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2021年7月 6日 (火)

邪馬台国説はサギ・騙されるな・24

▼前回までこのブログが【科学】を成立させて証明したように――日本中にまき散らされた“邪馬台国説”はすべてが真っ赤なウソ・詐偽(サギ)である! 『魏志倭人伝』は「邪馬台国」について説明する記事が1ヵ所も存在しない! だから、邪馬台国説はすべて真っ赤なウソ・空理空論であった!
 『魏志倭人伝』は、倭女王の卑弥呼が居住していた倭人国の都の名(女王国の名)を「邪馬壱(やまい)国〕」と明記する。
 だから、邪馬台国説は空理空論・詐偽(ぺてん)・詭弁(きべん)である! 邪馬台国説が荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメであることは、神に誓って真実である!
 『魏志倭人伝』は【漢字の起源の秘密】を具体的に明確に伝える書物であった!
 つまり、『魏志倭人伝』は「倭女王の卑弥呼は【漢字の起源の学術】を政権基盤にして、わが国最初の国家・倭人国を創設した。ゆえに、【漢字の起源の学術】にもとづいて倭人国の都が所在した女王国の名を、卑弥呼は【邪馬壱国】と定めた」と記述していた。言いかえると、『魏志倭人伝』は「わが国は、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭・わが国の後期縄文時代初頭に、中国から【(1)漢字が起源した学術と、(2)夏音(かおん)文字の学芸】を習得した」と説明する、全記事が正確無比の史料であった。
 ところが、江戸中期の新井白石(あらいはくせき/16571725)以来今日まで約300年間、学者たちは「『魏志倭人伝』の記事は全部が正しいなんて、絶対に考えてはならない、全面的に信用できない書物である」と決めることにした。ゆえに、『魏志倭人伝』の全記事を信用して忠実に読解する学者は、白石以後300年間一人も存在しないことになった。だから、『魏志倭人伝』に記述された【漢字の起源の学問の秘密】が未解明となった。
 この結果、現在、邪馬台国説学者たちは『魏志倭人伝』に自分勝手の独断的なデタラメを仰山(ぎょうさん)に加えて、“ここ掘れ掘れワンワン! 邪馬台国はここだ!”と自分はいかに総明(そうめい)なのかと自慢し、“卑弥呼はかくかく、このような女性だった”とか作り話をデッチあげる書物をつくり、メディアを騙(だま)して日本中に役立たずの大法螺(おおぼら)をまき散らして――日本人の尊厳を、日本人の根源的ないのちと魂と精神(理性を知性)を冒涜(ぼうとく)して、『魏志倭人伝』に記述された【世界史的に第一級に重大な史実である、漢字の起源の学術】を排除(はいじょ)しつづけている。
 学者たちは「『魏志倭人伝』の全記事は正しいを信頼して、絶対に忠実に読んではいけない」と厳重に禁止する。この方法で学者たちは、『魏志倭人伝』はあたかも「邪馬台国」について説明している書物であるかのごとく偽装(ぎそう)して日本国民を騙している。
 このような学者たちの真っ赤なウソに、日本全国民よ! まんまと騙されてはならない! 怒れ! 怒れ! 憤怒(ふんぬ)せよ! 日本全国民よ、邪馬台国説学者たちはあなたのいのちと魂の根元を侮辱し凌辱(りょうじょく)し嘲笑(あざわら)っているのだ!
 このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は前回(23)まで証明してきたように、『魏志倭人伝』は【1】『魏志倭人伝』は全記事が正確な文献であり、ゆえに【2】中国では解明できなくなった【漢字の起源の秘密】を理路整然(りろせいぜん)と詳細に明確に伝える書物であった。
 『魏志倭人伝』に1ヵ所も【文献批判】という名の【誤読】を加えずに、ただひたすら・いちずに忠実に『魏志倭人伝』の全記事を読解すると、愉快なほど芋(いも)づる式に次から次へと【中国では解明できなくなった、漢字の起源の秘密】が明確となる。
 『魏志倭人伝』に記述されている【漢字が起源した学術】は、今から約4000年前の後期縄文時代初頭に習得されて以来、日本人の花咲く尊厳と、日本人の花咲くいのちと魂と精神(理性を知性)となって受け継がれた。言いかえると、【漢字が起源した学術】は【日本人の血と肉】となって受け継がれた。
 ところが、新井白石が邪馬台国説を提唱した以後、【漢字が起源した学術】は排除されつづけられることになったため、現在、消滅の寸前となった。
 だから、このブログでは、九州説と畿内説は【漢字の起源を伝える真実】を凌辱する空理空論・妄想(もうそう)・欺瞞(ぺてん)である実体を徹底的に暴露(ばくろ)する。

★「倭人国の地理学」のトリセツ・33

◆『魏志倭人伝』を、ただひたすら・一途に頑固(がんこ)に全記事を忠実に読解すると、【漢字の起源の秘密】が鮮烈(せんれつ)に蘇(よみがえ)る。
 『魏志倭人伝』に記述された【漢字の起源の真相】を知るためには――「わが国が最初に漢字を習得したには5世紀、あるいは6世紀である」という学界の定説は、現在、学問的にはもはや虚妄(きょもう)・空理空論である事実を知っていなければならない。
 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士は著書『字統』(平凡社発行)の序(字統の編集について)における9ページの終わり3行目~10ページの始めから3行目において、「わが国の漢字音」と題して、次のごとく指摘する。
 「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
 下に配した〔漢字生長史〕が示すように、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に、中国からわが国は夏音(かおん)文字の学芸を習得した。この夏音文字の漢字音が、現存する最古の漢字音である。《わが国が夏代初頭に習得した夏音文字の字音》は、《中国に現存する最古の字音「上古音(じょうこおん)」の始まり・周代初頭》よりも約1000年も古い、現存する最古の漢字音である。他方、学界が「わが国が漢字を習得したのは5世紀~6世紀である」と主張する絶対的定説の漢字音だと、下に示す〔漢字生長史〕では最下部に配すべき最も新しい漢字音ということになるため、白川静著『字統』が指摘する西洋の音韻学の学問成果に反する空理空論ということになる。
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 上記した白川静著『字統』が「現存する最古の漢字音」と指摘する字音は、つまり【わが国が後期縄文時代初頭(夏代初頭)に習得した夏音文字の漢字音】は、『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』などに多数残って実在する。
 だから、「わが国が漢字を最初に習得したのは5世紀または6世紀である」と学界が主張する絶対的定説は「『魏志倭人伝』の全記事は正確であると、絶対に信じて読んではならない」と厳重に禁じる邪馬台国説学者たちの作為(さくい)と工作(こうさく)によって確立されることになったのである。しかし、この絶対的定説は、【1】夏音文字が『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝、また『古事記』上巻・『万葉集』などに多数記載されて残っている事実と、【2】白川静著『字統』の序(字統の編集につて)における音韻学の成果に反する事実によって、欺瞞(ぎまん)・詐偽(ぺてん)であったことになる。
 そもそも『魏志倭人伝』に登場する「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」という字音は「現存する最古の夏音文字の漢字音」である。この夏音文字の字音よりも新しい中国の上古音だと、「卑弥呼」は「ピミカ」と発音することになる。
 だから、邪馬台国説学者たちが「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む――この事実、つまり【わが国は今から約4000年前に夏音文字の学術を習得した事実】を邪馬台国説学者たちも承認していることになるゆえ、『魏志倭人伝』の全記事をただひたすら・いちずに忠実に読んで【『魏志倭人伝』は漢字が起源したときの学術を理路整然(りろせいぜん)と説明する書物】であったことを科学的に具体的に証明することにする。
 学者たちは「『魏志倭人伝』の全記事は正しいと絶対に信頼して読んではならない」と厳重に禁止する。この誤魔化(ごまか)しをもって、学者たちは【わが国が後期縄文時代初頭に夏音文字の学芸を習得した時に、漢字が起源した学術をも習得した事実】を排除しつづけ、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀、あるいは6世紀である」という空理空論・臆説(おくせつ)を日本中にまきちらした。

