邪馬台国説はサギ・騙されるな・26
▼わが国の学界が絶対に正しいと言いきる絶対的な定説にも――学者たちの思考停止(しこうていし)・無知(むち)が原因で根本的に誤る、クレージーなデタラメが存在する。
この代表的な事例が、学界が「わが国が最初に漢字を習得(しゅうとく)したのは5世紀あるいは6世紀である」とする、絶対的定説である。この絶対的定説はほぼ全国民が絶対的に正しい学説と信じている常識であり、またすべてのメディアとジャーナリストたちもまた絶対に正しい学説であるちがいないと信じている。
しかし、この絶対的定説はクレージーにして不毛(ふもう)な空理空論・デタラメであった。
◆というのも、このブログ「邪馬台国説はサギ・騙(だま)されるな」が前回(25回)まで詳細に科学的に証明したように――倭女王・卑弥呼(ひみこ)が登場する歴史書で有名な『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の約85パーセントの記事は「わが国が最初に漢字を習得したのは、今から約4000年前の中国の夏代(かだい)初頭、言いかえるとわが国の後期縄文時代初頭である」と記述するからである。この『魏志倭人伝』に記述された「漢字習得の真実(事実)」はわが国に現存する多数の資料(遺跡、遺物などのさまざまな種々雑多な史料)によって詳細に具体的に科学的に証明される。
上記した『魏志倭人伝』は大半の記事で「後期縄文時代初頭に、わが国は漢字を習得した」と説明する事実はわが国の学界にとってきわめて不都合な真実である。このため、このような記事は『魏志倭人伝』には「いっさい、存在しない」と、もちろん、学界は定めている。したがって、『魏志倭人伝』が大半の記事で「中国の夏代初頭に漢字を習得した」と説明する事実は学者たちによって排除(はいじょ)され無視され、闇に葬り去られている。
◆『魏志倭人伝』だけでなく、『古事記』上巻の序もまた「わが国が漢字を最初に習得したのは、後期縄文時代初頭(今から約4000年前)であった」という事実を語っている。
だから、学界はじめメディアやジャーナリストが太鼓判(たいこばん)を押す「わが国が漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」とする絶対的な定説は、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序に記述された真実を学者たちが排除し無視してデッチあげたクレージーな不毛の空理空論であった。
江戸時代中期に生存した新井白石(あらいはくせき)は『魏志倭人伝』に【多数の誤読】を加えて強引(ごういん)に邪馬台国説をデッチあげた。この白石のクレージーな邪馬台国説に、学者たちはすっかり魂(たましい)をうばわれ意のままにあやつられ隷従(れいじゅう)し、約300年ものあいだ思考停止して、いっこうに【多数の誤読】を加えて成立する立論方法は根本的にあやまっているのではないかという疑問を抱かうとしない。
『魏志倭人伝』に1ヵ所も【誤読】を加えなければ、その約85パーセントの記事は「わが国が漢字を最初に習得したのは後期縄文時代初頭(中国の夏代初頭)であった」と伝えていることが科学的に証明される事実を――学者たちはまったく知らない。
◆「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という定説が空理空論である事実は――現在は、誰にも容易(ようい)に理解できる明白なる事実となる。
言いかえると、「わが国が最初に漢字を習得したのは今から約4000年前の後期縄文時代初頭、中国の夏代初頭であった」という事実は、現在、誰にも容易に理解できる明白なる事実なっている。
現在は、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と主張する絶対的定説は学者たちの思考停止・無知がなせる完全なるデマであり、完璧(かんぺき)なる空理空論であり、非科学きわまりないデタラメである。この事実を学者たちや学界やメディアやジャーナリストたちは信じないであろうが――現在、ゴマカしたり、弁解したりすることができない学問的事実となり、明白なる科学的事実となっている。
◆隣国の韓国では「漢字は韓国が最初に作った。最古の漢字の甲骨文字(こうこつもじ)は韓国の先祖の東夷(とうい)族が作ったからである」というクレージーな下品なデマ・ウソが横行(おうこ)しているようであるが――漢字は今から約5000年前、中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)によって発明された。だから、韓国の学者たちが主張するように漢字は甲骨文字から始まったのではない。
中国では、古来、「漢字は、黄帝につかえた倉頡が発明した」と伝えられていた。この倉頡伝説には「四つ目の怪人・倉頡」が登場する。この「四つ目の怪人・倉頡」について、学者たちは「人間には四つの目がない。だから、倉頡伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメである。漢字は長い歴史の中で発展してしだいに体系を整えてきたものであり、倉頡ひとりの発明品であるはずがない」と、倉頡伝説を全面否定する。
