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2021年7月

2021年7月17日 (土)

邪馬台国説はサギ・騙されるな・25

▼日本人よ! 日本全国民よ! いわゆる“邪馬台国説”の意見を著(あら)わす書物や教科書、またテレビ番組、漫画日本史なる類(たぐい)までの全般におよぶ、学者たちの意見を、いっさいがっさい信じてはならない! というのも、邪馬台国説はすべてが真っ赤なウソ・欺瞞(ぎまん・ぺてん)だからだ! 
 その証拠に、邪馬台国説学者たちは――『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』という古文献には、倭女王・卑弥呼(ひみこ)が居住した女王国の名称を「邪馬台国」と書いてある――と日本国民を信じこませて騙(だま)している。しかし、『魏志倭人伝』には「邪馬台国」について説明する記事は1ヵ所も存在せず、女王国の名は「邪馬壱(やまい)国」であったと書かれている! 
 このように、邪馬台国説は大ウソつきである! 邪馬台国九州説と邪馬台国説畿内説は、約2000字で構成される『魏志倭人伝』の全記事とも1ヵ所も合致しない、つまり【科学】がまったく成立しない、すべてが妄想(もうそう)、全部がぜんぶデタラメ! 真っ赤なウソである! 日本学問史上における最低・最悪の空論である!
 江戸中期の新井白石(あらいはくせき/16571725)以来今日まで約300年、邪馬台国説学者たちは『魏志倭人伝』という書物に自分勝手の独断的なデタラメを仰山(ぎょうさん)に加えて、メディアはじめ日本国中の人々をまんまと騙(だま)し――日本人の尊厳を、日本人の根源的ないのちと魂と精神(理性を知性)を冒涜(ぼうとく)し、『魏志倭人伝』に記述された重大な真実を抹殺(まっさつ)し、踏みつぶさんとしている。
 このような学者たちの真っ赤なウソに、日本全国民よ! まんまと騙されてはならない! 怒れ! 怒れ! 憤怒(ふんぬ)せよ! 日本全国民よ、邪馬台国説学者たちはあなたのいのちと魂の根元を侮辱し凌辱(りょうじょく)し愚弄(ぐろう)しているのだ!
 九州説と畿内説をとなえる学者たちは【多数の誤読・作為・詐偽(さぎ/虚偽・ぺてん)・詭弁(きべん)】を駆使(くし)して、メディアはじめ国中の日本人を言いくるめ誑(たぶら)かして、世界的に第一級の重大な文献史料『魏志倭人伝』を嬲(なぶ)り弄(もてあそ)び凌辱して抹殺しようとしているのだ!
 『魏志倭人伝』に1ヵ所も【文献批判】という名の【誤読】を加えずに、ただひたすら・いちずに忠実に『魏志倭人伝』の全記事を読解すると、愉快なほど芋(いも)づる式に次から次へと【中国では解明できなくなった、漢字の起源の秘密】が明確となる。
 つまり、『魏志倭人伝』は【漢字の起源の秘密】を詳細に記述した書物であった!
 『魏志倭人伝』は「今から5000年前の中国の五帝時代初頭の黄帝(こうてい)時代に、漢字は発明された。その約1000年後の、今から約4000年前、わが国は【漢字が起源した時の学術】を習得した」と伝える、全記事が正確無比の重大な歴史を伝える書物であった。
 『魏志倭人伝』に記述されている真実、つまり【漢字が起源した学術】は、今から約4000年前にわが国が習得して以来、日本人の花咲く尊厳と、日本人の花咲くいのちと魂と精神(理性を知性)となって受け継がれた。言いかえると、【漢字が起源した学術】は【日本人の血と肉】となって受け継がれた。
 にもかかわらず、新井白石以後から現在までの約300年間もつづいた学者たちの空理空論の邪馬台国説のために、【漢字が起源した学術】は皆目不明(かいもくふめい)となり、現在、消滅の寸前となった。
 だから、このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は前回(24)まで、九州説と畿内説は詐偽(さぎ)・欺瞞(ぺてん)である実体を徹底的に暴露(ばくろ)してきた。

★「倭人国の地理学」のトリセツ・34

◆『魏志倭人伝』を、ただひたすら・いちずに全記事を忠実に読解すると、全記事において【科学】が成立して、【漢字の起源の秘密】が鮮烈(せんれつ)に蘇(よみがえ)る。
 現在、学界は「わが国が最初に漢字を習得したには5世紀、あるいは6世紀である」と断定している。この絶対的定説は、空理空論の邪馬台国説にまんまと騙(だま)された学界が抱くことになった幻想・空想であったのである。
 もしも学者たちが『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読解されていたならば「わが国が漢字を最初に習得したのは、今から約4000年前の後期縄文時代初頭であった」という意見が定説となり、「邪馬台国説は空理空論である」とバッサリと切り捨てられていた。
 その証拠に、わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士は著書『字統』(平凡社発行)の序(字統の編集について)における9ページの終わり3行目~10ページの始めから3行目において、「わが国の漢字音」と題して、次のごとく指摘する。
 「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
 下に配した〔漢字生長史〕が示すように、また『魏志倭人伝』に記述されているとおり、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に、わが国は夏音(かおん)文字の学芸を習得した。この『魏志倭人伝』が伝える《わが国が夏代初頭に習得した夏音文字の字音》は、《中国に現存する最古の字音「上古音(じょうこおん)」の始まり・周代初頭》よりも約1000年も古い、現存する最古の漢字音である。他方、学界が「わが国が漢字を習得したのは5世紀~6世紀である」と主張する絶対的定説の漢字音だと、下に示す〔漢字生長史〕では最下部に配すべき、中国の上古音よりも新しい漢字音となる。だから、空理空論の邪馬台国説にまんまと誑(たぶら)かされた学界が「わが国が漢字を習得したのは5世紀~6世紀である」と断定する絶対的定説は、白川静著『字統』が指摘する西洋の音韻学の学問成果に反する非科学論・空想であったことになる。
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 上記した白川静著『字統』が「現存する最古の漢字音」と指摘する字音は、つまり【わが国が後期縄文時代初頭(夏代初頭)に習得した夏音文字の漢字音】は、『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』などに多数残って実在する。
 だから、「わが国が漢字を最初に習得したのは5世紀または6世紀である」と学界が主張する絶対的定説は、【1】正確無比の『魏志倭人伝』に多数の【誤読(文献批判)】を加えて『魏志倭人伝』に記述された真実をこととごとく排除する邪馬台国説にダマされる空論であり、【2】夏音文字が『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝、また『古事記』上巻・『万葉集』などに多数記載されて残っている事実に反する空論であり、【3】白川静著『字統』の序(字統の編集につて)における音韻学の成果に反する空論であったことにある。
 そもそも『魏志倭人伝』に登場する「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」と読む字音は「現存する最古の夏音文字の漢字音」である。この夏音文字の字音よりも新しい中国の上古音だと、「卑弥呼」は「ピミカ」と発音することになる。
 邪馬台国説学者たちは「卑弥呼」を夏音文字の字音で「ヒミコ」と読む――この事実、つまり【わが国は後期縄文時代に夏音文字の学術を習得した事実】にもとづいて、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読むと、【『魏志倭人伝』は漢字が起源したときの学術を理路整然(りろせいぜん)と説明する書物】であった事実が科学的に証明される。

◆『魏志倭人伝』には「卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)、倭国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と具体的に説明した記事が、下記のごとく2ヵ所存在する。
 一つ目の記事は、【134字で「倭国の易卜に用いる辞(ことばと文字)は令亀(れいき)の法のごとく、つまり紀元前1300年頃の殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅に文字を刻む契文(けいぶん/甲骨文字)のような文字があった」と伝える記事である。
 二つ目の記事は67字で【2】「卑弥呼が文書の用いる漢字(夏音文字)は魏の都・帯方郡・諸韓国が文書に用いる漢字(楷書)と差錯(ささく/相違)していた。このため、倭国の小国・伊都(いと)国の津()では、魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と卑弥呼が用いる夏音文字を一字一字点検し確認して正確に変換していた」と伝える記事である。
 上記した「わが国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と説明する二つの記事は、邪馬台国説にとって不都合な記事であるため、300年間無視され排除されてきた。
 さらに、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回・5回と14回・15回の4回で詳細に解説したように――『魏志倭人伝』の中半に登場する「女王国より以北の名称不明の海上に浮かぶ皆倭種なりの一小国と侏儒(しゅじゅ)国・裸()国・黒歯(こくし)国、この4小国の東南に所在して船行一年にして参問(さんもん)できる、周旋(しゅうせん)五千余里ばかり」と説明する76字の記事をもって、『魏志倭人伝』は「今から約4000年前の後期縄文時代初頭、わが国は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を習得した」と説明していた事実を科学的に具体的に証明した。
 このように、学界は『魏志倭人伝』の記事に1ヵ所も合致しない空理空論・妄想(もうそう)の邪馬台国説九州説と邪馬台国大和説に魂をぬかれてすっかりダマされている。
 だから、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀、あるいは6世紀である」という空論が日本国中に流布(流布)されて――定説となった。
 したがって、もしも学者たちが『魏志倭人伝』をただひたすら・いちずに忠実に読解していれば「邪馬台国は空理空論である」と断定されて、【倉頡によって発明された漢字作成理論】が、このブログ以前に科学的に解明されていたことになる。

◆漢字は今から約5000年前、 中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)によって発明された。
 【倉頡が漢字を発明した起源の詳細】は、現在、漢字が起源した中国において解明されていない。
 しかし、わが国において邪馬台国説が出現する以前、『魏志倭人伝』に1ヵ所も【誤読】を加えない方法をもって「わが国は、上古(後期縄文時代初頭)、【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を習得したという学識」が確立されていた。
 ところが、新井白石(あらいはくせき/16571725)が邪馬台国・大和説をとなえた後に邪馬台国九州説をも提唱した、その後の学者たちによる邪馬台国説信仰によって、【倉頡が漢字を発明した起源の詳細】は解明できなくなった。というのも、新井白石以後、学者たちが【『魏志倭人伝』に多数の誤読・作為・捏造(ねつぞう)を加える反()学術運動】に情熱をそそぐことになったからである。ゆえに、反()学術運動の空理空論の邪馬台国説によって約300年間も、【倉頡が発明した漢字作成理論】は排除されて闇に葬られることになった。
 でも、しかし、【倉頡が発明した漢字作成原理】はいまだ死に至らない、不死鳥である。
 というのも、前述したように『魏志倭人伝』には【倉頡が発明した漢字作成理論】について卑弥呼が理路整然と説明して明確に保存されているからである。
 だから、『魏志倭人伝』に1ヵ所も【誤読】を加えずに忠実に読解する方法を復興すれば――【倉頡が発明した漢字作成理論】は鮮烈に蘇(よみがえ)る。

◆中国でもわが国でも「文字」を「漢字」と呼ぶ。「銀河」の別称は「銀漢」であるゆえ「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた。
 この「漢字」の由来に学者たちが気づいていれば――『魏志倭人伝』は「【倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明する書物である」ことが証明されていた。
 「漢字」は銀河(銀漢)の各部の形状から作られた。
 『魏志倭人伝』に書き記された【卑弥呼が用いた夏音文字】はもちろん、【魏都・帯方郡・諸韓国が用いた楷書】もまた銀漢から作られた。ゆえに、倭国の伊都国の港では【字源・字形の原形・原義となった銀漢各部の形状】を観察して、夏音文字と楷書を正確に変換していたことになる。
 天文学において「夏の全星座が漬()かる銀河の範囲」を、通称「夏の銀河」と呼ぶ。
 倉頡は、天文学で通称「夏の銀河」とよばれる銀河各部の形状を字源・字形・字義とする漢字作成理論を発明した。
 ゆえに、通称「夏の銀河」を、私は「文字作成銀河」を名づけることにした。
 倉頡が漢字作成理論を発明した「文字作成銀河」の写真を、下に示した。
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 天文学はじめ諸々の学術分野において、《漢字の字源・字形の原形・原義》を解明できる〔文字作成銀河の各部の名称〕は定められていない。ゆえに、《字源となった銀河・字形の原形となった銀河・原義となった銀河》の解説と証明をする際に非常に不便となるゆえ、私は下図のごとく「文字作成銀河の各部の名称」を定めた。
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◆下記に列挙する〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕によって、【黄帝時代から殷代(いんだ)前半期の漢字】は【文字作成銀河各部の形状】となった。
 倉頡はみずからが発明した漢字の学芸は強大な権力・莫大な富・最高の名声を手に入れることができる王政をささえる最強・最大・最良の権力基盤であることに気づき、この学芸知識を反体制側の人々が習得すると王朝は容易に崩壊・滅亡するにちがいないと心配して、下に示す〔三つの死刑と定めた掟〕を定めた。
■倉頡が死刑と定めた三つの掟
1】「文字は銀漢(夏の銀河)各部の形状から作られた」という秘密を暴露した者はもちろん、その者の一族全員にも神罰が下されて即刻に死刑にする
2】多くの文字を容易に覚えるため、銀漢(夏の銀河)各部に名称をつけた者、またその者の一族全員にも神罰が下されて即刻に死刑にする
3】書いた文字が用済みになったならば、文字を消さない者また消し忘れた者も許さず、その者の一族全員もまた神罰が下されて死刑にする