◆漢字は今から約5000年前、 中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)によって発明された。
 【倉頡が漢字を発明した詳細】は、現在、漢字が起源した中国において解明されていない。
 しかし、奇跡的に【倉頡が漢字を発明した詳細】は『魏志倭人伝』に記述されて残った。
 だから江戸時代中期に新井白石が登場する以前においては――【わが国は、上古、倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸を習得したという意見】は高貴な学識であった。しかし、わが国では、新井白石が立論した空理空論の邪馬台国説とその後の学者たちの《『魏志倭人伝』に多数の【誤読】を加える理不尽(りふじん)な反()学術運動》によって約300年間も、【倉頡が発明した漢字作成理論】は排除されて闇に葬られることになった。
 でも、しかし、【倉頡が発明した漢字作成原理】はいまだ死に至らない、不死鳥である。
 というのも、前述したように『魏志倭人伝』には「卑弥呼は【倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明した」と記述されているからである。
 だから、約300年間も学者たちが「『魏志倭人伝』の全記事を信用してはいけない」と厳重に禁止する読解方法を全面否定して、『魏志倭人伝』の全記事を信頼して1ヵ所も【誤読】を加えずに読むと――【倉頡が発明した漢字作成理論】は鮮烈に蘇(よみがえ)る。

◆『魏志倭人伝』には「卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)、倭国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と具体的に説明した記事が、下記のごとく2ヵ所存在する。
 一つ目の記事は、【134字で「倭国の易卜に用いる辞(ことばと文字)は令亀(れいき)の法のごとく、つまり紀元前1300年頃の殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅に文字を刻む契文(けいぶん/甲骨文字)のような文字があった」と伝える記事である。
 二つ目の記事は67字で【2】「卑弥呼が文書の用いる漢字(夏音文字)は魏の都・帯方郡・諸韓国が文書に用いる漢字(楷書)と差錯(ささく/相違)していた。このため、倭国の小国・伊都(いと)国の津()では、魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と卑弥呼が用いる夏音文字を一字一字点検し確認して正確に変換していた」と伝える記事である。

 上記した「わが国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した」と説明する二つの記事は、邪馬台国説によって無視され排除された。
 しかし、この二つの記事は――【一】『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』に多数の夏音文字の字音が残り、【二】後述する〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕によって通称「夏の銀河」と呼ばれる《銀河各部の形状》が《真の字源、真の字形(漢字の原形)、真の字義(つまり原義)》であったことになり、また、【三】《地宜(ちぎ/地図の形)》も《真の字源・字形の原形・原義》となったゆえ《中国の約3倍の長さを有する細密な日本列島の海岸線》により、さらに【四】このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」によって解明された《数々の古代遺跡》、また【五】天皇家が現在まで存続させた【倉頡が発明した漢字作成理論】を演出する《大嘗祭(だいじょうさい)の秘儀》によって、また【六】前述したように白川静著『字統』の序(字統の編集について)における「わが国には中国の上古音よりも古い、現存する最古の漢字音が残っている」ことを証明した《音韻学の成果》によって――「わが国には【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が存在した事実」が【科学】が成立して証明できた重大な記事であったのである。
 だから、新井白石以後の約300年間つづける邪馬台国説は『魏志倭人伝』の記事と1ヵ所も合致しない空理空論・欺瞞(ぺてん)・詭弁(きべん)、日本人の尊厳を凌辱(りょうじょく)する荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメであったことになる。
 要するに、もしも学者たちが『魏志倭人伝』を信用してただひたすら・いちずに忠実に読解していれば【倉頡によって発明された漢字作成理論】が、このブログ以前に科学的に解明できていたことになる。

◆中国でもわが国でも「文字」を「漢字」と呼ぶ。「銀河」の別称は「銀漢」であるゆえ「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた。
 この「漢字」の由来に学者たちが気づいていれば――学者たちによって『魏志倭人伝』は「【倉頡が発明した漢字作成理論】を説明する書物である」ことが証明されていた。
 「漢字」は銀河(銀漢)の各部の形状から作られた。
 前述したところの――『魏志倭人伝』に書き記された【卑弥呼が用いた夏音文字】はもちろん、【魏都・帯方郡・諸韓国が用いた楷書】もまた銀漢から作られた。ゆえに、倭国の伊都国の港では【字源・字形の原形・原義となった銀漢各部の形状】を観察して、夏音文字と楷書を正確に変換していたことになる。
 天文学において「夏の全星座が漬()かる銀河の範囲」を、通称「夏の銀河」と呼ぶ。
 倉頡は、天文学で通称「夏の銀河」とよばれる銀河各部の形状を字源・字形・字義とする漢字作成理論を発明した。
 ゆえに、通称「夏の銀河」を、私は「文字作成銀河」を名づけることにした。
 倉頡が漢字作成理論を発明した「文字作成銀河」の写真を、下に示した。
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 天文学はじめ諸々の学術分野において、《漢字の字源・字形の原形・原義》を解明できる〔文字作成銀河の各部の名称〕は定められていない。ゆえに、《字源となった銀河・字形の原形となった銀河・原義となった銀河》の解説と証明をする際に非常に不便となるゆえ、私は下図のごとく「文字作成銀河の各部の名称」を定めた。
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◆下記に列挙する〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕によって、【黄帝時代から殷代(いんだ)前半期までの漢字】は【天に輝く巨大な、文字作成銀河各部の形状】となった。
 倉頡はみずからが発明した漢字の学芸は強大な権力・莫大な富・最高の名声を手に入れることができる王政をささえる最強・最大・最良の権力基盤であることに気づき、この学芸知識を反体制側の人々が習得すると王朝は容易に崩壊・滅亡するにちがいないと心配して、下に示す〔三つの死刑と定めた掟〕を定めた。
■倉頡が死刑と定めた三つの掟
1】「文字は銀漢(夏の銀河)各部の形状から作られた」という秘密を暴露した者はもちろん、その者の一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
2】多くの文字を容易に覚えるため、銀漢(夏の銀河)各部に名称をつけた者だけでなく、その者の一族全員にも神罰を下して即刻に死刑にする
3】書いた文字が用済みになったならば、文字を消さない者また消し忘れた者も許さず、その者はじめ一族全員にも神罰を下して死刑にする