しかし、今から約5000年前に黄帝・倉頡が生存した五帝時代初頭の中国全土の天頂(てんちょう)には「人間の横顔にソックリの銀河部」がめぐってきた。この「人間の横顔にソックリな銀河部には四つの目」がある。だから、倉頡伝説は「四つ目の怪人・倉頡」をもって――漢字は銀河から作られた。「銀河」の別称は「銀漢」、「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた――と伝えていたことになる。
倉頡伝説のとおり、「漢字は倉頡が発明した」ことは事実であった。
というのも、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序は「倉頡伝説は事実であった」と学問的に科学的に証明できる確かな資料であったからである。ところが、わが国の学者たちは新井白石以来約300年も、【多数の誤読】を加えて「『魏志倭人伝』は邪馬台国の所在地について記述した書物であった」とする真っ赤なウソ・デマを日本国中にまき散らした。これゆえ、いままで「倉頡伝説は事実を伝えていたこと」が詳細に学問的に科学的に証明することができなかったのである。
世に名高い邪馬台国説九州説と邪馬台国説畿内説は学者たちがデッチあげた100パーセントの真っ赤なウソであった! アマテラスオオミカミを最高神と称賛する日本神話虚構説もまたは学者たちがデッチあげた100パーセントの真っ赤なウソであった! 『古事記』上巻は愛の女王・イザナミノミコトをわが国のすべてを生んだ祖(おや)と絶賛(ざっさん)して歴史の事実を伝える書物であった! その証拠に、織田信長と徳川家康は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序に記述されている【倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を幼少のころから学び、『古事記』上巻に記述されたイザナミノミコトの歴史を正確に読解してイザナミノミコトに熱烈にあこがれる生涯をつらぬいた。
わが国には「【夏音文字の学芸】を習得した時に同時に【倉頡が発明した漢字作成理論】をも習得した」と伝える確かな資料であった『魏志倭人伝』と『古事記』上巻はじめ、遺跡・遺物、地上絵(平面的に図化した地図)、文化・伝統、また【夏音文字と倉頡が発明した作成理論】を学習した多数の前人たちが存在する。というのも、【倉頡が発明した漢字作成理論と、夏音文字の知識】は【学問】であったゆえ、遺跡・遺物が残り、文化・伝統としてうけ継がられことになった。だから、わが国の学問は【倉頡が発明した漢字作成理論】を習得した約4000年前の後期縄文時代初頭から始まったことになる。
そして、現在、とうとう、「倉頡伝説は事実を伝えていたこと」が明確に学問的に科学的に証明できる状況となった。
◆わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静(しらかわ・しずか)博士が著作した『字統(じとう)』(平凡社発行)は9ページの終わり3行目~10ページの初めから3行目までで、〔わが国の漢字音〕と題して、下記のごとく指摘(してき)する。
「古紐(こちゅう)や古韻(こいん)の研究は、西洋の言語学・音韻(おんにん)学がとり入れられ、殊(こと)に音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ摘要しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残っている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかとなった。」
上記したように、白川静著『字統』は「西洋の言語学・音韻学の成果によって、現存する中国の最古の漢字音よりも、わが日本国の国語として残っている最古の漢字音のほうが古いことが明らかとなった」と指摘する。
下に配した〔漢字生長史〕に示したように、現存する中国の最古の漢字音は「上古音」と名づけられ、この上古音における最古は今から約3070年前(紀元前1046年)ごろの漢字音である。
学界が自信たっぷりに「わが国が、漢字を最初に習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定した絶対的定説を下の〔漢字生長史〕に加えると――最下部、つまり『魏志倭人伝』に登場する倭女王・卑弥呼が生存した三国時代/3世紀(220年~280年)より下部に記入することになる。したがって、学界が主張する絶対的定説の「5世紀あるいは6世紀に習得した漢字音」は「中国の上古音」よりも新しいことになる。だから、学界の漢字習得の絶対的定説は西洋の音韻学の成果に反する空理空論となる。
下の〔漢字生長史〕が明確に示すように、わが国が最初に漢字を習得したのは中国から夏音文字の学芸が伝来した後期縄文時代初頭であった。だから、学界が「わが国は最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する絶対的定説は真っ赤なウソ・ナンセンス・非科学きわまりないデタラメであったという事実は、現在、明白なる事実となる。
【1】わが国の学者たちは、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序に1ヵ所も【誤読】を加えず忠実に読解すると、「わが国は後期縄文時代初頭に夏音文字を習得したとき、【倉頡が発明した漢字作成理論の学問】をも習得した」と説明していることになる事実を知っていない。
