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2021年6月26日 (土)

邪馬台国説はサギ・騙されるな・23

▼日本人よ! 日本全国民よ! 学者たちが主張するいわゆる“邪馬台国説”あるいは“卑弥呼”などの意見を著(あら)わす書物や教科書、またテレビ番組、漫画日本史なる類(たぐい)までにおよぶ学者たちの意見を、いっさい信じてはならない! というのも、それらすべてが真っ赤なウソ・欺瞞(ぎまん・ぺてん)だからだ! 
 江戸中期の新井白石(あらいはくせき/16571725)以来今日まで約300年、邪馬台国説学者たちは約2000字で構成される『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』という書物に自分勝手の独断的なデタラメを仰山(ぎょうさん)に加えて、“ここ掘れ掘れワンワン! 邪馬台国はここだ!”と自分はいかに利口(りこう)なのかと自慢し、“卑弥呼はかくかく、このような女性だった”とか作り話をデッチあげる書物をつくり、メディアを騙(だま)して図々(ずうずう)しくもテレビに出演し、役立たずの大法螺(おおぼら)を吹いて荒稼(あらかせ)ぎをし――日本人の尊厳を、日本人の根源的ないのちと魂と精神(理性を知性)を冒涜(ぼうとく)して、『魏志倭人伝』に記述された真実を抹殺(まっさつ)し、踏みつぶさんとしている。
 このような学者たちの真っ赤なウソに、日本全国民よ! まんまと騙されてはならない! 怒れ! 怒れ! 憤怒(ふんぬ)せよ! 日本全国民よ、邪馬台国説学者たちはあなたのいのちと魂の根元を侮辱し凌辱(りょうじょく)し嘲笑(あざわら)っているのだ!
 このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は前回(22)まで証明してきたように、神に誓って、『魏志倭人伝』は【邪馬台国研究】のための史料ではない。『魏志倭人伝』は新井白石以来約300年、学者たちの誰一人も想像しなかった【中国では解明できなくなった、漢字の起源の秘密】を理路整然(りろせいぜん)と詳細に明確に伝える書物であった。
 現在、メディアと大半の日本人たちは邪馬台国説学者たちに言いくるめられ誑(たぶら)かされて「『魏志倭人伝』は、邪馬台国を詳細に説明する書物である」と思い込んでいる。しかし、『魏志倭人伝』には1ヵ所も「邪馬台国」についての記事は存在しない!
 九州説と畿内説をとなえる学者たちは【多数の誤読・作為・詐偽(さぎ/虚偽・ぺてん)・詭弁(きべん)】を駆使(くし)して、世界的に第一級の重大な文献史料である『魏志倭人伝』を嬲(なぶ)り弄(もてあそ)び凌辱して抹殺しようとしている。
 『魏志倭人伝』に1ヵ所も【文献批判】という名の【誤読】を加えずに、ただひたすら・いちずに忠実に『魏志倭人伝』の全記事を読解すると、愉快なほど芋(いも)づる式に次から次へと【中国では解明できなくなった、漢字の起源の秘密】が明確となる。
 『魏志倭人伝』に記述されている真実つまり【漢字が起源した中国で失った、この漢字が起源した学術】は、今から約4000年前に習得されて以来、日本人の花咲く尊厳と、日本人の花咲くいのちと魂と精神(理性を知性)となって受け継がれた。言いかえると、【漢字が起源した学術】は【日本人の血と肉】となって受け継がれた。その証拠に、今から約1730年前に著作された『魏志倭人伝』は「中国の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)にわが国が習得した【漢字が起源した学術】は【日本人の血と肉】となった」と語っている。その後も、日本民族の前人たちは【漢字の起源の真実、世界史的にも重大な真実】をまもって受け継いだ。ところが、新井白石以後から現在までの300年間もつづく邪馬台国・空理空論説のために【漢字が起源した学術】はまったく不明されることになって消滅の寸前となった。
 【『魏志倭人伝』に記述された真実、つまり漢字が起源した学術】は、真っ先に人間として必ずまもらなければならない日本人の義務であり責務である。
 だから、このブログでは、九州説と畿内説は【漢字の起源を伝える真実】を凌辱する空理空論・妄想(もうそう)・欺瞞(ぺてん)であった実体を徹底的に科学的に証明して暴露する。

★「倭人国の地理学」のトリセツ・32

◆『魏志倭人伝』を、ただひたすら・一途に頑固(がんこ)に全記事を忠実に読解すると、【漢字の起源の秘密】が鮮烈(せんれつ)に蘇(よみがえ)る。
 『魏志倭人伝』に記述された【漢字の起源の真相】を知るためには――「わが国が最初に漢字を習得したには5世紀、あるいは6世紀である」という学界の定説は、現在、学問的にはもはや虚妄(きょもう)・空理空論である事実を知っていなければならない。
 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士は著書『字統』(平凡社発行)の序(字統の編集について)における9ページの終わり3行目~10ページの始めから3行目において、「わが国の漢字音」と題して、次のごとく指摘する。
 「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
 下に配した〔漢字生長史〕が示すように、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に、わが国は夏音(かおん)文字の学芸を習得した。この夏音文字の漢字音が、現存する最古の漢字音である。《わが国が夏代初頭に習得した夏音文字の字音》は、《中国に現存する最古の字音「上古音(じょうこおん)」の始まり・周代初頭》よりも約1000年も古い、現存する最古の漢字音である。他方、学界が「わが国が漢字を習得したのは5世紀~6世紀である」と主張する絶対的定説の漢字音だと、下に示す〔漢字生長史〕では最下部に配すべき最も新しい漢字音ということになるため、白川静著『字統』が指摘する西洋の音韻学の学問成果に反する空理空論ということになる。
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 上記した白川静著『字統』が「現存する最古の漢字音」と指摘する字音は、つまり【わが国が後期縄文時代初頭(夏代初頭)に習得した夏音文字の漢字音】は、『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』などに多数残って実在する。
 だから、「わが国が漢字を最初に習得したのは5世紀または6世紀である」と学界が主張する絶対的定説は、【1】夏音文字が『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝、また『古事記』上巻・『万葉集』などに多数記載されて残っている事実と、【2】白川静著『字統』の序(字統の編集につて)における音韻学の成果に反する空論であったことにある。
 そもそも『魏志倭人伝』に登場する「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」という字音は「現存する最古の夏音文字の漢字音」である。この夏音文字の字音よりも新しい中国の上古音だと、「卑弥呼」は「ピミカ」と発音することになる。
 邪馬台国説学者たちは「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む。だから、邪馬台国説学者たちの意見にもとづくと、【わが国は、後期縄文時代初頭に夏音文字の学芸を習得していたこと】は確実な事実となる。
 だから、邪馬台国説学者たちが「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む――この事実、つまり【わが国は後期縄文時代に夏音文字の学術を習得した事実】にもとづいて、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読むと、【『魏志倭人伝』は漢字が起源したときの学術を理路整然(りろせいぜん)と説明する書物】であったことが科学的に具体的に明かとなる。