 五帝時代の原初漢字の書契(しょけい)・次の夏代の原初漢字の夏音文字・次の殷代前半の原初漢字は上記した〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕を厳重にまもった。したがって、上記した【3】の掟を厳重にももったゆえ、五帝時代の書契・夏代の夏音文字・殷代前半の原初漢字を書いた資料はいまだ一点も発見・出土しないことになった。
 紀元前1300年に出現した殷代後半の甲骨文字においては多数の文字数となったため、いちいち【3】の掟をまもるのが非常に面倒(めんどう)となって守らなくても死刑は免除されることになった。ゆえに、甲骨文字によって始めて【3】の掟は破られたため、甲骨文字を書いた資料が多数出土した。
 「漢字」は《字源・字形・字義・字音の4つの要素》から成立する。
 『魏志倭人伝』において、【(1)今から約5000年前に倉頡が発明した漢字作成理論と、(2)今から約4000年前にわが国が習得した最古の漢字音を伝える、夏音文字の字源・字形・字義】は(1)《文字作成銀河の各部の形状》と、(2)《中国の海岸線地図》と、(3)そして《日本列島各部の、漢字の字源を伝える細密な地図の形》によって成立する。そして、《夏音文字の字音》は『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』に楷書を音符にして多数残っている。だから、「夏音文字」は4つの要素《字源・字形・字義・字音》が全部そろっているゆえ、「文字」と定義すべきことになる。
 現在、「漢字の最も古い祖型」とされる夏音文字より約750年後の殷代後半に出現した甲骨文字は《字源・字形・字義》の3つの要素がそろっているが、《字音》が不明である。
 このように、4つの要素がそろっていない不完全な甲骨文字を学界は「文字」と定義する。だから、4つの要素がそろう夏音文字は、当然、「文字」と定義すべきことになる。
 なお、「甲骨文字」をわがブログでは「契文(けいぶん)」と呼ぶ。

◆黄帝は東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。
 ところが、黄帝時代以前の約6000年前から始まる三皇(さんこう)時代には、黄帝が研究した医学をあらわすことができる漢字は発明されていなかった。したがって、倉頡が漢字を作成する目的は【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字を考案すること】であった。倉頡は【文字作成銀河(夏の銀河)の各部の形状と中国全土を包む海岸線の地宜(ちぎ/地図の形)を字源・字形・字義とする漢字】を創()くって、【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字の発明】に成功した。
 したがって、【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる人命の神秘を合体して誕生した学問(学術)】であった。
 『魏志倭人伝』には、前半部で30ヵ国、中半部で4ヵ国、計34の小国が登場する。
 前述したように――『魏志倭人伝』の中半に登場する「女王国より以北の名称不明の海上に浮かぶ皆倭種なりの小国と侏儒国・裸国・黒歯国、この4小国の東南に所在して船行一年にして参問(さんもん)できる、周旋(しゅうせん)五千余里ばかり」と説明する76字の記事をもって、「今から約4000年前の後期縄文時代初頭、わが国は夏音文字の学芸を習得した際に、【倉頡が発明した漢字作成理論】をも習得した」と説明している。
 
『魏志倭人伝』の前半部に登場する対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までの30の小国名は――【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明している。
 というのも、卑弥呼は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を政権基盤としたからである。ゆえに、卑弥呼は「倭人国」という国家と王朝を創設(そうせつ)するにあたって、30の小国名をもって【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明する学術体系を構築(こうちく)して天下を治めることにしたのである。

◆卑弥呼が定めた国家名「倭人国」の[]の初文(最初の文字)は、倉頡が創(つく)った[()]の字であった。
 []の字は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】と【倉頡が発明した漢字作成理論】をあらわす基軸字(基本となる字)であった。
 卑弥呼は上記した【倉頡が創った[]の字源の秘密】を利用して、1番目の対馬(つしま)国から30番目の狗奴(くな)国までの30の小国名を、10ヵ国ずつ3つのグループに分類して【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】をあらわすことにした。
【一】それゆえ、1番目の対馬国から10番目の巳百支(じはき)国までの10ヵ国のグループを、私は《邪馬壱(やまい)国グループ》と名づけることにした。というのも、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究の核心】を倉頡は[]の字を創ってあらわしたからである。この【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究の核心】と【倉頡が創った[]の字源・字形・字義の秘密】を、卑弥呼は倭人国の首都が所在した女王国を「邪馬壱(やまい)」と名づけることにしてあらわした。ゆえに、1番目の対馬国から10番目の巳百支国までの10ヵ国は《邪馬壱国グループ》と名づけることにした。
 〔注 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の20回で詳細に解説し証明したように――【黄帝の医学研究の核心部】を卑弥呼は「せまい産道をくぐりぬけて出産する児童の頭蓋骨が重ねあわせることができる機能」と考えて、この「出産児の神秘的な不思議な頭蓋骨の機能」を卑弥呼は「邪馬壱」と表現した。〕
 白川静著『字統』は、倉頡が創った[]の字源を「稲魂(いなだま)を被(かぶ)って舞う男女の姿」と解説する。
【二】11番目の伊邪(いや)国から20番目の華奴蘇奴(かなさな)国までの10ヵ国を、卑弥呼は[]の字源「稲魂を被って舞う男女の姿」のうちの「稲魂を被って舞う女性の姿をあらわす国々」と定めた。ゆえに、この10ヵ国は《女性グループ》に分類されたことになる。
【三】したがって、残る21番目の鬼()国から30番目の狗奴国までの10ヵ国を、卑弥呼は《稲魂を被って舞う、男性グループ》に分類した。
 【一】の《邪馬壱グループの10ヵ国》についての詳細な解説と証明は、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の17回~20回まで、4回にわけておこなった。
 【二】の《女性グループの10ヵ国》についての詳細な解説と証明は、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の21回~23回まで、3回にわけておこなった。
 【三】の《男性グループの10ヵ国》についての詳細な解説と証明は、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の24回にて、21番目の鬼国から25番目の躬臣(こじ)国までの前半5ヵ国をおこなった。
 後半の26番目の巴利(はり)国から30番目の狗奴国までの後半5ヶ国の詳細な解説と証明は、今回にてこれからおこなうことにする。

◆下の図に中央上部に示したように、26番目の小国「巴利(はり)国」は「旧国の播磨(はりま)、現在の兵庫県南西部」であった。
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 [()]の初文(最初の文字)[()]である。『説文解字』は[]を「握(にぎ)るなり」と解説する。ゆえに、[]の字義は「握るなり」であったと解釈すると、「巴利国」は「旧国の播磨」であったと解明できる。
 下の図における右側に配した「播磨の地宜(ちぎ/地図の形)」は、左側に配した「エブリ」とよばれ農機具の形に相似する。
 卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)の遺跡から、「エブリ」が出土している。「エブリ」はその形から「いっぺんに幅(はば)広く多くの土を多数の歯で把(にぎ)って、稲を植える田や畑の地を平らにする利器(便利な農機具)」であったと考えられる。この「農機具のエブリの主体部の板の形」に「現在の兵庫県南西部、旧国播磨の地宜」は相似すると見立てて、卑弥呼は小国名を「巴利国」と定めたことになる。
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 エビリの主体部と柄()の形・構造や使用目的から、エブリは屈強(くっきょう)な男子が使う農機具であったことになる。いいかえると、エブリは男子の腰(骨盤)に多くの負担(ふたん)がかかる農機具であったことになる。
 下に示した図は、上図の右側に配した「播磨の地宜」に相似する、「前下側から見た男性の骨盤図」である。注目すべきは「播磨の地宜」は「上下が反転した男性の骨盤の形」に相似する。というのも、上図の左側に配した「エブリの柄」は下の「男性の骨盤の腰椎(ようつ)とつながる脊柱(せきちゅう)」に相当する。したがって、「エブリ」は「骨盤と骨組み(脊柱)が頑丈(がんじょう)な男子」が使用する農具であったことになる。
 「エブリ」が「播磨の地宜」と「男性の骨盤」に類似すると連想した卑弥呼は、小国名を「巴利国」と決めて「豊かな農作物が収穫できる地域」と祝福したにちがいない。
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◆上記したように、頭脳のすきまを満たす液体の脳漿(のうしょう)を一所懸命(いっしょうけんめい)にしぼって・思惟(しい)すると――「巴利」の2字は「(1)農機具のエブリや、(2)男性の骨盤、(3)旧国の播磨の地宜」をあらわしているという結論になるからである。
 というのも、前回(24)のわがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」で解明した25番目の「躬臣(こじ)国」が「旧国の摂津(せっつ)・和泉(いずみ)・河内(かわち)と淡路島、現在の大阪府と兵庫県東部・南部」であると定める思惟(しい)・思索(しさく)は頭をつかって、むずかしかった。同様に、26番目の「巴利国の思惟・思索」もまた頭をつかって、むずかしいからである。
 この25番目の躬臣国と26番目の巴利国に使用した「脳漿をしぼって考える、つまり思惟する」という行為は、次の27番目の「支惟(きい)国」でも存分(ぞんぶん)に発揮しなければならない。
 小国「支惟国」の[()]の字義は「ささえる。わかれる」である。
 ゆえに、下の図に示したように、「支惟国」の[]は「視床(ししょう)・小脳(しょうのう)・脳幹(のうかん)は大脳(だいのう)を支(ささ)える」、または「大脳は視床・小脳・脳幹から支(わか)れる形状」をあらわしていることになる。
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 「支思国」の[()]の字義は「頭脳で考える」である。
 「旧国の安芸(あき/現在の広島県西部)の地宜」だけだと、「頭蓋骨、あるいは頭蓋骨でおおわれる脳の側面形」に相似しない。
 下の図に示したように、「支惟国の範囲」を「安芸(広島県西部)に、安芸に隣接する備後(びんご/広島県東部)の西部」を加えると、「頭(頭蓋骨)や脳の側面形」に相似する。
 つまり、下の図に示したように、三次(みよし)市と福山(ふくやま)市をむすぶ福塩線(ふくしおせん)が通る、馬洗川(ばせんかわ)や芦田川(あしだかわ)が流れる地域を支惟国における東の境界線にすると、「支惟国の地宜」は「頭(頭蓋骨や、脳の側面形)」となる。
 下に示した「旧国の安芸の地宜に、隣接する備後の西部の地宜」は「頭脳の側面形」に相似すると見立てて、卑弥呼は小国名を「支惟国」と定めたのである。
0000138
 [(すい)]の字義は「小鳥」である。ゆえに、『説文解字』は[]の字について「鳥の短尾(たんび)なるものの總名なり」と解説する。「鳰(にお)」は「全長2529センチでカモメより一回り小さい鳥にして、尾の羽は非常に短く、外観からは判別できない。ゆえに、[]の字義は「鳰のような小さい鳥」ということになった。
 下の左右の図(字形)が示すように、「思惟」の[]と「小鳥」が字義となる[(すい)]の金文形は同一字形である。『説文解字』は[]の字を「凡(おおよ)そに思ふなり」と解説する。この[]の「凡そに思ふなり」という説明の意をあらわして、下に配した[][]の金文形は同一字形となった。だから、[]の「凡そに思ふなり」の字説の秘密にもとづいて、手偏に[]の字が加わる[(すい)]の字も作られた。ゆえに、[]の字は「凡そに思ふなり」を意味する「推理」「推測」「推察」などの語をあらわす字となった。
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 下に示すように、「脳幹(のうかん)、つまり中脳(ちゅうのう)・橋(きょう)・延髄(えんずい)の側面形」は「小鳥の姿(側身形)」に相似する。ゆえに、「凡そに思ふなり」の[]の字は「脳の奥深い所にある・小鳥の姿に相似する脳幹」をもあらわすことになった。このため、[]の字は「脳幹は脳の中心の奥深い所にある」ゆえ、「深く考える」という意味をも有することになった。
 上記したごとく、「支惟国」の[]という字は『説文解字』が解説する「凡そに思ふなり(おおまかに考える。全体論的に考える)」とは別に、下に示した「脳の奥深くに隠れる小鳥の姿に相似する脳幹」によって「深く思う(考える)」という両方の意を有することになったのである。
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28番目は「烏奴(あな)国」である。29番目は「奴国」である。
 〔注 九州に所在する5番目国も「奴国」である。ゆえに、「奴国」は「ぬこく」または「なこく」と読んで、5番目の奴国と29番目の奴国を区別していたのかもしれない。しかし、両小国名を同じように読んでいたかもしれない。〕
 下の図に示したように、「現在の高知県、旧国の土佐(とさ)」が「烏奴国」、「現在の愛媛県・香川県・徳島県、旧国の伊予(いよ)・讃岐(さぬき)・阿波(あわ)」が「奴国」であったことになる。
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 上の図に示したように、28番目の「烏奴国」は「現在の高知県、旧国の土佐」であった。
 というのも、下の図に示すように、高知県中央南端にある「浦戸(うらど)湾の地宜」を[]つまり「カワセミの姿」に相似すると見立てて、卑弥呼は小国名を「烏奴国」と定めたからである。
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 カワセミは鳰(にお)と同じ[]を代表する小鳥であった。というのも、カワセミは蝶(ちょう)の成虫のごとく美しい小鳥で、その背面が「翡翠色(ひすいいろ)」であるゆえ、「翡翠」という2字は「カワセミ」をあらわすことになった。翡翠・カワセミは土手や崖に横穴を掘り、その奥行(おくゆき)1メートルもある横穴の奥に巣をつくってヒナを育てる。これゆえ、「高知県の地宜」は「カワセミが巣をつくる土手や崖」に見立てられ、「浦戸湾の地宜」は「聖なるカワセミの精霊が棲()む、[]の強大の力を有する国」ということで、卑弥呼は「高知県」の小国名を「烏奴国」と定めたことになる。
 上の左端の図「浦戸湾の地宜」に[(とう)]の字を加えたように、浦戸湾が相似するカワセミの姿は、下に示した〔天頂点と重なる銀河部位の軌道図〕における右上に配した[]の「天頂点とむすばれる、子午線」に合致して経度(南北)を示している。
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◆烏奴国にある蹉陀岬(さだみさき/佐田岬・足摺岬)は東経133度である。
 下に図に示したように、烏奴国の蹉陀岬・133度の経度線は倭人国の首都が所在した「邪馬壱(やまい)国の中心部」の「島根県東部の出雲地方の佐太神社」をこするように貫通する。この邪馬壱国の東経133度線は佐太神社よりわずかに〔東〕(現在方位)へ外(はず)れる状況をもって、[(けい)]の字源「日景の秘密」をあらわしていた。
 白川静著『字統』は[]の字について――〔周礼(しゅらい)、大司徒〕に「日景を正して、もって地の中を求む」と日景測量のことをいい、地上千里して日景に一寸の差があるという――と指摘している。
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 上の図に示した「烏奴国の蹉陀岬の東経133度線は邪馬壱国の佐太神社に貫通せず、わずかに佐太神社の〔東〕に外(はず)れて貫通する状況(つまり、円の「360度」ではなく、「359.98度」をあらわしている)は、[]の字源「日景」をあらわした。
 「元旦から大晦日(おおみそか)まで」の《一年の365.25日》を、これから「366日」という[]の「凡(おおよ)そに考える数」で計算することにする。
 今日の午前零時に天頂点と重なる銀河部位は、23時間56分後に天頂点と重なる。ゆえに、天頂点と重なる銀河部位の1日は、24時間ではない。天頂点と重なる銀河部位1日は4(0.02)短い0.98日である。ゆえに、「元旦の零時から大晦日の零時までの、一年後の零時」において「天頂点に同一銀河部位が重なって、360度の円」が成立する。ゆえに、「同一の銀河部位がちょうど一年後に天頂点にもどってくるまでの状況」は「360度の円」であらわされる。「360度割る366日は0.98日」となるゆえ、「一日は一日ではなく、0.02日短い0.98日」となる。この「0.98日」が「地上千里して日景に一寸の差があるという、日景測量」をあらわした(つまり、直径が千里の円周上における一日の目盛りは一寸となる、これを「日景」と表現した)。ゆえに、「邪馬壱国」の地所に「烏奴国の蹉陀岬(佐太岬)の経度線の《日景の0.98日・一寸の差》」を表示すると、上に示した〔古代出雲の「邪馬壱」をあらわす地宜〕における「360度の円周の始点と終点の位置となる佐田神社よりわずかに〔東〕へと外(はず)れる地域が《日景の一寸の差》をあらわすことになる。
 したがって、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の20回で詳細に解説して証明したように――『魏志倭人伝』が「女王の都(みやこ)する所なり」と記述する「邪馬壱国の中心地域」は、上に図示した「日景測量が表示された地所が在る、山陰出雲地方」であったことになる。
 「山陰出雲地方」には――「邪馬」をあらわした「神門水海(かんどのみずうみ)」と、「十字の銀河の右足(西側の足)の形」に相当する「宍道湖(しんじこ)」と、[]の字源「十字の銀河の子宮」に相当する「島根半島」に佐太神社が鎮座(ちんざ)する。
 このように「山陰出雲地方」は「邪馬壱国の中心地域」であったことになる。
 カワセミは巣の産座(さんざ)に餌の魚の骨を敷く。またカワセミのオスは、メスに餌の魚の頭を向けてあたえる習性がある。小枝に止まる口に魚をくわえるオスのカワセミの様子をしばらく観察すると、メスのカワセミがオスの側(そば)にやってくると――オスがメスに頭を向けて餌の魚をあたえる光景を目撃(もくげき)することができる。
 『魏志倭人伝』には「唯々(ただ)男子一人有りて飲食を給(きゅう)し、辞()を伝えて出入りす」という記事がある。この記事に登場する男子はカワセミのオスを演じて卑弥呼の飲食を給し、卑弥呼の辞(言葉)をつたえるために卑弥呼の居間に出入りする役目に勤(いそ)しんでいたのである。ゆえに、カワセミのオスの習性を利用して、卑弥呼は自らが倭人国における最高位の女王であると威厳(いげん)を示して、各小国の男王や女王たちに服従をもとめて倭人国の安定をはかっていたことになる。
 卑弥呼は倉頡が創った[]の字源「時計回りに90度転回する方位規定」にのっとって「本州・日本列島における〔東〕は〔南〕となると定義した転回地理論を提唱するものであったゆえ、国号を「倭人国」と定めたことになる。
 []の字源にもとづくと「北→東」となるゆえ、『魏志倭人伝』の「女王国の東、海を渡ること千余里にして復()た国有り。皆倭種(みなわしゅ)なり」という、邪馬壱国の東の大海上にあった小国名が不明の31番目の小国は「佐太神社の真北にある隠岐群島」であったことになる。
 下に示す[]の字源「転回方位」にもとづく「隠岐群島の島前(どうぜん)における「西ノ島の地宜」は「長いクチバシを有する、両翼をひろげるカワセミの姿」に相似する。これゆえ、「知夫里島(ちぶりじま)」が「カワセミの餌となる魚」に相当する。しかし、「知夫里島の地宜」は「魚の形」に相似せず、「斧(おの)の形」に相似する。この形は「〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕を破る者はもちろん、その者の一族全員をも神罰が下されて斧で首を斬()って死刑にする」をあらわすものであったのではあるまいか。だから、「カワセミのオスに見立てられて卑弥呼の飲食を給し、卑弥呼の辞(言葉)をつたえるために卑弥呼の居間に出入りした男子」は〔倉頡が死刑と定めた3つの厳重な掟〕をもあらわす役目も有するものであったのではあるまいか。
 下の図の〔転回方位にのっとる、「女王国の東」の隠岐群島・島前の地宜〕における「知夫里島の〔北端〕(現在方位の西端)の「知夫赤壁(ちぶあかかべ)」に「烏奴国の蹉陀岬(佐田岬)の東経133度線」が貫通する。「烏奴国」の[]は「カワセミ」、[]は「ものすごく、強大な力」をあらわした。わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の19回にて、[]の字義は「ものすごく、強大な力」であることを詳細に解説して証明した。だから、「烏奴国」の[]は――本州・日本列島の〔西〕の九州を時計回りに90度転回させて本州・日本列島の〔北〕に移動させ、また〔東〕の東海地方(愛知県・静岡県)を本州・日本列島の〔南〕に移動させる「ものすごく、強大な力」――をあらわしたことになる。
 それゆえ、「地中深く横穴を掘って、その横穴の奥にヒナを育てる巣を作るカワセミ」は[][]の字源「巨大な本州・日本列島を時計回りに90度転回させる地理」を象徴する「聖なる地中神の鳥」であったことになる。
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 『魏志倭人伝』に1ヵ所も【誤読】を加えなければ表示される「本州・日本列島の〔東〕は〔南〕となって、時計回りに方位が90度転回する地理」は「倭人国」の[]の字源をあらわす。ということは、卑弥呼王朝は[]の字源をあらわす「本州・日本列島地理」を制定するものであったゆえ、国号は「倭人国」と定められたたことになる。このように、「転回本州・日本列島地理」は『魏志倭人伝』の全記事と矛盾点が1ヵ所も生じず【科学】が成立して論理が完結するゆえ、真実を伝えていたことになる。
 他方、邪馬台国説学者たちは、『魏志倭人伝』に何ヵ所も【誤読】を加えて読解する方法こそが正しいと主張する。だが、このような邪馬台国説の【多数の誤読】を加える方法だと「倭人国」という国号に用いられる[]の字源・字義に反し、『魏志倭人伝』の全記事と【科学】がまったく成立しない空理空論となる。