 (1)五帝時代の原初漢字の書契(しょけい)(2)次の夏代の原初漢字の夏音文字・(3)次の殷代前半の原初漢字は上記した〔倉頡が死刑と定めた三つの掟〕を厳重にまもった。したがって、上記した【3】の掟を厳重にももったゆえ、(1)五帝時代の書契、(2)夏代の夏音文字、(3)殷代前半の原初漢字を書いた資料はいまだ一点も発見・出土しないことになった。
 紀元前1300年に出現した殷代後半の甲骨文字においては多数の文字数となったため、いちいち【3】の掟をまもるのが非常に面倒(めんどう)となって守らなくても死刑は免除されることになった。ゆえに、甲骨文字によって始めて【3】の掟は破られたため、甲骨文字を書いた資料が多数出土した。
 「漢字」は《字源・字形・字義・字音の4つの要素》から成立する。
 『魏志倭人伝』において、【(1)今から約5000年前に倉頡が発明した漢字作成理論と、(2)今から約4000年前にわが国が習得した最古の漢字音を伝える、夏音文字の字源・字形・字義】は(1)《文字作成銀河の各部の形状》と、(2)《中国の海岸線地図》と、(3)そして《中国の海岸線より約3倍も長い細密な日本列島海岸線と山川を境界とする各地の地宜(ちぎ/地図の形)》によって成立する。そして、《夏音文字の字音》は『魏志倭人伝』・『隋書』倭国伝・『古事記』上巻・『万葉集』に楷書を音符にして多数残っている。だから、「夏音文字」は4つの要素《字源・字形・字義・字音》が全部そろっているゆえ、「文字」と定義すべきことになる。
 現在、「漢字の最も古い祖型」とされる夏音文字より約750年後の殷代後半に出現した甲骨文字は《字源・字形・字義》の3つの要素がそろっているが、《字音》が不明である。
 このように、4つの要素がそろっていない不完全な甲骨文字を学界は「文字」と定義する。だから、4つの要素がそろう夏音文字は、当然、「文字」と定義すべきことになる。
 なお、「甲骨文字」をわがブログでは「契文(けいぶん)」と呼ぶ。

◆黄帝は東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。
 しかし、黄帝時代以前の約6000年前から始まる三皇(さんこう)時代には、今から約5000年前の黄帝が研究した医学をあらわすことができる漢字は発明されていなかった。
 したがって、倉頡が漢字作成する目的は【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字を考案すること】であった。倉頡は【文字作成銀河(夏の銀河)の各部の形状と中国全土を包む海岸線の地宜(ちぎ/地図の形)を字源・字形・字義とする漢字】を創()くって、【黄帝が研究した医学をあらわすことができる文字の発明】に成功した。
 したがって、【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる人命の神秘を合体して誕生した学問(学術)】であった。
 前述したように、わが国には、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】が伝来して習得された。
 というのも、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回・5回と14回・15回の4回で詳細に解説し証明したように――『魏志倭人伝』の中半に登場する「女王国より以北の名称不明の海上に浮かぶ皆倭種なりの一小国と侏儒(しゅじゅ)国・裸()国・黒歯(こくし)国、この4小国の東南に所在して船行一年にして参問(さんもん)できる、周旋(しゅうせん)五千余里ばかり」と説明する76字の記事をもって、『魏志倭人伝』は「今から約4000年前の後期縄文時代初頭、わが国は【倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸】を習得した」と証言するものであったことになる。
 『魏志倭人伝』には、34の小国が登場する。
 上記した4小国以外の対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までの30の小国名をもって、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明することにした。言いかえると、黄帝が作った医学書『内経』を残っていないが――卑弥呼は30の小国名をもって理路整然と『内径』に説明されていた医学知識を復興することにした。
 というのも、卑弥呼は【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を政権基盤として倭人国を統治することにしたからである。このため、卑弥呼は30の小国名をもって【黄帝がおこなった「女性の生殖器官と子どもの出産」の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明する学術体系組織論を構築(こうちく)して「倭人国」という国家と王朝を創設(そうせつ)した。
 【倉頡が発明した漢字作成理論】は【深遠なる銀河と黄帝が研究した深遠なる生命の神秘を合体して生まれた学問(学術)】であった。この証明は、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」は前回(23)までにおいて、詳細に具体的に科学的におこなってきた。
 前回では、16番目の姐奴(つな)国・17番目の対蘇(つさ)国・18番目の蘇奴(さな)国・19番目の呼邑(こお)国・20番目の華奴蘇奴(かなさな)国という5ヵ国の小国名には、【黄帝の「女性の生殖器官と性の生殖細胞の精子と女性の生殖細胞の卵子」についての考え】を明確に説明する役割があったことを具体的に解説して証明した。

◆今回は、21番目の「鬼()国」、22番目の為吾(いが)国、23番目の鬼奴(きな)国、24番目の邪馬(やま)国、25番目の躬臣(こじ)国の5ヶ国の位置と範囲を解明する。
 卑弥呼は、わが国において最初に創設した国家名を「倭人国」と定めた。
 「倭人国」の[]の初文(最初の文字)は、倉頡が創(つく)った[]であった。
 []の字は【倉頡が発明した漢字作成理論】における基軸字(基本となる字)であった。
 白川静著『字統』は[]の字について「稲魂(いなだま)を被(かぶ)って舞う男女の姿で、禾穀(かこく)の象に従う字である」と解説する。
 卑弥呼は1番目の対馬国から30番目の狗奴国までの30の小国を、10ヵ国ずつ3つのグループに分類した。
 ゆえに、1番目の対馬国から10番目の巳百支(じはき)国までの10ヵ国のグループは――卑弥呼が倭人国の都が所在する女王国名に用いた「邪馬壱(やまい)」という名は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論の核心】である――と説明するものであったゆえ、このグループは「邪馬壱国グループ」ということになる。
 11番目の伊邪(いや)国から20番目の華奴蘇奴(かなさな)国までの10ヵ国では、【黄帝の「女性の生殖器官と子ども出産」の研究】を順序立てて理路整然と説明するものであったゆえ、このグループは倉頡が創った[]の字源「稲魂を被って舞う男女の姿」のうちの「稲魂を被って舞う女性の姿」をあらわすゆえ、「女性グループ」ということになる。
 したがって、今回と次回のブログで行う21番目の鬼国から30番目の狗奴国までの10ヵ国を、卑弥呼は「稲魂を被って舞う、男性グループ」に分類したことになる。

