近江・滋賀県の琵琶湖と同じく外海と通じていなかった。というのも、1498(明応7)825日の大地震のため、遠江国の荒井崎(あらいざき/現在の静岡県浜名郡新井町の今切)が破壊されて外海と通じることになったからである〕。
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 下に配した図は、現在の北を下、南を上にする、上南・下北図である。
 下の図に示したように――[]の字源「花の台」の形をして「引佐細江」の西岸の「寸座岬(すんざみさき)」は「人の鼻の形」となる。このため、「寸座岬より南()の大崎半島の付け根までと北()の引佐細江の北端までの形」は「人の横顔」に相似する。
 『説文解字』は「不呼国」[]の字源を「息を外()くなり」と解説する。
 下の図における「寸座岬より北側()の引佐細江の西岸」は「人が息を外()く口」に相当して、[]の字源をあらわす。引佐細江の北岸中央には都田川(みやこだがわ)の河口がある。「都田川の河口は上流から流れてきた水が外へ吐()き出す口」となる。ゆえに、「都田川の河口」も[]の字源をあらわす。
 都田川の河口の南にある「村櫛(むらくし)半島」は「長い人の顔」に相似するゆえ、「舘山寺(かんざんじ)の地宜」は「鼻」に相似し、舘山寺は東方の「内浦の地宜」は「人が息をはく口の形」となる。だから、「内浦」も[]の字源をあらわした。
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 上の図が示すように、[]の字源「花の台(萼柎)」に見立てられた「引佐細江」と、[]の字源「息を外くなり」の地宜となる「引佐細江周辺の湖岸の地図の形」によって、「不呼」ということになる。
 しかし、上の図に示した【1】「引佐細江周辺の湖岸」の[]の字源地宜と、【2】「花の形に相似する浜名湖」が[]の字源を示すゆえ、卑弥呼はむしろ【2】に注目して「遠州」の小国名を「不呼国」と定めたと考えられる。
 「浜名湖」が【2[]の字源を表示することになった解説・証明は、後述する。

◆前述したように――12番目の「都支(たき)国」の「都支」は、要するに「都(黄帝が居住した本拠地・黄帝陵数編地域)が“北天の最基部”と“十字の銀河の頭部”とに支(わか)れる」ということであった。
 ゆえに、13番目の「弥奴国の地宜」は「北天の最輝部」に見立てられて「都支」を表示することになり、14番目の「好古都国」の「古都」は「十字の銀河の頭部」をあらわして「都支」を示すゆえ、都支国と弥奴国・好古都国は「都」という共通点を有することになった。
 また「弥奴国の地宜」は[]の字源「カンムリカイツブリの姿」に相似し、「好古都国の渥美半島南端」は[]の字源「卵管膨大部・卵管采が卵巣を撫()でて愛好する様子」に「美しい金栗色の飾羽(かざりばね)を有するハジロカイツブリの横顔」に見立てられた。これゆえ、「弥奴国」と「好古都国」の両小国は「カイツブリ目カイツブリ科に分類された鳥」で共通する。
 15番目の不呼国は、都支国・弥奴国・好古都国の共通点「都支」つまり「北天の最輝部」と「十字の銀河の頭部が被るカンムリ」で共通する。黄帝は――「目に見えない微小の精子と卵子の形」は「求愛ダンスをするときの、オスとメスのカンムリカイツブリの姿」のごとくであると推定した。また、黄帝は「求愛ダンスをするときの、オスとメスのカンムリカイツブリの姿」は「北天の最輝部」と「十字の銀河の頭部が被(かぶ)るカンムリ」の形に相似すると推定した。
 下に配した上図は、「都支の銀河部」とされた〔都の天頂にめぐってきた西の「北天の最輝部」と、都の天頂にめぐってきた東「十字の銀河の頭部が被(かぶ)るカンムリ」の図〕である。前述したように、黄帝は「北天の最輝部」と「十字の銀河の頭部とその頭部が被るカンムリ」を「女性の生殖器官」に相似すると見立て、さらに「女性の生殖器官」は「花の生殖器官の形」に類似すると見立てた。下に配した下図は〔花の生殖器官図〕である。
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 卑弥呼は「浜名湖と引佐細江(浜名湖の支湖)」を黄帝が「女性の生殖器官に類似すると見立てた、花の生殖器官」に見立てたゆえ、「遠江」の小国名を「不呼国」と定めた。
 ゆえに、14番目の「好古都国」の「古都」が表示する「女性の生殖器官」と15番目の「不呼国」の[]の「花の生殖器官」は「生殖器官」で共通する。
 また、12番目の都支国、13番目の弥奴国、14番目の好古都国、15番目の不呼国の4小国は黄帝が「都支の銀河部」の形に相似すると見立てた「女性の生殖器」と、また黄帝が「女性の生殖器官」に類似すると見立てた「花の生殖器官」で密接に関連する。
 15番目の「不呼国・浜名湖の地宜」は「花の形」に相似し、「花の蜜を吸って生息する昆虫」は「蝶」である。ゆえに、16番目の「姐奴(つな)国の地宜」は「蝶の成虫の姿」に相似し、17番目の「対蘇(つさ)国の地宜」は「蝶の幼虫と成虫の姿」に相似し、18番目の「蘇奴(さな)国の地宜」は「蝶の幼虫の姿」に相似して、15番目の「不呼国・浜名湖の花の形」と密接に関連するように――『魏志倭人伝』には小国名の順序が理路整然となるように列記されている。
 このように、卑弥呼は小国名をもって【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明している。
 『魏志倭人伝』に列記された対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までの30の小国名によって――黄帝がおこなった主なる研究は「女性の生殖器官と子どもの出産」であった――ことが明確となる。
 卑弥呼は――対馬国から狗奴国までの30ヵ国の各小国の地宜と小国名に用いられる漢字の字源が合理になるように――各小国名を定めて、【倉頡が発明した漢字作成理論】が理路整然と説明できる統合体組織論を考案して「倭人国」という国家と王朝を創設したのである。
 だから、上記したように、卑弥呼の30ヵ国の小国名の理路整然とした統合体組織論の説明によって、【黄帝が作った医学書『内径』で説明されていた主なる内容は「女性の生殖器官と子どもの出産」】であったことになる。

◆わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の19回において、「不弥(ふみ)国」について詳細に解説して証明した。この「不弥国(九州の宗像地方)」の解説において、「不呼国・遠江」の[]の字源は「鳰(にお/カイツブリ)であると証明した。
 「鳰」は16番目から18番目までの3カ国、つまり「姐奴国・対蘇国・蘇奴国」の3カ国の小国名があらわす「蝶」とは関連しない。
 それゆえ、卑弥呼は「不呼国」という小国名で「花」をあらわし、16番目の「姐奴(つな)国」から以降の17番目の蘇奴(さな)国・18番目の対蘇(つさ)国・国20番目の華奴蘇奴(かなさな)国は「蝶の地宜の国々」とさだめて、卑弥呼は「花と蝶」という密接な関係を表示することにした。〔なお、19番目の呼邑(こお)国は「花の地宜」の小国である〕。
 しかし、15番目の「不呼国」の[]字源「鳰」は、13番目の「弥奴国」の「弥奴」の「カンムリカイツブリ」と、14番目の「好古都国」の[]の字源「ハジロカイツブリ」と共通する。つまり、三小国名は、共に「カイツブリ目カイツブリ科の鳥の種類」である。
 ゆえに、わがブログの19回にておこなった「不呼国」の詳細な解説・証明と一部分だけ重複(ちょうふく)することになるが、できるだけ簡約して「不呼国」の[]の字源「鳰」について、これから解説することにする。