【2】わが国の学者たちは、わが国には【現存する最古の漢字音(夏音文字の字音)】が『魏志倭人伝』と『古事記』に多数残っている事実を無視する。
【3】わが国の学者たちは『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序に1ヵ所も【誤読】を加えずに読解する方法が学問における初歩的心得・基本原理・基本原則・鉄則であることを知らない。
【4】わが国の学者たちは、『魏志倭人伝』には1ヵ所も【誤読】を加える必要がない、正確無比(せいかくむひ)の資料であることを知らない。
【5】これゆえ、わが国の学者たちは邪馬台国説と日本神話虚構説は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に【多数の誤読】を加えたデッチあげた空理空論、非科学きわまりないデタラメであることに気づいていない。
◆上に配した〔漢字生長史〕が示すように、また、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序に記述されているように――わが国は今から約4080年前ころの後期縄文時代初頭、紀元前21世紀末ころ(紀元前2070年ころ~紀元前2050年ころ)の中国の夏代初頭に原初漢字・夏音文字を習得した。
この【わが国が夏代初頭に習得した漢字音】について、白川静著『字統』は「西洋の言語学・音韻学によって、わが国の国語として残っている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった」と指摘する。
わが国が夏代初頭に習得した夏音文字の漢字音は、中国に現存する最古の漢字よりも約1000年前の漢字音である。だから、夏音文字の字音は現存する最古の漢字音である。
中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』には――702年に中国に渡来した第7回遣唐使は中国王朝に「後稍夏音(のち・やや・かおん)を習(なら)う」と告げた――という記事がある。わが国の遣唐使が中国王朝に伝えた「後稍夏音を習う」という説明は「672年の壬申(じんしん)の乱の後、稍々(少し)夏音文字を習う(復興する)にした」と意味した。
その証拠に、第7回遣唐使が中国に渡った702年の10年後の712年(和銅5)正月28日に成立した『古事記』上巻には、〔音〕という注が付く夏音文字が多数記載されて残っている。
『古事記』上巻に〔音〕という注が付く多数の夏音文字について、白川静著『字統』は「わが国の国語として残っている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった」と指摘したのである。
『古事記』上巻の伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)の淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚(せいこん)説話は、合計381字で構成される。そのうち、〔音〕という注が付く夏音文字は【1】「許々袁々呂々邇(こをろこをろに)」の7字、【2】「淤能碁呂(おのごろ)」の4字、【3】「美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)」の7字、【4】「阿那邇夜志愛袁登古袁(あなにやしえをとこを)」の10字、【5】「久美度邇(くみどに)」の4字、計32字である。淤能碁呂島説話における合計381字の文字のうちの32字・8パーセントの夏音文字は「稍(やや)」つまり「わずか8パーセント」ということになる。
だから、『古事記』上巻の各説話には、702年に中国に渡った遣唐使が中国王朝に「稍夏音(やや・かおん)を習う(復興する)ことにした」と語ったとおり、夏音文字の漢字音を「稍(やや)の文字数」で記載されて残った。ゆえに、各説話に稍(やや)の文字数で記される夏音文字を合計すると、『古事記』上巻全体には多数の夏音文字が記載されていることになる。
ゆえに、学界が「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する絶対的定説は、『古事記』上巻の序にて太安万侶(おおのやすまろ)が「わが国が最初に漢字の習得したのは後期縄文時代である」と記述した警告(けいこく)と、『古事記』上巻に〔音〕という注がついて多数残る夏音文字の存在を無視して強引にこじつけた空理空論・真っ赤なウソであったことになる。
◆現在、「中国の最古の漢字音は紀元前11世紀ころから始まる上古音である」という知識は学者ならば当然(とうぜん)そなわっていなければならない、容易に知得できる常識である。
また、学者ならば「西洋の言語学・音韻学によって、現存する最古の漢字音は中国の上古音ではなく、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載されて残る、後期縄文時代初頭に習得された夏音文字の字音である」という事実も、当然、知っておかねばならない常識である。