◆漢字は今から約5000年前、 中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)によって発明された。
 【倉頡が漢字を発明した起源の詳細】は、現在、漢字が起源した中国において解明されていない。
 上記したように、江戸時代中期の新井白石以前、【わが国は、上古(後期縄文時代初頭)、倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸を習得したという学識】は高貴な良識であった。しかし、わが国では、【倉頡が漢字を発明した起源の詳細】は邪馬台国説によって解明できなくなった。というのも、新井白石以後、学者たちが【『魏志倭人伝』に多数の誤読・作為・捏造(ねつぞう)を加える反()学術運動】に情熱をそそぐことになったからである。ゆえに、反()学術運動の空理空論の邪馬台国説によって約300年間も、【倉頡が発明した漢字作成理論】は排除されて闇に葬られることになった。
 でも、しかし、【倉頡が発明した漢字作成原理】はいまだ死に至らない、不死鳥である。
 というのも、前述したように『魏志倭人伝』に卑弥呼が理路整然と【倉頡が発明した漢字作成理論】について説明し、また中国の海岸線の約3倍にして細密なわが国の海岸線に明確に保存されているからである。
 だから、約300年間も学者たちによって禁止された『魏志倭人伝』に1ヵ所も【誤読】を加えずに忠実に読解する方法を復興すれば――【倉頡が発明した漢字作成理論】は鮮烈に蘇(よみがえ)る。

◆『魏志倭人伝』には「卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)、倭国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と具体的に説明した記事が、下記のごとく2ヵ所存在する。
 一つ目の記事は、【134字で「倭国の易卜に用いる辞(ことばと文字)は令亀(れいき)の法のごとく、つまり紀元前1300年頃の殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅に文字を刻む契文(けいぶん/甲骨文字)のような文字があった」と伝える記事である。
 二つ目の記事は67字で【2】「卑弥呼が文書の用いる漢字(夏音文字)は魏の都・帯方郡・諸韓国が文書に用いる漢字(楷書)と差錯(ささく/相違)していた。このため、倭国の小国・伊都(いと)国の津()では、魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と卑弥呼が用いる夏音文字を一字一字点検し確認して正確に変換していた」と伝える記事である。

 上記した「わが国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と説明する二つの記事は、邪馬台国説によって無視され排除された。
 このため「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀、あるいは6世紀である」という空論が学者たちに流布されて――そして定説となった。
 したがって、もしも学者たちが『魏志倭人伝』をただひたすら・いちずに忠実に読解していれば【倉頡によって発明された漢字作成理論】が、このブログ以前に科学的に解明できていたことになる。

◆中国でもわが国でも「文字」を「漢字」と呼ぶ。「銀河」の別称は「銀漢」であるゆえ「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた。
 この「漢字」の由来に学者たちが気づいていれば――『魏志倭人伝』は「【倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明する書物である」ことが証明されていた。
 「漢字」は銀河(銀漢)の各部の形状から作られた。
 『魏志倭人伝』に書き記された【卑弥呼が用いた夏音文字】はもちろん、【魏都・帯方郡・諸韓国が用いた楷書】もまた銀漢から作られた。ゆえに、倭国の伊都国の港では【字源・字形の原形・原義となった銀漢各部の形状】を観察して、夏音文字と楷書を正確に変換していたことになる。
 天文学において「夏の全星座が漬()かる銀河の範囲」を、通称「夏の銀河」と呼ぶ。
 倉頡は、天文学で通称「夏の銀河」とよばれる銀河各部の形状を字源・字形・字義とする漢字作成理論を発明した。
 ゆえに、通称「夏の銀河」を、私は「文字作成銀河」を名づけることにした。
 倉頡が漢字作成理論を発明した「文字作成銀河」の写真を、下に示した。
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 天文学はじめ諸々の学術分野において、《漢字の字源・字形の原形・原義》を解明できる〔文字作成銀河の各部の名称〕は定められていない。ゆえに、《字源となった銀河・字形の原形となった銀河・原義となった銀河》の解説と証明をする際に非常に不便となるゆえ、私は下図のごとく「文字作成銀河の各部の名称」を定めた。
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◆下記に列挙する〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕によって、【黄帝時代から殷代(いんだ)前半期の漢字】は【文字作成銀河各部の形状】となった。
 倉頡はみずからが発明した漢字の学芸は強大な権力・莫大な富・最高の名声を手に入れることができる王政をささえる最強・最大・最良の権力基盤であることに気づき、この学芸知識を反体制側の人々が習得すると王朝は容易に崩壊・滅亡するにちがいないと心配して、下に示す〔三つの死刑と定めた掟〕を定めた。
■倉頡が死刑と定めた三つの掟
1】「文字は銀漢(夏の銀河)各部の形状から作られた」という秘密を暴露した者とその一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
2】多くの文字を容易に覚えるため、銀漢(夏の銀河)各部に名称をつけた者とその一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
3】書いた文字が用済みになったならば、文字を消さない者また消し忘れた者も許さず、その者の一族全員にも神罰を下して死刑にする

 五帝時代の原初漢字の書契(しょけい)・次の夏代の原初漢字の夏音文字・次の殷代前半の原初漢字は上記した〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕を厳重にまもった。したがって、上記した【3】の掟を厳重にももったゆえ、五帝時代の書契・夏代の夏音文字・殷代前半の原初漢字を書いた資料はいまだ一点も発見・出土しないことになった。
 紀元前1300年に出現した殷代後半の甲骨文字においては多数の文字数となったため、いちいち【3】の掟をまもるのが非常に面倒(めんどう)となって守らなくても死刑は免除されることになった。ゆえに、甲骨文字によって始めて【3】の掟は破られたため、甲骨文字を書いた資料が多数出土した。
 「漢字」は《字源・字形・字義・字音の4つの要素》から成立する。
 『魏志倭人伝』において、【(1)今から約5000年前に倉頡が発明した漢字作成理論と、(2)今から約4000年前にわが国が習得した最古の漢字音を伝える、夏音文字の字源・字形・字義】は(1)《文字作成銀河の各部の形状》と、(2)《中国の海岸線地図》と、(3)そして《日本列島各部の地図の形》によって成立する。そして、《夏音文字の字音》は『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』に楷書を音符にして多数残っている。だから、「夏音文字」は4つの要素《字源・字形・字義・字音》が全部そろっているゆえ、「文字」と定義すべきことになる。
 現在、「漢字の最も古い祖型」とされる夏音文字より約750年後の殷代後半に出現した甲骨文字は《字源・字形・字義》の3つの要素がそろっているが、《字音》が不明である。
 このように、4つの要素がそろっていない不完全な甲骨文字を学界は「文字」と定義する。だから、4つの要素がそろう夏音文字は、当然、「文字」と定義すべきことになる。
 なお、「甲骨文字」をわがブログでは「契文(けいぶん)」と呼ぶ。