 前述したように、『説文解字』は[]の字源を「息を外()くなり」と解説する。
 下に配した図における「杭州湾(こうしゅうわん)」には「銭塘江(せんとうこう)を流れてきた水が河口から杭州湾へ外き出される」ゆえ、『説文解字』の[]の「息を外くなり」に符合するため、「杭州湾」は[]の字源であった。
 そして、下の図に示したように、「杭州湾の地宜(地図)の形」は「水面に浮かぶ鳰の姿」に相似する。だから、「鳰」は[]の字源となった。
 このように、[]の字源は「杭州湾の地宜」と「鳰」であった。
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 下に配する〔杭州湾の東の外海を上にする地図〕にすると「杭州湾」は「遠江の浜名湖」と同様に「花冠(かかん/花弁の集まり)の形」に相似する。ゆえに、「銭塘江の河口に近い、杭州湾の奥(西部)」が[]の字源「花の台(萼柎)」となる。
 だから、卑弥呼は【1】「浜名湖の地図の形」を「花冠の形」に見立てて、また、前述した【2】「引佐周辺の湖岸の地宜」が[]の字源を示すゆえ、「遠江」の小国名を「不呼国」と定めたことになる。
 〔だから、「花の形の杭州湾」は[]の字源であったゆえ、上記したように、19番目の呼邑国は「杭州湾の形に似て、花の形をした地宜の国」であったことになる。〕
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 下に〔[]の字源地宜「引佐細江」と引佐町の金指・井伊谷地区の図〕に配した。
 浜名湖の支湖の「引佐細江の地宜」は[]の字源「花の台(萼柎)」の形をしている。この「引佐細江()」の北側は、静岡県浜松市北区の細江町(ほそえちょう)である。
 「細江町の行政区域を表示する地図の形」を、わたくしは「卑弥呼の地上絵」、または「建比良鳥(たけひらどり)の地宜」と名づけた。というのも「卑弥呼の地上絵」は、不呼国・遠江の豪族・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)とその一族が、卑弥呼が死去した240年頃から約20年後の260年頃~290年頃の約30年間を費やして作製した1千万坪の大鳥の地上絵だからである。『魏志倭人伝』は280年~289年に成立したとされる。したがって、卑弥呼の死・『魏志倭人伝』の成立・卑弥呼の地上絵の作製は、たがいにわずか20年しかちがわない同時代(3世紀)の出来事であったことになる。
 このような「1千万坪の細江町の大鳥の地上絵・卑弥呼の地上絵・建比良鳥の地宜」の北側は「引佐町(いなさちょう/浜松市北区引佐町)」である。
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 卑弥呼の死から約20年後から着手されて約30年間の月日をかけて作製された「1千万坪の大鳥の地上絵・細江町」の北側の「引佐町の金指(かなさし)と井伊谷(いいのや)地区」は「鳰(にお)の横顔と浮巣(うきす)の形」に設計されている。
 つまり――「引佐町の金指・井伊谷の地宜」が[]の字源「鳰」をあらわし、引佐町に隣接する「細江町は1千万坪の大鳥の地上絵である」ゆえ――「花の萼柎の形」をした浜名湖の支湖は「引佐細江」という名称にしたと示している。だから、「1千万の大鳥の地上絵」を作製した豪族・建比良鳥命は「引佐細江の地宜」の[]の字源と、「引佐町の金指・井伊谷の地宜」の[]の字源で、「遠江」の小国名は「不呼国」であったと証言している。
 下に〔引佐町の金指・井伊谷の地宜(上図)と鳰と浮巣(下図)の図〕を配した。
 下の図が示すように、「引佐町の金指・井伊谷の地宜」は「卑弥呼」の[]の字源「鳰」をあらわして「鳰の顔と浮巣の形」に、建比良鳥命は設計した。鳰は水草の茎(くき)を支柱(しちゅう)にして、草の茎や葉などで浮巣をつくる。[]の字源「杭州湾」の[(こう)]の字義「くい」は「浮巣をつくるときの支柱となる水草の茎」を「杭」と解釈するものであった。ゆえに、下の図における上図の金指地区の鳰の嘴(くちばし)は「水草の茎()をくわえる形」に、建比良鳥命は設計した。
 だから、『魏志倭人伝』と同時代に建比良鳥命が作製した「卑弥呼の地上絵・細江町の大鳥の地上絵」によって、「不呼国」の[]の字源は「花の形をした杭州湾」と「鳰」であった事実が証明される。
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◆下の図に示すように、細江町の大鳥の地上絵・建比良鳥の地宜は【1】「東部の両翼を有する大鳥の地宜」と、【2】「中央の出産児の地宜となる、都田川の沖積平野(ちゅうせきへいや)」と、【3】「象の頭と鼻の形に似る地宜」の三種類の地宜で組織されている。
 【1】「東部の両翼を有する大鳥の地宜」は()[]の字源「海抜〇(ゼロ)メートルの中国の海岸線」をあらわし、また、()[]の字源「カンムリカイツブリ」の形をした海岸線・地宜、つまり「山東半島の付け根から南北に伸びる海岸線はカンムリカイツブリの両翼をひろげた形」となる。また、前述したように、下の図における右上の引佐町の金指・井伊谷の地宜は()[]の字源「鳰の顔と浮巣に設計される地宜」となる。
 だから、「細江町の大鳥の地上絵・建比良鳥の地宜」には[][][]の字源をあらわす「中国海岸線の形」が設計されている。
 ゆえに、わたくしは「[][][]の字源をあらわす、1千万坪の細江町の地図の形」を「卑弥呼の地上絵」と名づけることにした。
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 上の図における【3】「象の頭と鼻の形に似る地宜のおける鼻息」、つまり「時計まわり西→北へ方位を90度転回させる象の鼻息」で「1千万坪の大鳥の地上絵」を動かすと――下に示した2図のうちの上図のごとく「1千万坪の地上絵の頭部()」は「反時計回りに、南(南東)→東」へ転回する。この反時計回りに〔南〕に位置した頭部()が〔東〕を向くようになる上側の「卑弥呼の地上絵」は、下側の図の「中国の全土を弥綸(びりん/洩れなく包む)する海岸線」(つまり、中国の海岸線地図)」に相似する。
 だから、「1千万坪の細江町の地上絵(卑弥呼の地上絵)」には、[][][]3字の字源をあらわす「中国の海岸線の形」が設計されていることになる。
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 上図の[][][]3字の字源を設計した「1千万坪の細江町の大鳥の地上絵」は――【1】卑弥呼時代において倭人国では正確に地図が作製できた、【2】また、卑弥呼王朝は精密な中国海岸線の地宜(地図の形)を知っていた、【3】そして、【正確な地図作製方法と精密な中国海岸線地図】は、今から約4000年前の後期縄文時代初頭(中国の夏代初頭)、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論と、夏音文字の学芸】とともに習得された――という日本古代史における学問史が科学的に証明できる重大な地図遺跡である。
 このような【1】【2】【3】の詳細の証明は、このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の先頭にて、「四千年前に日本には漢字が伝来した」というタイトルを表示して、紹介した『日本四千年の学問史』という書名の無料版電子書籍にて詳細に解説して証明した。
 また、【1】【2】【3】の詳細の証明は、このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」より前にて紹介した――kindle版『日本国誕生史の証明』と『大嘗祭の証明』に詳細に解説して証明した。この二冊とも読まなくても、二冊のいずかの一冊を読めば、【1】【2】【3】の秘密を詳細に解説して証明した。なお、両書はともに1000円である。

◆いままで解説し証明してきたように――卑弥呼は30の小国における隣国同士の小国名と地宜をもって【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究における共通点】で結びつけて、理路整然と【倉頡が発明した漢字作成理論】を説明するようにした。
 その証拠に、このブログ20回で11番目の「伊邪国・旧国丹波の地宜」は「女性の生殖器管を包囲する骨盤の正面形」に相似することを証明した。ゆえに、12番目の「都支国・旧国伊勢と熊野の地宜」は「女性の生殖器官における卵管采・卵管膨大部と卵巣」をあらわす小国名となる。ゆえに、両国は「女性の生殖器器官」で共通する。
 13番目の「弥奴国・旧国尾張の地宜」の[]の字源「カンムリカイツブリ」であり、黄帝は――黄帝が居住した本拠地・都の天頂付近にめぐってきた「北天の最輝部」は[]の字源「カンムリカイツブリの姿」に相似する――と見立てた。そして、黄帝は――「卵管・卵管膨大部・卵管采と卵巣がむすびついて受精(じゅせい)される、精子と卵子の象(かたち)」は「求愛ダンスをするときのオスとメスのカンムリカイツブリの姿」に相似する――と推定した。
 14番目の「好古都国・旧国三河の地宜」の[]の字は「ハジロカイツブリの顔にある飾羽(かざりばね)」を示した。「好古都国」の「古都」は「黄帝が居住した本拠地・都」が「古都」であり、また、[]の「ハジロカイツブリの顔の飾羽」は「女性の生殖器官における卵管膨大部・卵管采が卵巣を愛撫する様子」に相似することを示し、黄帝は――卵管・卵管膨大部・卵管采を通過した精子が、卵巣の卵子とむすびついて「受精する」と考えた――と、「好古都国」という小国名は伝えている。
 だから、13番目国の「弥奴国」と14番目の「好古都国」は(1)「黄帝が居住した本拠地(黄帝陵周辺地域)・都」と、(2)「卵管膨大部・卵管采と卵巣」と、(3)「カイツブリ目カイツブリ科の鳥の種類」の3点で共通する。
 15番目の「不呼国」という小国名の[]の字源「花の台(うてな/萼柎)」は「浜名湖の支湖・引佐細江の地図の形」となる。「不呼国」の[]の字源地宜は「浜名湖」である。というのも、「浜名湖」は「中国南部の呉の、杭州湾」と同様に「花の形」となるからである。そして、「不呼国」と小国名は――黄帝は「花の生殖器官」と「女性の生殖器官」は類似すると考え、「おしべの花粉がめしべに付着する様子」から「精子と卵子による受精」のヒントにした――と表示するものとなる。ゆえに、15番目の「不呼国」と13番目の「弥奴国」と14番目の「好古都国」は「黄帝の〔女性の生殖器官の医学研究〕」で共通する。
 15番目の「不呼国」は「花の形をした浜名湖と支湖の引佐細江の地宜の小国」であったゆえ――16番目の「姐奴(つな)国の地宜」は「花の蜜を吸う蝶の成虫」に見立てられた。また、17番目の「対蘇(つさ)国の地宜」は「蝶の成虫と蛹(さなぎ)の姿」に相似すると見立てられた。また、18番目の「蘇奴(さな)国の地宜」は「蝶の幼虫や蛹の形」に相似すると見立てられた。19番目の「呼邑(こお)国」は[]の「花の形をした杭州湾」に見立てられた。そして「華奴蘇奴(かなさな)国」は「花()と蝶の成虫の形」に相似すると見立てられた――ことになる。
 このように、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究をあらわすことができる文字を発明した倉頡の漢字作成理論】を順次に理路整然と説明できるようにして各小国を定めている。
 だから、「邪馬台」の「ヤマタイ」は「大和・ヤマト」に相似するから「邪馬台国は大和」であった、「ヤマタイ」という音は九州・築後の「山門・ヤマト」という音に似ているから九州が邪馬台国であったと主張する【字音遊びの新井白石の、邪馬台国説】を信仰する畿内説と九州説をとなえる学者たちのメディアを騙し、日本国民を誑(たぶら)かそうとする行為は「日本人の根源たる命と魂と精神(理性・知性)を凌辱(りゅじょく)する、空理空論の反(非)学術運動」であったのである。
 日本人よ! 邪馬台国説には騙されるなかれ!

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2021年6月13日 (日)

邪馬台国説はサギ・騙されるな・21

▼いわゆる「邪馬台国説」は日本人の根源たる精神・魂を破壊するデタラメ・サギである。邪馬台国説は真っ赤なウソであった! メチャクチャな空理空論であった!
 このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」が前回まで毎回証明してきたように――『魏志倭人伝』は、九州説と畿内説が主張するごとくの「邪馬台国研究」のための史料ではない。卑弥呼が居住した女王国は「邪馬台国」ではない。『魏志倭人伝』は「邪馬壱(やまい)国」と記す。
 『魏志倭人伝』は【中国では解明できなくなった、わが国で解明できることになった漢字の起源の秘密】を理路整然(りろせいぜん)と詳細に伝える書物であった。
 九州説と畿内説は【多数の誤読・作為・詐偽(さぎ/虚偽)・詭弁(きべん)】をもって、漢字の起源の秘密を具体的に理路整然と伝える『魏志倭人伝』を嬲(なぶ)り弄(もてあそ)び凌辱(りょうじょく)して抹殺する、欺瞞(ぎまん)・暴論であった。
 『魏志倭人伝』に1ヵ所も【文献批判】を加えずに、ただひとすら・いちずに忠実に『魏志倭人伝』の全記事を読解すると、愉快なほど芋(いも)づる式に次から次へと【中国では解明できなくなった、漢字の起源の秘密】が明確となる。
 新井白石(16571725)以来、邪馬台国説学者たちは「『魏志倭人伝』は【邪馬台国研究】のための史料である」と【誤読の空論・詐偽・詭弁】をもって、メディアを騙(だま)し日本人を誑(たぶら)かしつづけている――このような『魏志倭人伝』に記述された【漢字の起源の説明の抹消(まっしょう)は、実際に大罪を犯していないにもかかわらず大罪を犯した容疑で死刑が確定された冤罪(えんざい)をもって抹殺(まっさつ)されると同じ酷(ひど)い仕打ちをうけているとまったく同じと言わざるをえない。だから、冤罪で抹殺されようとしている『魏志倭人伝』に記述された真実、つまり【日本人の精神・魂の根源となった・漢字の起源の真実、世界史的にも絶対に抹消されてはならない真実】は日本人ならば当然まもらなければならない義務であり責務となる。
 だから、このブログでは、九州説と畿内説は【漢字の起源を伝える歴史とその真実】を凌辱して日本を破壊する空理空論・妄想(もうそう)である――この事実を徹底的に科学的に証明して暴露することにした。