◆前述したように、29番目の小国「奴国」は「現在の愛媛県・香川県・徳島県、旧国の伊予・讃岐・阿波」であった。
 前述したように、[]の字義は「本州・日本列島を時計回りに方位を90度転回させる地理を成立させる、ものすごい・強大な力」であった。
 つまり、下の図に示すように、『魏志倭人伝』は[]の「ものすごく、強大な力」で「本州・日本列島の地理は、時計回りに90度転回して、〔西〕の九州は〔北〕に移動し、〔東〕の東海地方は〔南〕に移動した」と記述している。この「転回本州・日本列島地理」は[]をあらわすゆえ、卑弥呼は[]の字を用いて国号を「倭人国」と定めたのである。
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 上の図〔卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理〕における、左側に示した「玄界灘に浮かぶ沖ノ島と伊豆諸島の神津島(こうづしま)を結ぶ北緯3415分」は、「本州・日本列島の〔東〕を時計回りに90度転回させて〔南〕に移動した、ものすごく・強大な力」を秘める「転回日本列島地理の基準緯度線」であった。
 この[]の「ものすごく、強大な力」を有する基準緯度線上に、「鳴門(なると)の渦潮(うずしお)」が所在する。世界的に最高級の速度で、ゴウゴウとすさまじい音響をたてながら豪快(ごうかい)に渦をまく鳴門の渦潮は、巨大な日本列島の方位を時計回りに90度転回して方位を移動させて変える[]の「ものすごく、強大な力」をあらわすことになった。
 下の図に、26番目の「巴利(はり)国、旧国の播磨(はりま)の地宜」と29番目の「奴国、旧国の伊予・讃岐・阿波の地宜」と[]の字義「ものすごく強大な力をあらわす、鳴門の渦潮」を表示した。
 前述したように、「巴利国の地宜は、農機具のエブリの主体部の板の形に相似すると見立てられた」と解説した。エブリの主体部と柄()の構造からして、エブリは[]の「強大な力を有する屈強(きっきょう)・頑丈(がんじょう)な体格の男子が使う農機具」であったことになる。というのも、「エブリ」は「男子の下半身の腰(骨盤)に大きな負担(ふたん)がかかる農具」であったことになるからである。
 これゆえ、下の図における「愛媛県・香川県・徳島県の地宜と鳴門の渦潮」は「本州・日本列島の地理方位を時計回りに90度転回させる[]の字源を示す動力」を表示するものと惟されることになった。したがって、「鳴門の渦潮が在る徳島県と・香川県・愛媛県」は[]の初義「ものすごく、強大な力」をあらわすことになったゆえ、鳴門の渦潮が隣接する地域の小国名を卑弥呼は「奴国」と定めたことになる。
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 前述したように「巴利国の地宜」を「農機具のエブリの主体部の板の形」に相似すると見立てた解釈を「そんなバカな! 漫画じゃあるまいし」と学識ある人々は貶(けな)すかもしれない。しかし、『魏志倭人伝』が伝えているように「本州・日本列島が[]の強大な力で時計回りに90度転回する地理が成立する」には「奴国の北側にして、鳴門の渦潮に近い、巴利国の地宜」を「男子の腰(骨盤)に大きな負担がかかる農機具・エブリの主体部の板」に相似すると見立てて、[]の「強大な力」をあらかじめ表示しておく必要があった。というのも、上記したように、「沖ノ島・鳴門の渦潮・神津島を結ぶ北緯3415分」は「本州・日本列島の方位軸を時計回り90度転回させる、強大な呪力(じゅりょく)を有する緯度線」であると、卑弥は思惟(しい)・思索(しさく)するものであったからである。
 したがって、26番目の「巴利国の地宜」は「男性の骨盤の、強大な力を要する農機具のエブリ」に相似すると見立てて、後の29番目の奴国は「転回本州・日本列島地理を成立させる、強大な呪力を有する地域」であると定める必要があった。ゆえに、「巴利国の地宜は、農機具のエブリの主体部の板に相似すると見立てられた」という私の意見に「賛同できない、稚拙(ちせつ)である」とする批判やガヤガヤとさわぐ言い立てには知らんぷりすることにした。

◆卑弥呼が統治した「倭人国の範囲」において、下の図に示した「小国名がきまっていない空所」は、下の図に示す「吉備(きび)地方」である。この「吉備地方」が、30番目の「狗奴(くな)国」であったことになる。
 したがって、「狗奴国」は下の図に示した「小豆島(しょうどしま)と、旧国の備後(びんご)西部・備中(びっちゅう)・備前(びぜん)・美作(みまさか)の吉備地方」であったことになる。言いかえると、「吉備地方・狗奴国」は「現在の香川県の小豆島と、広島県東部(三次市と福山市を結ぶ福塩線が通る地域より東部)と岡山県」であったことになる。
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 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の19回で詳細に解説して証明したように――[]の字源・字義は(1)「ジャコウウシ。あるいは、ジャコウウシのものすごく強大な力」であった。ゆえに、[]は「ジャコウウシのものすごく強大な力」によって、[](2)「子どもを出産する母体のものすごく強大な力」をも意味することになり、さらに(3)「男性の太い腕や下半身(骨盤)のものすごく強大な力」をも意味することになった。
 「狗奴国」の[]の字義は、上記した(1)の「ジャコウウシ」である。これゆえ、「狗奴国」の[()]の字義「イヌ()」は「ジャコウウシの天敵の、イヌ科に分類されるオオカミ」であったことになる。
 下の図に示した「小豆島の地宜」は「オオカミの姿」に相似すると見立てられたため、「小豆島」は「オオカミ・狗」と解されることになった。そして、小豆島より北側の「岡山県の児島(こじま)半島の地宜」は「オオカミ()の群れの襲撃(しゅうげき)に気づき、奴・ジャコウウシの群れがいる場所(北側)へと逃げるジャコウウシの後ろ姿」に相似すると見立てられた。また、「児島湖」は「オオカミの攻撃にそなえて、ジャコウウシの群れが円陣をつくって、円陣の真ん中に隠すジャコウウシの子ども」に見立てられた。これゆえ、「児島湖周辺から北側の岡山県の地宜」は「ジャコウウシの群れ」に見立てられたことになる。したがって、「ジャコウウシの群れが作る円陣」は「吉なる備(そな)え」ということで、後世には「吉備」という略称で呼ばれることになったと考えられる。
 上記したように、「小豆島の地宜」を「狗・オオカミ」、「岡山県の地宜」を「奴・ジャコウウシ」と見立てた卑弥呼は、小国名を「狗奴国」と定めたことになる。
 だから、『魏志倭人伝』に「倭女王の卑弥呼と狗奴国の男王の卑弥弓呼(ひみくこ)は素(もと)より和せず」と記述された狗奴国は「小豆島と岡山県と広島県東部」であったのである。
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 下の図に示したように、「男性の前上側から見た骨盤腔(こつばんこう/骨盤の空洞)」は「犬(イヌ)・オオカミの顔」の形に相似する。ゆえに、[]という字は【一】「オオカミの姿に見立てられた小豆島の地宜」と、【二】「男性のイヌ()の顔の形に相似する骨盤腔の形」をあらわしていたことになる。
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 「小豆島」の[]は、[]の初文(最初の文字)であった。ゆえに、「小豆島」は「小豆」「小さい出産児の頭()」を意味したことになる。これゆえ、「小豆島」の北側の「岡山県の半島と湖」は、「小豆」に呼応(こおう)して「児島半島と児島湖」と名づけられた。だから、「児島」の[]は「出産児」を意味したことになる。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の20回で詳細に解説して証明したように――倭女王・卑弥呼が居住した女王国名「邪馬壱国」の「邪馬」は「せまい産道をくぐりぬけるときの、出産児の重ねあわせることができる頭蓋骨(小泉門・矢状縫合・大泉門)の機能」をあらわした。
 この「邪馬壱」という語は「産道をくぐりぬける出産児の頭蓋骨」をあらわすゆえ、「小豆島」の「小豆」は「小さな出産児の豆・頭蓋骨」を意味したと考えるべきことになる。