ところが、上記した当然していなければならない事実・常識をわが国の学者たちは知っていない。このような非常識な学者たちの口車(くちぐるま)に乗せられて「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」とデマを流しつづけるメディアやジャーナリストの現況は、あまりにもお粗末(おそまつ)といわざるをえない。
というのも、メディアやジャーナリストたちは空理空論・ウソ・デマを暴(あば)き、真実・事実を伝える義務と使命を背負っているからである。上記したように、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という定説は、学者たちが「『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の記事に多数の【誤読】を加えて強引(ごういん)にこじつけたデタラメ・真っ赤なウソ・空理空論であったことは明白なる事実である。
だから、メディアやジャーナリストたちは、いまがいま、(1)漢字習得の定説と(2)邪馬台国説と(3)日本神話は【誤読】の空理空論であったという事実を世に発表して、自らの義務と使命をはたさなければならないことになる。
◆夏音文字は3世紀後半(280年~289年)に著作された『魏志倭人伝』に人名・小国名・官職名に用いられて多数残っている。「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」、倭国(わこく)の外相「難升米」を夏音文字で読むと「ナシメ」、帯方郡大守(たいほうぐんたいしゅ)に倭国と狗奴(くな)国の戦況を説明した武将「載斯烏越」お「ソシアオ」と読むと、夏音文字の字音となる。
また、令和元年11月14日・15日におこなわれた大嘗祭(だいじょうさい)における重要な建物の「悠紀殿」の「悠紀」を「ゆうき」と読まずに「ユキ」という読み方、主基殿の「主基」を「しゅき」と読まずに「スキ」という読み方は夏音文字の漢字音であったのである。
千賀四郎(せんが・しろう)編集『日本古代史の旅・3 邪馬台国』(小学館発行/1975年初版第一刷)の30ページは〔卑弥呼の発音について〕と題して、下記のごとく指摘する。
――卑弥呼の文字を中国漢字の上古音で読めば「ピミカ」になる。また魏以前の中古音で読めば「ピミエクゥオ」となり、(中略)。現在の中国音では「ピーミーフー」である。
上記したように、「卑弥呼」の[卑]の字を中国の上古音・中古音・近古音・現代音では「ピ」または「ピー」と読み、「ヒ」とは読まない。「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」と読むのは、夏音文字の漢字音である。
邪馬台国九州説と邪馬台国畿内説を主張する学者たちは「卑弥呼」の3字を夏音文字の字音で「ヒミコ」と読む。だから、邪馬台国説学者たちは、自らの意思に反して不本意(ふほんい)にも、「今から約4000年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭)、わが国は夏音文字を習得した」という事実を承認していることになる。
◆前述したように、倉頡伝説に登場する「四つ目の怪人・倉頡」は――「銀河」の別称は「銀漢」であるゆえ、「銀漢から作られた文字」を略して中国で日本でも「漢字」と称した――と伝えていたキーワードであった。
この「漢字」という名称の由来に学者たちが気づいていれば――『魏志倭人伝』と『古事記』上巻は【倉頡が発明した漢字作成理論】を説明する資料(書物)であることが証明されていた。
天文学において「夏の全星座が漬(つ)かる銀河の範囲」を、通称「夏の銀河」とよぶ。
倉頡は、天文学で通称「夏の銀河」とよぶ銀河各部の形状を字源・字形・字義とする漢字作成理論を発明した。ゆえに、「夏の銀河」を、私は「文字作成銀河」とよぶことにした。
倉頡が漢字作成理論を発明した「文字作成銀河」の写真を、下に示した。
◆天文学はじめ種々の学術分野において、《漢字の字源・字形の原形(真の字形)・原義(真の字義)》を解明できる〔文字作成銀河の各部の名称〕は定められていない。ゆえに、《字源となった銀河部・字形の原形となった銀河部・原義となった銀河部》の解説と証明をおこなう際に非常に不便となるゆえ、私は下図のごとく〔文字作成銀河の各部の名称〕を定めた。
◆今から約5000年前に生存した倉頡(そうきつ)は「文字作成銀河各部の形状から文字を作る方法(作成理論)」を発明した。
倉頡はみずから考案した文字が最も強力な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の知識を習得して革命に利用したならば黄帝王朝は容易に滅亡すると心配し、倉頡は下記に示す三つの掟(おきて)を破った人物はもちろん、この大罪(たいざい)を犯(おか)した人物の一族全員まで厳(きび)しく神罰(しんばつ)が下されて即刻(そっこく)死刑にすると定めた。
【倉頡が死刑と定めた三つの掟】
【一】「文字は銀漢(文字作成銀河)各部の形状から作られた」という秘密を暴露(ばくろ)した者はもちろん、その者の一族全員にも神罰が下されて死刑にする
【二】多くの文字を容易に覚えやすくするため、文字作成銀河の各部に名称をつけた者、またその者の一族全員にも神罰が下されて死刑にする
【三】書いた文字が用済みになったならば、文字を消さない者または消し忘れた者も許さず、その者の一族全員もまた神罰が下されて死刑にする