◆黄帝は東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。
 しかし、黄帝時代以前の約6000年前から始まる三皇(さんこう)時代には、黄帝が研究した医学をあらわすことができる漢字は発明されていなかった。したがって、倉頡が漢字作成する目的は【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字を考案すること】であった。倉頡は【文字作成銀河(夏の銀河)の各部の形状と中国全土を包む海岸線の地宜(ちぎ/地図の形)を字源・字形・字義とする漢字】を創()くって、【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字の発明】に成功した。
 したがって、【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる人命の神秘を合体して誕生した学問(学術)】であった。
 前述したように、わが国には、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が伝来して習得された。
 というのも、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回・5回と14回・15回の4回で詳細に解説し証明したように――『魏志倭人伝』の中半に登場する「女王国より以北の名称不明の海上に浮かぶ皆倭種なりの一小国と侏儒(しゅじゅ)国・裸()国・黒歯(こくし)国、この4小国の東南に所在して船行一年にして参問(さんもん)できる、周旋(しゅうせん)五千余里ばかり」と説明する76字の記事をもって、『魏志倭人伝』は「今から約4000年前の後期縄文時代初頭、わが国は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を習得した」と証言するものであったことになる。
 『魏志倭人伝』には、34の小国が登場する。
 上記した4小国以外の対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までの30の小国名をもって、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明することにした。言いかえると、黄帝が作った医学書『内経』を残っていないが――卑弥呼は30の小国名をもって理路整然と『内径』に説明されていた医学知識を復興することにした。というのも、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を政権基盤として倭人国を統治することにしたからである。このため、卑弥呼は30の小国名をもって【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明する学術体系組織論を構築(こうちく)して「倭人国」という国家と王朝を創設(そうせつ)した。
 【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる生命の神秘を合体して生まれた学問(学術)】であったことは、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読解すると一点の矛盾点もなく系統的な合理が構築されて手に取るように明白となる。この証明は、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は前回(22)までにおいて、詳細に具体的に科学的におこなってきた。
 前回では、12番目の都支(たき)国・13番目の弥奴(みな)国・14番目の好古都国(こかた)

国・15番目の不呼(ふこ)国という4ヵ国の小国名には、【黄帝の「女性の生殖器官と性の生殖細胞の精子と女性の生殖細胞の卵子」についての考え】を説明する役割があったことを具体的に解説して証明した。

◆今回は、16番目の姐奴(つな)国・17番目の対蘇国・18番目の蘇奴(さな)国・19番目の呼邑(こお)国・20番目の華奴蘇奴(かなさな)国、この5ヶ国について解説し証明する。
 前回のブログにおいて、15番目の不呼国・旧国遠江(現在の静岡県西部)における「浜名湖の地宜(ちぎ/平面的に図化した地図の形)」は[]の字源「花の形」に相似すると見立てられたことを証明した。ゆえに、今回における[]の字を配する19番目の呼邑国もまた「遠江の浜名湖と同様に、花の形の湖」を有する小国であったことになる。
 この「花の形をした湖」の小国の呼邑国周辺に、姐奴国・対蘇国・蘇奴国・華奴蘇奴国の4つの小国が所在する。この4カ国は「蝶の形をした国々」である。つまり、「花に蝶」というわけである。
 下の図に示したように、黄帝は「女性の骨盤の正面形」は「蝶の成虫の姿」に相似するという感想を抱いた。ゆえに、黄帝は「蝶」には「花」とむすびつけた連想にもとづき、前回にて解説したように「男性の生殖能力(今日でいう、生殖細胞)の精子(せいし)と女性の生殖能力(生殖細胞)の卵子(らんし)」について考えたことになる。
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 前回のブログで指摘したように――現在と卑弥呼時代、また黄帝が生存した五帝時代初頭の黄帝を祭る廟(びょう)と墓とされる黄帝陵(こうていりょう/北緯3535)の天頂にめぐってきた銀河部は相違する。
 下に、(1)卑弥呼時代と(2)現在の黄帝陵(黄帝が居住した本拠地周辺、すなわち[]の字源となった地域)の天頂にめぐってきた銀河部の図を配した。
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 下に、五帝時代初頭の黄帝時代に黄帝陵(北緯3535)と中国全土にめぐってきた銀河部の図を配した。下の図における「北緯30度」の地域に、中国南部の紹興市(しょうこうし/『魏志倭人伝』に登場する会稽)が所在する。
 黄帝時代、黄帝陵の天頂周辺に国際天文学会の用語「北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)
と「十字の銀河の頭部とその頭部が被(かぶ)るカンムリの銀河部」がめぐってきた。
 「北天の最輝部」は「北半球で住む人々が最も輝いて見える銀河部」である。
 「北天の最輝部」は「桃色をおびた銀白色にかがやく美しい花のような銀河部」である。ゆえに、「花と蝶」から、黄帝は天頂周辺にめぐってきた西の「北天の最輝部」と東の「十字の銀河の頭部が被るカンムリの形」を注目して、「目に見えない、微小の精子と卵子の形」について考えた。 
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 下に配した上図は、黄帝時代に黄帝陵の天頂周辺にめぐってきた西の「北天の最輝部」と東の「十字の銀河の頭部が被るカンムリの銀河部」の図である。
 黄帝は「北天の最輝部」と「十字の銀河の頭部が被るカンムリの銀河部」の両者の形は相似しあうと見立て、また、その両方の銀河部の形は、下図における「花の生殖器官、つまり花冠(かかん/花弁)の形」に相似すると考えた。
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 上記したように、黄帝は【1】黄帝が居住した本拠地(黄帝陵周辺地域)の天頂周辺にめぐってきた「北天の最輝部」と「十字の銀河の頭部が被るカンムリの形状」は「花の形」に相似すると考えた。また前述したように、黄帝は【2】「女性の骨盤正面形は、蝶の成虫の姿は相似する」と考えた。
 だから、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】において「【1】花の形(黄帝が居住した本拠地の天頂周辺にめぐってきた東・西の銀河部の形)と、【2】蝶の形(女性の骨盤の正面形)」が結びついた。
 ゆえに【黄帝の医学研究】は「花と蝶」と譬(たと)えられた。だから、「花と蝶」に譬えられた【黄帝の医学研究】を、卑弥呼は姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国の5つの小国名をもって表示することにしたのである。