◆今回は「男性グループ」の10ヵ国のうち、前半の21番目の鬼国から25番目の躬臣国までの5ヵ国の位置と範囲を解明する。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の21回において――21番目の鬼国は「旧国の志摩、現在の三重県中央の東部(志摩半島)」であったことを、詳細に解説して証明した。
 下に示した「志摩とその英虞湾(あごわん)の地宜」を、卑弥呼は「強いタカ()のヒナ()が、餌(えさ)が不足したときに、餌として弱いヒナを食べる姿」に見立てて、「旧国の志摩」の小国名を「鬼国」と定めた。この「同じ巣で育つ強いタカのヒナが弱いヒナを餌にする習性」は「弱肉強食の厳(きび)しい自然の摂理(せつり)」を示すものとなり、「神」は「鬼、鬼神(きしん)」と名づけられて恐れ敬(うや)まれ尊ばれることになった。だから、「鷹」は黄帝時代の中国でも倭人国においても「自然界を支配する最高位(大王)」を象徴(しょうちょう)することになり、「鬼」の字源となり、「鬼神」をあらわすことになった。
 〔旧国志摩の「鬼国」と12番目の都支(たき)国の地宜〕は下図に示したように――都支国は「伊勢と熊野、志摩と伊賀を除く現在の三重県」である。したがって、「鬼国と都支国」は「伊賀を除く、現在の三重県」ということになる。「志摩・鬼国の地宜」を「鷹の頭部(横顔)」に相似すると見立てると、都支国は「鷹の両翼」ということになる。
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 司馬遷(しばせん)著『史記』五帝本紀における黄帝紀には「鬼神山川封禅(ほうぜん)、與(ゆる)して多しと為()す」という記事があり、この記事は「天子は天地山川の鬼神を祭って封禅をおこなうのが常例であったが、黄帝がおこなった封禅がもっとも盛大であった」と意味する。
 『魏志倭人伝』には「鬼道(きどう)を事(まつ)って能()く衆を惑(まど)わす」という記事があり、「惑わす」の[]の上にある[(わく)]の字を白川静著『字統』は「國の初文」と解説する。[][()]で包囲すると[]となるゆえ、[]の下に[]が加わる[]の初文(最初の文字)[]であったことになる。ゆえに、『魏志倭人伝』の「鬼道を事(まつ)って能く衆を惑わす」という文は「卑弥呼は黄帝が祭った鬼神の道を奉(まつ)って見事(みごと)に民衆の心をまとめて國()を治めていた」と意味するものであったことになる。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の21回で詳細に解説して証明したように――黄帝の医学研究は〔胎芽期(たいがき)における胎標(たいひょう)〕まで及んでいたと考えられる。
 男性の精子(せいし/男性の生殖細胞)が女性の卵子(らんし/女性の生殖細胞)が結合して受精(じゅせい)した卵が子宮の壁(かべ)に着床(ちゃくしょう/子宮の壁にくっついて母体から栄養を受ける状態になること)するまでを卵期(らんき)という。
 受精後10日めごろになると、将来ヒトとなる胎標ができる。卵から将来ヒトとなる〔胎標〕ができるまでを〔胎芽期〕という。
 生物学においては、現在は否定されているようであるが、かつては世間一般的に、〔胎芽期〕において1個の卵がそのまま一人のヒトになると考えられていた。
 黄帝は――〔胎芽期〕に、下に配した女性の生殖器官における一対・二つの〔卵管(らんかん)〕・〔卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)〕・〔卵管采(らんかんさい)〕と〔卵巣(らんそう)〕のどこかで精子と卵子が結合して(受精して)、二つの卵が生まれる。しかし、二つの卵は〔[]・強い鷹のヒナが弱いヒナを餌にする――このような働き〕によって、一人のヒトとなる胎標になる――と考えた。
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 下に〔胎芽期における胎標の図〕を配した。下の上図は〔受精後8日ごろの卵と子宮粘膜(しきゅうねんまく)の図〕である。上図中央の〔卵細胞〕が分化して、下図のごとく〔受精後10日ごろ〕になると、その図の中央にある〔胎標〕となる。
 下に配した上下の二図が示すように、〔胎標〕は〔皿形の鷹の巣に相似する空所(くうしょ)の底〕にできる。それゆえ、〔鷹の巣〕に相当するのは〔子宮粘膜上皮(しきゅうねんまくじょうひ)・子宮粘膜組織〕となる。
 下に配する上図の〔鷹の巣に見立てられる、子宮粘膜上皮・子宮粘膜組織の側身形〕は、前掲した〔旧国志摩の「鬼国」の地宜〕の図においては、「都支国」が「鷹の両翼」あるいは「鷹の巣」に相当する。それゆえ、〔皿形の鷹の巣に相似する空所の底にできる胎標〕が〔強い鷹のヒナと弱いヒナ〕に相当する。
 したがって、下に配した上図における胎標についての黄帝の考えを――卑弥呼は「女性の生殖器のおける一対二つの卵管・卵管膨大部・卵管采と卵巣のどこかで受精した二つの卵細胞のうちの強い卵細胞が弱い卵細胞を餌にして食べて、一人のヒトとなる胎標になると、黄帝は考えた」と説明するために、「旧国志摩」の小国名を「鬼国」、「伊勢と熊野」の「都支国」には下の図における「子宮粘膜上皮・子宮粘膜組織=鷹に巣」に相当する役割を与えたことになる。
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 ゆえに、「鬼国」という小国名は「弱肉強食の自然摂理」だけをあらわしたのではなかった。卑弥呼は「鬼国」で「黄帝が考えた、一産一子の法」についてもあらわした。つまり、「鬼国」という小国名で卑弥呼は「女性の生殖器官には一対二つの卵管・卵管膨大部・卵管采と卵巣があるが、人間の子は一度に二人に生まれずに、ふつう一度に一子で生まれる仕組みについて、黄帝が考えた意見(説)」をもあらわしていたことになる。