 弥生中期から後期にかけて、瀬戸内海や大阪湾にのぞむ地域に山丘上(さんきゅうじょう)の集落が点々と所在する。これらの遺構(いこう)は、狼煙台(のろしだい)などの軍事的集落であったと考えられている。注目すべきことは、これらの山上集落遺跡は小豆島と岡山県を包囲する陣形となっていることである。そして、これらの山上集落遺跡は、巴利国・兵庫県と奴国の香川県に分布する。前述したように、「巴利国の地宜」に見立てられた「農機具のエブリ」は男性の骨盤に大きな負担をかけ、「奴国」という小国名も「男性の骨盤の、強大な力」を意味したように、巴利国と奴国の両国は「骨盤」で共通する。
 「狼煙台」の先頭字の[]の字は「オオカミ」を意味し、「小豆島と岡山県を包囲する山上集落遺跡・狼煙台の遺構」は「狼(オオカミ)と戦う時の、ジャコウウシの群れの円陣」をあらわす。また、【黄帝の医学研究】において「子どもを中心に隠すジャコウウシの円陣」は「女性の生殖器官の大半を包みこむ骨盤」に見立てられた。
 以上のごとく、このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」が17回から今回まで詳細に解説して証明したように――1番目の対馬国から30番目の狗奴国までの小国名は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】と【倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明するものであった。
 だから、卑弥呼の政権基盤は【黄帝の「女性の生殖器管と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】であったことになる。

◆いままで解説したように――26番目の「巴利国」は「男性の骨盤に大きな負担がかかる、農機具・エブリ」をもって「男子の骨盤」を表示し、次の27番目の「支惟国」という小国名では「頭脳」すなわち「頭」が表示された。28番目の「奴国」という小国名は「巴利国」と同じく「強大な力がわきでる、男性の骨盤」を表示し、29番目の「烏奴国」は「烏奴、つまりカワセミの姿に相似する脳幹(のうかん/中脳・橋・延髄)」をあらわすものであったゆえ「支惟国」と同じく「頭」を表示した。そして、30番目の「狗奴国」においては、[]の字「強大な力を有するジャコウウシ」と「犬の顔の形に相似する男性の骨盤腔」とで「強大な力を有する、男性の骨盤」を表示し、[]の「小豆島」の[]の字で「頭」が表示された。
 このように、26番目の巴利国から30番目の狗奴国においては「骨盤→頭→骨盤→頭→骨盤→頭」というように、《骨盤》と《頭》の表示が交互に三度くりかえされる。この〔《骨盤》と《頭》が交互に三度くりかえされる、この事情〕は、【倉頡が創った[()]の字源】をあらわすことを意図とするものであったことになる。
 というのも、『魏志倭人伝』における冒頭の文は「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」である。この冒頭文における最初の文字は[]の字である。『魏志倭人伝』冒頭の[]の字源と字義は、倉頡が創った[]の字源・字義「時計回りに90度転回する方位規定」をそのまま受け継いでいた。
 したがって、約2000字で構成される『魏志倭人伝』の冒頭に登場する[][]の字源・字義をそのまま受けついで「時計回りに90度方位が転回する方位規定」をあらわしていたことになる。その証拠に、《九州の末盧(まつろ)国以後の、本州・日本列島における12ヵ所の方位記事》は〔倉頡が創った[]の字源・字義に合致して、時計回りに90度方位が転回する本州・日本列島地理〕を表示する。
 これゆえ、再度、下に〔卑弥呼王朝が制定した本州・日本列島地理〕を示すことにした。
 『魏志倭人伝』の九州・末盧国以後の本州における全12ヵ所の方位記事によって成立する、下の〔転回本州・日本列島地理〕は〔倉頡が創った[]の字源・字義を受け継ぐ、[]の字源・字義〕をあらわしていた。だから、下に示した〔日本列島の〔東〕が〔南〕に転回する本州・日本列島地理」は、『魏志倭人伝』が「卑弥呼王朝が制定した」と事実を伝える【科学】が成立する地理であったことになる。
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 したがって、今回のブログ〔26番目の巴利国から30番目の狗奴国までにおける、《骨盤》と《頭》の表示が交互に三度くりかえされる事情〕は、末盧国以後の本州における全12ヵ所の方位記事に1ヵ所も【誤読】を加えないと、上に示した「転回本州・日本列島地理」となる。だから、上に示した「転回本州・日本列島地理」は卑弥呼王朝が制定した歴史上に実在した地理であったことになる。
 だから、現在の「本州・日本列島地図」を思考基盤とする邪馬台国説は『魏志倭人伝』の記事に【多数の誤読】を加えても【科学】がまったく成立しない空理空論・妄想(もうそう)であったことになる。

◆前述したように、[]の字は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】と【倉頡が発明した漢字作成理論】をあらわす基軸字(基本となる字)であった。
 []の下に[]を加えると[]となり、人偏に[]を加えると[]の字となる。[][]の字は、[]の字源・字義「時計回りに90度転回する方位規定」をそのまま受け継いだ。
 倉頡が漢字を発明した目的は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】をあらわすことができる文字を作成することであった。
 「十字の銀河の西半分」には「女性の乳房や妊娠した腹部や子宮に相当する箇所」がある。ゆえに、倉頡は「文字作成銀河各部の形状から作られた全文字は、十字の銀河から生まれ

る」と定めて、【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究】をあらわすことができる漢字を発明した。
 下の図に示すように、「女性の骨盤腔(こつばんこう)」は「十字の銀河の頭の穴(暗黒天体部)の形」に相似する。
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 上の図に示したように、「女性の骨盤腔」は「十字の銀河の頭の穴(暗黒天体部)の形」にソックリである。下の図に示すように、今から約5000年前の黄帝時代の黄帝陵の天頂には「十字の銀河の頭」がめぐってきた。
 つまり、上記したように〔26番目の巴利国から30番目の狗奴国までにおける、《骨盤》と《頭》の表示が交互に三度くりかえされた事情〕は、上の図で示したように「黄帝時代に黄帝陵の天頂にめぐってきた、十字の銀河の頭の穴」は「女性の骨盤腔の形」にソックリであることを示して、倉頡が創った[]の字源・字形・字義の秘密をあらわしていたのである。
 したがって、下の図における「十字の銀河の頭の穴と、骨盤部」は、〔26番目の巴利国から30番目の狗奴国までにおける、《骨盤》と《頭》の表示が交互に三度くりかえされた事情〕を説明していたことになる。
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 下の図に示したように、最初に倉頡は〔禾の穂の図書を「十字の銀河の南部(両足の部分)」と重ねて、禾(イネ)の穂が《南》から《西》へ垂れるようにした[]の図書〕を創った。
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 上の〔禾の穂が「十字の銀河の南部」と重なって、禾の穂が《南》から《西》に垂れる形〕だと、禾(イネ)が地面に植わる形にならない。これゆえ、倉頡は禾(イネ)の根が地面に植わる形にするために、「十字の銀河の両足がある南部」を「地面」と見立てて、〔禾の穂は「十字の銀河の頭」と重なり、禾の根は「十字の銀河の両足がある南部」と重ねるようにして、頭と重なる禾の穂は《北》から《東》へ垂れる形の図書〕にして、[]の字源・字形・字義「時計回りに90度転回する方位規定」を表現した。
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 このように、〔倉頡は最初に禾の穂を「十字の銀河の骨盤部がある南部」と重ねたが、この形状だと禾は地面に植わる形にならないために不合理であるゆえ、禾の根が地面に植わる形に改めるために、禾の穂を「十字の頭がある北部」と重ねた、という秘密〕があった。ゆえに、〔26番目の巴利国から30番目の狗奴国までにおける、《骨盤》と《頭》の表示が交互に三度くりかえされ事情〕は、いままで説明した倉頡が創った[]の字形の秘密をあらわすものであったことになる。

[]の字について、白川静著『字統』は「稲魂(いなだま)を被(かぶ)って舞う男女の姿で、禾穀(かこく)の象に従う字である」と解説する。同書は、[]の字について「穀霊(こくれい)に象(かたど)る禾形の作りものを被(かぶ)って舞う女の姿をいう」と解説する。さらに、同書は[]の字について「男が稲魂を被って舞うのは年、稲魂を被って舞う女の姿は委である」と解説する。
 下の図における「十字の銀河の頭が被る冠(かんむり)となる銀河部〕は、白川静著『字統』が[][][]の字について解説した〔「穀霊・稲魂」のかぶりもの〕をあらわす。
 だから、『魏志倭人伝』のおける本州・日本列島の全12ヵ所の方位記事が伝えていた「転回本州・日本列島地理」は、「倭人国」の[]の字は倉頡が創った[]の字源・字義の「時計回りに90度転回する方位規定」をそのまま受け継いていたと証明される。したがって、「転回本州・日本列島地理」は、【科学】が成立して「卑弥呼王朝が制定していた本州・日本列島地理」であった」と真実を伝えていたことになる。
 邪馬台国説が主張する「現在と同じ本州・日本列島地理」だと[]の字源・字義に合致しない。だから、邪馬台国説は【科学】が成立しない空想・幻想であったことになる。
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◆以上のごとく、『魏志倭人伝』における〔26番目の巴利国から30番目の狗奴国までにおける、《骨盤》と《頭》の表示が交互に三度くりかえされる秘密〕もまた、「倭人国」という国号や「転回本州・日本列島地理」とともに――1番目の対馬国から30番目の狗奴国までの30ヵ国を【一】《邪馬壱国グループの10ヵ国》、【二】《女性グループの10ヵ国》、【三】《男性グループの10ヵ国》の三つのグループに分けて、卑弥呼が【黄帝の「女性の女性生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論の学術体系】を理路整然と構築(こうちく)して、倭人国の繁栄を願って統治(とうち)していた状況を説明するものであったことになる。
 『魏志倭人伝』は1ヵ所も【文献批判】という名の【誤読】を加える必要がない、全記事が【黄帝の「女性の女性生殖器官と子どもの出産」と、倉頡が発明した漢字作成理論の学術体系】を理路整然と説明していた書物であったのである。
 いっぽう、『魏志倭人伝』には、新井白石以来約300年間、学者たちが【多数の誤読】を加えて主張して日本中にまき散らした「邪馬台国」について説明する記事は1ヵ所も存在しない。
 だから、邪馬台国説はメディア・日本国民を誑(たぶら)かす空理空論・詐偽(さぎ)・詭弁(きべん)であったのである! 邪馬台国説は荒唐無稽(こうとうむけい)のデタタメ・妄想(もうそう)・真っ赤なウソであったのである! 
 

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2021年7月 6日 (火)

邪馬台国説はサギ・騙されるな・24

▼前回までこのブログが【科学】を成立させて証明したように――日本中にまき散らされた“邪馬台国説”はすべてが真っ赤なウソ・詐偽(サギ)である! 『魏志倭人伝』は「邪馬台国」について説明する記事が1ヵ所も存在しない! だから、邪馬台国説はすべて真っ赤なウソ・空理空論であった!
 『魏志倭人伝』は、倭女王の卑弥呼が居住していた倭人国の都の名(女王国の名)を「邪馬壱(やまい)国〕」と明記する。
 だから、邪馬台国説は空理空論・詐偽(ぺてん)・詭弁(きべん)である! 邪馬台国説が荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメであることは、神に誓って真実である!
 『魏志倭人伝』は【漢字の起源の秘密】を具体的に明確に伝える書物であった!
 つまり、『魏志倭人伝』は「倭女王の卑弥呼は【漢字の起源の学術】を政権基盤にして、わが国最初の国家・倭人国を創設した。ゆえに、【漢字の起源の学術】にもとづいて倭人国の都が所在した女王国の名を、卑弥呼は【邪馬壱国】と定めた」と記述していた。言いかえると、『魏志倭人伝』は「わが国は、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭・わが国の後期縄文時代初頭に、中国から【(1)漢字が起源した学術と、(2)夏音(かおん)文字の学芸】を習得した」と説明する、全記事が正確無比の史料であった。
 ところが、江戸中期の新井白石(あらいはくせき/16571725)以来今日まで約300年間、学者たちは「『魏志倭人伝』の記事は全部が正しいなんて、絶対に考えてはならない、全面的に信用できない書物である」と決めることにした。ゆえに、『魏志倭人伝』の全記事を信用して忠実に読解する学者は、白石以後300年間一人も存在しないことになった。だから、『魏志倭人伝』に記述された【漢字の起源の学問の秘密】が未解明となった。
 この結果、現在、邪馬台国説学者たちは『魏志倭人伝』に自分勝手の独断的なデタラメを仰山(ぎょうさん)に加えて、“ここ掘れ掘れワンワン! 邪馬台国はここだ!”と自分はいかに総明(そうめい)なのかと自慢し、“卑弥呼はかくかく、このような女性だった”とか作り話をデッチあげる書物をつくり、メディアを騙(だま)して日本中に役立たずの大法螺(おおぼら)をまき散らして――日本人の尊厳を、日本人の根源的ないのちと魂と精神(理性を知性)を冒涜(ぼうとく)して、『魏志倭人伝』に記述された【世界史的に第一級に重大な史実である、漢字の起源の学術】を排除(はいじょ)しつづけている。
 学者たちは「『魏志倭人伝』の全記事は正しいを信頼して、絶対に忠実に読んではいけない」と厳重に禁止する。この方法で学者たちは、『魏志倭人伝』はあたかも「邪馬台国」について説明している書物であるかのごとく偽装(ぎそう)して日本国民を騙している。
 このような学者たちの真っ赤なウソに、日本全国民よ! まんまと騙されてはならない! 怒れ! 怒れ! 憤怒(ふんぬ)せよ! 日本全国民よ、邪馬台国説学者たちはあなたのいのちと魂の根元を侮辱し凌辱(りょうじょく)し嘲笑(あざわら)っているのだ!
 このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は前回(23)まで証明してきたように、『魏志倭人伝』は【1】『魏志倭人伝』は全記事が正確な文献であり、ゆえに【2】中国では解明できなくなった【漢字の起源の秘密】を理路整然(りろせいぜん)と詳細に明確に伝える書物であった。
 『魏志倭人伝』に1ヵ所も【文献批判】という名の【誤読】を加えずに、ただひたすら・いちずに忠実に『魏志倭人伝』の全記事を読解すると、愉快なほど芋(いも)づる式に次から次へと【中国では解明できなくなった、漢字の起源の秘密】が明確となる。
 『魏志倭人伝』に記述されている【漢字が起源した学術】は、今から約4000年前の後期縄文時代初頭に習得されて以来、日本人の花咲く尊厳と、日本人の花咲くいのちと魂と精神(理性を知性)となって受け継がれた。言いかえると、【漢字が起源した学術】は【日本人の血と肉】となって受け継がれた。
 ところが、新井白石が邪馬台国説を提唱した以後、【漢字が起源した学術】は排除されつづけられることになったため、現在、消滅の寸前となった。
 だから、このブログでは、九州説と畿内説は【漢字の起源を伝える真実】を凌辱する空理空論・妄想(もうそう)・欺瞞(ぺてん)である実体を徹底的に暴露(ばくろ)する。