★「倭人国の地理学」のトリセツ・30

◆『魏志倭人伝』を、ただひたすら・一途に頑固(がんこ)に全記事を忠実に読解すると、【漢字の起源の秘密】が鮮烈(せんれつ)に蘇(よみがえ)る。
 『魏志倭人伝』に記述された【漢字の起源の真相】を知るためには――当然、「わが国が最初に漢字を習得したには5世紀、あるいは6世紀である」という学界の定説は、現在、学問的にはもはや虚妄(きょもう)・空理空論である事実を知っていなければならない。
 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士は著書『字統』(平凡社発行)9ページの終わり3行目~10ページの始めから3行目において、「わが国の漢字音」と題して、次のごとく指摘する。
 「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
 下に配した〔漢字生長史〕が示すように、現存する最古の漢字音は《わが国が、夏代(かだい)初頭(後期縄文時代初頭)に習得した夏音文字の字音》であった。《わが国が夏代初頭に習得した夏音(かおん)文字は、中国に現存する最古の字音「上古音(じょうこおん)」の始まり・周代初頭》よりも約1000年も古い、現存する最古の漢字音である。他方、学界が「わが国が漢字を習得したのは5世紀~6世紀である」と主張する絶対的定説の漢字音だと、下に示す〔漢字生長史〕では最下部に配すべき最も新しい漢字音ということになるため、白川静著『字統』が指摘する西洋の音韻学の学問成果に反する空理空論ということになる。
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 上記した白川静著『字統』が「現存する最古の漢字音」と指摘する字音は、【わが国が後期縄文時代初頭(夏代初頭)・紀元前2070年頃~紀元前2050年頃に習得した夏音文字の漢字音】であった。この【現存する最古の漢字音の、夏音文字の字音】は、『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』などに多数残っている。
 中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝には――702年に派遣された第7回遣唐使が中国王朝に「後(のち)、稍(やや)夏音を習う」と伝えた――という記事がある。この遣唐使が告げた言は「壬申の乱の後、稍々(少しだけ)習う、つまり復興する」と意味した。702年の時点では『古事記』上巻に「稍々、夏音文字を習う」予定であったが、10年後の702年に成立した『古事記』上巻には〔音〕という注がついた夏音文字が多数記載されている。
 だから、「わが国が漢字を最初に習得したのは5世紀または6世紀である」と学界が主張し、ほとんどの日本人が信じる絶対的定説は、(1)『古事記』上巻に多数の夏音文字が習い・蘇(よみがえ)っている事実と(2)音韻学の成果に反する空論であったのである。

◆漢字は今から約5000年前、 黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)によって発明された。
 現在、【倉頡によって起源した歴史】は漢字が起源した中国では解明されていない。また、わが国でも「邪馬台国説」という低劣な空理空論のために解明できないことになった。
 【漢字が起源した歴史と事情】、言いかえると【倉頡を発明した漢字作成理論】を理路整然と手に取るように明確に詳細に説明していた書物が『魏志倭人伝』であった。
 ところが、あろうことか、新井白石以後の邪馬台国説研究によって『魏志倭人伝』に記述された【倉頡が発明した漢字作成原理】は排除されて闇に葬られた。
 でも、しかし、【倉頡が発明した漢字作成原理】はいまだ死に至らない、不死鳥である。というのも、【倉頡が発明した漢字作成原理】は『魏志倭人伝』に記述された【卑弥呼による30ヵ国の小国名に標示された理路整然とした説明】によって復興することができるからである。だから、『魏志倭人伝』の記事を忠実に読解すれば【倉頡が発明した漢字作成理論】は銀色に輝いて燦然(さんぜん)と蘇(よみが)える。

◆『魏志倭人伝』には「卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)、倭国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と具体的に説明した記事が、下記のごとく2ヵ所存在する。
 一つ目の記事は、【1】34字で「倭国の易卜に用いる辞(ことばと文字)は令亀(れいき)の法のごとく、つまり紀元前1300年頃の殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅に文字を刻む契文(けいぶん/甲骨文字)のような文字があった」と伝える記事である。
 二つ目の記事は67字で【2】「卑弥呼が文書の用いる漢字(夏音文字)は魏の都・帯方郡・諸韓国が文書に用いる漢字(楷書)と差錯(ささく/相違)していた。このため、倭国の小国・伊都(いと)国の津(港)では、魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と卑弥呼が用いる夏音文字を一字一字点検し確認して正確に変換していた」と伝える記事である。
 上記した「わが国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と説明する二つの記事は、邪馬台国説によって無視・排除された。このため「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀、あるいは6世紀である」という空論が定説となった。
 だから、学者たちが上記した二つの記事を注目していれば――従来の「わが国は漢字を最初に習得したのは5世紀~6世紀である」という絶対的定説は否定され、さらに幾人かの学者たちによる『魏志倭人伝』の全記事を忠実に読解する方法によって『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』に最古の漢字音の夏音文字が記載されていると指摘されて「中国で解明できなくなった、【倉頡によって発明された漢字作成理論】」がとっくのむかしに解明できていたにちがいない。

◆中国でもわが国でも「文字」を「漢字」と呼ぶ。「銀河」の別称は「銀漢」であるゆえ「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた。
 この「漢字」の由来に気づいていれば――『魏志倭人伝』は【倉頡が発明した漢字作成理論】が理路整然(りろせいぜん)と説明されている書物である」ことが証明されていた。
 「漢字」は銀河(銀漢)の各部の形状から作られた。
 『魏志倭人伝』に記述されている【卑弥呼が用いた夏音文字】はもちろん、【魏都・帯方郡・諸韓国が用いた楷書】もまた同一銀漢から作られた。ゆえに、倭国の伊都国の港では【字源・字形の原形・原義となった銀漢各部の形状】を観察して、夏音文字と楷書を正確に変換していたことになる。
 天文学において「夏の全星座が漬()かる銀河の範囲」を、通称「夏の銀河」と呼ぶ。
 倉頡は、天文学で通称「夏の銀河」とよばれる銀河各部の形状を字源・字形・字義とする漢字作成理論を発明した。『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』にて「夏音文字の字音に用いられた記号となる楷書」も、夏の銀河各部の形状から作られた。
 ゆえに、通称「夏の銀河」を、私は「文字作成銀河」を名づけることにした。
 倉頡が漢字作成理論を発明した「文字作成銀河」の写真を、下に示した。
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 天文学はじめ諸々の学術分野において、《漢字の字源・字形の原形・原義》を解明できる〔文字作成銀河の各部の名称〕は定められていない。ゆえに、《字源となった銀河=字形の原形となった銀河=原義となった銀河》の解説と証明をする際に非常に不便となるゆえ、私は下図のごとく「文字作成銀河の各部の名称」を定めた。
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◆下記に列挙する〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕によって、【黄帝時代から殷代(いんだ)前半期の漢字】は【文字作成銀河各部の形状】となった。
 倉頡はみずからが発明した漢字の学芸は強大な権力・莫大な富・最高の名声を手に入れることができる王政をささえる最強・最大・最良の権力基盤であることに気づき、この学芸知識を反体制側の人々が習得すると王朝は容易に崩壊・滅亡するにちがいないと心配して、下に示す〔三つの死刑と定めた掟〕を定めた。
■倉頡が死刑と定めた三つの掟
1】「文字は銀漢(夏の銀河)各部の形状から作られた」という秘密を暴露した者とその一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
2】多くの文字を容易に覚えるため、銀漢(夏の銀河)各部に名称をつけた者とその一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
3】書いた文字が用済みになったならば、文字を消さない者また消し忘れた者も許さず、その者の一族全員にも神罰を下して死刑にする

 五帝時代の原初漢字の書契(しょけい)・次の夏代の原初漢字の夏音文字・次の殷代前半の原初漢字は上記した〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕を厳重にまもった。したがって、上記した【3】の掟を厳重にももったゆえ、五帝時代の書契・夏代の夏音文字・殷代前半の原初漢字を書いた資料はいまだ一点も発見・出土しないことになった。
 紀元前1300年に出現した殷代後半の甲骨文字においては多数の文字数となったため、いちいち【3】の掟をまもるのが非常に面倒(めんどう)となって守らなくても死刑は免除されることになった。ゆえに、甲骨文字によって始めて【3】の掟は破られたため、甲骨文字を書いた資料が多数出土した。
 「漢字」は《字源・字形・字義・字音の4つの要素》から成立する。
 現在においても、《今から約4000年前にわが国が習得した最古の漢字音を伝える、夏音文字の字源・字形・字義》は(1)《文字作成銀河の各部の形状》と、(2)《中国の海岸線地図》と、(3)《日本列島各部の地図の形》によって成立する。また、《夏音文字の字音》は『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』に楷書を音符にして多数残っている。したがって、「夏音文字」は4つの要素《字源・字形・字義・字音》がそろっているゆえ、「文字」と定義すべきことになる。
 現在、「漢字の最も古い祖型」とされる夏音文字より約750年後の殷代後半に出現した甲骨文字は《字源・字形・字義》の3つの要素がそろっているが、《字音》が不明である。
 このように、4つの要素がそろっていない不完全な甲骨文字を学界は「文字」と定義しているゆえ、4つの要素がそろう夏音文字は、当然、「文字」と定義すべきことになる。
 なお、「甲骨文字」をわがブログでは「契文(けいぶん)」と呼ぶ。