◆五帝時代の原初漢字は「書契(しょけい)」とよばれる。この五帝時代の書契、次のわが国の夏音文字と中国の夏代に用いられた夏代文字、次の殷代(いんだい)前半の原初漢字は上記した【倉頡が死刑と定めた三つの掟】を厳重にまもった。したがって、五帝時代から殷代前半までの原初漢字を書いた資料はいまだ一点も発見・出土しないことになった。
紀元前1300年以後から出現した殷代後半の甲骨文字は多数の文字数となったため、いちいち倉頡が定めた【三】の掟をまもるのが非常に面倒(めんどう)となった。このため、【三】の掟はまもらなくても死刑は免除(めんじょ)されることになった。これゆえ、甲骨文字によって【三】の掟は破られたため、甲骨文字を書いた資料は多数出土した。甲骨文字においては、倉頡が定めた【一】と【二】の掟を厳重にまもった。ゆえに、学者たちは「銀漢から作られた文字」あるいは「銀漢各部の形状が文字であった」ゆえ、「漢字」と呼ばれることになった秘密に気づかず、また、わが国には原初漢字・夏音文字が残っていることも気づかず、さらに『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の両書は【倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を伝える確かな資料であることにも気づかない。
◆漢字は字源・字形・字義と、そして字音の4つの要素によって成立する。
上記した【倉頡が死刑と定めた三つの掟】によって、上掲(じょうけい)した写真の「文字作成銀河の各部の形状」が「字源」となり、「文字作成銀河の各部の形状」が「字形の原形」となり、「文字作成銀河の各部の形状」が「漢字の原義」となった。
つまり、学者たちは書いた文字の資料が多数出土した殷代後半の甲骨文字と西周時代の金文を「真の漢字」・「真の字形」「真の字義」を示すものであると断定する。しかし、【倉頡が死刑と定めた三つの掟】によって、書いた文字が用済みになると必ず消されることになったため、五帝時代・夏代・殷代前半では、人の手で消すことができない「文字作成銀河の各部の形状」が「字源・字形・字義」となった。
実際に、「文字作成銀河の各部の形状」は「字源・字形・字義」となった。だから、倉頡は「字源・字形・字義をあらわす文字作成銀河の各部の形状」でも「ことばをあらわす記号、すなわち文字」になることに気づき、上記した【死刑と定める三つの掟】をもって【倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を王朝が独占管理してもっとも厳重(げんじゅう)な機密とするようにした。だから、五帝時代の書契(しょけい)・夏音文字における「字源」・「字形」・「字義」は「文字作成銀河の各部の形状」であったことが歴史的事実となった。
ところが、学者たちは「文字作成銀河の各部の形状」が「字源・字形・字義」をあらわすゆえ、「文字作成銀河の各部の形状」が「言葉をあらわす文字」となる事実にまったく気づかない。
夏音文字の字音は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に、2世紀の後漢時代後半から出現して7世紀初頭の隋代(ずいだい)にて完成した楷書を音符(おんぷ)にして記載される。夏音文字の字音をあらわす音符に用いられたほとんどの楷書もまた夏音文字と同じく【倉頡が発明した漢字作成理論】に則(のっと)って作られた。ゆえに、「楷書における真の字源・真の字形・真の字義」もまた「文字作成銀河の各部の形状」であった。
学界が「漢字の最も古い祖型(そけい)」と定める殷代後半に用いられた甲骨文字の字音を伝える資料は発見されていない。だから、甲骨文字も【倉頡が発明した漢字作成理論】に則(のっと)って作られたゆえ、「甲骨文字における真の字源・真の字形・真の字義」は「文字作成銀河の各部の形状」であった。
上記したように、現在、甲骨文字の字音は無いと定められる。だから、甲骨文字は「文字作成銀河の各部の形状」を「字源・字形・字義」とする、字源・字形・字義の3つの要素から成る、字音が無い不完全な漢字である。
いっぽう、夏音文字は「文字作成銀河の各部の形状」を「字源・字形・字義」とし、『魏志倭人伝』と『古事記』に楷書で「字音」が記載されるゆえ、4つの要素が成立する完全なる漢字である。
だから、学界が「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する絶対的定説は、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序に【多数の誤読】を加えて捏造(ねつぞう)した空理空論・真っ赤なウソであったのである。
◆3世紀後半(280~289年)に著作された『魏志倭人伝』は、下記のごとく三つの記事で「倭には文字があった」と明確に伝えている。
(1)倭における占いに用いる辞(じ/文字とことば)について、『魏志倭人伝』には「其の辞(じ)は、令亀(れいき)の法の如(ごと)く」、つまり「其の辞は、亀の甲羅に文字を刻んだ甲骨文字のごとき文字があった」と伝える記事がある。
この「甲骨文字のごとき文字」は、今から約4000年前の後期縄文時代初頭に、中国から伝来した夏音文字であった。したがって、夏音文字は「文字作成銀河の各部の形状」を「字源・字形・字義」とする漢字であった。だから、夏音文字は「文字作成銀河の各部の形状」と存在するものであったゆえ、確かに実在した文字であったことになる。