★「倭人国の地理学」のトリセツ・33

◆『魏志倭人伝』を、ただひたすら・一途に頑固(がんこ)に全記事を忠実に読解すると、【漢字の起源の秘密】が鮮烈(せんれつ)に蘇(よみがえ)る。
 『魏志倭人伝』に記述された【漢字の起源の真相】を知るためには――「わが国が最初に漢字を習得したには5世紀、あるいは6世紀である」という学界の定説は、現在、学問的にはもはや虚妄(きょもう)・空理空論である事実を知っていなければならない。
 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士は著書『字統』(平凡社発行)の序(字統の編集について)における9ページの終わり3行目~10ページの始めから3行目において、「わが国の漢字音」と題して、次のごとく指摘する。
 「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
 下に配した〔漢字生長史〕が示すように、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に、中国からわが国は夏音(かおん)文字の学芸を習得した。この夏音文字の漢字音が、現存する最古の漢字音である。《わが国が夏代初頭に習得した夏音文字の字音》は、《中国に現存する最古の字音「上古音(じょうこおん)」の始まり・周代初頭》よりも約1000年も古い、現存する最古の漢字音である。他方、学界が「わが国が漢字を習得したのは5世紀~6世紀である」と主張する絶対的定説の漢字音だと、下に示す〔漢字生長史〕では最下部に配すべき最も新しい漢字音ということになるため、白川静著『字統』が指摘する西洋の音韻学の学問成果に反する空理空論ということになる。
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 上記した白川静著『字統』が「現存する最古の漢字音」と指摘する字音は、つまり【わが国が後期縄文時代初頭(夏代初頭)に習得した夏音文字の漢字音】は、『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』などに多数残って実在する。
 だから、「わが国が漢字を最初に習得したのは5世紀または6世紀である」と学界が主張する絶対的定説は「『魏志倭人伝』の全記事は正確であると、絶対に信じて読んではならない」と厳重に禁じる邪馬台国説学者たちの作為(さくい)と工作(こうさく)によって確立されることになったのである。しかし、この絶対的定説は、【1】夏音文字が『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝、また『古事記』上巻・『万葉集』などに多数記載されて残っている事実と、【2】白川静著『字統』の序(字統の編集につて)における音韻学の成果に反する事実によって、欺瞞(ぎまん)・詐偽(ぺてん)であったことになる。
 そもそも『魏志倭人伝』に登場する「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」という字音は「現存する最古の夏音文字の漢字音」である。この夏音文字の字音よりも新しい中国の上古音だと、「卑弥呼」は「ピミカ」と発音することになる。
 だから、邪馬台国説学者たちが「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む――この事実、つまり【わが国は今から約4000年前に夏音文字の学術を習得した事実】を邪馬台国説学者たちも承認していることになるゆえ、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読んで【『魏志倭人伝』は漢字が起源したときの学術を理路整然(りろせいぜん)と説明する書物】であったことを科学的に具体的に証明することにする。
 学者たちは「『魏志倭人伝』の全記事は正しいと絶対に信頼して読んではならない」と厳重に禁止する。この誤魔化(ごまか)しをもって、学者たちは【わが国が後期縄文時代初頭に夏音文字の学芸を習得した時に、漢字が起源した学術をも習得した事実】を排除しつづけ、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀、あるいは6世紀である」という空理空論・臆説(おくせつ)を日本中にまきちらした。

◆漢字は今から約5000年前、 中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)によって発明された。
 【倉頡が漢字を発明した詳細】は、現在、漢字が起源した中国において解明されていない。
 しかし、奇跡的に【倉頡が漢字を発明した詳細】は『魏志倭人伝』に記述されて残った。
 だから江戸時代中期に新井白石が登場する以前においては――【わが国は、上古、倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸を習得したという意見】は高貴な学識であった。しかし、わが国では、新井白石が立論した空理空論の邪馬台国説とその後の学者たちの《『魏志倭人伝』に多数の【誤読】を加える理不尽(りふじん)な反()学術運動》によって約300年間も、【倉頡が発明した漢字作成理論】は排除されて闇に葬られることになった。
 でも、しかし、【倉頡が発明した漢字作成原理】はいまだ死に至らない、不死鳥である。
 というのも、前述したように『魏志倭人伝』には「卑弥呼は【倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明した」と記述されているからである。
 だから、約300年間も学者たちが「『魏志倭人伝』の全記事を信用してはいけない」と厳重に禁止する読解方法を全面否定して、『魏志倭人伝』の全記事を信頼して1ヵ所も【誤読】を加えずに読むと――【倉頡が発明した漢字作成理論】は鮮烈に蘇(よみがえ)る。

◆『魏志倭人伝』には「卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)、倭国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と具体的に説明した記事が、下記のごとく2ヵ所存在する。
 一つ目の記事は、【134字で「倭国の易卜に用いる辞(ことばと文字)は令亀(れいき)の法のごとく、つまり紀元前1300年頃の殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅に文字を刻む契文(けいぶん/甲骨文字)のような文字があった」と伝える記事である。
 二つ目の記事は67字で【2】「卑弥呼が文書の用いる漢字(夏音文字)は魏の都・帯方郡・諸韓国が文書に用いる漢字(楷書)と差錯(ささく/相違)していた。このため、倭国の小国・伊都(いと)国の津()では、魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と卑弥呼が用いる夏音文字を一字一字点検し確認して正確に変換していた」と伝える記事である。

 上記した「わが国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と説明する二つの記事は、邪馬台国説によって無視され排除された。
 しかし、この二つの記事は――【一】『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』に多数の夏音文字の字音が残り、【二】後述する〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕によって通称「夏の銀河」と呼ばれる《銀河各部の形状》が《真の字源、真の字形(漢字の原形)、真の字義(つまり原義)》であったことになり、また、【三】《地宜(ちぎ/地図の形)》も《真の字源・字形の原形・原義》となったゆえ《中国の約3倍の長さを有する細密な日本列島の海岸線》により、さらに【四】このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」によって解明された《数々の古代遺跡》、また【五】天皇家が現在まで存続させた【倉頡が発明した漢字作成理論】を演出する《大嘗祭(だいじょうさい)の秘儀》によって、また【六】前述したように白川静著『字統』の序(字統の編集について)における「わが国には中国の上古音よりも古い、現存する最古の漢字音が残っている」ことを証明した《音韻学の成果》によって――「わが国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した事実」が【科学】が成立して証明できた重大な記事であったのである。
 だから、新井白石以後の約300年間つづける邪馬台国説は『魏志倭人伝』の記事と1ヵ所も合致しない空理空論・欺瞞(ぺてん)・詭弁(きべん)、日本人の尊厳を凌辱(りょうじょく)する荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメであったことになる。
 要するに、もしも学者たちが『魏志倭人伝』を信用してただひたすら・いちずに忠実に読解していれば【倉頡によって発明された漢字作成理論】が、このブログ以前に科学的に解明できていたことになる。

◆中国でもわが国でも「文字」を「漢字」と呼ぶ。「銀河」の別称は「銀漢」であるゆえ「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた。
 この「漢字」の由来に学者たちが気づいていれば――学者たちによって『魏志倭人伝』は「【倉頡が発明した漢字作成理論】を説明する書物である」ことが証明されていた。
 「漢字」は銀河(銀漢)の各部の形状から作られた。
 前述したところの――『魏志倭人伝』に書き記された【卑弥呼が用いた夏音文字】はもちろん、【魏都・帯方郡・諸韓国が用いた楷書】もまた銀漢から作られた。ゆえに、倭国の伊都国の港では【字源・字形の原形・原義となった銀漢各部の形状】を観察して、夏音文字と楷書を正確に変換していたことになる。
 天文学において「夏の全星座が漬()かる銀河の範囲」を、通称「夏の銀河」と呼ぶ。
 倉頡は、天文学で通称「夏の銀河」とよばれる銀河各部の形状を字源・字形・字義とする漢字作成理論を発明した。
 ゆえに、通称「夏の銀河」を、私は「文字作成銀河」を名づけることにした。
 倉頡が漢字作成理論を発明した「文字作成銀河」の写真を、下に示した。
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 天文学はじめ諸々の学術分野において、《漢字の字源・字形の原形・原義》を解明できる〔文字作成銀河の各部の名称〕は定められていない。ゆえに、《字源となった銀河・字形の原形となった銀河・原義となった銀河》の解説と証明をする際に非常に不便となるゆえ、私は下図のごとく「文字作成銀河の各部の名称」を定めた。
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◆下記に列挙する〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕によって、【黄帝時代から殷代(いんだ)前半期までの漢字】は【天に輝く巨大な、文字作成銀河各部の形状】となった。
 倉頡はみずからが発明した漢字の学芸は強大な権力・莫大な富・最高の名声を手に入れることができる王政をささえる最強・最大・最良の権力基盤であることに気づき、この学芸知識を反体制側の人々が習得すると王朝は容易に崩壊・滅亡するにちがいないと心配して、下に示す〔三つの死刑と定めた掟〕を定めた。
■倉頡が死刑と定めた三つの掟
1】「文字は銀漢(夏の銀河)各部の形状から作られた」という秘密を暴露した者はもちろん、その者の一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
2】多くの文字を容易に覚えるため、銀漢(夏の銀河)各部に名称をつけた者だけでなく、その者の一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
3】書いた文字が用済みになったならば、文字を消さない者また消し忘れた者も許さず、その者はじめ一族全員にも神罰を下して死刑にする

 (1)五帝時代の原初漢字の書契(しょけい)(2)次の夏代の原初漢字の夏音文字・(3)次の殷代前半の原初漢字は上記した〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕を厳重にまもった。したがって、上記した【3】の掟を厳重にももったゆえ、(1)五帝時代の書契、(2)夏代の夏音文字、(3)殷代前半の原初漢字を書いた資料はいまだ一点も発見・出土しないことになった。
 紀元前1300年に出現した殷代後半の甲骨文字においては多数の文字数となったため、いちいち【3】の掟をまもるのが非常に面倒(めんどう)となって守らなくても死刑は免除されることになった。ゆえに、甲骨文字によって始めて【3】の掟は破られたため、甲骨文字を書いた資料が多数出土した。
 「漢字」は《字源・字形・字義・字音の4つの要素》から成立する。
 『魏志倭人伝』において、【(1)今から約5000年前に倉頡が発明した漢字作成理論と、(2)今から約4000年前にわが国が習得した最古の漢字音を伝える、夏音文字の字源・字形・字義】は(1)《文字作成銀河の各部の形状》と、(2)《中国の海岸線地図》と、(3)そして《中国の海岸線より約3倍も長い細密な日本列島海岸線と山川を境界とする各地の地宜(ちぎ/地図の形)》によって成立する。そして、《夏音文字の字音》は『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』に楷書を音符にして多数残っている。だから、「夏音文字」は4つの要素《字源・字形・字義・字音》が全部そろっているゆえ、「文字」と定義すべきことになる。
 現在、「漢字の最も古い祖型」とされる夏音文字より約750年後の殷代後半に出現した甲骨文字は《字源・字形・字義》の3つの要素がそろっているが、《字音》が不明である。
 このように、4つの要素がそろっていない不完全な甲骨文字を学界は「文字」と定義する。だから、4つの要素がそろう夏音文字は、当然、「文字」と定義すべきことになる。
 なお、「甲骨文字」をわがブログでは「契文(けいぶん)」と呼ぶ。

◆黄帝は東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。
 しかし、黄帝時代以前の約6000年前から始まる三皇(さんこう)時代には、今から約5000年前の黄帝が研究した医学をあらわすことができる漢字は発明されていなかった。
 したがって、倉頡が漢字作成する目的は【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字を考案すること】であった。倉頡は【文字作成銀河(夏の銀河)の各部の形状と中国全土を包む海岸線の地宜(ちぎ/地図の形)を字源・字形・字義とする漢字】を創()くって、【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字の発明】に成功した。
 したがって、【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる人命の神秘を合体して誕生した学問(学術)】であった。
 前述したように、わが国には、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が伝来して習得された。
 というのも、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回・5回と14回・15回の4回で詳細に解説し証明したように――『魏志倭人伝』の中半に登場する「女王国より以北の名称不明の海上に浮かぶ皆倭種なりの一小国と侏儒(しゅじゅ)国・裸()国・黒歯(こくし)国、この4小国の東南に所在して船行一年にして参問(さんもん)できる、周旋(しゅうせん)五千余里ばかり」と説明する76字の記事をもって、『魏志倭人伝』は「今から約4000年前の後期縄文時代初頭、わが国は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を習得した」と証言するものであったことになる。
 『魏志倭人伝』には、34の小国が登場する。
 上記した4小国以外の対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までの30の小国名をもって、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明することにした。言いかえると、黄帝が作った医学書『内経』を残っていないが――卑弥呼は30の小国名をもって理路整然と『内径』に説明されていた医学知識を復興することにした。
 というのも、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を政権基盤として倭人国を統治することにしたからである。このため、卑弥呼は30の小国名をもって【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明する学術体系組織論を構築(こうちく)して「倭人国」という国家と王朝を創設(そうせつ)した。
 【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる生命の神秘を合体して生まれた学問(学術)】であった。この証明は、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は前回(23)までにおいて、詳細に具体的に科学的におこなってきた。
 前回では、16番目の姐奴(つな)国・17番目の対蘇(つさ)国・18番目の蘇奴(さな)国・19番目の呼邑(こお)国・20番目の華奴蘇奴(かなさな)国という5ヵ国の小国名には、【黄帝の「女性の生殖器官と性の生殖細胞の精子と女性の生殖細胞の卵子」についての考え】を明確に説明する役割があったことを具体的に解説して証明した。