◆前回のブログで指摘したように――中国の南部の呉における「杭州湾(こうしゅうわん)の地宜)」は「花の形(花冠の形)」に相似すると見立てられて[()]の字源となった。
 下に、「〔東〕を上・〔西〕を下とする杭州湾の地宜」を配した。杭州湾の湾口(わんこう)は北緯3050分~北緯30度の中間に在る。下の図における会稽(かいけい)は北緯30度である。会稽は、現在の紹興(しょうこう)市である。
 前回のブログで解説し証明したように、「杭州湾の奥・銭塘江(せんとうこう)の河口近くの湾部」は「花冠をささえる花の台(うてな/萼柎)」に相当して[]の字源を示した。また、「花冠部となる杭州湾」は[]の字源を示した。したがって、「杭州湾の地図の形(地宜)」は[][]、つまり「不呼」と表示することになった。
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 下の図に示すように、「遠江の浜名湖の地宜」は[]の字源「杭州湾」と同様に「花冠の形」に相似すると、卑弥呼は見立てた。また、卑弥呼は「浜名湖の支湖の引佐細江(いなさほそえ)」は[]の字源「花の台(萼柎)」に相似すると見立てた。ゆえに、卑弥呼は「遠江の浜名湖」は「中国の杭州湾」と同様に「不呼」をあらわすと考えて、「浜名湖がある遠江、現在の静岡県西部」の小国名を「不呼国」と定めたのである。
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 前回のブログにおいて、下に配した図を用いて証明したように――[]の字源「杭州湾の地宜」は「鳰(にお)が水面に浮かぶ姿」にも相似する。ゆえに、「鳰」は[]の字源をあらわすことになった。
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 前回のブログにて、下に配した図を用いて証明したように――『魏志倭人伝』が著作された同時代の3世紀後半に生存した遠江の豪族・建比良鳥命(たけひらどりのみこと)は「鳰」は[]の字源であることを明確に示して、「不呼国、現在の静岡県浜松市北区の引佐(いなさ)町の金指(かなさし)・井伊谷(いいのや)地区の地宜」を「鳰と浮巣の形」に設計した。
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 前述したように、黄帝時代、「十字の銀河」は中国各地の天頂にめぐってきた。
 下に示すように、「十字の銀河の乳房」に「M39」と名づけられた散開星団(さんかいせいだん)が重なる。「M39」は星数の少ない、明るい星が集まった散開星団である。すこし目をこらすと、「M39」の形は「鳰と鳰の浮巣(うきす)」のような形をしているのが見える。
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 上記したように、また下に配した図に示したように、「M39」は「鳰と鳰の浮巣の形」に相似する。
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 前述したように「旧国・遠江」、つまり「浜名湖がある、浜松市を中心とする現在の静岡県西部」の小国名を、卑弥呼は15番目の「不呼国」と定めた。この不呼国であった浜松市北区の引佐町の金指・井伊谷地区の地宜は――「鳰と鳰の浮巣」の形に設計されている。したがって、引佐町の金指・井伊谷地区の地図の形は、[]の字源は「鳰」であると表示する。
 15番目の「不呼国」の次の16番目の小国名を、卑弥呼は「姐奴(つな)国」と定めた。
 というのも、上記したように、「十字の銀河の乳房と重なるM39」は「不呼国の[]の字源「鳰と鳰の浮巣の形」に見えるからである。つまり、不呼国の[]の字源「鳰」の形となる「M39」は「十字の銀河の乳房」と重なり、「姐奴国の西部」は「母となった女性の、大きな左右の乳房の形をした地宜」となる。
 だから、15番目の「不呼国」の次の16番目国を、卑弥呼は「乳房つなぎ」ということで「姐奴国」と定めたのである。

◆下の図に示すように、15番目の不呼国から16番目の姐奴国までの中間には、14番目の好古都国・13番目の弥奴国・17番目の対蘇国の三ヵ国が所在する。また、16番目の姐奴国よりも、17番目の対蘇国のほうが、15番目の不呼国には近い。ゆえに、不呼国の次は対蘇国と定めるのが順当となる。しかし、15番目の不呼国と16番目の姐奴国の両国は、上記したように「乳房」という共通点を有するる。これに対して、15番目の不呼国と17番目の対蘇国には共通点が存在しない。だから、卑弥呼は倭人国の小国の順番を不呼国の次は姐奴国と定めたのである。
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 上の図が示すように、19番目の呼邑(こお)国は、古称が「鳰の海」であった琶湖を有する旧国近江・現在の滋賀県である。「鳰の海」の[][]の字源であり、[]の字源は「花の形の、杭州湾」であった。ゆえに、卑弥呼は「琵琶湖の地図の形」を「鳰の姿」に相似すると見立て、また、卑弥呼は「琵琶湖の地宜」は「花の形をした、杭州湾」に相似すると見立てたことになる。
 前述したように、黄帝は――下の図に示す「女性の生殖器官と花の生殖器官の形」は類似すると見立てた。だから、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】は「花」に譬(たと)えられることになった。
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 さらに、前述したように、黄帝は「女性の骨盤の正面形」は「翼を有する蝶の形」に相似すると見立てた。
 だから、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】は「花と蝶」に譬えられることになった。
 16番目の「姐奴国の地宜」は「蝶の成虫の姿」に相似すると見立てられた。17番目の「対蘇国の地宜」は「蝶の幼虫・蛹(さなぎ)・羽を有する成虫の姿」に相似すると見立てられた。18番目の「蘇奴国の地宜」は「蛹にならんとする蝶の終令幼虫(しゅうれいようちゅう)の姿」に相似すると見立てられた。19番目の「呼邑国の地宜」は「花の形」に相似すると見立てられた。20番目の「華奴蘇奴国の地宜」は「華()と蝶の成虫の姿」に相似すると見立てられた。
 このように、「16番目の姐奴国から20番目の華奴蘇奴国までの小国名」をもって、卑弥呼は「【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】は【花と蝶】に譬えられた」とあらわしている。