(2)『魏志倭人伝』には「倭の伊都(いと)国の津(港)では京都(けいと/中国の魏の首都洛陽)・帯方郡(たいほうぐん/魏の出張政庁が所在した朝鮮半島の一画の郡)・諸韓国が用いる文字(楷書)と倭女王の卑弥呼が文書に用いる文字を、逐一(ちくいち)点検し、確認して、楷書と倭の文字の両者の間に差錯(ささく/間違い・誤訳)が生じないように正確に変換していた」と伝える記事がある。
魏の都と朝鮮半島(帯方郡・諸韓国)で用いられた楷書は【倉頡が発明した漢字作成理論】にもとづいて「文字作成銀河の各部の形状」を「字源・字形・字義」とした。倭女王の卑弥呼が文書に用いる文字もまた「文字作成銀河の各部の形状」を「字源・字形・字義」とした。だから、倭の伊都国の港では「文字作成銀河」を字源字書と定めて、魏都と朝鮮半島で用いる楷書と字形が差錯(相違)する卑弥呼が文書に書いた文字を逐一点検し、確認して、間違い・誤訳が生じないように正しく変換することができた。2世紀末から3世紀半ばまでの卑弥呼時代に用いられていた漢字を書いた資料は出土していない。ゆえに、『魏志倭人伝』の記述された倭の文字は【倉頡が死刑と定めた掟】によって、書いた文字が使用済みになったならば必ず消滅しなければならなかった、「文字作成銀河の各部の形状」を「字源・字形・字義」とした夏音文字であったことになる。
(3)約2000字で構成される『魏志倭人伝』の後半には「女王国の東、海を渡ること千余里にして復(ま)た国有り。皆倭種(みなわしゅ)なり。又、侏儒(しゅじゅ)国有り。其の南に在り。人の長(たけ)三、四尺。女王を去ること四千余里。又、裸(ら)国・黒歯(こくし)国有り。復(ま)た其の東南に在りて船行一年にして参問(さんもん)至る可(べ)き。倭の地を参問するに、海中、洲島(しゅうとう)の上に絶在(ぜつざい)し、或(ある)いは絶え或いは連なり、周旋(しゅうせん)五千余里可(ばか)り」という、76字(約4パーセント)の記事がある。
上記の76字(約4パーセント)の記事は、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の1回から16回までで、「今から約4000年前の後期縄文時代初頭、夏王朝の帝王に就任した益(えき)の孫の王子と若者たち一行が中国からわが国の東北地方の男鹿半島・米代川(よねしろがわ)縄文文化圏に定住して、【夏音文字と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を伝え教えひろめた。益氏が伝授した【夏音文字と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】は、今から約6000年前の前期縄文時初頭~後期縄文時代初頭までの約2000年間、文字作成銀河の形状をモデルにして土器・土偶を作った東北地方から関東地方までの芸術家たちによって習得された」と伝えていたことを、詳細に具体的に科学的に解説して証明した。
だから、上記した『魏志倭人伝』の(1)(2)(3)の3つの記事は「後期縄文時代初頭、わが国は【夏音文字と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を習得した。これゆえ、2世紀末~3世紀半ばに生存した倭女王・卑弥呼は【夏音文字と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を政権基盤にして、天下を治めていた」という事実を証言するものであったことになる。
◆その証拠に、わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」における17回~25回(前回)までにおいても――約2000字で構成される『魏志倭人伝』は約85パーセント・約1700字の記事で「わが国は【夏音文字と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を習得した」と説明している――と詳細に明確に科学的に解説して証明した。
(注 上記した(1)(2)(3)の記事は、この約85パーセント・約1700字の記事に含まれる)。
『魏志倭人伝』における【夏音文字と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を説明する約85パーセント・約1700字の記事のうち――【夏音文字と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を約55パーセント・約1100字で直接的に、後半の「景初二年六月」という約30パーセント・約600字で【倉頡が発明した漢字作成理論】を間接的に説明している。
残る『魏志倭人伝』の約15パーセント・約300字は倭人国の風習・生息する動植物・作物などを伝えている。
『魏志倭人伝』は卑弥呼が居住した王国名(倭人国の首都が所在した国名)を「邪馬壱(やまい)国」と記す。だから、学者たちが主張するように「邪馬台国」とは記していない。
中国の正史『三国志』のうち〔魏書東夷伝(ぎしょとういでん)〕末部の倭人伝を、通称『魏志倭人伝』とする。
古代史研究家の先年に亡くなった故・古田武彦(ふるたたけひこ)氏は、著書『「邪馬台国」はなかった』(朝日新聞社発行)で、『三国志』全体に記される【壹(壱)】86字、【臺(台)】56字を逐一(ちくいち)調査し、【壹(壱)】の字を【臺(台)】と誤記した例が1字も存在しないことを証明した。
わがブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の17回「対馬国・一大国」という小国名の秘密の解明と、わがブログ20回における「邪馬壱国」という小国名の秘密の解明と、わがブログの25回において詳細に具体的に【科学】が成立するように証明したように――「邪馬壱国」の【邪馬壱】という語は【倉頡が発明した漢字作成理論における基本原理】をあらわした。だからこそ、倭女王の卑弥呼が居住した王国名は【倉頡が発明した漢字作成理論における基本原理】をあらわす「邪馬壱国」であったと記述した『魏志倭人伝』は、【倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を明確に詳細に説明していた資料であったのである。
『魏志倭人伝』には「邪馬台国」と記す記事は1ヵ所も存在しない。だから、学者たちが主張する邪馬台国説(邪馬台国九州説・邪馬台国畿内説)は『魏志倭人伝』に【多数の誤読】を加える詐術(イカサマ)の方法で【倉頡が発明した漢字作成理論】を抹殺(まっさつ)したクレージーなデタラメ・国民を小馬鹿にする不毛の空理空論だったのである。
学者たちは多数の【誤読】を加えて空理空論の邪馬台国説と日本神話虚構説をもって日本国民を徹底的(てっていてき)に愚弄(ぐろう)し、日本国家を衰滅させる暴力・暴言・デマを蔓延(はびこ)らさせ、【夏音文字と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】の存続に尽力(じんりょく)した皇室の滅亡をはかる大罪(たいざい)を犯し、日本人・日本国にとって最も重大な真実を抹殺・排除して虚偽(きょぎ)を事実とせんと躍起(やっき)になっている!
『魏志倭人伝』には34の小国が登場する。
そのうち、前記した『魏志倭人伝』の後半部にある76字(約4パーセント記事)の「女王国の東、海を渡ること千余里にして復(ま)た国有り。皆倭種なり」の小国名不明の1国とその後に列記された侏儒国・裸国・黒歯国の4国を除くと――『魏志倭人伝』の前半部には、対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までは30の小国が登場する。
対馬国から狗奴国までの30の小国をふり仮名無しで列記すると、下記のごとくなる。
対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬壱国、斯馬国、巳百支国、伊邪国、都支国、弥奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国、狗奴国。
わがブログ「邪馬台国説はサギ、騙されるな」の17回~25回(前回)までで詳細に具体的に科学的に解説して証明したように――卑弥呼は上記の30の小国名と「倭人国」という国家名をもって、【文字作成銀河の各部の形状を字源・字形・字義とする、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を理路整然(りろせいぜん)と表示した。このため、『魏志倭人伝』は【文字作成銀河の各部の形状】を目で見ながら【倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を思考する書物となった。そして、中国の晋(しん)王朝につかえた歴史編纂官の陳寿(ちんじゅ)が著作した『魏志倭人伝』は学者たちの想像を超(こ)える、1ヵ所も【誤読】を必要としない正確無比の歴史書であった。
一方、わが国の学者たちは真っ先に「『魏志倭人伝』には信用してはいけない多数の記述がある」という幻想にとり憑(つ)かれる。さらに、学者たちは「わが国は漢字を最初に習得したのは5世紀または6世紀である」という幻想にとり憑かれる。だから、学者たちは多数の【誤読】を加えて『魏志倭人伝』は邪馬台国の所在地を説明する書物であったという幻想にとり憑かれて、すべてを台無しにした。
◆『古事記』上巻の序は――紀元前3000年ころの五帝時代初頭から『古事記』が成立した8世紀までの漢字は、【倉頡が発明した漢字作成理論】に則って作られた」と説明する資料であった。この重大な資料をも、学者たちは多数の【誤読】を加えて台無しにした。
『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序が【倉頡が発明した漢字作成理論】を記述した確かな資料であったことは、このブログ「邪馬台国説はサギ・騙されるな」の前にて紹介したわが著書、すなわちkindle版『日本国誕生史の証明』と『大嘗祭の証明』(両書とも1000円)の電子書籍でも詳細に具体的に解説して証明した。
また、無料・電子書籍「四千年前に日本には漢字が伝来した『日本四千年の学問史』」においても、詳細に具体的に解説して証明した。
◆わが国の文化・国民的思想・民度・宗教観・日本人の魂の根元などさまざまな重大な諸問題は、「『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序は【倉頡が発明した漢字作成理論】を詳細に具体的に科学的に説明する資料であった」という――この事実に則(のっと)っている。