◆今回は、21番目の「鬼()国」、22番目の為吾(いが)国、23番目の鬼奴(きな)国、24番目の邪馬(やま)国、25番目の躬臣(こじ)国の5ヶ国の位置と範囲を解明する。
 卑弥呼は、わが国において最初に創設した国家名を「倭人国」と定めた。
 「倭人国」の[]の初文(最初の文字)は、倉頡が創(つく)った[]であった。
 []の字は【倉頡が発明した漢字作成理論】における基軸字(基本となる字)であった。
 白川静著『字統』は[]の字について「稲魂(いなだま)を被(かぶ)って舞う男女の姿で、禾穀(かこく)の象に従う字である」と解説する。
 卑弥呼は1番目の対馬国から30番目の狗奴国までの30の小国を、10ヵ国ずつ3つのグループに分類した。
 ゆえに、1番目の対馬国から10番目の巳百支(じはき)国までの10ヵ国のグループは――卑弥呼が倭人国の都が所在する女王国名に用いた「邪馬壱(やまい)」という名は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論の核心】である――と説明するものであったゆえ、このグループは「邪馬壱国グループ」ということになる。
 11番目の伊邪(いや)国から20番目の華奴蘇奴(かなさな)国までの10ヵ国では、【黄帝の「女性の生殖器官と子ども出産」の研究】を順序立てて理路整然と説明するものであったゆえ、このグループは倉頡が創った[]の字源「稲魂を被って舞う男女の姿」のうちの「稲魂を被って舞う女性の姿」をあらわすゆえ、「女性グループ」ということになる。
 したがって、今回と次回のブログで行う21番目の鬼国から30番目の狗奴国までの10ヵ国を、卑弥呼は「稲魂を被って舞う、男性グループ」に分類したことになる。

◆今回は「男性グループ」の10ヵ国のうち、前半の21番目の鬼国から25番目の躬臣国までの5ヵ国の位置と範囲を解明する。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の21回において――21番目の鬼国は「旧国の志摩、現在の三重県中央の東部(志摩半島)」であったことを、詳細に解説して証明した。
 下に示した「志摩とその英虞湾(あごわん)の地宜」を、卑弥呼は「強いタカ()のヒナ()が、餌(えさ)が不足したときに、餌として弱いヒナを食べる姿」に見立てて、「旧国の志摩」の小国名を「鬼国」と定めた。この「同じ巣で育つ強いタカのヒナが弱いヒナを餌にする習性」は「弱肉強食の厳(きび)しい自然の摂理(せつり)」を示すものとなり、「神」は「鬼、鬼神(きしん)」と名づけられて恐れ敬(うや)まれ尊ばれることになった。だから、「鷹」は黄帝時代の中国でも倭人国においても「自然界を支配する最高位(大王)」を象徴(しょうちょう)することになり、「鬼」の字源となり、「鬼神」をあらわすことになった。
 〔旧国志摩の「鬼国」と12番目の都支(たき)国の地宜〕は下図に示したように――都支国は「伊勢と熊野、志摩と伊賀を除く現在の三重県」である。したがって、「鬼国と都支国」は「伊賀を除く、現在の三重県」ということになる。「志摩・鬼国の地宜」を「鷹の頭部(横顔)」に相似すると見立てると、都支国は「鷹の両翼」ということになる。
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 司馬遷(しばせん)著『史記』五帝本紀における黄帝紀には「鬼神山川封禅(ほうぜん)、與(ゆる)して多しと為()す」という記事があり、この記事は「天子は天地山川の鬼神を祭って封禅をおこなうのが常例であったが、黄帝がおこなった封禅がもっとも盛大であった」と意味する。
 『魏志倭人伝』には「鬼道(きどう)を事(まつ)って能()く衆を惑(まど)わす」という記事があり、「惑わす」の[]の上にある[(わく)]の字を白川静著『字統』は「國の初文」と解説する。[][()]で包囲すると[]となるゆえ、[]の下に[]が加わる[]の初文(最初の文字)[]であったことになる。ゆえに、『魏志倭人伝』の「鬼道を事(まつ)って能く衆を惑わす」という文は「卑弥呼は黄帝が祭った鬼神の道を奉(まつ)って見事(みごと)に民衆の心をまとめて國()を治めていた」と意味するものであったことになる。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の21回で詳細に解説して証明したように――黄帝の医学研究は〔胎芽期(たいがき)における胎標(たいひょう)〕まで及んでいたと考えられる。
 男性の精子(せいし/男性の生殖細胞)が女性の卵子(らんし/女性の生殖細胞)が結合して受精(じゅせい)した卵が子宮の壁(かべ)に着床(ちゃくしょう/子宮の壁にくっついて母体から栄養を受ける状態になること)するまでを卵期(らんき)という。
 受精後10日めごろになると、将来ヒトとなる胎標ができる。卵から将来ヒトとなる〔胎標〕ができるまでを〔胎芽期〕という。
 生物学においては、現在は否定されているようであるが、かつては世間一般的に、〔胎芽期〕において1個の卵がそのまま一人のヒトになると考えられていた。
 黄帝は――〔胎芽期〕に、下に配した女性の生殖器官における一対・二つの〔卵管(らんかん)〕・〔卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)〕・〔卵管采(らんかんさい)〕と〔卵巣(らんそう)〕のどこかで精子と卵子が結合して(受精して)、二つの卵が生まれる。しかし、二つの卵は〔[]・強い鷹のヒナが弱いヒナを餌にする――このような働き〕によって、一人のヒトとなる胎標になる――と考えた。
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 下に〔胎芽期における胎標の図〕を配した。下の上図は〔受精後8日ごろの卵と子宮粘膜(しきゅうねんまく)の図〕である。上図中央の〔卵細胞〕が分化して、下図のごとく〔受精後10日ごろ〕になると、その図の中央にある〔胎標〕となる。
 下に配した上下の二図が示すように、〔胎標〕は〔皿形の鷹の巣に相似する空所(くうしょ)の底〕にできる。それゆえ、〔鷹の巣〕に相当するのは〔子宮粘膜上皮(しきゅうねんまくじょうひ)・子宮粘膜組織〕となる。
 下に配する上図の〔鷹の巣に見立てられる、子宮粘膜上皮・子宮粘膜組織の側身形〕は、前掲した〔旧国志摩の「鬼国」の地宜〕の図においては、「都支国」が「鷹の両翼」あるいは「鷹の巣」に相当する。それゆえ、〔皿形の鷹の巣に相似する空所の底にできる胎標〕が〔強い鷹のヒナと弱いヒナ〕に相当する。
 したがって、下に配した上図における胎標についての黄帝の考えを――卑弥呼は「女性の生殖器のおける一対二つの卵管・卵管膨大部・卵管采と卵巣のどこかで受精した二つの卵細胞のうちの強い卵細胞が弱い卵細胞を餌にして食べて、一人のヒトとなる胎標になると、黄帝は考えた」と説明するために、「旧国志摩」の小国名を「鬼国」、「伊勢と熊野」の「都支国」には下の図における「子宮粘膜上皮・子宮粘膜組織=鷹に巣」に相当する役割を与えたことになる。
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 ゆえに、「鬼国」という小国名は「弱肉強食の自然摂理」だけをあらわしたのではなかった。卑弥呼は「鬼国」で「黄帝が考えた、一産一子の法」についてもあらわした。つまり、「鬼国」という小国名で卑弥呼は「女性の生殖器官には一対二つの卵管・卵管膨大部・卵管采と卵巣があるが、人間の子は一度に二人に生まれずに、ふつう一度に一子で生まれる仕組みについて、黄帝が考えた意見(説)」をもあらわしていたことになる。