◆前回までわがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」が繰り返して詳細に解説し証明してきたように――倉頡は[()]の字を創(つく)って「黄帝の居住地(陝西省黄陵県の黄帝陵近くの地所)から見える地平線より外の、遠くの地域における方位規定を時計回りに90度ずつ転回する」と定めた。
 この[]の字源・字義をそのまま[()][()]の字は受け継いだ。
 だから、『魏志倭人伝』の冒頭記事「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」における先頭字の――[]の字は倉頡が創った[]の字源・字義を受け継ぐものであるゆえ、本州・日本列島の方位規定は時計回りに90度転回する――と説明していたことになる。
 現在は、「【1】対馬国(長崎県対馬)と一大国(長崎県壱岐)の地図と【2】本州・日本列島地図における【1】【2】の〔北〕の方位は同じで天の北極がある方角」と定まる。
 しかし、【倉頡が発明した漢字作成理論】を政権基盤とした卑弥呼王朝では、【1】と【2】の両者の〔北〕は同じ〔北〕ではないと考えていた。つまり、卑弥呼王朝は――【1】対馬国と一大国の〔北〕は現在方位と同じく〔北〕である。しかし、【2】本州・日本列島地理においては、現在方位で〔西〕にある九州は時計回りに90度転回して本州・日本列島の〔北〕に所在すると定め、現在方位で九州の〔東〕に所在する東海地方(愛知県・静岡県)は時計回りに90度転回して本州・日本列島の〔南〕に所在する――と定めていた。
 だから、【2】の[]の字源・字義をあらわす転回方位規定にもとづいて、卑弥呼は国号を「倭人国」と定めた。
 下に、『魏志倭人伝』に記述された――[]の字源にもとづいて卑弥呼王朝が制定した転回本州・日本列島地理と倭の34小国の位置と範囲の日本列島地図を配した。
 下の図の日本列島の海岸線は中国の約3倍の長さを有し、しかも中国の海岸線よりも細密である。ゆえに――今から約4000年前の後期縄文時代初頭にて【倉頡が発明した漢字作成理論と夏代初頭の夏音文字の学芸】が習得された学術は日本列島の細密で3倍も長い複雑な海岸線によって、中国の各王朝とわが国の王朝が独占管理して厳重な機密とした王政の政権基盤であった【学問、つまり倉頡が発明した漢字作成理論】が保存されることになったのである。
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◆漢字が作られた文字作成銀河(夏の銀河)のいちばん東の端に、下に示した「三つ輪の銀河」が所在する。その西隣は「十字の銀河」である。「黄色く輝く、三つ輪の銀河」は「月の光に照らされて黄色く輝くゴビ沙漠」のイメージとなった。ゆえに、「黄色く輝く、十字の銀河」は「月光にきらめく沙漠の砂」や、下図に示すように[]の字源「ゴビ砂漠における家畜の、フタコブラクダ」に見立てられた。[]の字源「フタコブラクダ」は【倉頡が発明した文字作成理論】を象徴する聖獣となった。だから、[]の字源「フタコブラクダ」は【倉頡が発明した漢字作成理論における基礎的知識】となった。
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 下の図に示すように、[]の字源となった「十字の銀河」は、黄帝や倉頡が生存した今から約5000年前の五帝時代初頭、中国全土の天頂にめぐってきて羅針盤(らしんばん)となった。つまり、「十字の銀河」は緯度(天頂緯度線)と経度(子午線)1度の60分の1分以内の誤差で精確にキャッチできる羅針盤となった。
 下図が示すように、黄帝時代の「十字の銀河」は「経度線と緯度線に対して邪(なな)め」であった。ゆえに、「十字の銀河」は[]の字義を示した。上記したように、「十字の銀河」は[]の字源でもあり、「十字の銀河の子宮」が[]の字源であった。
 だから、下の図の「黄帝時代の、十字の銀河(とその子宮)の様子」を、卑弥呼は【邪馬壱】と名づけて表示した。
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 卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ばまで)、出雲大社の南に「神門水海(かんどのみずうみ)」という湖があり、「神門水海」は「経度線と緯度線に対して邪(なな)めの馬・フタコブラクダの形をした湖」であった。ゆえに、「神門水海」は【邪馬壱】のうちの「邪馬」をあらわした。「出雲の佐太神社と松江市が所在する島根半島東部の地宜(ちぎ/地図の形」は[]の字源「十字の銀河の子宮」に相似した。ゆえに、現在の島根県の中心部の地宜(ちぎ/地図の形)は、「黄帝時代の中国各地の天頂にめぐってきた《十字の銀河と(その子宮)》の様子」を伝える【邪馬壱】という語をあらわした。
 卑弥呼は約2300年前の成立した【黄帝時代にて、倉頡が発明した漢字作成原理】を政権基盤と定めるものであったゆえ、【「邪馬壱」という語を示す島根県中心部】を倭人国の首都が所在する女王国と定めたのである。
 上の図に示したように、黄帝時代には黄帝陵・北緯3536分の天頂には「十字の銀河の頭部の中央部」が通過し、中国南部の太湖(たいこ)南岸・北緯31度の天頂には「十字の銀河子宮の南端」がめぐってきた。また、黄帝時代には黄帝陵の天頂には「鬼の横顔に似る銀河(四つ目の怪人・倉頡の銀河)の後頭部につく、大きく見開いた目の中央の瞳(ひとみ)の部位」が通過し、あるいは太湖の南岸の天頂には「鬼の横顔に似る銀河のアゴにつく細い切れ長の目の端」がめぐってきた。
 このような【黄帝時代に中国全土の天頂にめぐってきた銀河の範囲の情報】は【倉頡が発明した漢字作成理論】の基礎となる学識となった。
 というのも、〔歳差(さいさ)〕と呼ばれる天文現象によって、下図のごとく「卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)において、黄帝陵・北緯3536分の天頂にめぐってきた銀河」は、「十字の銀河」より南を通過していたからである。
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 卑弥呼時代における黄帝陵(北緯3536)の天頂にめぐってきた銀河は「鳥居の形をした中央部」であった(鳥居の貫(ぬき)と呼ばれる部分の下部)
 ゆえに、当時、上に示した【黄帝時代に中国全土の天頂にめぐってきた銀河状況】を知らないと【倉頡が発明した漢字作成理論】に関してまったく説明することができなったゆえ、結局のところ、無知無学ということになった。だから、【黄帝時代に中国全土の天頂にめぐってきた銀河状況】は【銀河(文字作成銀河)の各部の形状を字源・字形・字義と定めた倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】にて、真っ先に必要な学識であった。

◆上の図で示した【黄帝時代に中国全土の天頂にめぐってきた銀河における、十字の銀河と鬼の横顔に似る銀河の状況】は、【邪馬壱】という語で表示することができた。
 倉頡が漢字を発明した目的は【黄帝の「子どもの出産と女性の生殖器官」の医学研究】をあらわすことができる文字を作成することであった。
 これゆえ、前述したように、黄帝時代に中国各地の天頂にめぐってきた「経度線と緯度線に邪(なな)めの、十字の銀河(とその子宮)」は[]の字源「フタコブラクダ」となり、「フタコブラクダ」は「せまい産道をくぐりぬける出産児」をあらわす聖獣となった。
 下に図示したように、「せまい産道をくぐりぬける出産児の頭蓋骨の形状」は[]の字源「草をモグモグと食べるときのフタコブラクダの鼻・上アゴ・口・下アゴの各部分が邪めとなる動き」に相似するゆえ、「邪馬」となり、[]の字源「産道」が加えて、卑弥呼は【邪馬壱】と表現した。
 〔注 下の図に示したように、草を食べるときの「フタコブラクダの鼻の形」は「出産児の頭骸骨の小泉門(しょうせんもん)」、「フタコブラクダの上アゴ」は「出産児の頭頂骨(とうちょうこつ)」、「フタコブラクダの口」は「出産児の大泉門(だいせんもん)」、「フタコブラクダの下アゴ」は「出産児の前頭骨(ぜんとうこつ)」が互いに邪めとなる様子に相似した。この様子を、卑弥呼は「邪馬」と表現したのである〕。
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 上記したように、【邪馬】という語は「せまい産道をくぐりぬけることができる機能を有する出産児の頭」のことであり、【壱】の字源は「骨盤や女性の生殖器官」であった。
 下に示すように、「出産児の頭」の5枚の頭蓋骨(後頭骨・2枚の頭頂骨・2枚の前頭骨)は重ねあわせることができる仕組みになっている。ゆえに、狭い産道をくぐりぬけることができる。この「出産児の頭蓋骨の重ね合わせることができる機能(きのう)」を、今日、産婦人科では「広形(こうけい)機能」または「骨重積(こつじゅうせき)」と名づけている。
 つまり、「広形機能」または「骨重積」を、上記したように卑弥呼は「草をモグモグと食べるときの馬・フタコブラクダの鼻・上アゴ・口・下アゴの各部が邪めとなって動く様子」に相似するということで「邪馬壱」と表現した。
 下に示す「出産児の5枚の頭蓋骨中央」にある「小泉門・矢状縫合(やじょうほうごう)・大泉門」を、卑弥呼は【邪馬】と表現した。[]の字源は「(1)骨盤、(2)女性生殖器(子宮や産道)」であった。ゆえに「出産第一期・開口期(かいこうき)初めから出産第二期・娩出期(べんしゅつき)終わりまでの出産児の頭蓋骨と、母体の骨盤と生殖器官」を、卑弥呼は【邪馬壱】と表現した。
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 下に示すように、《今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝時代における黄帝陵(黄帝の陵墓/北緯3536)の天頂緯度線》は「邪馬壱(小泉門・矢状縫合・大泉門)の形をした銀河」を撫()でるように西から東へ貫通していた。
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 吉野ケ里遺跡が所在する九州にも、纏向(まきむく)遺跡が所在する大和・畿内にも、【邪馬壱】という地宜は存在しない。さらに、『魏志倭人伝』は女王国名を「邪馬壱国」と記載する。ゆえに、女王国名は「邪馬台国」であったと主張する九州説と畿内説は完全なる空理空論・妄想であった。
 吉野ケ里遺と纏向遺跡の規模に優っても劣らない天高き高層建築の出雲大社が建造された出雲には、上記した【「明確なる、邪馬壱」の形をした地宜】が所在した。だから、「邪馬壱の地宜」が所在した出雲が『魏志倭人伝』に記述された「卑弥呼が居住した女王国の邪馬壱国」であった。
 前述したように、倉頡が漢字を発明する目的は【黄帝の「子どもの出産と女性の生殖器官」の医学研究】をあらわす文字を作成することであった。
 倉頡は深遠なる銀河の神秘と黄帝が研究した深遠なる生命の神秘を合体させて【漢字作成理論】を発明した。これゆえ、卑弥呼は【倉頡が発明した漢字作成理論の核心】を【邪馬壱】という語であらわしたのである。