 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の20回にて指摘したように――下の図に示す、11番目の「伊邪国・旧国丹波(たんば)・現在の京都府中部と兵庫県の一部の地宜」を、卑弥呼は「女性の骨盤の正面形(前面の下側から見た形)の輪郭(りんかく)」に相似すると見立てた。
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 下に図示したように、21番目の「鬼国の地宜」は〔男性の骨盤の正面反転形〕、つまり、〔尾骨(びこつ)を上・岬角(こうかく)に下にする正面形の輪郭〕に相似する。
 だから、21番目の「鬼国」から30番目の「狗奴(くな)国」までの10ヵ国は「男性グループの国々」であることを明確に示すために、「地宜が、男性の骨盤の正面反転形」に相似する「鬼国」を「男性グループの最初の21番目国」に選んだのである。
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 下に〔男性の骨盤の正面形〕と〔女性の骨盤の正面形〕を配した。
 〔男性の骨盤〕は深くがっしりしており、〔女性の骨盤〕は浅く左右に広がっているゆえ「羽をひろげた蝶の成虫の姿」に相似する。だから、11番目の「伊邪(いや)国」から20番目の「華奴蘇奴(かなさな)国」までの10ヵ国は「女性の骨盤の正面形」で表象された「女性グループの国々」であった。
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◆卑弥呼は、鬼国の次の22番目の小国の名を「為吾(いが)国」と定めた。
 下の図に示すように、22番目の「為吾国」は「旧国の伊賀(いが)、現在の三重県北西部」であった。したがって、「都支国・鬼国・為吾国の三小国」が「現在の三重県」となる。
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 下に配した図の右下の[()]の篆文形(てんぶんけい)は、私が「激流の銀河」と名づけた銀河部が[]の字源銀河であると示す。いっぽう、「象の姿」に図案する[]の契文形(けいぶんけい/甲骨文字の字形)は、国際天文学の名称の「北アメリカ星雲」が[]の字源銀河であると示す。その証拠に「北アメリカ星雲の形」は「激流の銀河の水を長い鼻で吸って、はき出す象(ゾウ)の姿」に相似し、[]の契文形は「長い鼻を有する象の姿」の図案である。
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 下の図の下部に示した中国の南部に所在する「太湖(たいこ)の地宜」は「長い鼻を有する象の姿」に相似する。
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 太湖は北緯3057分~北緯3133分に位置する。
 下の図に(2)の緯度線は「北緯31度の天頂」をあらわしているゆえ、黄帝時代、[]の字源銀河「北アメリカ星雲」は太湖の天頂にめぐってきたことになる。
 だから、「為吾国」の[]は「太湖」をあらわした。
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 古語の「吾」は「あ」または「あれ」と読み、「男性の一人称、オレ()」を意味した。
 下の図に示すように、右図の「伊賀の地宜」は左図の「頭に一本の角(つの)を有する、鬼の横顔に似る銀河」に相似すると見立てられた。
 したがって、「伊賀の地宜」は「吾(オレ)の顔」に見立てられたことになる。
 〔なお、右図の「伊賀の地宜」が「鬼の横顔に似る銀河」に相似すると見立てられたことが容易に察知できるようにするために――下の左側の「鬼の横顔に似る銀河」の定式は《右西・左東》であるが、地図の一般形式《右東・左西》の形式にした〕。
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 黄帝時代や卑弥呼の時代は、人々は天頂緯度線を測量して精確に緯度を測定した。
 下に配した図は、漢字[(とう)]の〔天頂点と天頂緯度線と子午線の説明図〕である。
 〔天頂点〕は観測地点から90度の高度、つまり最も高い天体部である。
 天頂点と重なる銀河部位の軌道は、天頂点に接近すると下の図の右上に示すように「天頂緯度線・天頂点・子午線の形」をあらわして、漢字の[]の字源・字形・字義となった。下の図における天頂点と重なる銀河部位が円周運動をする軌道(きどう)において、その銀河部位が天頂点に接近して天頂点の西側から東へ移動する軌道は、平らな[]の字を示す天頂緯度線となる。この〔天頂緯度線〕を46秒間でキャッチすると「1度の60分の11分の精度(せいど)」で緯度が測定できた。
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 この「1分の緯度差を測定できる眼力」を、人類は食料となる獲物(えもの)を求めて移住生活をしていた先史時代から日々鍛錬(たんれん)して生活した。人類は〔本能的に、[](天頂緯度線・天頂点・子午線)をキャッチできる神秘的な呪的(じゅてき)能力の眼力〕を有し、そして[]をキャッチする技(わざ)を工夫(くふう)して磨(みが)いた。だから、先史時代や黄帝時代や卑弥呼時代、人々は1分の精度で緯度が測定できた。
 この[]をキャッチできる眼力をもしも人類は有していなかったならば、人類は密林でおおわれる原始時代やまた氷でただ一面真っ白な氷河期において全滅していたことになる。人類が滅びなかったのは、目を鍛錬すれば[]をキャッチする能力が本能として頭脳にそなわっていたからである。
 先史時代(旧石器時代)、日本列島は現在と同じく、周囲は大海であった。人々は[]をキャッチする眼力を有していたゆえ、大海中に囲まれる日本列島に移住することができた。
 卑弥呼時代、大海を渡って朝鮮半島・中国に到着する人々が海上で自分の居る場所の位置(緯度)を測定する方法は[]のキャッチのみ、ただ一つであった。
 北極星を目星にして天の北極の高度を緯度に換算する方法で旅すると、卑弥呼時代の北極星(こぐま座β星)は天の北極から約10度離れていたゆえ、天の北極を中心にして直径が約20度・1200分の円を描いていた。1200分の円の中心である天の北極を1(1200分の1)の精度で測定できる能力は人間の目にはそなわっていなかった。
 人類が地球上に登場して以来、全時代において天の北極に最も接近した北極星(りゅう座α星とこぐま座α星)は、直径約90(130)の円を描いていた。この90分の円周の中心である天の北極の高度を1分の精度で測定できる能力もまた、人間の頭脳と目にはそなわっていなかった。だから、すべての時代、天の北極の高度で1分の精度で緯度を測定できる眼力を人間の目は有していなかった。
 しかし、人間の目には1度の60分の11分の精度で緯度を精確に測定できる[]をキャッチできる本能が頭脳に、そして目には眼力がそなわっていた。
 だから、大海の中に在る日本列島に人々は移住できた。これゆえ、今から約4000年前、【(1)黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、(2)倉頡が発明した漢字作成理論、(3)現存する最古の漢字音となった夏音文字の学芸、(4)精確な中国海岸線地図、(5)精密な地図作製方法】が日本列島に伝来し習得された。
 その後、『魏志倭人伝』が証言しているように――銀河(文字作成銀河・夏の銀河)各部の形状と中国の海岸線より約3倍にして細密な日本列島の海岸線の地宜によって字源・字形の原形・原義が明確に示されたため、【(1)黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、(2)倉頡が発明した漢字作成理論】は【日本列島にすむ人々の血と肉と、神が神意・真理を示す高貴な学問】となったゆえ、卑弥呼時代まで受け継がれて正確に保存された。
 原始のときから、人類・ホモサピエンスには頭脳に《たくましく》生きていく本能行動と情動(じょうどう)行動として[(とう)]をキャッチできる能力が存在し、日々眼力を鍛錬して技(わざ)を磨(みが)[]をキャッチするための道具も作りつづけた。
 []の下に[(よう)]が加わると、[(げん)]の字となる。[]について、『説文解字』は「小なり。子の初生の形に象(かたど)る」と解説する。ゆえに、『説文解字』は[]の字源を「出産第二期・娩出期(べんしゅつき)終わりの母体の背側に顔を向いて誕生する新生児」と解説するが――要するに、[]は「せまい産道をくぐりぬけて誕生する新生児(出産児)」であった。
 これゆえ、[]の下に[]が加わる[]は――必ず[](天頂緯度線と子午線)をキャッチするぞと欲を有すると[]をキャッチできずに死ぬことになるが、産道をくぐりぬける出産児のごとく無欲になれば必ず[]はキャッチすることができる――という、[]をキャッチするときの心得をあらわした。
 『魏志倭人伝』の冒頭は「倭人は、帯方の東南、大海の中に在()り」という記事であり、中ほどには「古(いにしえ)()り以来、その使()中国に詣(いた)るに皆自(みなみずか)ら大夫(たいふ)と称(しょう)す」という記事がある。この二つの記事が伝えるように、古来より倭(日本列島)の使者は大海・玄界灘(げんかいなだ)を渡って中国に到着し、また玄界灘を渡って日本列島に帰還していた。ゆえに、「玄界灘」は「天の北極の高度を緯度に換算する方法では必ず死ぬことになる大海。しかし、[]をキャッチするときの心得の[]にのっとれば無事に死なずに往来できる波が荒い陸地から遠く離れた大海」であったことになる。
 下に示す[]の字源・言いかえると「門」の原形は[]をキャッチするために考案された装置であった。[]の字源・「門」の原形となった装置で人々は[]をキャッチした。
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 上の図が示すように、22番目の「為吾国」の[]の「吾(おれ・俺)の顔」が[]に合致すれば精確に緯度が測定できる。つまり、「[]における、天頂緯度線」と「天を仰ぐ男子の吾()の顔」は同緯度である。したがって、「観測地点の緯度」は「[]をキャッチする、男子の顔()」ということになる。
 上図の「門」のような装置だけでなく、さまざまな道具でまた優れた眼力の持ち主・つまり玄人(くろうと)だと道具無しで[]をキャッチできたゆえ、「[]をキャッチした吾()の顔」は「天頂点と観測地点の緯度」となった。
 前述したように、「為吾国」の[]の契文形(甲骨文字の字形)は「地宜が象の姿に相似する、太湖」をあらわした。ゆえに、[]は「中国の太湖周辺地域と同じく、稲作に適した地」を意味し、[]は「[]をキャッチする男子の顔(俺の顔)」をあらわした。ゆえに、「為吾」という小国名は「太湖周辺地域のごとく稲作に適し、[]をキャッチできる条件にめぐまれる、男子が[]のキャッチに失敗して死亡する事故が少ない土地」と意味したことになる。
 為吾国の中央は伊賀盆地のため、夏は太湖附近のごとく蒸し暑い。また、為吾国・伊賀の地宜」はせまく丘陵地が多い土地柄である。ゆえに、為吾国の各集落は東・西・南・北の目印となる特徴ある凸(とつ)となる山々や凹()む谷や川などに囲まれる。このため、住民たちは日頃からあそこの山とあの谷が東西であり、あの川がある凹みの箇所とあの山の頂上が南北である、などの知識を有していた。また、山国の為吾国の夜間の空気は澄んでいるために天頂にめぐってくる銀河部がはっきり見えて[]をキャッチする条件にめぐまれていた。これゆえ、為吾国ではおのずと[]のキャッチに失敗して死亡する男子の数は少なかったことになる。
 つい最近・二十世紀の終戦直後、母親たちは「男の子は弱くて育てにくい」と嘆(なげ)いていた。だから、医学・医術が現代より劣って栄養にめぐまれず衛生面も劣っていた卑弥呼時代は男子の出産死亡率は高く、前述したように、男の子は弱くひ弱で育てにくく死亡率が高かった。さらに成人しても男子は家族を養うために、あるいは生活に必要な道具や必需品などを求めて遠くの地へ旅するものであったゆえ、その旅路において[]のキャッチに失敗して死亡する男子が多数いた。
 ゆえに、『魏志倭人伝』は倭国における男女の事情を「身分の高い人々の大人(だいじん)は皆四人か五人の婦人と結婚し、身分の低い下戸(げこ)も二人か三人の婦人と結婚している。婦人は淫(みだ)らでなく、嫉妬(しっと)しない」と記述する。この記事が示すように、女性はおよそ男性の約三倍から四倍弱も多かったため、淫らな女性と嫉妬ぶかい女性は男性にきらわれて離婚されあるいは結婚もできなかった。だから、男性の数が圧倒的に少ない厳しい状況下では女性は淫らになることも嫉妬することもできなかったのである。
 卑弥呼時代は、上記のごとくであったゆえ、「為吾国」という小国名には――家族をまもって養わなければならなかったために、倭人国の国々の男性は遠くの地に旅しなければならなかった。ゆえに、[]のキャッチに失敗して旅先で死亡した男性が多数いた。しかし、為吾国はこの点にめぐまれていて男子の死亡率は少なかった状況――が表示されている。