 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の20回にて指摘したように――下の図に示す、11番目の「伊邪国・旧国丹波(たんば)・現在の京都府中部と兵庫県の一部の地宜」を、卑弥呼は「女性の骨盤の正面形(前面の下側から見た形)の輪郭(りんかく)」に相似すると見立てた。
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 下に図示したように、21番目の「鬼国の地宜」は〔男性の骨盤の正面反転形〕、つまり、〔尾骨(びこつ)を上・岬角(こうかく)に下にする正面形の輪郭〕に相似する。
 だから、21番目の「鬼国」から30番目の「狗奴(くな)国」までの10ヵ国は「男性グループの国々」であることを明確に示すために、「地宜が、男性の骨盤の正面反転形」に相似する「鬼国」を「男性グループの最初の21番目国」に選んだのである。
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 下に〔男性の骨盤の正面形〕と〔女性の骨盤の正面形〕を配した。
 〔男性の骨盤〕は深くがっしりしており、〔女性の骨盤〕は浅く左右に広がっているゆえ「羽をひろげた蝶の成虫の姿」に相似する。だから、11番目の「伊邪(いや)国」から20番目の「華奴蘇奴(かなさな)国」までの10ヵ国は「女性の骨盤の正面形」で表象された「女性グループの国々」であった。
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◆卑弥呼は、鬼国の次の22番目の小国の名を「為吾(いが)国」と定めた。
 下の図に示すように、22番目の「為吾国」は「旧国の伊賀(いが)、現在の三重県北西部」であった。したがって、「都支国・鬼国・為吾国の三小国」が「現在の三重県」となる。
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 下に配した図の右下の[()]の篆文形(てんぶんけい)は、私が「激流の銀河」と名づけた銀河部が[]の字源銀河であると示す。いっぽう、「象の姿」に図案する[]の契文形(けいぶんけい/甲骨文字の字形)は、国際天文学の名称の「北アメリカ星雲」が[]の字源銀河であると示す。その証拠に「北アメリカ星雲の形」は「激流の銀河の水を長い鼻で吸って、はき出す象(ゾウ)の姿」に相似し、[]の契文形は「長い鼻を有する象の姿」の図案である。
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 下の図の下部に示した中国の南部に所在する「太湖(たいこ)の地宜」は「長い鼻を有する象の姿」に相似する。
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 太湖は北緯3057分~北緯3133分に位置する。
 下の図に(2)の緯度線は「北緯31度の天頂」をあらわしているゆえ、黄帝時代、[]の字源銀河「北アメリカ星雲」は太湖の天頂にめぐってきたことになる。
 だから、「為吾国」の[]は「太湖」をあらわした。
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 古語の「吾」は「あ」または「あれ」と読み、「男性の一人称、オレ()」を意味した。
 下の図に示すように、右図の「伊賀の地宜」は左図の「頭に一本の角(つの)を有する、鬼の横顔に似る銀河」に相似すると見立てられた。
 したがって、「伊賀の地宜」は「吾(オレ)の顔」に見立てられたことになる。
 〔なお、右図の「伊賀の地宜」が「鬼の横顔に似る銀河」に相似すると見立てられたことが容易に察知できるようにするために――下の左側の「鬼の横顔に似る銀河」の定式は《右西・左東》であるが、地図の一般形式《右東・左西》の形式にした〕。
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 黄帝時代や卑弥呼の時代は、人々は天頂緯度線を測量して精確に緯度を測定した。
 下に配した図は、漢字[(とう)]の〔天頂点と天頂緯度線と子午線の説明図〕である。
 〔天頂点〕は観測地点から90度の高度、つまり最も高い天体部である。
 天頂点と重なる銀河部位の軌道は、天頂点に接近すると下の図の右上に示すように「天頂緯度線・天頂点・子午線の形」をあらわして、漢字の[]の字源・字形・字義となった。下の図における天頂点と重なる銀河部位が円周運動をする軌道(きどう)において、その銀河部位が天頂点に接近して天頂点の西側から東へ移動する軌道は、平らな[]の字を示す天頂緯度線となる。この〔天頂緯度線〕を46秒間でキャッチすると「1度の60分の11分の精度(せいど)」で緯度が測定できた。
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 この「1分の緯度差を測定できる眼力」を、人類は食料となる獲物(えもの)を求めて移住生活をしていた先史時代から日々鍛錬(たんれん)して生活した。人類は〔本能的に、[](天頂緯度線・天頂点・子午線)をキャッチできる神秘的な呪的(じゅてき)能力の眼力〕を有し、そして[]をキャッチする技(わざ)を工夫(くふう)して磨(みが)いた。だから、先史時代や黄帝時代や卑弥呼時代、人々は1分の精度で緯度が測定できた。
 この[]をキャッチできる眼力をもしも人類は有していなかったならば、人類は密林でおおわれる原始時代やまた氷でただ一面真っ白な氷河期において全滅していたことになる。人類が滅びなかったのは、目を鍛錬すれば[]をキャッチする能力が本能として頭脳にそなわっていたからである。
 先史時代(旧石器時代)、日本列島は現在と同じく、周囲は大海であった。人々は[]をキャッチする眼力を有していたゆえ、大海中に囲まれる日本列島に移住することができた。
 卑弥呼時代、大海を渡って朝鮮半島・中国に到着する人々が海上で自分の居る場所の位置(緯度)を測定する方法は[]のキャッチのみ、ただ一つであった。
 北極星を目星にして天の北極の高度を緯度に換算する方法で旅すると、卑弥呼時代の北極星(こぐま座β星)は天の北極から約10度離れていたゆえ、天の北極を中心にして直径が約20度・1200分の円を描いていた。1200分の円の中心である天の北極を1(1200分の1)の精度で測定できる能力は人間の目にはそなわっていなかった。
 人類が地球上に登場して以来、全時代において天の北極に最も接近した北極星(りゅう座α星とこぐま座α星)は、直径約90(130)の円を描いていた。この90分の円周の中心である天の北極の高度を1分の精度で測定できる能力もまた、人間の頭脳と目にはそなわっていなかった。だから、すべての時代、天の北極の高度で1分の精度で緯度を測定できる眼力を人間の目は有していなかった。
 しかし、人間の目には1度の60分の11分の精度で緯度を精確に測定できる[]をキャッチできる本能が頭脳に、そして目には眼力がそなわっていた。
 だから、大海の中に在る日本列島に人々は移住できた。これゆえ、今から約4000年前、【(1)黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、(2)倉頡が発明した漢字作成理論、(3)現存する最古の漢字音となった夏音文字の学芸、(4)精確な中国海岸線地図、(5)精密な地図作製方法】が日本列島に伝来し習得された。
 その後、『魏志倭人伝』が証言しているように――銀河(文字作成銀河・夏の銀河)各部の形状と中国の海岸線より約3倍にして細密な日本列島の海岸線の地宜によって字源・字形の原形・原義が明確に示されたため、【(1)黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、(2)倉頡が発明した漢字作成理論】は【日本列島にすむ人々の血と肉と、神が神意・真理を示す高貴な学問】となったゆえ、卑弥呼時代まで受け継がれて正確に保存された。
 原始のときから、人類・ホモサピエンスには頭脳に《たくましく》生きていく本能行動と情動(じょうどう)行動として[(とう)]をキャッチできる能力が存在し、日々眼力を鍛錬して技(わざ)を磨(みが)[]をキャッチするための道具も作りつづけた。
 []の下に[(よう)]が加わると、[(げん)]の字となる。[]について、『説文解字』は「小なり。子の初生の形に象(かたど)る」と解説する。ゆえに、『説文解字』は[]の字源を「出産第二期・娩出期(べんしゅつき)終わりの母体の背側に顔を向いて誕生する新生児」と解説するが――要するに、[]は「せまい産道をくぐりぬけて誕生する新生児(出産児)」であった。
 これゆえ、[]の下に[]が加わる[]は――必ず[](天頂緯度線と子午線)をキャッチするぞと欲を有すると[]をキャッチできずに死ぬことになるが、産道をくぐりぬける出産児のごとく無欲になれば必ず[]はキャッチすることができる――という、[]をキャッチするときの心得をあらわした。
 『魏志倭人伝』の冒頭は「倭人は、帯方の東南、大海の中に在()り」という記事であり、中ほどには「古(いにしえ)()り以来、その使()中国に詣(いた)るに皆自(みなみずか)ら大夫(たいふ)と称(しょう)す」という記事がある。この二つの記事が伝えるように、古来より倭(日本列島)の使者は大海・玄界灘(げんかいなだ)を渡って中国に到着し、また玄界灘を渡って日本列島に帰還していた。ゆえに、「玄界灘」は「天の北極の高度を緯度に換算する方法では必ず死ぬことになる大海。しかし、[]をキャッチするときの心得の[]にのっとれば無事に死なずに往来できる波が荒い陸地から遠く離れた大海」であったことになる。
 下に示す[]の字源・言いかえると「門」の原形は[]をキャッチするために考案された装置であった。[]の字源・「門」の原形となった装置で人々は[]をキャッチした。
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 上の図が示すように、22番目の「為吾国」の[]の「吾(おれ・俺)の顔」が[]に合致すれば精確に緯度が測定できる。つまり、「[]における、天頂緯度線」と「天を仰ぐ男子の吾()の顔」は同緯度である。したがって、「観測地点の緯度」は「[]をキャッチする、男子の顔()」ということになる。
 上図の「門」のような装置だけでなく、さまざまな道具でまた優れた眼力の持ち主・つまり玄人(くろうと)だと道具無しで[]をキャッチできたゆえ、「[]をキャッチした吾()の顔」は「天頂点と観測地点の緯度」となった。
 前述したように、「為吾国」の[]の契文形(甲骨文字の字形)は「地宜が象の姿に相似する、太湖」をあらわした。ゆえに、[]は「中国の太湖周辺地域と同じく、稲作に適した地」を意味し、[]は「[]をキャッチする男子の顔(俺の顔)」をあらわした。ゆえに、「為吾」という小国名は「太湖周辺地域のごとく稲作に適し、[]をキャッチできる条件にめぐまれる、男子が[]のキャッチに失敗して死亡する事故が少ない土地」と意味したことになる。
 為吾国の中央は伊賀盆地のため、夏は太湖附近のごとく蒸し暑い。また、為吾国・伊賀の地宜」はせまく丘陵地が多い土地柄である。ゆえに、為吾国の各集落は東・西・南・北の目印となる特徴ある凸(とつ)となる山々や凹()む谷や川などに囲まれる。このため、住民たちは日頃からあそこの山とあの谷が東西であり、あの川がある凹みの箇所とあの山の頂上が南北である、などの知識を有していた。また、山国の為吾国の夜間の空気は澄んでいるために天頂にめぐってくる銀河部がはっきり見えて[]をキャッチする条件にめぐまれていた。これゆえ、為吾国ではおのずと[]のキャッチに失敗して死亡する男子の数は少なかったことになる。
 つい最近・二十世紀の終戦直後、母親たちは「男の子は弱くて育てにくい」と嘆(なげ)いていた。だから、医学・医術が現代より劣って栄養にめぐまれず衛生面も劣っていた卑弥呼時代は男子の出産死亡率は高く、前述したように、男の子は弱くひ弱で育てにくく死亡率が高かった。さらに成人しても男子は家族を養うために、あるいは生活に必要な道具や必需品などを求めて遠くの地へ旅するものであったゆえ、その旅路において[]のキャッチに失敗して死亡する男子が多数いた。
 ゆえに、『魏志倭人伝』は倭国における男女の事情を「身分の高い人々の大人(だいじん)は皆四人か五人の婦人と結婚し、身分の低い下戸(げこ)も二人か三人の婦人と結婚している。婦人は淫(みだ)らでなく、嫉妬(しっと)しない」と記述する。この記事が示すように、女性はおよそ男性の約三倍から四倍弱も多かったため、淫らな女性と嫉妬ぶかい女性は男性にきらわれて離婚されあるいは結婚もできなかった。だから、男性の数が圧倒的に少ない厳しい状況下では女性は淫らになることも嫉妬することもできなかったのである。
 卑弥呼時代は、上記のごとくであったゆえ、「為吾国」という小国名には――家族をまもって養わなければならなかったために、倭人国の国々の男性は遠くの地に旅しなければならなかった。ゆえに、[]のキャッチに失敗して旅先で死亡した男性が多数いた。しかし、為吾国はこの点にめぐまれていて男子の死亡率は少なかった状況――が表示されている。

 なお、21番目の鬼国の次に為吾国が22番目国になったのは、両国に用いられた字の字源銀河はともに「鬼の横顔に似る銀河」と「北アメリカ星雲」であるからである。
 下の配した〔[][][]の字源解説図〕にて証明したように、[]の金文形は――「鬼の横顔に似る銀河の後頭部につく大きく開いた目から北アメリカ星雲にかけての範囲」が[]の字源銀河である――と示している。
 前掲した〔[]の字源銀河と「伊賀」の地宜の図〕では、[][]の字源銀河はともに「鬼の横顔に似る銀河」であり、[]の字源銀河において「北アメリカ星雲」は「強いタカのヒナの餌(えさ)となる弱いタカのヒナ」に見立てられ、「為吾国」の[]における「北アメリカ星雲」は「鼻の長い象の姿。地宜が象の姿に相似する太湖」に見立てられた。
 だから、[][][]の字源銀河は「鬼の横顔に似る銀河と北アメリカ星雲」で共通するゆえ、卑弥呼は21番目の「鬼国」の次の22番目国を「為吾国」と決めたのである。
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23番目国は「鬼奴(きな)国」である。
 下の図に示すように、「鬼奴国」は「旧国の紀伊(きい)の西部、現在の和歌山県」であった。〔注 「旧国紀伊の東部」は「伊勢・熊野」であり「都支(たき)国」であった。〕
 上記したように「鬼」は「タカの巣のヒナ」を意味するように、「鬼奴国」の[]の字源は「タカ()」であった。前回(23)のわがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」で解説したように、[]の字源は「蝶の成虫が重い体を浮かして飛ぶことができる羽の、強い力」であった。下の図に示したように、「鬼奴国」の[]の字義は「鷹の体を浮かして飛ぶ、タカの羽」である。だから、「鬼奴国」の[]の字源は「タカ()」であった。
 「和歌山県の地宜」を、卑弥呼は「鬼の鷹が大空を飛ぶ、奴の強大な力を示す大きな翼()の形」に相似すると見立てて小国名を「鬼奴国」と定めた。
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 大型種の鷹は食物連鎖(しょくもつれんさ)の最高位となる。また、「大きく強い翼を有するオスの鷹」の生活圏や狩りのなわばり(餌場)は広い。ゆえに、卑弥呼時代は「巣のヒナにあたえる餌(食物)を探して、大きな翼をひろげて大空を飛ぶオスの鷹の姿」は「雄々しい男子の理想像」をあらわした。つまり「大空を飛ぶ鷹の姿」は「家族が飢えないように食物(イノシシやシカやウサギや鳥などの獲物)を求めて遠くの山野まで立ち入って狩猟し、また生活に必要なさまざまな道具や工具を求めて遠くの地に旅し、あるいは村落が衰退しないように遠くの地の優れた知識・知恵や発明・考案・工夫などをもたらす雄々しい男子の理想像」をあらわすことになった。