◆卑弥呼が黄帝時代の中国全土の天頂にめぐってきた「十字の銀河の形状」を表現した【邪馬壱】という語は、【狭い産道をくぐりぬける出産第一期・開口期の始まりから出産第二期・娩出期終わりまでの、出産児の頭の4回の回旋(90度の回転)のうちの第1回旋と第4回回旋】をヒントにして倉頡が創った[()]の「時計回りに90度転回する方位規定」をもあらわすことになった。
 〔注 【第2回旋と第3回旋】をヒントにして、倉頡は[()]の「反時計回りに90度転回する方位規定」をあらわすことにした。〕
 [][]が加わって[()]となり、人偏(にんべん)[]が加わると[()]の字となる。[][]は倉頡が創った[]の「時計回りに90度転回する方位規定」をそのまま受け継いだ。
 白川静著『字統』は、[]の字を「稲魂(いなだま)を被(かぶ)って舞う男女の姿で、禾穀(かこく)の象に従う字である」と解説する。また、同書は[]の字を「穀霊(こくれい)に象(かたど)る禾形の作りものを被って舞う女の姿をいう。(中略)。男女が稲魂に扮(ふん)して舞う農耕儀礼を示す」と解説する。また、同書は[]の字について「委はもと田舞(たまい)の状をいう字で、男が稲魂を被って舞うのは年、女を委という」と解説する。
 下に配した図が示すように、【邪馬壱】の語源となった「十字の銀河」は[][][]の字源・字形・字義であった。
 下の図に示すように、「十字の銀河の頭部が被る、冠(かんむり)に観える銀河」が「稲魂のかぶりもの」となる。「十字の銀河の、胴体の西側」には「乳房、妊婦のおなか、子宮」のイメージとなる箇所があるゆえ、「十字の銀河」は「女性の姿」に観える。「十字の銀河の左手(東側の手)を狩猟道具の弓の形を銀河」が隣接ゆえ、「十字の銀河の、東側半分の形」を注目すると、「十字の銀河」は「男性の姿」にも観える。
 ゆえに、白川静著『字統』の[][][]の字源解説文に登場する「男女が稲魂に扮して舞う農耕儀礼」は「十字の銀河を祭って踊るダンス」であったのである。
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 この「邪馬壱・十字の銀河を祭って稲魂をかぶって舞う男女の姿」にもとづいて、卑弥呼は「対馬(つしま)国から狗奴(くな)国」までの30の国々を、10ヵ国ずつ3グループに分けて【黄帝がおこなった「子どもの出産と女性の生殖器官」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然(りろせいぜん)とあらわしたのである。
 要するに、【11番目~10番目までの「対馬国~巳百支国」の10ヵ国の小国名によって――(1)倉頡が漢字を発明した目的は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】をあらわすことができる文字を作成することであった。(2)黄帝と倉頡が生存した五帝時代初頭の中国全土の天頂にめぐってきた「十字の銀河の状況」を、卑弥呼は「邪馬壱」という語であらわしたこと――が解明できる。ゆえに、「対馬国~巳百支国」までの10ヵ国グループは「邪馬壱グループの国々」ということになる。
 【211番目~20番目までの「伊邪(いや)国~華奴蘇奴(かなさな)国」の10ヵ国は、[]の字源「稲魂をかぶって舞う女の姿」にもとづく「女性グループの国々」となるように、卑弥呼は理路整然となる説明をもって分類している。
 【321番目~30番目までの「鬼()国~狗奴(くな)国」の10ヵ国は、[]の字源「稲魂をかぶって舞う男の姿」にもとづく「男性グループの国々」になるように、卑弥呼は理路整然となる説明で分類している。
 このように、『魏志倭人伝』は――卑弥呼は【黄帝がおこなった「子どもの出産と女性の生殖器官」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】と政権基盤と定めて天下を治めた。その証拠に、倭人国の対馬国から狗奴国までの30ヵ国の小国名を、上記した3つのグループに分けて、【黄帝がおこなった「子どもの出産と女性の生殖器官の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明できるように仕組みにした――と記述している。
 学者たちは――江戸時代中期に生存した新井白石(16571725)が「邪馬台国説」を立論して『魏志倭人伝』に始めて学問的研究を加えたと称賛する。しかし、白石がとなえた邪馬台国説の実体は科学的根拠の裏付けがまったく無い誤読の空論・真っ赤なウソであった。その証拠に、『魏志倭人伝』には「邪馬台国」という記事は1ヵ所も存在しない。
 『魏志倭人伝』は――(1)黄帝時代の中国全土の天頂にめぐってきた「十字の銀河(とその子宮)」を卑弥呼は【邪馬壱】とあらわし、また(2)【黄帝の「子供の出産と女性の生殖器官」の医学研究】を卑弥呼は【邪馬壱】とあらわし、また(3)倉頡は「フタコブラクダ」を[]の字源と定め、そして「馬・フタコブラクダ」は「出産児」をもあらわすと定めたゆえ、卑弥呼は「産道をくぐりぬける出産児」を【邪馬壱】という語であらわした――と説明する書物であった。
 わがブログは、今回までに「邪馬壱グループの10ヵ国」については解説し証明した。
 次回から卑弥呼が「女性グループ」に分類した10ヵ国の解説と証明をおこなった後、卑弥呼が「男性グループ」と分類した10ヵ国の解説と証明に着手する。
 【倉頡が発明した漢字作成理論】は、新井白石以後300年間も凌辱(りょうじょく)されつづけられて仮死状態となった。だから、このブログでは、約300年間も仮死状態となった【倉頡が発明した漢字作成理論】を習う、つまり蘇生(そせい)することにした。

◆『魏志倭人伝』は、倭人国の1番目の小国は「対馬(つしま)国」、2番目の小国は「一大国」と記す。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回で1番目の対馬国と2番目の一大国の名称の字源・字義と位置と範囲を詳細に解説し証明した。わがブログは17回でも、1番目の対馬国と2番目の一大国の名称の字源・字義と位置と範囲を解説し証明した。
 わがブログの18回は、3番目の末盧(まつろ)国と4番目の伊都(いと)国の名称の字源・字義と位置と範囲について詳細に解説し証明した。
 このブログは19回で、5番目の奴()国と6番目の不弥(ふみ)国と15番目の不呼(ふこ)国の名称の字源・字義と位置と範囲について詳細に解説して証明した。「卑弥呼」の[][]は不弥国の[]と不呼国の[]であるゆえ、「卑弥呼」という倭女王名は「中国全土をもれなく包みこむ海岸線」を意味することを詳細に解説して証明した。
 このブログは前回(20)にて、7番目の「投馬(つま)国」と8番目の女王国「邪馬壱(やまい)国」と9番目の「斯馬(しま)国」と10番目の「巳百支(じはき)国」と11番目の「伊邪(いや)国」、5ヶ国の名称の字源・字義と位置と範囲について詳細に解説し証明した。
 今回のブログでは、12番目の「都支(たき)国」の名称の字源・字義と位置と範囲を詳細に解説して証明する。このため、都支国の東に隣接する21番目の「鬼()国」の名称の字源・字義と位置と範囲についての解説・証明が必要となる。
 前述したように、『魏志倭人伝』は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を説明する書物であった。
 だから、当然、「都支国」という小国名には【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究についての説明】がそなわることになった。
 つまり、「都支国」という小国名には――()〔男性の生殖細胞の精子と女性の生殖細胞の卵子〕について、()子と孫へと受け継がれる〔遺伝子〕について、()子宮における[]の出来事によって妊娠の始まりの〔胎標(たいひょう)〕が起きるとした――黄帝の考えが秘められている。このため、「鬼国」の名称の字源・字義や地宜(ちぎ)の解明も必要となる。
 下に配した〔斯馬国から邪馬国の位置と範囲の図〕の右下の「旧国の志摩(しま)」が「鬼国」であり、「旧国の伊勢(いせ)」と記した「志摩を除く、現在の三重県」が「都支国」であったことになる。
 〔注 なお、実際は下図における伊勢の南部は旧国紀伊の東部である。また「鬼国・志摩」は「現在の三重県の東部」である〕。
K263
 下に配した21番目の小国となる〔旧国志摩の「鬼国」の地宜の図〕の上部に示した「志摩とその英虞湾(あごわん)の地宜」を、卑弥呼は「強いタカ()のヒナ()が、餌(えさ)が不足したときに、餌として食べる弱いヒナ」に見立てて、「旧国の志摩」の小国名を「鬼国」と定めた。この「同じ巣で育つ強いタカのヒナが弱いヒナを餌とする習性」は「弱肉強食の苛酷(かこく)で厳(きび)しい自然の摂理(せつり)」を示すものとなり、「神」は「鬼、鬼神(きしん)」と名づけられて恐れ敬(うや)まれそして尊ばれることになった。だから、「鷹」は黄帝時代の中国でもわが国おいても「自然界を支配する最高位(大王)」を象徴することになり、「鬼」の字源となり、「鬼神」という語となった。
 下の〔旧国志摩の「鬼国」と「都支国」地宜の図〕の下図に示したように、12番目の「都支国の範囲」は「伊勢と熊野(紀伊東部)、現在の志摩を除く三重県」である。また、「都支国の地宜」は「飛翔(ひしょう)する鷹の左翼(伊勢)・右翼(熊野)」に見立てられた。したがって、「志摩・鬼国(現在の三重県東部)の地宜」は「鷹の頭部(横顔)」に相似すると見立てられた。
K336
 現在、4番目の伊都(いと)国における糸島半島は、糸島市と福岡市に二分される。しかし、上の〔旧国志摩の「鬼国」の地宜の図〕の上図の左側に配したように――昭和の時代では糸島市は福岡県糸島郡の志摩町であった。この糸島郡の「志摩町」と「旧国の志摩」は同じ2字で表記される。ゆえに、「旧国志摩」は「伊都国」の「都」と解され、「伊勢と熊野」は「都(伊都国・志摩)から支(わか)れる国」ということも一つの要因で、「伊勢と熊野」は「都支国」という小国名になったと考えられる。