16番目から20番目までの小国のうち、「姐奴国・蘇奴国・華奴蘇奴国」という小国名にある[]の字は【黄帝の「女性の骨盤・生殖器官と子どもの出産」の研究】をあらわした。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の19回でも詳細に解説したように――下の図に示すように、[]の字源銀河は「鬼の姿に似る銀河と、北アメリカ星雲・ペリカン星雲」であった。
 「鬼の姿に似る銀河と、北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は[(ゆう)][(ゆう)]の字源でもあった。
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 [又]の金文形にある「渦巻き」は「産道をくぐりぬけるときの、出産する子どの4回の旋回(せんかい)」をあらわす。この「出産児の4回の旋回」を、産婦人科では「回旋(かいせん)」と名づけている。
 「母体の子宮口(しきゅうこう)が開く出産第一期・開口期(かいこうき)から出産児の顔が誕生する出産第二期・娩出期(べんしゅつき)終わりまでの、子どもの頭の4回の回旋」において、第1回旋における出産児の頭の回旋は「時計回りに90度の回旋」し、第2回旋と第3回旋は「反時計回りに90度回旋」し、第4回旋は「時計回りに90度回旋」する。
 この「第1回旋、第2回旋、第3回旋、第4回旋」という語を挿入(そうにゅう)して、[]の字源となった「4回の回旋以外の、狭い産道をくぐりぬける出産児と母体の様子」を解説すると、[]の字源解説が煩雑(はんざつ)となって難解となる。
 ゆえに、これからおこなう[]の字源解説では、〔4回の回旋〕を示す語を省略することにした。
 ――開口期において、陣痛(じんつう)がはじまると、子宮口にむかった卵膜(らんまく)は羊水(ようすい)によってふくらみ、くさび状に子宮頸管(しきゅうけいかん)をひろげ子宮口が開いていき、子の頭はしだいに押し下げられてくる。子の頭は骨盤産道(こつばんさんどう)に入り込み、骨盤産道の形に応じて向きを変えていく。正常分娩の場合には、骨盤入口の上では子のアゴを胸につけた姿勢で、子の背中は母体の左または右にある。中ほどにくると子の頭は斜(なな)め後ろ(母体の背側)に顔をむけ、出口では顔をすっかり後方(母体の背側)にむける姿勢となる。開口期の終わりには、ほぼこの状態となる。
 次は出産第二期の娩出期の始まり、子の頭が骨盤出口に近づいてとき、母体の直腸(ちょくちょう)は圧迫されるので自然に怒責(どせき/いきみ。きばること)がおこり、母体の腹圧(ふくあつ)が加えられる。陣痛と腹圧との力で、子の頭はますます押し上げられ、ついに陣痛発作(じんつうほっさ)のときには膣(ちつ)の入口から子の頭が見えるようになる。さらに進んで子の頭のもっとも大きい部分が膣の入口を通過して、子の頭が誕生する。ついで、子の頭は母体の左または右に向くが、子の肩の部分が骨盤出口を通るためである。肩はまず上(母体の腹側)にあるほうが先に、ついで下(母体の背側)の肩がでると、あとは(娩出期の終わりは)、子の顔の正面は母体の背側のほうに向いて、一気に生まれる。

 []の字源は、上記した説明における「子を出産するための母体の強大な力」であった。
 「子どもの出産における、母体が大声をあげる怒責(どせき)」は「稲妻(いなづま/雷鳴)や虎が咆()える大声」に見立てられて、[]の字源をあらわすことになった。「母体の怒責」は[]の下に[]が加えられる[]の字源となった。
 以上のごとく、「姐奴国・蘇奴国・華奴蘇奴国」という3小国名にある[]の字源は、上記した「出産第一期・開口期から出産第二期・娩出期終わりまでにおける、母体が子どもを生むときの凄(すご)い強大な力」であった。
 だから、[]の字は【黄帝の「女性の骨盤・生殖器官と子どもの出産」の研究】をもあらわすことになった。
 したがって、「姐奴国・対蘇国・蘇奴国・華奴蘇奴国」の4ヵ国の小国名は【黄帝の「女性の骨盤・生殖器官と子どもの出産」の研究】をもあらわしている。その証拠に、【黄帝の「女性の骨盤・生殖器官と子どもの出産」の研究】は「花と蝶」と譬えられたゆえ、「花」は「呼邑国」という小国名と地宜があらわし、「蝶」は「姐奴国・対蘇国・蘇奴国・華奴蘇奴国」の4ヵ国の小国名と地宜があらわす。
 下に、〔蝶と蛹(さなぎ)の姿に相似する銀河図〕を配した。
 []の字源銀河となった「鬼の姿に似る銀河」は「蛹の姿」に相似すると見立てられ、「鬼の姿に相似する銀河と十字の銀河と、その背景となる銀河」は「羽をひろげて飛ぶ蝶の姿」に相似すると見立てられた。
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 「羽をひろげて蝶の成虫をあらわす銀河」は〔東向き〕であるが、「姐奴国の地宜」の「蝶の姿」は〔西向き〕であり、「対蘇国の地宜」「蝶の姿」は「北に向く、真上から見た羽を左右に開く正面形」であり、「華奴蘇奴国の地宜」は「東に向く、真上から見た羽を左右に開く正面形」である。
 ゆえに、上記した「三小国の地宜」は「蝶の成虫や蛹の姿をあらわす銀河」の向きと異なるが、この向きの相違は、上記した「出産児の頭の4回の回旋」をあらわしている。