 なお、21番目の鬼国の次に為吾国が22番目国になったのは、両国に用いられた字の字源銀河はともに「鬼の横顔に似る銀河」と「北アメリカ星雲」であるからである。
 下の配した〔[][][]の字源解説図〕にて証明したように、[]の金文形は――「鬼の横顔に似る銀河の後頭部につく大きく開いた目から北アメリカ星雲にかけての範囲」が[]の字源銀河である――と示している。
 前掲した〔[]の字源銀河と「伊賀」の地宜の図〕では、[][]の字源銀河はともに「鬼の横顔に似る銀河」であり、[]の字源銀河において「北アメリカ星雲」は「強いタカのヒナの餌(えさ)となる弱いタカのヒナ」に見立てられ、「為吾国」の[]における「北アメリカ星雲」は「鼻の長い象の姿。地宜が象の姿に相似する太湖」に見立てられた。
 だから、[][][]の字源銀河は「鬼の横顔に似る銀河と北アメリカ星雲」で共通するゆえ、卑弥呼は21番目の「鬼国」の次の22番目国を「為吾国」と決めたのである。
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23番目国は「鬼奴(きな)国」である。
 下の図に示すように、「鬼奴国」は「旧国の紀伊(きい)の西部、現在の和歌山県」であった。〔注 「旧国紀伊の東部」は「伊勢・熊野」であり「都支(たき)国」であった。〕
 上記したように「鬼」は「タカの巣のヒナ」を意味するように、「鬼奴国」の[]の字源は「タカ()」であった。前回(23)のわがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」で解説したように、[]の字源は「蝶の成虫が重い体を浮かして飛ぶことができる羽の、強い力」であった。下の図に示したように、「鬼奴国」の[]の字義は「鷹の体を浮かして飛ぶ、タカの羽」である。だから、「鬼奴国」の[]の字源は「タカ()」であった。
 「和歌山県の地宜」を、卑弥呼は「鬼の鷹が大空を飛ぶ、奴の強大な力を示す大きな翼()の形」に相似すると見立てて小国名を「鬼奴国」と定めた。
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 大型種の鷹は食物連鎖(しょくもつれんさ)の最高位となる。また、「大きく強い翼を有するオスの鷹」の生活圏や狩りのなわばり(餌場)は広い。ゆえに、卑弥呼時代は「巣のヒナにあたえる餌(食物)を探して、大きな翼をひろげて大空を飛ぶオスの鷹の姿」は「雄々しい男子の理想像」をあらわした。つまり「大空を飛ぶ鷹の姿」は「家族が飢えないように食物(イノシシやシカやウサギや鳥などの獲物)を求めて遠くの山野まで立ち入って狩猟し、また生活に必要なさまざまな道具や工具を求めて遠くの地に旅し、あるいは村落が衰退しないように遠くの地の優れた知識・知恵や発明・考案・工夫などをもたらす雄々しい男子の理想像」をあらわすことになった。