◆しかし、「都支国」という小国名になったのは――「鬼国と都支国の地宜」によって、黄帝がおこなった医学研究における「()精子と卵子、また()子と孫へ受け継がれる遺伝子、あるいは()子宮にておこる[]の出来事」が表示する――と卑弥呼が考えた、この卑弥呼の考えが主なる原因である。
 倉頡伝説では【倉頡が発明した漢字作成理論】は「鳥獣(ちょうじゅう)の足跡」と呼ばれた。「鳥獣の足跡」の「獣」は[]の字源「ジャコウウシ」と[]の字源「フタコブラクダ」であった。ゆえに、「ジャコウウシとフタコブラクダ」は【倉頡が発明した漢字作成理論】を象徴する聖獣となった。
 []の「フタコブラクダ」は、前述したように「(1)子宮で育つ胎児と、(2)狭い産道をくぐりぬける出産児」をも意味することになった。
 他方、「ジャコウウシ」は「(1)女性の骨盤と、(2)女性の生殖器官」をも意味することになった。その理由は、百頭以上が一団とされたジャコウウシの群れは天敵のオオカミに襲撃されると、子を真ん中に隠して、円陣を組んで防衛したからである。ゆえに、「円陣を作って防衛する、ジャコウウシの群れ」は「骨盤、つまり女性の生殖器官の大半を包囲する骨盤」を意味することになり、「真ん中に隠すジャコウウシの子」は「女性の生殖器官、つまり大半が骨盤内にある女性の生殖器官」を意味することになった。
 下に〔女性の生殖器の正面形と[()]の契文形の解説図〕を示した。
 「女性の生殖器官の正面形」は「ジャコウウシの顔の正面形」に相似すると見立てられた。「左右一対の卵管・卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)・卵管采(らんかんさい)」は「ジャコウウシの左右一対の角(つの)」に相似すると見立てられた。また、「左右一対の卵巣(らんそう)」は「ジャコウウシの両耳」に見立てられた。「子宮と膣(産道)」は「ジャコウウシの顔」に見立てられた。そして、「女性の生殖器」は[]の字源・字形・字義となった。
K472
 白川静著『字統』は[]の字源を「羊の全形。下部の大は、羊が子を生むことを羍(たつ)というときの大と同じ意で、羊の後脚をも含む形である」と解説する。
 現在、カナダとグリーランドに生息するジャコウウシは氷河時代には、はるか南までを生息地域として、ヨーロッパやアジアにも分布していた。動物学においては、ジャコウウシはヒツジ()に近い種とされる。ゆえに、別名は「ジャコウヒツジ」である。だから、白川静著『字統』の[]の字説は「ジャコウヒツジ」について解説するものであったことになる。
 今から約5000年前の黄帝時代、陝西省(せんせいしょう)の黄陵県(こうりょうけん)に所在する黄帝を祭る廟(びょう)と墓とされる黄帝陵周辺には、ジャコウウシが生息していた。ゆえに、司馬遷(しばせん)著『史記』五帝本紀には「黄帝軍が駐屯(ちゅうとん)するとき、軍兵は円陣を組んで自衛した」と説明する記事がある。ゆえに、「黄帝軍の軍兵は天敵オオカミに襲撃された時のジャコウウシに学んで円陣を組んで駐屯していたこと」になる。
 上に示した〔女性の生殖器の正面形〕は「ジャコウウシの顔の正面形」に相似すると見立てられたゆえ、[]の字源「ジャコウウシ」は「女性の生殖器」を意味することになった。
 そして、黄帝は「女性の生殖器における卵管采・卵管膨大部と卵巣の形状」を注目して、「()精子と卵子、()子と孫へ受け継がれる遺伝子」という概念(がいねん)を確立させた。
 下に配した〔卵管采・卵管膨大部・卵巣上体・卵巣の図〕が示すように、「卵管采・卵管膨大部と卵巣は男女が愛撫(あいぶ)して交わるような形状」をしている。ゆえに、「卵管采・卵管膨大部と卵巣の形」にもとづいて、黄帝は「精子と卵子の形」を推定した。また、「卵管采・卵管膨大部と卵巣が繋(つな)がる形状」から、黄帝は「精子と卵子には祖先・親・子・孫へと容貌や性格や遺志などを繋げ伝える遺伝子なるものが存在する」と推定した。
 [弥]の字源「カンムリカイツブリ」のオスとメスは頭部をもたげながら接近し、向かい合って頚部(けいぶ)を左右にふる情熱的な求愛行動をおこなう。その後、羽づくろいをしたり、たがいに巣材を回収するという複雑な求愛行動をおこなう。黄帝は「卵巣上体」から「鳥の羽」を連想し、「卵管采・卵管膨大部と卵巣の形」を「カンムリカイツブリの求愛行動」に相似すると見立てた。つまり、黄帝は「目に見えない小さな精子と卵子の形」は「求愛行動するときのカンムリカイツブリのオスとメスのような姿」をしていると推定した。
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 また、黄帝は「子と孫の顔や性格は両親や祖父・祖母に相似する」ことに注目して、「卵管采・卵管膨大部と卵巣のどこかで、遺伝子を有する精子と卵子は結合して人の命となる」、また「死産した子の命も、後日の精子と卵子が卵管采・卵管膨大部と卵巣のどこかで結合して蘇(よみがえ)る」と考えたにちがいない。というのも、「卵管采・卵管膨大部」は「蝶の成虫」のごとくに観え、「卵巣」は「蝶がとまって蜜を吸う花」に相似するからである。蝶の幼虫は蛹(さなぎ)となり、蛹は死骸・ミイラのごとくになるが、蛹からは命が蘇って美しい成虫の蝶となる。だから「卵管采・卵管膨大部と卵巣」を「美しい蝶と花」の見立てた黄帝は「卵管采・卵管膨大部と卵巣のどこかで、父母・祖父・祖母や先祖から受け継ぐ遺伝子を有する精子と卵子は結合して人の命となって蘇る」と考えたのである。
 白川静著『字統』は、[習]の字を「羽と曰(えつ)とに従う。曰は祝祷(しゅくとう)を収める器。この器の上を摺(す)って、その祝祷の呪能(じゅのう)を刺激し、そのような行為をくりかえすことを意味する字」と解説する。つまり、「卵管采・卵管膨大部・卵巣上体」は「羽」と見立てられ、「卵巣」は[曰]の「出産を祝い、子授け祈祷する祝祷に用いる器(土器)」に見立てられて、[習]の字は成立した。
 上記したように、黄帝は「カンムリカイツブリのオスとメスの姿に相似する精子と卵子は、蝶と花を連想する一対二つの卵管采・卵管膨大部・卵巣のどこかで結ばれて二つの卵となる。しかし、[鬼]の現象によって一つの標(胎標)となっていったん蝶の蛹(さなぎ)のごとくの死骸(ミイラ)のごとくなるが、蛹から美しい蝶が誕生する」がごとく、「母体が子を授かりたいという願いによって、蝶のごとく精子と卵子は人の命となって蘇る」と考えた。ゆえに、[習]の字は「祝祷の土器を羽で摺って(こすって)、呪能を刺激して蘇る(復興する)状況」をあらわすことになった。ゆえに、[習]の字義は「蘇る。復興する」となった。
 だから、前述したように、中国の正史『新唐書』日本伝にある「後(のち)、稍(やや)夏音を習う」という文は「壬申の乱の後、稍々(少々)、夏音文字を蘇らせることにした(復興することにした)」と意味したことになる。

◆下に〔「女陰」と「男性生殖器、つまり陰嚢(いんのう)と陰茎(いんけい/男根)の形に相似する夏の銀河の広大の範囲図〕を配した。
 前掲した〔文字作成銀河(夏の銀河)各部の名称図〕のおける右下の「胎児の姿に似る銀河・銀河の中心・巨龍の銀河の頭部・首部」は、「男性生殖器の陰嚢部」に相当し、「巨龍の銀河の首から尾まで(彦星の箇所)」までは「男性生殖器の陰茎)部」に相当して、「男根生殖器の形」にソックリとなる。
 この「男根生殖器の形をした銀河」の北側にある国際的天文学の名称「コールサック」と呼ばれる暗黒天体部は「女陰」のイメージとなる。
 これゆえ、〔「女陰」と「男性の生殖器」の形に相似する広大な夏の銀河像〕は「子どもを生むための性交」をあらわす。
K452
 「コールサック」の西側に国際的天文学の名称の「北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)」がある。「北天の最輝部」とは「北半球に住む人々が最も輝いて見える銀河部」の名称である。「北天の最輝部」は「美しい桃色をおびた、銀色に輝く」ゆえ、「銀河」または「銀漢」の語源となった。
 下に、〔今から約5000年前の黄帝時代において、中国全土(太湖の南の北緯30度の紹興市・卑弥呼時代の「会稽」から黄帝陵がある北緯35度36分まで)の天頂にめぐってきた銀河の範囲図〕を示した。この図が示すように、西の「北天の最輝部」は中国全土の天頂付近を通過し、東の「十字の銀河の頭部の中央」が黄帝陵の天頂にめぐってきた。
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 下に〔美しい桃色をおびた銀白色の「北天の最輝部」の図〕を配した。
 黄帝は「銀色に輝く、北天の最輝部」は「求愛行動するときの、カンムリカイツブリの姿」に相似すると見立てて、黄帝は「目に見えない微小の精子と卵子の形」は「北天の最輝部のような形」をしていると推定した。というのも、「カンムリカイツブリの顔とノドは白く、頸(くび)以下の体下面は銀白色に輝く」ゆえ、黄帝は「卵子と精子の形」は「白く銀白色に輝く北天の最輝部」のごとく、また「カンムリカイツブリのごとくの姿」のごとくであると推定したのである。
K451
 下の図に示したように、「銀色に輝く、北天の最輝部」は「情熱的な求愛ダンスをするときのカンムリカイツブリのオスとメスが水面に対して直立姿勢となって足で水をバチャバチャと動かして水飛沫(みずしぶき)を浴びる姿」に相似する。〔注 下の図における右側の「求愛ダンスをするカンムリカイツブリのオスとメスの図」は、今泉吉典監修者代表『イラスト・アニマル【動物綿密・生態画集】』(平凡社発行)の143ページから転載した〕。
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 前掲した〔[呉]の字源解説図と金文形〕と題した〔黄帝時代の中国全土にめぐってきた銀河図〕において、下の図に示すように――黄帝陵(北緯35度36分)の天頂には「十字の銀河の頭部の中央」がめぐってきた。
 黄帝は「十字の銀河の頭部」を「女性の子宮」と「カンムリカイツブリの巣」に見立て、「十字の銀河の頭が被(かぶ)るカンムリの形」は「北天の最輝部の概略形」に相似するのに注目して――黄帝は「精子と卵子」は「北天の最輝部」と「十字の銀河の頭が被るカンムリ」のごとくの形をしていると推定した。そして、黄帝は「精子と卵子は北天の最輝部の形に相似するカンムリカイツブリのオスとメスのごとく、情熱的な求愛ダンスをして結ばれる。だから、黄帝は「精子と卵子の結合」を「受精(じゅせい)」と定めた。
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◆黄帝時代、西の「北天の最輝部」は黄帝陵(北緯35度36分)の天頂より南約1度~約5.5度の天頂付近を通過し、東の「十字の銀河の頭部の中央部」は黄帝陵の天頂にめぐってきた。
 ゆえに、[都](黄帝陵)を示す銀河部は西の「北天の最輝部の少し北側」と東の「十字の銀河の頭部の中央部」に支(わか)れた。
 ゆえに、卑弥呼は「東の伊勢と西の熊野の地宜」の小国名を「都支国」と定めた。つまり、卑弥呼は――黄帝時代の黄帝陵(都)の天頂における「精子と卵子の形をあらわす銀河部」が「北天の最輝部の少し北側」と「十字の銀河の頭部が被るカンムリ」に支(わか)れる――ゆえ、「東の伊勢と西の熊野に支れる小国名」の名称を「都支国」と定めたのである。
 前回のブログで解説したように、10番目の小国「巳百支(じはき)国」の[支]は「天橋立(あまのはしだて)によって西の阿蘇海(あそかい)と東の宮津湾に支れる様子」をあらわした。
 『説文解字』は[阿(あ)]の字を「大陵を阿と曰(い)ふ」と解説する。「阿」という「大陵」は「黄帝陵」のことであった。前述したように、「阿蘇海」の[蘇(そ)]は「卵巣」を「花」に見立て「卵管采・卵管膨大部」を「花にとまって蜜を吸う蝶」に見立てて――「蝶はまるで死骸(ミイラ)のような蛹(さなぎ)になっても、その蛹から命が蘇って美しい成虫となる」という考えが[蘇]の字源となった。
 これゆえ、「阿蘇」は「不老長寿」を意味した。「北天の最輝部」は「美しい桃色をおびて白く輝く」ゆえ、「白桃(はくとう)」に見立てられた。中国において上古から現在まで、「桃」は不老長寿を与える植物として親しまれている。桃の原産地は中国の西北部の黄河上流の高山地帯とされるゆえ、[牛]の字源「ジャコウウシ」の生息分布地域であった可能性が大となる。
 下の図を配したように、「黄帝時代に黄帝陵の天頂にめぐってきた、十字の銀河の頭部中央の穴(暗黒天体部)」は「女性の骨盤口(骨盤入口と骨盤出口)」の両者が180度転回しあう形に相似する。
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 ゆえに、その頭部が「子宮を包囲してまもる骨盤の形」に相似し、また、その腰の部分に「子宮に相当する部分」を有する「十字の銀河」は、「子宮」の[宮]の字源となった。「十字の銀河」は「書契(五帝時代の原初漢字)や夏音文字を地面に書く聿(ふで)」に見立てられ、さらに、「十字の銀河」は「船を安全に泊(と)めることができる港」に見立てられて、「港」を意味する[津(つ)]の字源となった。
 したがって、天橋立の東の「宮津湾」の[宮]の字源は「十字の銀河」であった。[津]は「港(宮津市の港)が、外海より深へ入って波が低い湾の奥にある」ということで、天橋立の東の「湾」は「宮津湾」と名づけられた。