◆これから、16番目の「姐奴(つな)国」から20番目の「華奴蘇奴(かなさな)国までの5ヵ国の位置と範囲を解説し証明する。
 下の図に示したように、16番目の「姐奴(つな)国」は「旧国の越前、現在の福井県中部・北部」であった。[]の字には「母。姐御(あねご)」という意味がある。この[]の字義に合致して、下の図が示すように、「敦賀(つるが)半島より南部の境界線、つまり越前西部の南限の境界線」は「たくましい母親の大きな乳房・たくましい豊かな母の胸部の形」となる。
 前述したように、[]は「強大な力」(母体が子どもを生むときの、強大な力)をあらわす。ゆえに、「姐奴」の「つな」と読む夏音は「綱(つな)」をあらわすことになり、「強大な力で作られた、太い綱」を意味したと考えられる。その証拠に、「姐奴(越前)北部の地宜」は「一本の太い綱あるいは注連縄(しめなわ)を作る際、多数の細い綱を扇状(おうぎじょう)にひろげ、これらの細い綱をよりあわせて一本の太い綱にする完成間際の綱の形」に相似する。
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 なお、下の図に示すように、「姐奴国の地宜」は「蝶の成虫の姿」のごとくに観える。
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17番目の「対蘇(つさ)国」は「旧国の美濃(みの)、現在の岐阜県中部・南部」であった。
 下に配した〔対蘇国・美濃の解説図〕における上図に示したように――「美濃の東部の地宜」を卑弥呼は「蝶の幼虫の姿」に相似すると見立て、「美濃の東部の地宜」を「蝶の成虫の姿」に相似すると見立てた。ゆえに「蝶の幼虫と成虫の姿の一対」となるゆえ、卑弥呼は「美濃」の小国名を「対蘇国」と定めたことになる。
 下の〔対蘇国・美濃の解説図〕における下図に示したように――「美濃の全域の地宜」を、卑弥呼は「ジャコウアゲハの蛹(さなぎ)の姿」に見立てたにちがいない。
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 したがって、「対蘇国・美濃」を、卑弥呼は「ジャコウアゲハの幼虫と成虫と、そして蛹の形をした小国」と考えたことになる。
 美濃は現在の岐阜県中部・南部である。「岐阜」という名がつく「ギフチョウ」は「ジャコウアゲハ科」に分離される蝶であり、その名のとおり岐阜県に生息する。ジャコウアゲハのオスの羽とジャコウウシのオスの眼下腺(がんかせん)からの分泌物(ぶんぴつぶつ)はともに麝香(じゃこう)の匂いがする。
 前回までのわがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は幾度もくりかえして、黄帝が研究した「女性の生殖器官の正面形」は「ジャコウウシの顔」に相似すると見立てられた。ゆえに、【倉頡は発明した漢字作成理論】は「鳥獣の足跡」と名づけられ、「ジャコウウシ」は【倉頡が発明した漢字作成理論】を象徴する聖獣となった。
 「ジャコウウシ」は[][]の字源となって「女性の骨盤と、骨盤が包んで衛(まも)る女性生殖器官」の両方をあらわした。というのも、[]の字源となった「ジャコウウシ」は「もの凄(すご)い力を有する獣」であるからである。したがって、[]の字源・字義は「母体が子どもを生むときの、強大な力」と「ジャコウウシの、強大な力」であった。だから、[]の字義は、要するに「強大な力」ということになった。
 アゲハチョウ科のギフチョウの蛹の体は、太く短い皮膚はかたい。黒褐色(くろかっしょく)で斑紋(はんもん)はない。斑紋がない黒褐色のギフチョウの蛹に類似して、ジャコウウシもまた黒褐色の体毛(たいもう)でおおわれる。したがって、ギフチョウの蛹によって、ジャコウウシは黒褐色の毛足の長い毛のコートで体全体がおおわれている様子が伝えられていたことになる。

18番目の「蘇奴(さな)国」は「旧国の若狭(わかさ)、現在の福井県南西部」であった。
 上記したように、17番目の「対蘇国の全域の地宜」は「ジャコウアゲハの幼虫や蛹の姿」に相似すると見立てられた。ゆえに、18番目の「蘇奴国の地宜」は「ジャコウアゲハやギフチョウの幼虫や、蛹になる前の終令幼虫の姿」に見立てられたことになる。
 下の図における左上の「蘇奴国の地宜」を、卑弥呼は「アゲハチョウ科のアゲハチョウ・ギフチョウ・ジャコウアゲハの幼虫や、蛹にならんとする終令幼虫の姿」に見立てて、「若狭」の小国名を「蘇奴国」と定めたことになる。
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 蝶の幼虫は脱皮(だっぴ)が近づくと食をとらずに静止し、前の胸部が膨(ふく)らむ。子宮という密室で羊水の中で過ごす月齢の少ない胎児も静止して、前の胸部が膨らむ。蝶の蛹は、食物をとらず、ほぼ静止の状態となる。子宮の羊水に漬()かって育つ月齢の少ない胎児も、食物をとらずほぼ静止状態となって過ごす。胎児は食物をとらないゆえ、生まれるまでうんちを出さない。出産で産道をくぐる時におなかが押され、初めておしりからうんちが出てくる。汁(たんじゅう)の色素に由来して、赤ちゃんが初めて出すうんちは蝶の餌となる草木の葉の色の緑色である。だから、「出産時に初めて緑色のうんちを出す赤ちゃん」は「緑児(みどりご)、つまり「嬰児」と2字の漢字で表記されて「みどりご」と読むことになった。
 なお、「若狭」という旧国名の由来は「若い13歳くらいの乙女たちの瞳は最も澄んで暗い銀河部や星をキャッチする眼力に最も優(すぐ)れている。ゆえに、13歳くらいの乙女たちは天頂にめぐってくる銀河部や星たちが映る鏡となる谷川の水面や池岸の澄んだ水面や清らかな水汲み場の水面など、すなわち“狭井(さい)”から緯度を精確に測定できる呪能(じゅのう)を有する」ということであったと考えられる。
 これゆえ、「13歳くらいの若い乙女」の[]に「狭井」の[]を加えると「若狭」となる。