『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序は【倉頡伝説は事実であった】と学問的に科学的に証明できる資料であったという――この事実は、今後、世界的に強大な力(ちから)となって社会を大きく変革させるにちがいない。
というのも、わがブログ「古代エジプト文字の字源」(全27回)にて詳細に具体的に証明したように、古代エジプト文字(ヒエログリフ・聖刻文字)もまた漢字と同じく「文字作成銀河の各部の形状」から作られたからである。
古代エジプト文字は現在におけるアメリカ・ヨーロッパ・アフリカなど世界70ヵ国以上の公用語の文字と使用されるABC・アルファベットのルーツである。また、古代エジプト文字は現代ヨーロッパ文字(アメリカ・ヨーロッパ・アフリカのABCアルファベット)だけでなく、現代ペルシア文字・現代アラビア文字・現代ヘブライ文字・現代アムハラ文字のルーツでもある。
ゆえに、現代における世界中の大半の人々が使用する文字は「文字作成銀河の各部の形状」から起源したことになる。したがって、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻は「世界の大半の人々が使用する文字は、文字作成銀河の各部から作られた」という事実が証明できるきわめて重大な資料となる。
太古の昔から、人類は万物の形状に相似する銀河をみつめてきた。この銀河から古代エジプト文字と漢字が起源した。この事実を具体的に学問的に科学的に検証(けんしょう)できる資料の存在に誰も気づいていなかったが、この資料が『魏志倭人伝』と『古事記』上巻であったのである。この発見は、学者にとってだけでなく、人類にとってもワクワクする話題なのである。
というのも、文字は現代の国々の繁栄や富や名誉や尊厳やまた現代文化・文明の出発点・基礎・土台・原動力となったからである。ゆえに、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序によって解明される文字の起源の学問的・科学的なワクワクする発見は、必ずや強大な力となって世界中に大きな変革をもたらすにちがいない。『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序が文字の起源を解明できる資料であった事実はわが国の学者たちやメディアやジャーナリストたちには不都合な真実のためしばらくは隠蔽(いんぺい)されるであろうが、人類にとってワクワクするエキサイティングな話題であるゆえ、この発見はいずれ世界中に知れ渡るにちがいない。それゆえ、この事実は日本社会に衝撃的(しょうげきてき)に大きな変革をもたらすことになり、結局、個々の日本人にとっても大きな変革がもたらされるにちがいない。
だから、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という定説が空理空論であってもまったく興味無い、自分には関係ないと思うようにしても――上記したように、あなたの実生活に直接的にさまざまな影響をおよぼす、あなたが生きるうえできわめて重大なエキサイティングな問題であるゆえに、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という絶対的定説は空理空論・デタラメ・ウソ八百であることを前もって知っておいて、自分がどのように日々を生きるべきか、大きな変革に犠牲(ぎせい)にならないように巧(たく)みにじょうずに対処しなければならないことになる。
(1)「わが国は最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という「絶対的定説」はじめ、(2)『魏志倭人伝』は「邪馬台国の所在地を伝える文献である」という「定説」や、(3)「『古事記』上巻の日本神話は歴史を伝えるものではなく、虚構(きょうこう)・作り物である」という「定説」と称される学者たちの意見の知識は正しいにちがいないと鵜呑(うの)みにしてすっかり信用し、定説や有力説に心酔(しんすい)して思い込み・贔屓(ひいき)の度が激しくなると、定説や有力説の大きな誤りが見えなくなり、明白なる決定的な間違いに気づくことができなくなる。
上記した三つの定説は日本国民を徹底的に貶(おとし)めて愚弄(ぐろう)する空理空論、日本国家を衰滅させる元凶(げんきょう)にして、【夏音文字と、倉頡が発明した漢字作成理論の学問】を存続させた皇室の滅亡をはかる大罪にして、日本人のいのちの根元となる真実を抹殺・排除して虚偽(きょぎ)を事実とせんと学者たちが夢中(むちゅう)になるクレージーな暴力・暴言である。
現在、学者たちは前人が残した『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に1ヵ所も【誤読】を加えずに忠実に読解することを頑固(かたくな)に拒絶して、学問の初歩的心得・基本原理・基本原則・鉄則を無視して多数の【誤読】を加える方法で真実・事実を曲げ、たくみに詭弁(きべん)を駆使(くし)して、日本国民を愚弄し、日本人の生活を直(ちょく)に脅(おびや)かし、メディアやジャーナリストを手なずけて日本国家を衰滅させる、皇室の滅亡をはかるクレージーなデタラメを日本中に蔓延(まんえん)させて支配することに夢中になっている。
絶対にゆるしてはならない!
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