 以上のごとく、黄帝は、「精子と卵子」を「北天の最輝部と十字の銀河の頭が被るカンムリ」のような形をしていると推定した。さらに、黄帝は「北天の最輝部と十字の銀河の頭部が被るカンムリ」は「求愛ダンスをするカンムリカイツブリのオスとメスの姿」に相似するゆえ、「カンムリカイツブリのオスとメスが求愛ダンスをするがごとく、精子と卵子が結ばれて受精がなされる」と推定した。
 だから、黄帝が考えた「精子と卵子」や「受精」の意見に因(ちな)んで、卑弥呼は「伊勢と熊野」の小国名を「都支国」と定めたのである。
 ここまでの解説で、「()精子と卵子、()子と孫へ受け継がれる遺伝子」を証明した。
 後は残る「()子宮における[]の出来事」の解説と証明をおこなうことにする。

◆「倉頡が漢字を発明した」と説明した倉頡伝説は――太古、黄帝の時代に、倉頡という四つ目の怪人がいて、鳥獣の足跡をもって、はじめて文字を創り、古来の結縄(けつじょう)に代えたので、天は祝福して禾(か/穀物)を降らせ、死霊が感激して泣く声が夜な夜な聞こえることになった――と伝えるものであった。
 倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」は【倉頡が発明した漢字作成理論】をあらわす名称であった。というのも――カンムリカイツブリと鳰(にお/カイツブリ)を「子宮で育つ胎児」を象徴する「鳥」と定められ、牛・ジャコウウシは「骨盤・女性生殖器」を象徴する獣、馬・フタコブラクダは「せまい産道をくぐりぬける出産児」を象徴する「獣」と定められ、「十字の銀河の子宮」は「人間や動物が歩いた足跡」に相似すると見立てられた――ゆえ、【倉頡が発明した漢字作成理論】は「鳥獣の足跡」と名づけられた。そして、倉頡伝説に登場する「古来の結縄」は「約6000年前の三皇時代から始まる〔易卜に用いた記号〕」のことであった。また、「死霊が感激して泣く声が夜な夜な聞こえることになった」という説明は「三皇時代の包犧(ほうぎ)氏と女媧(じょか)氏と神農(しんのう)氏の死霊たちは、倉頡が夜に輝く銀河から文字を作る発明したゆえ、自分たちの歴史が後世に伝わるようになったと感激して泣く声が夜な夜な輝く銀河から作られた文字によって聞こえるようになった」と意味した。そして「四つ目の怪人の倉頡」は「漢字は夏の銀河(文字作成銀河)から作られた」と伝える説明であった。というのも、黄帝時代には中国全土の天頂に「鬼の横顔に似る銀河の顔に両目、鬼の横顔に似る銀河の後頭部とアゴにも二つの目がある、計四つの目がある四つ目の銀河」がめぐってきていたからである。
 下に、〔黄帝時代の「四つ目の銀河」と天頂緯度線の図〕を配した。下の図に示したように、黄帝時代、「鬼の横顔に似る銀河(四つ目の銀河)の後頭部にある、大きく開く目の中央」が、黄帝陵(北緯3536)の天頂にめぐってきた。また、「鬼の横顔に似る銀河(四つ目の銀河)のアゴにつく切れ長の細い目の目じり」が、中国南部にある太湖(たいこ)南岸の天頂
を通過した。
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 下に配した〔[][][]の字源銀河解説図〕に示したように、[]の金文形は――「四つ目の銀河における大きく開く目(鬼の横顔に似る銀河の後頭部につく目)から北アメリカ星雲にかけての範囲」が[]の字源銀河である――と示している。
 というのも、「北アメリカ星雲」は「耳の形」に相似すると見立てられて、[]の字源銀河であったからである。
 [][]が加わると[](えさ)の字となる。つまり、下の図に示したように、「四つ目の銀河(鬼の横顔に似る銀河)の大きく開く目と切れ長の細い目」は「強く大きく育ったタカ()のヒナの両目」に見立てられた。その「強い鷹のヒナの両目」がにらみつける「北アメリカ星雲」は「餌(えさ)がとぼしいために餓えた強い鷹のヒナが餌とする弱いヒナの顔」に見立てられた。というのも、「北アメリカ星雲」は「耳の形」に相似すると見立てられて、[]の字源となったからである。だから、[][]が加わって成立した[]の字源「北アメリカ星雲」は「強いヒナの餌となる弱いヒナ」をあらわした。
 鷹は14つの卵を産む。まれに、6卵産むことがある。産卵後に第1卵か第2卵を抱くので、ヒナの孵化(ふか)は同時でなく、ヒナに強弱ができ、強いものが生き残る。しかし、餌がじゅうぶんならば弱いヒナも育つという。メスが主として抱卵(ほうらん)にあたるが、オスも交替する種類(ノスリまど)がある。一般にオスがメスに餌をはこび、メスがちぎってヒナにあたえる例が多い。
 上記したように、[]の字源は「弱肉強食の自然摂理」の「鬼」をあらわした。
 その証拠に、前述したように、21番目の「鬼国・志摩の英虞湾(あごわん)の地宜」は「強い鷹のヒナが弱い鷹のヒナを餌とする形」にソックリである。
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 上の図で[]の金文形モデルとなった範囲「鬼の角(つの)と鬼の横顔に似る銀河の左目と後頭部につく大きく見開いた眼を包囲する銀河部」は「太った鬼の横顔がやせて小さくなった、つまり、鷹のヒナたちが餓(うえ)えた状態」を表現していると考えられる。つまり、その範囲は「子どもをののしっていう語〔餓鬼(がき)〕、あるいは相手をけなしてののしる語〔餓鬼〕」の語源であるにちがいない。

下の上図は〔「邪馬」、つまり小泉門・矢状縫合・大泉門がある出産児の頭蓋骨図〕である。「邪馬」に[]の「骨盤と産道」を加えて、卑弥呼は「邪馬壱」と表現して、倭国の首都が所在する王国の名称とした。
 下に配した下図は〔「邪馬(小泉門・矢状縫合・大泉門)の銀河図」である。
 〔「邪馬」の銀河図〕における「小泉門」の銀河部〕は、前掲した〔[][][]の字源銀河解説図〕における「強い鷹のヒナが弱い鷹のヒナを餌としてついばむ嘴(くちばし)」となる。出産は――出産児が「小泉門」を先進させて頭を90度時計まわりに横向きにして横長の母親の骨盤入口をくぐりぬける――開始される。だから、「出産」は「小泉門がせまい産道を先進して」成される。下の〔「邪馬」の銀河図〕のごとく、「小泉門」が「強い鷹のヒナの餌になる」と、「出産児は産道を進むことができず死ぬこと」になる。
 だから、「すべての出産児が死んでしまう! 不吉!」ということで、古代字形(契文・金文)では「くちばし」をあらわす字が作成されなかった。(また、「精子と卵子」に見立てた「卵管采・卵管膨大部と卵巣」にも、「くちばし」に相当する部分が無い)
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 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は19回の中半で、「胎児や出産児にはカンムリカイツブリや鳰のような〔くちばし〕が無い。だから、[弥]の字源となった「山東半島には〔くちばし〕に相当する地宜が無くても合理」、[呼]の字源となった「杭州湾(こうしゅうわん)にも〔くちばし〕に相当する地宜が無くても合理となった」と解説したが――ほんとうの原因は、上記した「強い鷹のヒナの〔くちばし〕が小泉門を餌にする銀河の形状」にもとづき、古代字形では〔くちばし〕をあらわす文字が作られなかったのである。