24番目国は「邪馬(やま)国」である。
 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の11回で詳細に解説して証明したように――「邪馬」は「せまい産道をくぐりぬける出産児の頭蓋骨(ずがいこつ)の重ね合わせることができる仕組み(機能)」であった。
 この「出産児の重ね合わさることができる頭蓋骨の仕組み」を、現在の産婦人科では「広形機能(こうけいきのう)」、または「骨重積(こつじゅうせき)」と名づけている。
 下の図に示すように、出産児の「1枚の後頭骨(こうとうこつ)・一対2枚の頭頂骨(とうちょうこつ)・一対2枚の前頭骨(ぜんとうこつ)」の5枚の頭蓋骨には骨同士の隙間(すきま/スペース)がある。後頭骨にある隙間は「小泉門(しょうせんもん)」、頭頂骨における直線状のわずかな隙間は「矢状縫合(やじょうほうごう)」、頭頂骨と前頭骨の分け目には大きな隙間の「大泉門(だいせんもん)」がある。
 下の図の左側に示したように、「小泉門・矢状縫合・大泉門の隙間」を、卑弥呼は「邪馬」と名づけた。
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 このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回はじめとして幾つかの回で重複(ちょうふく)して解説して証明したように、『魏志倭人伝』が「倭地には牛と馬は無い(生息していない)」と伝えている[]の字源は「ジャコウウシ」、そして[]の字源は「フタコブラクダ」であった。
 下に示した〔「邪馬」の解説図〕は[]の字源「フタコブラクダが草をモグモグと食べるときの鼻・上アゴ・口・下アゴ」は、まるで「フタコブラクダの顔の各部(鼻・上アゴ・口・下アゴ)が邪(なな)めとなって、あたかも破顔一笑(はがんいっしょう/にっこり笑う)するような表情」になることをあらわしている。「草をモグモグと食べるフタコブラクダの顔の各部(鼻・アゴ・口)が邪(なな)めになって、まるで破顔一笑するような形相(ぎょうそう)」は「せまい産道をくぐりぬけることができるように骨同士が重ね合わさる仕組みとなる出産児の頭蓋骨の形状」にソックリである。だから、卑弥呼は「出産児の頭蓋骨の骨重積(こつじゅうせき)の機能」は「草をモグモグと食べるときに馬・フタコブの邪(なな)めとなる鼻・アゴ・口の破顔一笑するような形相」に酷似(こくじ)するゆえ、「邪馬」と名づけた。
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 下の図における上図の「旧国の大和(やまと)の地宜」は、[]の字源「時計回りに90度転回する方位規定」にもとづく。この「旧国の大和、現在の奈良県の地宜」は、下図の〔卑弥呼が「邪馬」と名づけた――馬・フタコブラクダが草をモグモグと食べるときの邪(なな)めとなってゆがむ鼻・アゴ・口の形〕にソックリである。
 その証拠に、「大和の地宜の左側の、フタコブラクダの鼻・アゴ・口に相当する部分」は「草が食べられていかにも幸せそうに、馬・フタコブラクダが破顔一笑する(にっこり笑う)がごときの形相」となって、「邪馬」をあらわす。
 ゆえに、下の90度転回する方位規定([]の字源の方位規定)による「旧国の大和、奈良県の地宜」を、卑弥呼は「邪馬」すなわち「産道をくくりぬける出産児の頭の骨重積(こつじょうせき)の小泉門・矢状縫合・大泉門の形状」をあらわすと考えた。
 だから、「旧国の大和」の小国名を、卑弥呼は「邪馬国」と定めたことになる。
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 『魏志倭人伝』が「女王の都(みやこ)する所なり」と説明する、倭女王の卑弥呼が居住した女王国の名は「邪馬壱(やまい)国」であった。
 「邪馬壱国」の[]の字源銀河は「十字の銀河の子宮」であった。あるいは「女性の骨盤と生殖器官」もまた[]の字源であった。
 下に示す図は、〔黄帝時代に中国全土の天頂にめぐってきた「十字の銀河」と「鬼の横顔に似る銀河」の図〕である。
 下の図が示すように、黄帝時代に中国の全土の天頂にめぐってきた「十字の銀河」は「緯度線」に対して「邪(なな)め」である。
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 前述したように――[]の字源銀河は「十字の銀河」であった。
 下の図に示したように、「十字の銀河」の隣り(東方)にある「三つ輪の銀河」は「沙漠。瀚海(かんかい/ゴビ沙漠)」に見立てられた。このため、「十字の銀河」は“沙漠の船”と呼ばれた、瀚海・ゴビ沙漠に住む人々にとっては欠くことができない大切な家畜の「フタコブラクダ」に見立てられた。
 〔注 『魏志倭人伝』は1番目の「対馬国」と2番目の「一大国」の中間の海は「瀚海・ゴビ沙漠」であると記述する。わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の4回で詳細に解説し証明したように、「瀚海」は「ゴビ沙漠」を意味した。つまり、「対馬国」の[]の字源は「瀚海・ゴビ沙漠に生息するフタコブラクダ」であることを示すために、卑弥呼は対馬国と一大国の中間の海を「瀚海」と名づけたと、『魏志倭人伝』は説明している。〕
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 前掲した〔黄帝時代に中国の全土の天頂にめぐってきた「十字の銀河」と「鬼の横顔に似る銀河」の図〕における「十字の銀河」は「緯度線に対して邪(なな)め」であったゆえ[]の字義となった。また、「十字の銀河」は[]の字源であり、そして「十字の銀河の子宮」は[]の字源であった。だから、卑弥呼は倭人国の首都が所在した王国(女王国)[][][]3字からなる「邪馬壱国」という名称に定めた。
 このように女王国「邪馬壱国」の「邪馬」の語源銀河は「十字の銀河」であったが――「旧国大和の、邪馬国」の「邪馬」の語源銀河は「十字の銀河」ではなかったと考えるべきことになる。それというのも、21番目の「鬼国」から23番目の「鬼奴国」の順番における銀河部にもとづくと、「十字の銀河」を「邪馬国」の語源と定めると不合理となるからである。
 前述したように、21番目の「鬼国」の[]の字源銀河は「鬼の横顔に似る銀河の後頭部と後頭部につく大きく開く目と北アメリカ星雲」であった。22番目の「為吾国」の[][]の字源銀河は「鬼の横顔に似る銀河([]の字源)と北メリカ星雲([]の字源)」であった。23番目の「鬼奴国」の[]の字源銀河は「鬼の横顔に似る銀河の後頭部と後頭部につく大きく開く目と北アメリカ星雲」であった。そして「鬼奴国」の[]の字源銀河は下に示す「鬼の姿に似る銀河(鬼の横顔に似る銀河・鬼の身に相当する銀河)と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」である。
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 だから、上記した21番目の「鬼国」から23番目までの「鬼奴国」までの順序また各小国に用いられた字の字源銀河にもとづくと、24番目の「邪馬国」の「邪馬」の語源銀河は「十字の銀河」ではなかったと考えるべきことになる。
 つまり、「旧国大和」の小国名の「邪馬」となった銀河部は、下に示した範囲であった。というのも、「鬼奴国」の[]の字源銀河「鬼の姿に似る銀河と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と隣接する「東西の銀河部」は、下の図に示したように、「ラクダのフタコブの山形(やまなり)の形」となるからである。ゆえに、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が「ラクダの目」となり、「長方形の暗黒天体部から南側の銀河部」が「ラクダの顔」に相似すると見立てられて「邪馬の銀河」ということになった。
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 だから、下の図における「邪馬のコブと顔の銀河」を、卑弥呼は「旧国大和の地宜」に見立てて、「ラクダの目」となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」を「為吾国」に見立てて、「大和」の小国名を卑弥呼は「邪馬国」と定めたことになる。
 下の図における「大和の地宜」は現在方位であるが、[]の字源にのっとって「時計まわりに方位を90度転回させて横向きにした、大和の地宜」は――前述したように、「草をモグモグと食べる時のフタコブラクダの横顔(鼻・アゴ・口)」が「産道をくぐりぬける出産児の小泉門・矢状縫合・大泉門の形状」にソックリとなるゆえ、この「破顔一笑(はがんいっしょう)、にっこり笑いながら草を食べる幸せなフタコブラクダの横顔」を、卑弥呼は「邪馬」と表現した。
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 上の図における「ラクダのフタコブ」をあらわす「太い円弧線(えんこせん)」の銀河部「激流の銀河」を注目していただきたい。「激流の銀河」は「大雨が降って激しく流れる河川の水」のイメージとなる。ゆえに、「ラクダのコブのごとく山形(やまなり)となる、激流の銀河」は「降水量にめぐまれる大和の気候」をあらわす。
 したがって、「邪馬国」は「稲の育成にめぐまれた、青々とした幾多の森が浪(なみ)うってつづく、多数の人民が満ち満ちあふれて住む国」、つまり「瑞穂(みずほ)の国」であったことになる。
 「ラクダのフタコブ・激流の銀河」のイメージがあらわす「降水量にめぐまれて草が青々と茂(しげ)る大和の風土」は「草をいっぱい食べることができる」ということになる。
 だから、再度くりかえすが――上の〔「邪馬」の銀河部図〕は前掲した〔時計回りに90度転回して横向きにした、大和の地宜〕は〔草が食べられていかにも幸せそうに、馬・フタコブラクダが破顔一笑する(にっこり笑う)がごときの横顔〕とソックリとなる、つまり「邪馬」となると卑弥呼は見立てたと考えるべきことになる。
 したがって、「邪馬国」は「旧国の大和、現在の奈良県」であった。
 女王・卑弥呼が居住した女王国は「邪馬壱国」である。ゆえに、「邪馬国」という小国名には「【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】の育成に熱心な国」という意味があったと考えられる。
 卑弥呼の没後の3世紀後半から4世紀初頭、天照大御神は邪馬国を都の所在地と定めて大和王朝の基礎を築き、卑弥呼同様に【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を政権基盤にして天下を治めた。
 前述したように、『魏志倭人伝』には「瀚海・ゴビ沙漠」の記事があり、また「玄界灘を渡って中国に到着した倭の使節」の記事もある。ゆえに、「邪馬国」という小国名には「ゴビ沙漠を往来するフタコブラクダのように、大海・玄界灘を越えて旅する勇気ある船乗りや使節や、また、フタコブラクダのごとくはるか遠くの地へ旅して家族の命と生活をまもる雄々しくてやさしい男性たちの国」と称賛する意味も有するものであったにちがいない。