24番目国は「邪馬(やま)国」である。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の11回で詳細に解説して証明したように――「邪馬」は「せまい産道をくぐりぬける出産児の頭蓋骨(ずがいこつ)の重ね合わせることができる仕組み(機能)」であった。
 この「出産児の重ね合わさることができる頭蓋骨の仕組み」を、現在の産婦人科では「広形機能(こうけいきのう)」、または「骨重積(こつじゅうせき)」と名づけている。
 下の図に示すように、出産児の「1枚の後頭骨(こうとうこつ)・一対2枚の頭頂骨(とうちょうこつ)・一対2枚の前頭骨(ぜんとうこつ)」の5枚の頭蓋骨には骨同士の隙間(すきま/スペース)がある。後頭骨にある隙間は「小泉門(しょうせんもん)」、頭頂骨における直線状のわずかな隙間は「矢状縫合(やじょうほうごう)」、頭頂骨と前頭骨の分け目には大きな隙間の「大泉門(だいせんもん)」がある。
 下の図の左側に示したように、「小泉門・矢状縫合・大泉門の隙間」を、卑弥呼は「邪馬」と名づけた。
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 このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回はじめとして幾つかの回で重複(ちょうふく)して解説して証明したように、『魏志倭人伝』が「倭地には牛と馬は無い(生息していない)」と伝えている[]の字源は「ジャコウウシ」、そして[]の字源は「フタコブラクダ」であった。
 下に示した〔「邪馬」の解説図〕は[]の字源「フタコブラクダが草をモグモグと食べるときの鼻・上アゴ・口・下アゴ」は、まるで「フタコブラクダの顔の各部(鼻・上アゴ・口・下アゴ)が邪(なな)めとなって、あたかも破顔一笑(はがんいっしょう/にっこり笑う)するような表情」になることをあらわしている。「草をモグモグと食べるフタコブラクダの顔の各部(鼻・アゴ・口)が邪(なな)めになって、まるで破顔一笑するような形相(ぎょうそう)」は「せまい産道をくぐりぬけることができるように骨同士が重ね合わさる仕組みとなる出産児の頭蓋骨の形状」にソックリである。だから、卑弥呼は「出産児の頭蓋骨の骨重積(こつじゅうせき)の機能」は「草をモグモグと食べるときに馬・フタコブの邪(なな)めとなる鼻・アゴ・口の破顔一笑するような形相」に酷似(こくじ)するゆえ、「邪馬」と名づけた。
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 下の図における上図の「旧国の大和(やまと)の地宜」は、[]の字源「時計回りに90度転回する方位規定」にもとづく。この「旧国の大和、現在の奈良県の地宜」は、下図の〔卑弥呼が「邪馬」と名づけた――馬・フタコブラクダが草をモグモグと食べるときの邪(なな)めとなってゆがむ鼻・アゴ・口の形〕にソックリである。
 その証拠に、「大和の地宜の左側の、フタコブラクダの鼻・アゴ・口に相当する部分」は「草が食べられていかにも幸せそうに、馬・フタコブラクダが破顔一笑する(にっこり笑う)がごときの形相」となって、「邪馬」をあらわす。
 ゆえに、下の90度転回する方位規定([]の字源の方位規定)による「旧国の大和、奈良県の地宜」を、卑弥呼は「邪馬」すなわち「産道をくくりぬける出産児の頭の骨重積(こつじょうせき)の小泉門・矢状縫合・大泉門の形状」をあらわすと考えた。
 だから、「旧国の大和」の小国名を、卑弥呼は「邪馬国」と定めたことになる。
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 『魏志倭人伝』が「女王の都(みやこ)する所なり」と説明する、倭女王の卑弥呼が居住した女王国の名は「邪馬壱(やまい)国」であった。
 「邪馬壱国」の[]の字源銀河は「十字の銀河の子宮」であった。あるいは「女性の骨盤と生殖器官」もまた[]の字源であった。
 下に示す図は、〔黄帝時代に中国全土の天頂にめぐってきた「十字の銀河」と「鬼の横顔に似る銀河」の図〕である。
 下の図が示すように、黄帝時代に中国の全土の天頂にめぐってきた「十字の銀河」は「緯度線」に対して「邪(なな)め」である。
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 前述したように――[]の字源銀河は「十字の銀河」であった。
 下の図に示したように、「十字の銀河」の隣り(東方)にある「三つ輪の銀河」は「沙漠。瀚海(かんかい/ゴビ沙漠)」に見立てられた。このため、「十字の銀河」は“沙漠の船”と呼ばれた、瀚海・ゴビ沙漠に住む人々にとっては欠くことができない大切な家畜の「フタコブラクダ」に見立てられた。
 〔注 『魏志倭人伝』は1番目の「対馬国」と2番目の「一大国」の中間の海は「瀚海・ゴビ沙漠」であると記述する。わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回で詳細に解説し証明したように、「瀚海」は「ゴビ沙漠」を意味した。つまり、「対馬国」の[]の字源は「瀚海・ゴビ沙漠に生息するフタコブラクダ」であることを示すために、卑弥呼は対馬国と一大国の中間の海を「瀚海」と名づけたと、『魏志倭人伝』は説明している。〕
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 前掲した〔黄帝時代に中国の全土の天頂にめぐってきた「十字の銀河」と「鬼の横顔に似る銀河」の図〕における「十字の銀河」は「緯度線に対して邪(なな)め」であったゆえ[]の字義となった。また、「十字の銀河」は[]の字源であり、そして「十字の銀河の子宮」は[]の字源であった。だから、卑弥呼は倭人国の首都が所在した王国(女王国)[][][]3字からなる「邪馬壱国」という名称に定めた。
 このように女王国「邪馬壱国」の「邪馬」の語源銀河は「十字の銀河」であったが――「旧国大和の、邪馬国」の「邪馬」の語源銀河は「十字の銀河」ではなかったと考えるべきことになる。それというのも、21番目の「鬼国」から23番目の「鬼奴国」の順番における銀河部にもとづくと、「十字の銀河」を「邪馬国」の語源と定めると不合理となるからである。
 前述したように、21番目の「鬼国」の[]の字源銀河は「鬼の横顔に似る銀河の後頭部と後頭部につく大きく開く目と北アメリカ星雲」であった。22番目の「為吾国」の[][]の字源銀河は「鬼の横顔に似る銀河([]の字源)と北メリカ星雲([]の字源)」であった。23番目の「鬼奴国」の[]の字源銀河は「鬼の横顔に似る銀河の後頭部と後頭部につく大きく開く目と北アメリカ星雲」であった。そして「鬼奴国」の[]の字源銀河は下に示す「鬼の姿に似る銀河(鬼の横顔に似る銀河・鬼の身に相当する銀河)と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」である。
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 だから、上記した21番目の「鬼国」から23番目までの「鬼奴国」までの順序また各小国に用いられた字の字源銀河にもとづくと、24番目の「邪馬国」の「邪馬」の語源銀河は「十字の銀河」ではなかったと考えるべきことになる。
 つまり、「旧国大和」の小国名の「邪馬」となった銀河部は、下に示した範囲であった。というのも、「鬼奴国」の[]の字源銀河「鬼の姿に似る銀河と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と隣接する「東西の銀河部」は、下の図に示したように、「ラクダのフタコブの山形(やまなり)の形」となるからである。ゆえに、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が「ラクダの目」となり、「長方形の暗黒天体部から南側の銀河部」が「ラクダの顔」に相似すると見立てられて「邪馬の銀河」ということになった。
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 だから、下の図における「邪馬のコブと顔の銀河」を、卑弥呼は「旧国大和の地宜」に見立てて、「ラクダの目」となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」を「為吾国」に見立てて、「大和」の小国名を卑弥呼は「邪馬国」と定めたことになる。
 下の図における「大和の地宜」は現在方位であるが、[]の字源にのっとって「時計まわりに方位を90度転回させて横向きにした、大和の地宜」は――前述したように、「草をモグモグと食べる時のフタコブラクダの横顔(鼻・アゴ・口)」が「産道をくぐりぬける出産児の小泉門・矢状縫合・大泉門の形状」にソックリとなるゆえ、この「破顔一笑(はがんいっしょう)、にっこり笑いながら草を食べる幸せなフタコブラクダの横顔」を、卑弥呼は「邪馬」と表現した。
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 上の図における「ラクダのフタコブ」をあらわす「太い円弧線(えんこせん)」の銀河部「激流の銀河」を注目していただきたい。「激流の銀河」は「大雨が降って激しく流れる河川の水」のイメージとなる。ゆえに、「ラクダのコブのごとく山形(やまなり)となる、激流の銀河」は「降水量にめぐまれる大和の気候」をあらわす。
 したがって、「邪馬国」は「稲の育成にめぐまれた、青々とした幾多の森が浪(なみ)うってつづく、多数の人民が満ち満ちあふれて住む国」、つまり「瑞穂(みずほ)の国」であったことになる。
 「ラクダのフタコブ・激流の銀河」のイメージがあらわす「降水量にめぐまれて草が青々と茂(しげ)る大和の風土」は「草をいっぱい食べることができる」ということになる。
 だから、再度くりかえすが――上の〔「邪馬」の銀河部図〕は前掲した〔時計回りに90度転回して横向きにした、大和の地宜〕は〔草が食べられていかにも幸せそうに、馬・フタコブラクダが破顔一笑する(にっこり笑う)がごときの横顔〕とソックリとなる、つまり「邪馬」となると卑弥呼は見立てたと考えるべきことになる。
 したがって、「邪馬国」は「旧国の大和、現在の奈良県」であった。
 女王・卑弥呼が居住した女王国は「邪馬壱国」である。ゆえに、「邪馬国」という小国名には「【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】の育成に熱心な国」という意味があったと考えられる。
 卑弥呼の没後の3世紀後半から4世紀初頭、天照大御神は邪馬国を都の所在地と定めて大和王朝の基礎を築き、卑弥呼同様に【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を政権基盤にして天下を治めた。
 前述したように、『魏志倭人伝』には「瀚海・ゴビ沙漠」の記事があり、また「玄界灘を渡って中国に到着した倭の使節」の記事もある。ゆえに、「邪馬国」という小国名には「ゴビ沙漠を往来するフタコブラクダのように、大海・玄界灘を越えて旅する勇気ある船乗りや使節や、また、フタコブラクダのごとくはるか遠くの地へ旅して家族の命と生活をまもる雄々しくてやさしい男性たちの国」と称賛する意味も有するものであったにちがいない。

25番目は、「躬臣(こじ)国」である。
 [][]を加えると、[(きゅう)]の字となる。
 下の図に示したように、「十字の銀河」は「左手(東の手)に〔弓〕(「弓」に見立てられる銀河部)を持つ。だから、「十字の銀河の左半身」は「家から遠く離れた山野で〔弓〕を用いて狩りをする男性」をあらわす。
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 『説文解字』は[]の字を「身なり」と解説する。
 下の図の右側に配する[]の金文形は「身なり」つまり「みごもっている女性の姿」を図案する。山野で狩猟する男性たちは道に迷って死ぬのをさけるために狩りをする各地点や帰途(きと)における各場所で、その都度(つど)天頂緯度測定をする。46秒間で精確に天頂緯度測量するために、下の図に示したように、おなかを前へつきだしてう~んと天をあおいで天頂をとらえた。したがって、男性が天頂緯度測定をする時の姿勢は「身なり」、すなわち「おなかが大きな妊婦の側身形」となる。だから、[]の字は「狩猟する男性が妊婦のようにおなかを前へつきだして天頂緯度測定するときの姿勢(側身形)」をあらわした。
 〔注、妊婦がおなかを前へつきだして天頂緯度線をキャッチする、この姿勢だと流産の危険がある。ゆえに、『説文解字』の[]の「身なり」という解説は「天頂緯度測定するときの男性のポーズ」を指摘するものであったことになる〕。
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 下に配した〔[][]の字源銀河解説図〕は、天文図の定式(ていしき)は《右西・左東》であるが、《北》を正面とする地図の一般形式に合わせて《右東・左西》の図とした。
 「躬臣国」の[]の字について、『説文解字』は「君に事(つか)ふる者なり。屈服する形に象(かたど)る」と解説する。これゆえ、下の〔[][]の字源銀河解説図〕において、「十字の銀河」が「君(君主)」に見立てられ、「鬼の横顔に似る銀河」が「君主に事(つか)える者・臣下」、つまり[]の字源ということになる。その証拠に、白川静著『字統』は[]の金文形について「目をあげて上を視()る形」と解説する。下の図における「鬼の横顔に似る銀河」は「目を上げて上(十字の銀河)を視る横顔」である。ゆえに「十字の銀河」が「君主」をあらわし、[]の金文形のモデルは「鬼の横顔に似る銀河」であったことになる。
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 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の21回の後半部で詳細に解説して証明したように――上図における「鬼の横顔に似る銀河」における「鬼の横顔には目が二つ、鬼の横顔の後頭部に大きく開いた目、鬼の横顔のアゴに細い切れ長の目、計四つの目」がある。ゆえに、「鬼の横顔に似る銀河」は「四つ目の銀河」ということになる。
 「四つ目の銀河」は「倉頡」をあらわした。というのも、倉頡伝説においては「太古、黄帝時代に、倉頡という四つ目の怪人がいて、はじめて文字を作った」と語られるからである。わが国では『古事記』が成立した8世紀初頭まで、天頂緯度線測定を最も重視していた。ゆえに、後期縄文時代初頭から8世紀までの王たちや王女たちや巫女たちや覡(げき/神官)たちや皇族たちや学識者たちは、倉頡伝説は「漢字は銀河各部の形状から作られた事実」を伝えるものであり、また倉頡伝説に登場する「四つ目の怪人・倉頡」には「【倉頡が発明した漢字作成理論の中核部】は「四つ目の銀河」である」と認識していた。
 だから、上の〔[][]の字源解説図〕における「君主」を示す「十字の銀河」は「黄帝」を、「臣下」の「四つ目の銀河」は「倉頡」をあらわしたことになる。
 下の図に示すように、「十字の銀河」に見立てられた「[]の地宜」となった地域は「旧国の摂津(せっつ)・和泉(いずみ)・河内(かわち)、つまり現在の大阪府と兵庫県東部」であった。そして、「四つ目の銀河」に見立てられた「[]の地宜」となった地域は「現在の兵庫県南部の淡路島」であった。
 したがって、卑弥呼は「現在の大阪府と兵庫県の東部」を「黄帝」に、「兵庫南部の淡路島」を「倉頡」に見立てて、小国名を「躬臣国」と定めたことになる。
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 「躬臣国」は「神生(かみう)みの国」であったと考えられる。
 『古事記』上巻における〔伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)の説話〕には《国生み》と《神生み》の記事がある。「上古においては、卑弥呼のように理路整然とした優れた小国名の考案」は「政権基盤となる重大な事業」であったゆえ、《国生み》と呼ばれることになった。
 ゆえに、《神生み》とは「黄帝の医学研究、倉頡の漢字の発明」を指していることになる。というのも、『古事記』の《神生み記事》の神々は「学問の発達、航海方法の進化、建築業や工業や鉱業における発明・工夫(くふう)」をあらわしているからである。
 たとえば、「鳥之石楠船神(とりのいはすくふねのかみ)、亦(また)の名は天鳥船(あめのとりふね)」という神は「鳥のごとく速く走り、石のごとく頑丈(がんじょう)な射()られた矢が貫通しない楠(くすのき)で作った画期的な軍船の発明」を意味し、「火之炫毘古神(ひのかかびこのかみ)、亦の名は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」は「銅鐸の材料の青銅を溶かす熔鉱炉、鉄を作る精錬炉の開発」を意味し、「金山毘古神(かなやまびこのかみ)、金山毘女神(かなやまびめのかみ)」は「銅や鉄や砂鉄などの鉱山」をあらわした。
 だから、《神生み》は「学問の発達、すぐれた発明、建築業や土木事業の発展、工業や鉱業の進展・工夫(くふう)など」を意味した。
 ゆえに、躬臣国は《神生みの国》であり、つまり躬臣国は学問・発明や河内湖(かわうちこ)周辺の土木事業や開墾(かいこん)事業などの盛んな小国であったことになる。ゆえに、5世紀頃から出現した難波(なにわ)王朝は大和王朝を圧倒して栄え、大和の箸墓(はしはか)古墳よりも巨大な仁徳天皇陵、応神天皇陵、履中(りちゅう)天皇陵などを築造した。
 〔注 先年死去した考古学者・同志社大学名誉教授の森浩一氏は、「仁徳」という人名は奈良時代に創られた漢風(かんぷう)の諡号(しごう)で、古墳時代にはわが国には漢字が習得されていなかった。ゆえに、仁徳天皇陵の所在地にもとづいて「大山(だいせん)古墳」と名づけるべきであると提唱した。このため、最近、「大山古墳」という名は定説化され、「仁徳天皇陵」という名称は廃棄(はいき)すべきであるとする、教科書も存在する。しかし、わが国は今から約4000年前の後期縄文時代初頭の【倉頡が発明した漢字作成理論】と夏音文字を習得していた。だから、森浩一教授の「大山古墳説」は論拠がまったく成立しない空理空論ということになる。したがって、「大山古墳」は誤り、「仁徳天皇陵」が正しいゆえ、「大山古墳」という名称は使用しないことにした〕。

 以上のごとく、21番目の鬼国から25番目の躬臣国までの小国名は全5ヵ国とも「男性グループ」であることをあらわし、しかも5ヵ国の由来と順番をもって【黄帝の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明している。このような理路整然とした説明は、26番目の巴利(はり)国から30番目の狗奴(くな)国の5ヵ国でもなされる。
 だから、新井白石以来約300年間もつづけて学者たちが主張する「邪馬台国説」は空理空論・真っ赤なウソ・デタラメ・詭弁(きべん)であった。だいいち、このブログが証明しているように、『魏志倭人伝』には「邪馬台国」を説明する記事は1ヵ所も存在しない。
 新井白石以来の邪馬台国説は「『魏志倭人伝』の全記事を信頼して読んではならない」という方法で思考・立論するからには、さすがに【科学】がきちっと成立する意見かといえば、多数の矛盾点・不合理な点を有する【科学】がまったく成立しない期待外れの意見である。
 他方、このブログの『魏志倭人伝』の全記事を信頼して1ヵ所も【誤読】を加えない方法の場合は1ヵ所も矛盾点も不合理な点も生じず、【科学】を成立して――『魏志倭人伝』は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を詳細に具体的に理路整然と説明する書物であったことが証明される。

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