◆前掲した〔文字作成銀河(夏の銀河)の写真〕を撮影したわが国を代表する天体写真家の藤井旭(ふじいあきら)氏は「銀河や星をキャッチできる最も優秀な瞳を有する13歳の乙女を連れて、銀河はじめ天体を撮影することが度々ある」と、私に説明したことがある。このように、現在でも、銀河や星や星雲・星団をキャッチする能力に最もすぐれる眼力の持ち主は13歳くらいの乙女たちである。ゆえに、「13歳くらいの若い乙女」の[]に「狭井」の[]を加えて、「蘇奴国」の旧国名は「若狭」となったにちがいない。
 『古事記』上巻に〔天照大御神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約説話〕がある。この説話には「天之真名井(あめのまない)」が登場する。「天之真名井」は「天頂にめぐってくる銀河部や星などが明るく映る鏡のような水面を有する井戸、つまり天頂緯度測量地点」を意味した。奈良県桜井市の三輪町には古くから最も聖なる山とされた三輪山、大神(おおみわ)神社の摂社(せっしゃ)の狭井(さい)神社、三輪山をご神体と大神神社が所在する。狭井川(さいがわ)は三輪山の麓の東北から狭井神社と大神神社の辺(ほとり)を南西にむかって初瀬川(はつせがわ)で合流する。
 この「三輪山の麓から流れる狭い谷川・狭井川の岸辺の天頂の銀河部を明るく映す鏡のような水面・天頂緯度測量地点」が、〔天照大御神と須佐之男命の誓約説話〕に登場する「天之真名井」であった。したがって、「天頂の銀河部を明るく映す鏡のような水面の、天之真名井」は「狭井(さい)」と名づけられたのである。
 古代、「倭人国における天頂にめぐってくる銀河部を明るく映す鏡のような谷川や池岸や水汲み場などの水面・天頂緯度測量地点」は「狭井(さい)」と呼ばれた。「狭井に映る天頂の銀河部」をとらえて精確に緯度を測定できる能力に最も優れる澄んだ瞳(ひとみ)を有するのが、13歳くらいの乙女たちである。
 だから、上記したように「旧国の若狭の地宜」を「蝶の終令幼虫の姿に相似する」と見立てた卑弥呼は、「旧国の若狭」の小国名を「13歳の乙女たち」にも見立てて「蘇奴国」と定めたのである。
 古代は天頂にめぐってくる銀河部をキャッチして緯度を測定していた。この能力に最も優秀な瞳を有する13歳の乙女は、古代において、緯度を精確に測量できる能力に最も優れる、女性の人生における最盛期と称(たた)えられていた。
 『魏志倭人伝』の末部は――卑弥呼が没する時に百余人の奴婢(ぬひ)を殺して、卑弥呼の墓に埋めた残酷な徇葬(じゅんそう)に反対して、徇葬を決行した卑弥呼の後を継いだ男の倭王に服従せず、国中の人民たちは反乱して倭王朝軍と戦った。倭王朝軍は千余人の人民を殺した――と記述する。
 この徇葬を憎悪して倭人国の国中の人民たちが倭王朝軍と戦った大乱(たいらん)を平定したのは、男王の倭王の後を継いだ倭女王の壱与(いよ)であった。『魏志倭人伝』は壱与について「また卑弥呼の宗女(そうじょ)の壱与(いよ)、年十三で王となりしを立てて、国中遂に定まる」と記述する。つまり、『魏志倭人伝』は――卑弥呼が統治する宗女(巫女界を代表する巫女)の壱与は、十三歳の時に新生「日本国」の女王に就任し、そして数年後(32歳ころ)に倭王の後を継ぐ倭女王に就任して徇葬を憎悪して倭人国の国中の人民たちが倭王朝軍と戦った大乱を平定した――と説明していたのである。
 〔注 中国の正史『後漢書(ごかんじょ)』倭伝は「倭人国の隣国は東鯷人(とうていじん)国であった」と記述する。この「東鯷人国」が倭人国の一員の小国(倭人国の35番目の小国)となって国号が「日本国」と改められた。東鯷人国・後の小国・日本国は倭人国の不呼国(遠江)の隣りの旧国の駿河から以東の駿河・伊豆・甲斐・相模・武蔵・飛騨・信濃・上野・下野・下総・上総・安房・常陸の東海地方東部から関東地方一円地域であった〕。
 『魏志倭人伝』の中半には、五世紀に生存した裴松之(はいしょうし)が加えた「倭では春に田を耕す時を一年と数え、秋に農作物を収穫する時も一年と数える二倍暦であった」と注がある。この二倍暦だと「新生・日本国の女王となった、十三歳の壱与」は「六・五歳の幼女」であったことになる。しかし、「六・五歳の幼女」には「女王となる特別に優れた能力・呪能(じゅのう)」を有していない。だから、壱与は《緯度を精確に測量できる能力に最も優れる最盛期の十三歳の時(二倍暦では二十六歳の時)》に、新生・日本国の女王に就任したと考えるべきことになる。
 したがって、『魏志倭人伝』は「倭人国では、一年365日を二年と数える二倍暦であった。しかし、卑弥呼の晩年には365日を一年とする中国の正歳(せいさい)を使用するようにした」と説明していることになる。
 〔なお、『魏志倭人伝』に記述された「卑弥呼の墓に殺して埋められた徇葬者の奴婢」は「奴」が「十八歳くらいの青年」、「婢」は「十三歳くらいの乙女たち」であったと考えられる。というのも「犠牲(ぎせい/いけにえ)」の[]の字源を、『説文解字』は「宗廟の牲(せい)なり」と解説し、『説文解字』は[]の字源を「完全なるなり」と解説するからである。
 ゆえに、『説文解字』は[][]の字源を「宗廟、つまり偉大な王や女王の墓に埋める犠牲としては毛色肢体すべてがそなわったジャコウウシがささげられた」と解説している。
 だから、ジャコウウシが生息していなかった倭国の女王・卑弥呼の墓に殺されて埋められた徇葬者の「犠牲(いけにえ)」は、「男性として完全なる最盛期をあらわす大きな手と太い腕とたくましい頑丈な肉体の持ち主の十八歳くらいの若者の[]と、最も澄んだ瞳を有して天頂緯度を最も精確に測量できる完全なる能力の瞳を有する十三歳の乙女の[]」であったと考えるべきことになる〕。

19番目の「呼邑(こお)国」は、「旧国の近江、現在の滋賀県」であった。

前述したように、[]の字源は「中国の南部の呉における、水面に浮かぶ鳰の姿に相似する杭州湾(こうしゅうわん)」であり、また「花の形に相似する杭州湾」であった。
 「琵琶湖」の古称は「鳰の海」であった。したがって、下の図に示した「琵琶湖の地宜」を、卑弥呼は「杭州湾の地図の形」に相似すると見立てて、「近江、現在の滋賀県」の小国名を「呼邑国」と定めたのである。
 「呼邑国」の[(ゆう)]の字の上部は[()]、下部は[()]である。
 白川静著『字統』は[]の字について「囗()は都邑(とゆう)の外郭(がいかく)、城壁を繞(めぐら)している形。(中略)。巴()は人の跪居(ききょ)するさま。城中に多くの人のあることを示す」と解説する。
 だから、「呼邑国」の[]は、下に図に示した「琵琶湖を包囲する比良山(ひらやま)山地・野坂(のさか)山地・伊吹(いぶき)山地・鈴鹿(すずか)山脈・水口丘陵(みなくちきゅうりょう)」であったことになる。
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 下の図に示したように、琵琶湖と杭州湾の形は「花の形」に相似する。
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 「琵琶湖の地宜」は上の図に示したように「花の形」に相似すると見立てられた。
 【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】は「花と蝶」と譬(たと)えられた。
 ゆえに、「地宜が花の形の、琵琶湖」を包囲するように、卑弥呼は「花と蝶」に譬えられた【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】をあらわして、「蝶の成虫はじめ幼虫や蛹」に見立てた姐奴国・対蘇国・蘇奴国・華奴蘇奴国の四ヵ国が包囲するようにした。