25番目は、「躬臣(こじ)国」である。
 [][]を加えると、[(きゅう)]の字となる。
 下の図に示したように、「十字の銀河」は「左手(東の手)に〔弓〕(「弓」に見立てられる銀河部)を持つ。だから、「十字の銀河の左半身」は「家から遠く離れた山野で〔弓〕を用いて狩りをする男性」をあらわす。
S674
 『説文解字』は[]の字を「身なり」と解説する。
 下の図の右側に配する[]の金文形は「身なり」つまり「みごもっている女性の姿」を図案する。山野で狩猟する男性たちは道に迷って死ぬのをさけるために狩りをする各地点や帰途(きと)における各場所で、その都度(つど)天頂緯度測定をする。46秒間で精確に天頂緯度測量するために、下の図に示したように、おなかを前へつきだしてう~んと天をあおいで天頂をとらえた。したがって、男性が天頂緯度測定をする時の姿勢は「身なり」、すなわち「おなかが大きな妊婦の側身形」となる。だから、[]の字は「狩猟する男性が妊婦のようにおなかを前へつきだして天頂緯度測定するときの姿勢(側身形)」をあらわした。
 〔注、妊婦がおなかを前へつきだして天頂緯度線をキャッチする、この姿勢だと流産の危険がある。ゆえに、『説文解字』の[]の「身なり」という解説は「天頂緯度測定するときの男性のポーズ」を指摘するものであったことになる〕。
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 下に配した〔[][]の字源銀河解説図〕は、天文図の定式(ていしき)は《右西・左東》であるが、《北》を正面とする地図の一般形式に合わせて《右東・左西》の図とした。
 「躬臣国」の[]の字について、『説文解字』は「君に事(つか)ふる者なり。屈服する形に象(かたど)る」と解説する。これゆえ、下の〔[][]の字源銀河解説図〕において、「十字の銀河」が「君(君主)」に見立てられ、「鬼の横顔に似る銀河」が「君主に事(つか)える者・臣下」、つまり[]の字源ということになる。その証拠に、白川静著『字統』は[]の金文形について「目をあげて上を視()る形」と解説する。下の図における「鬼の横顔に似る銀河」は「目を上げて上(十字の銀河)を視る横顔」である。ゆえに「十字の銀河」が「君主」をあらわし、[]の金文形のモデルは「鬼の横顔に似る銀河」であったことになる。
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 わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の21回の後半部で詳細に解説して証明したように――上図における「鬼の横顔に似る銀河」における「鬼の横顔には目が二つ、鬼の横顔の後頭部に大きく開いた目、鬼の横顔のアゴに細い切れ長の目、計四つの目」がある。ゆえに、「鬼の横顔に似る銀河」は「四つ目の銀河」ということになる。
 「四つ目の銀河」は「倉頡」をあらわした。というのも、倉頡伝説においては「太古、黄帝時代に、倉頡という四つ目の怪人がいて、はじめて文字を作った」と語られるからである。わが国では『古事記』が成立した8世紀初頭まで、天頂緯度線測定を最も重視していた。ゆえに、後期縄文時代初頭から8世紀までの王たちや王女たちや巫女たちや覡(げき/神官)たちや皇族たちや学識者たちは、倉頡伝説は「漢字は銀河各部の形状から作られた事実」を伝えるものであり、また倉頡伝説に登場する「四つ目の怪人・倉頡」には「【倉頡が発明した漢字作成理論の中核部】は「四つ目の銀河」である」と認識していた。
 だから、上の〔[][]の字源解説図〕における「君主」を示す「十字の銀河」は「黄帝」を、「臣下」の「四つ目の銀河」は「倉頡」をあらわしたことになる。
 下の図に示すように、「十字の銀河」に見立てられた「[]の地宜」となった地域は「旧国の摂津(せっつ)・和泉(いずみ)・河内(かわち)、つまり現在の大阪府と兵庫県東部」であった。そして、「四つ目の銀河」に見立てられた「[]の地宜」となった地域は「現在の兵庫県南部の淡路島」であった。
 したがって、卑弥呼は「現在の大阪府と兵庫県の東部」を「黄帝」に、「兵庫南部の淡路島」を「倉頡」に見立てて、小国名を「躬臣国」と定めたことになる。
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 「躬臣国」は「神生(かみう)みの国」であったと考えられる。
 『古事記』上巻における〔伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)の説話〕には《国生み》と《神生み》の記事がある。「上古においては、卑弥呼のように理路整然とした優れた小国名の考案」は「政権基盤となる重大な事業」であったゆえ、《国生み》と呼ばれることになった。
 ゆえに、《神生み》とは「黄帝の医学研究、倉頡の漢字の発明」を指していることになる。というのも、『古事記』の《神生み記事》の神々は「学問の発達、航海方法の進化、建築業や工業や鉱業における発明・工夫(くふう)」をあらわしているからである。
 たとえば、「鳥之石楠船神(とりのいはすくふねのかみ)、亦(また)の名は天鳥船(あめのとりふね)」という神は「鳥のごとく速く走り、石のごとく頑丈(がんじょう)な射()られた矢が貫通しない楠(くすのき)で作った画期的な軍船の発明」を意味し、「火之炫毘古神(ひのかかびこのかみ)、亦の名は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」は「銅鐸の材料の青銅を溶かす熔鉱炉、鉄を作る精錬炉の開発」を意味し、「金山毘古神(かなやまびこのかみ)、金山毘女神(かなやまびめのかみ)」は「銅や鉄や砂鉄などの鉱山」をあらわした。
 だから、《神生み》は「学問の発達、すぐれた発明、建築業や土木事業の発展、工業や鉱業の進展・工夫(くふう)など」を意味した。
 ゆえに、躬臣国は《神生みの国》であり、つまり躬臣国は学問・発明や河内湖(かわうちこ)周辺の土木事業や開墾(かいこん)事業などの盛んな小国であったことになる。ゆえに、5世紀頃から出現した難波(なにわ)王朝は大和王朝を圧倒して栄え、大和の箸墓(はしはか)古墳よりも巨大な仁徳天皇陵、応神天皇陵、履中(りちゅう)天皇陵などを築造した。
 〔注 先年死去した考古学者・同志社大学名誉教授の森浩一氏は、「仁徳」という人名は奈良時代に創られた漢風(かんぷう)の諡号(しごう)で、古墳時代にはわが国には漢字が習得されていなかった。ゆえに、仁徳天皇陵の所在地にもとづいて「大山(だいせん)古墳」と名づけるべきであると提唱した。このため、最近、「大山古墳」という名は定説化され、「仁徳天皇陵」という名称は廃棄(はいき)すべきであるとする、教科書も存在する。しかし、わが国は今から約4000年前の後期縄文時代初頭の【倉頡が発明した漢字作成理論】と夏音文字を習得していた。だから、森浩一教授の「大山古墳説」は論拠がまったく成立しない空理空論ということになる。したがって、「大山古墳」は誤り、「仁徳天皇陵」が正しいゆえ、「大山古墳」という名称は使用しないことにした〕。

 以上のごとく、21番目の鬼国から25番目の躬臣国までの小国名は全5ヵ国とも「男性グループ」であることをあらわし、しかも5ヵ国の由来と順番をもって【黄帝の医学研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を理路整然と説明している。このような理路整然とした説明は、26番目の巴利(はり)国から30番目の狗奴(くな)国の5ヵ国でもなされる。
 だから、新井白石以来約300年間もつづけて学者たちが主張する「邪馬台国説」は空理空論・真っ赤なウソ・デタラメ・詭弁(きべん)であった。だいいち、このブログが証明しているように、『魏志倭人伝』には「邪馬台国」を説明する記事は1ヵ所も存在しない。
 新井白石以来の邪馬台国説は「『魏志倭人伝』の全記事を信頼して読んではならない」という方法で思考・立論するからには、さすがに【科学】がきちっと成立する意見かといえば、多数の矛盾点・不合理な点を有する【科学】がまったく成立しない期待外れの意見である。
 他方、このブログの『魏志倭人伝』の全記事を信頼して1ヵ所も【誤読】を加えない方法の場合は1ヵ所も矛盾点も不合理な点も生じず、【科学】を成立して――『魏志倭人伝』は【黄帝の「女性の生殖器官と子どもの出産」の研究と、倉頡が発明した漢字作成理論】を詳細に具体的に理路整然と説明する書物であったことが証明される。

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