◆受精した卵(らん)が子宮の壁(かべ)に着床(ちゃくしょう)するまでを卵期(らんき)という。
 受精後10日めごろに、将来ヒトとなる胎標(たいひょう)ができる。卵から将来ヒトとなる胎標ができるまでを胎芽期(たいがき)という。
 生物学において、現在は否定されているようであるが、かつて世間一般的に、胎芽期において1個の卵がそのまま一人のヒトになると考えられていた。
 黄帝は――胎芽期に、一対・二つの卵管采・卵管膨大部と卵巣のどこかで精子と卵子が結合して、二つの卵が生まれる。しかし、二つの卵は〔[鬼]・強い鷹のヒナが弱いヒナを餌にする働き〕によって一人のヒトとなる胎標になる――と考えた。
 下に、〔胎芽期における胎標の図〕を配した。下の上図は〔受精後8日ごろの卵と子宮粘膜の図〕である。上図中央の「卵細胞」が分化して、下図のごとく〔受精後10日ごろ〕になると、その図の中央にある「胎標」となる。
 下の上下図が示すように、卵標は皿形の鷹の巣のような空所(くうしょ)の底にできる。その鷹の巣に相当するのは、子宮粘膜上皮・子宮粘膜組織である。下に配する上図の「子宮粘膜上皮と子宮粘膜組織の形(側身図)」は、前掲した〔旧国志摩の「鬼国」と「都支国」の地宜〕における「鷹の両翼のような形をした伊勢と熊野の地図の形、つまり都支国の地宜」に相似する。
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 【倉頡が発明した漢字作成理論】を象徴する聖獣と定めた[牛]の字源「ジャコウウシ」は「ふつう、一産一子」である。同様に、聖獣[馬]の字源「フタコブラクダ」も「ふつう、一産一子」である。人も同様に「ふつう、一産一子」である。だから、もしもジャコウウシとフタコブラクダが人と同様に一産一子でなかったならば、ジャコウウシとフタコブラクダを倉頡は【漢字作成理論】を象徴する聖獣に選ばなかったにちがいない。
 黄帝は「胎芽から子どもが誕生するまでの期間」を「約十ヵ月」をつきとめた。だから、黄帝時代において、「一」が十倍で「十」となり、「十」が十倍で「百」となり、「百」が十倍で「千」となり、「千」が十倍で「万」となる数の十進法が確立されたと考えられる。
 下に、再度〔旧国志摩の「鬼国」と「都支国」の地宜〕を配した。
 前述したように、〔胎芽期において「胎標」ができる空所〕は「鷹のヒナが育つ巣の空所(穴)」に相似する。
 また、〔胎芽期において子宮粘膜上皮と子宮粘膜組織の形〕は、下に配した図の「鷹の両翼の形に似る伊勢と熊野の、都支国の地宜」に相似する。というのも、「鬼国・英虞湾の地宜は強い鷹のヒナが弱い鷹のヒナを餌にしている様子」に観えるからである。
 だから、黄帝は――胎芽期に、一対・二つの卵管采・卵管膨大部と卵巣のどこかで精子と卵子が結合した二つの卵が〔[鬼]・強い鷹のヒナが弱いヒナを餌にする働き〕によって、一人のヒトとなる胎標になる――と考えたのである。 
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 司馬遷(しばせん)著『史記』五帝本紀は「黄帝は山川の鬼神(きしん)をまつって封禅(ほうぜん)した」と説明する。
 だから、「鬼神」の[鬼]の本義は「弱肉強食の自然の摂理」ではなかったことになる。[鬼]の本義は「胎芽期に、一対・二つの卵管采・卵管膨大部と卵巣のどこかで精子と卵子が結合して生まれた二つの卵が〔[鬼]・強い鷹のヒナが弱いヒナを餌にするような働き〕によって一人のヒトとなる胎標が形成される――と、黄帝が推定した「子宮において一産一子となる[鬼]の出来事」であったことになる。
 司馬遷著『史記』夏本紀は「帝禹(う)は衣食をうすくして鬼神への供物を豊富にした」と説明し、『魏志倭人伝』は「卑弥呼は鬼道を事(まつ)って能(よ)く衆(しゅう)を惑(まど)わす」と記述する。ゆえに、『魏志倭人伝』は「卑弥呼は【黄帝の「女性の生殖器と子どもの出産」の医学研究】からまつることになった鬼神の道(つまり学問)を政権基盤にして人心を集めて国家をまとめていた」と説明していたことになる。「惑わす」を「妖(あや)しくまどわす」と訳する人々がいるが、これは誤訳である。
 白川静著『字統』が「惑は国の初文」と指摘する。だから、[惑]は[国]の最初の字であったゆえ、卑弥呼が用いた夏音文字には「妖しくまどわす」という意味は有していなかったと考えるべきことになるからである。

◆1940年生まれの人は、2020年の誕生日で満80歳であるが、数えだと81歳となる。というのも、数えの年齢数は子宮で育つ10カ月間を1歳と数えるからである。
 下に、[数]の金文形を示した。[数]の金文形は「両翼をひろげる鳥」の下に[言]が加わる字となる。
 前述したように「都支国」の「都支」の語源となった「北天の最輝部の形」と「十字の銀河の頭部が被るカンムリの形」は、下に配した[数]の金文形上部の「両翼をひろげる鳥の姿」に酷似する。ゆえに、[数]の金文形上部の「両翼をひろげる鳥の姿」は「黄帝が考えた、精子と卵子の形」をあらわしていることになる。
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 前掲した〔女性の骨盤口と十字の銀河の頭の穴の図〕では――「女性の腹部側の骨盤口(骨盤出口)の形」は「十字の銀河の頭部の頭の北側の穴」に合致して、両者は180度転回しあう形となる。

だから、下に〔黄帝時代に黄帝陵の天頂にめぐってきた十字の銀河の頭部を下にする、逆さの(180度転回する)図〕を配した。この「逆さの十字の銀河」が[言]の字源となったと考えられる。
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 下に「逆さの十字の銀河」が[言]の字源となった解説図を配した。だから、前掲した[数]の金文形下部の[言]は、下の「逆さ十字の銀河」から作られた[言]「であったにちがいない。
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 胎芽期の胎標からから始まって約十ヵ月後に頭が誕生すると、出産児はすぐに呼吸をはじめた直後に声(泣き声)をあげる。この「泣き声」が、「この世に生まれた人の言(ことば)の始め」となる。
 したがって、[]の金文形の上の「両翼をひろげる鳥の図案」は黄帝が考えた「きわめて微小な人間の目に見えない精子と卵子の形」、下の[]は「出産児が誕生した直後にあげる泣き声」をあらわしているにちがいない。
 だから、前掲した[]の金文形は「数え年」の「子宮で育つ十ヵ月」をあらわしていることになる。

◆『魏志倭人伝』に列記される21番目は「鬼国」、12番目は「都支国」、13番目は「弥奴(みな)国」、14番目は「好古都(こかた)国」、15番目は「不呼(ふこ)国」である。
 下に示したように、鬼国と都支国は隣接しあって【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究】をあらわし、12番目の都支国は13番目の隣接する尾張(現在の愛知県西部)・弥奴国と相互に(連鎖的)に関連しあっている。
 また、連結する13番目の弥奴国と14番目の三河(現在の愛知県東部)好古都国と15番目の遠江(現在の静岡県西部)も理路整然となるように順番が意図的に決められている。
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 下に〔女性の骨盤における[弥]の解説図〕を配した。この図の女性の骨盤における「腸骨翼(ちょうこつよく)の形」は[弥]の字源「恥骨結合(ちこつけつごう)で向かい合う一対・二羽のカンムリカイツブリの横顔」に相似する。
 上に配した地図が示しているように、「都支国」の隣りは「弥奴国」である。ゆえに、「腸骨翼の[弥]のカンムリカイツブリの横顔」は都支国と弥奴国との両国で共通しあう。つまり、「黄帝が精子と卵子は求愛行動するカンムリカイツブのオスとメスの姿に似ていると推定したこと」にもとづいて、卑弥呼は「伊勢と熊野」を「都支国」と名づけた。「弥奴国の地宜」は「黄帝が精子と卵子の形を推定した、そのカンムリカイツブリの姿」に相似している。だから、卑弥呼は【倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明するために「都支国」の隣国の「旧国・尾張」の小国名を「弥奴国」と定めたことになる。
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 上の〔女性の骨盤における[弥]の解説図〕が示すように――恥骨結合で向かい合う腸骨翼の形は[弥]の字源「カンムリカイツブリの横顔」に相似する。ゆえに、この観点からも、黄帝は「精子と卵子の形は情熱的な求愛ダンスをするオスとメスのカンムリカイツブリの姿に相似する」と推定したと考えられる。

 石原道博編訳者『新訂 魏志倭人伝 他三篇』(岩波書店発行)は「都(郡)支国」と記載して、「都支国」は「郡支国」とも表記されたと注を加えている。ゆえに、「都支国」を幾人かの学者たちは「郡支国」であったと考える。
 白川静著『字統』の[郡]の解説には――〔釈名(しゃくみょう)、釈州国〕には「郡は群なり」と音義説がある――と指摘する。このように、[郡]が[群]となった事情は下記のごとくであった。
 上に配した図の「女性の骨盤」は「百頭以上が一団となる牛・ジャコウウシの群れが天敵のオオカミに襲撃された時に、子どもを真ん中に隠して組む円陣」に見立てられたゆえ、「女性の骨盤」は[群]の字源となった。また「いくつかの里が百頭余のジャコウウシが組む円陣のごとく多数群がって郡となる」ということで、「郡は群なり」となった。
 下に配した〔弥奴国・尾張の地宜とカンムリカイツブリの図〕が示すように――《「精子と卵子の形」は[弥]の「カンムリカイツブリのオスとメスの姿」に相似する》という「都支国」という小国名の由来となったと同じく、「弥奴国」もまた「カンムリカイツブリ」が小国名の由来となった。
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◆以上のごとく、「邪馬台国説」は『魏志倭人伝』とまったく無関係の空論であった。その証拠に、『魏志倭人伝』には「邪馬台国」を説明する記事が1ヵ所も存在しない。
 『魏志倭人伝』は、卑弥呼が居住した女王国は「邪馬壱国」であったと記す。【邪馬壱】という語は【倉頡が発明した漢字作成理論の核心】をあらわす。
 中国では解明できなくなったが――わが国では中国の海岸線よりも約3倍に長い海岸線を有し、その海岸線は文字作成銀河各部から作られた多数の文字の字源・字形・字義を正確に保存できるように細密であった。ゆえに、この細密の長い海岸線に多数の小国の境界線、さらに湖沼などの地宜が加わったゆえ、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究】をあらわすことができる文字を作成した【倉頡が発明した漢字作成理論】によって生まれた文字の字源・字形・字義となる銀河各部の形状を細密にして長い海岸線・小国の境界線・湖沼などの地宜で正確に保存することができたのである。
 だから、『魏志倭人伝』は「卑弥呼が【倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明していた」と伝える――世界的にも“人類共通の宝・文字の起源が科学的に解明できる奇跡の書物”であったのである。
 にもかかわらず、江戸時代中期、新井白石は真っ先に「『魏志倭人伝』の全記事を忠実に読む」という学問の鉄則を無視して、まったく根拠のないデタラメ・空想をとなえた。このような新井白石に対し、学者たちは「白石は始めて『魏志倭人伝』に学問的検討を加えた」と絶賛して、邪馬台国説こそが最も正しい意見であるとメディアを騙(だま)し日本人を誑(たぶら)かした。
 邪馬台国説は実に雑・ザツ! 論法は実にザツ! とにかく新井白石の邪馬台国説に合致する意見こそが最も正しいと主張する、この論法は実に雑・ザツ・ザツである! 
 その証拠に、白石の論法に従わずに『魏志倭人伝』を忠実に読解すれば芋づる式に続々と【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究】と【倉頡が発明した漢字作成理論】が解明でき証明できる仕組みになっている。
 邪馬台国説の実体は『魏志倭人伝』に記述された【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究】と【倉頡が発明した漢字作成理論】の説明を抹殺(まっさつ)する人類共通の敵であった。というのも、【文字の発明】は【地球的規模の人類の理性と知性の起源】であったからである。

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