20番目の「華奴蘇奴(かなさな)国」は「旧国の山城(やましろ)、現在の京都府南部」であった。
 卑弥呼は「山城、京都府南部の地宜」を「藤や萩(はぎ)の華()の形」に相似すると見立てて、また「藤や萩の華()のように、美しい蝶の姿」に相似すると見立てて、小国名を「華奴蘇奴国」と定めたことになる。
 あるいは「山城、京都市南部の地宜」は山地や草原に生息する「ヒメシロチョウの姿」に相似する。ヒメシロチョウはモンシロチョウと同じくシロチョウ科に分類される。ヒメシロチョウ(羽をひろげた長さは40mm)はモンシロチョウ(羽をひろげた長さは4560mm)より小さな白い羽を有するモンシロチョウに似た蝶である。ヒメシロチョウが食べる草はクサフジやツルフジバカマである。クサフジやツルフジバカマの華()は藤の花と同じく房状(ふさじょう)で、その色はあざやかな藤色である。したがって、「華奴蘇奴国」とは「クサフジやツルフジバカマの藤色の華(はな)のごとく、白い可愛いヒメシロチョウのごとく華麗な小国」とも意味するものであったと考えられる。
 下の図における下部の図に示したように、[]の金文形の上部の[×]は「藤やクサフジなどの穂の両側にある多数咲く房状の花びら」をあらわし、その下の「下部の横二本の線」は「藤やクサフジの葉」をあらわし、「左へと[]の字に曲がる中央線」は「藤やクサフジの花穂(かほ)」をあらわしていることになる。ゆえに、[]の金文形は「その穂に小さな美しい蝶の成虫の姿に相似する房状の花が多数咲く、藤・萩(はぎ)・クサフジ・ツルフジバカマなどの花穂」をあらわしている。
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 ゆえに、卑弥呼が「華奴蘇奴国」と定めた小国名は「死骸と化したごとくにみえる蛹が背中を[]の強大な力で割()いて美しく命が蘇(よみがえ)る」と意味するものであり、また「藤や萩の花の形に相似する華麗な蝶の成虫はわずか数分で[]の強大な力で体を浮かせて空を飛び、強くたくましく美しく命を示す」とも意味するものであったにちがいない。

 以上のごとく、卑弥呼は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】が「花と蝶」と譬えられた故事来歴(こじらいれき)を、姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国の五カ国の小国名であらわした。

◆卑弥呼は国号を「倭人国」と定めた。
 「倭人国」の[()]は「人民たちの胃袋を食物で満たす、五穀豊穣(ごこくほうじょう)」という政治スローガンをあらわした。
 []の初文(初めの文字)は倉頡が創(つく)った[()]である。[]の字も「人民たちの胃袋を食物で満たす、五穀豊穣(ごこくほうじょう)」という政治スローガンをあらわした。
 つまり、[]の字は黄帝王朝の政治スローガンであり、【倉頡が発明した漢字作成方法における基本字】であった。
 したがって、卑弥呼は黄帝王朝の政治スローガンを受け継いだ。ゆえに、【倉頡が発明した漢字作成方法における基本字】の[]の字源・字義を受け継ぐ[]の字を国号に用いたのである。
 白川静著『字統』は[]の字について「稲魂(いなだま)を被(かぶ)って舞う男女の姿で、禾穀(かこく)の象に従う字である」と解説する。また、同書は[]の字について「声符(せいふ)は委()。委は稲魂を被(かぶ)って舞う女の形である。(中略)。男が稲魂を被って舞うのは年である」と解説する。また、同書は[]の字について「穀霊(こくれい)に象(かたど)る禾形(かけい)の作りものを被(かぶ)って舞う女の姿をいう。同じく禾形の作りものを被って舞う男を年というので、同じ構造法の字であり、男女が稲魂に扮して舞う農耕儀礼を示す」と解説する。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は21回~今回の23回をもって――卑弥呼は倉頡が創った[]の字源・字義の「稲魂を被って舞う男女の姿」をあらわすため、11番目の「伊邪(いや)国」から20番目の「華奴蘇奴国」までの10ヵ国の小国名をもって、白川静著『字統』が「[]は稲魂を被って舞う女の形」と解説する「女性グループ」に分類して、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と表示するようにした事実――を証明した。
 ゆえに、次回からは――21番目の「鬼()国から30番目の「狗奴(くな)国」までの小国名をもって、卑弥呼は白川静著『字統』が「[]は稲魂を被って舞う男の姿」と解説する「男性グループ」に分類して、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と表示するようにした事実――を、詳細に解説し証明する。
 したがって、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」が17回~20回までで詳細に証明し解説した1番目の「対馬(つしま)国」から10番目の「巳百支(じはき)国」までの10ヵ国を、卑弥呼は「邪馬壱(やまい)グループ」に分類したことになる。というのも、対馬国から狗奴国までの10ヵ国は――倉頡が創った[]の字源・字義をうけつぐ、国号の[]の源・字源をあらわすとともに、[]の字源・字義の中核となった「邪馬壱」という語源を表示するものであったからである。
 以上のごとく、『魏志倭人伝』は――卑弥呼は倭人国の30ヵ国を10ヵ国ずつ3つのグループ、つまり(1)「邪馬壱グループ」・(2)「女性グループ」・(3)「男性グループ」に分類して、倭人国の政権基盤は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】であると定めた――と記述する書物であった。
 他方、新井白石以来現在まで約300年間も学者たちが受け継いで主張する「邪馬台国」について説明する記事は、『魏志倭人伝』には1ヵ所も存在しない。
 だから、邪馬台国説は根拠無しの完全なる空理空論、真っ赤なウソ・欺瞞(ぎまん)・デタラメであったのは否定できない確かな事実となる。
 【1】邪馬台国説が空理空論であった事実と、【2】『魏志倭人伝』は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明する歴史書にして学術書であった事実は、『魏志倭人伝』に1ヵ所も【誤読】を加えない方法によって科学的に証明できる。
 邪馬台国説をとなえる学者たちは【多数の誤読・作為・詐偽(さぎ/虚偽)・詭弁(きべん)】を駆使(くし)して、『魏志倭人伝』に記述された真実、言いかえると日本人の血と肉となった学術と、日本人の花咲く尊厳と、日本人の花咲くいのちと魂と精神を凌辱(りょうじょく)して――『魏志倭人伝』に記述された日本人の血と肉となった学術と、日本人の花咲く尊厳と、日本人の花咲くいのちと魂と精神を、消滅しようとして躍起になっている。
 その証拠に、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読解する方法にのっとって思考すれば、『魏志倭人伝』は1ヵ所も【誤読(文献批判)】を必要としない正確無比の書物であった事実が証明される。にもかかわらず、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読解する方法にのっとって思考する学者はわが国には一人も存在しない。

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