G-T0XYQT12LL 漢字の起源と発明を解明す・27: 卑弥呼の逆襲

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2024年8月26日 (月)

漢字の起源と発明を解明す・27

理想の男子像をあらわす躬臣国(こじこく)・巴利国(はりこく)・支惟国(しいこく)・烏奴国(あなこく)・奴国(なこく)の5小国の解明

◆漢字は、【夏の銀河各部の形状】から図案されて起源した。
【夏の銀河】とは「夏にもっとも長時間見ることができる銀河」である。
「夏の銀河」は通常「天の川」、「銀河」とも呼ばれ、時には「銀漢」とも呼ばれる。
「銀漢各部の形状から作られた文字」を省略して、中国でもわが国でも「漢字」と表記した。

下に、【夏の銀河のカラー写真】を配した。
この写真は、PIXTA(ピクスタ)が撮影した。
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今から約5000年前、中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえていた倉頡(そうきつ)は【夏の銀河各部の形状から文字(漢字)作成する方法(理論)】を発明した。
この事実を詳細に説明していたのが、
卑弥呼が登場することで有名な『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』である。
現在、学者たちは「倉頡が漢字を発明したと伝える倉頡伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)の作り話である」と断定する。
しかし、この定説は根本的に誤っていた。
というのも、上記したように『魏志倭人伝』によって「倉頡伝説は事実であった」と詳細に組織的に明確に証明することができるからである。

◆『魏志倭人伝』には――今から約4070年前(紀元前2050年頃)、夏代黎明期(かだいれいめいき)の帝益(えき)の孫の王子と若者たちが大海を越えて日本列島の男鹿半島・八郎潟の偏(ほとり)に定住した――と示唆(しさ)する記事がある。
益氏の王子と若者たちは、
(
)三皇時代の易占(うらない)に用いる記号の結縄(けつじょう)
(
)五帝時代の最初の漢字の書契(しょけい)
(
)夏代黎明期(かだいれいめいき)の夏音(かおん)文字、
(
)黄帝の女性生殖器官と出産の医学研究、
(
)倉頡の文字作成理論、
(
)精密な中国海岸線地図と精密地図作製方法
を教え広めた。

この夏音文字は『魏志倭人伝』において人名・小国名・官職名・動物や事物の名などに記されて残った。
また、夏音文字は712年1月28日に元明(げんめい)天皇に献上された『古事記』の上巻の随所に〔音〕という注がついて多数残っている。
したがって、現在、学界が断定する「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という絶対的定説もまた、空理空論であったことになる。

◆わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・23」にて説明したように、
『魏志倭人伝』は【倉頡が発明した文字作成理論】について、
倭人国を構成するの対馬国(つしまこく)から狗奴国(くなこく)までの30ヵ国を、【10ヵ国ずつ3つのグループ】に分けて説明している。
この【3つのグループ】に、わたくしは下記のごとく名称をつけた。
(
)最初の「対馬国から巳百支国(じはきこく)までの10ヵ国の名称」は「【瀚海(かんかい)と【倭】の字源グループ】」
(
)2番目の「伊邪国(いやこく)から華奴蘇奴国(かなさなこく)までの10ヵ国の名称」は「【倭】の字源における女性グループ」、
(
)3番目の「鬼国(きこく)から狗奴国(くなこく)までの10ヵ国の名称」を「【倭】の字源における男性グループ」と定めた。

わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・26」では、
最初の対馬国(つしまこく)から数えて21番目の「鬼国(きこく)」は「現在の三重県南部の、旧国の志摩(しま)」、
22
番目の「為吾国(いがこく)」は「現在の三重県北西部の、旧国の伊賀(いが)」、
23
番目の「鬼奴国(きなこく)」は「現在の熊野を除く和歌山県西部、旧国の紀伊西部」、
24
番目の「邪馬国(やまこく)」は「現在の奈良県、旧国の大和」であったと証明した。

このブログでは、対馬国から25番目の「躬臣国(こじこく)」と、26番目の「巴利国(はりこく)」と、27番目の「支惟国(しいこく)」と、28番目の「烏奴国(あなこく)」と、29番目の「奴国(なこく)」の位置と範囲を解明する。
『魏志倭人伝』は、29番目の「奴国」までを「此()れ女王の境界の尽()くる所なり」と説明した後に、「其の南に狗奴国(くなこく)有り。男子を王と為()す。(中略)。女王に属さず」と追加する。
つまり、「女王・卑弥呼が統治する小国は対馬国(つしまこく)から奴国(なこく)までの29ヵ国」であり、「狗奴国」は「女王・卑弥呼と素(もと)より不和の敵対国(てきたいこく)」であったことになる。
わがブログは次回「漢字の起源と発明を解明す・28」にて、「狗奴国の位置や範囲、倭人国に討伐されて滅亡した様子」について解説する。

下図に示すように、25番目の「躬臣国」は「現在の大阪府と兵庫県東部と淡路島」であり、26番目の「巴利国」は「現在の兵庫県南西部」、27番目の「支惟国」は「現在の広島県西部」、28番目の「烏奴国」は「現在の高知県」、29番目の「奴国」は「現在の愛媛県・香川県・徳島県の3県」、30番目の「狗奴国」は「現在の広島県東部・岡山県の吉備地方(きびちほう)であった」。
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◆倉頡(そうきつ)はみずから発明した文字の学芸は最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易に滅亡するにちがいないと心配した。
これゆえ、倉頡は「文字の学芸を容易に習得するために、文字が作られた銀河各部に名称をつけた者はじめその家族および一族全員を死刑にする」と定めた。
この倉頡が死刑と定めた掟(おきて)のためであろうか――現在にいたっても【夏の銀河各部の名称】は存在しない。
これからおこなう解説・証明が煩雑(はんざつ)にならずに容易に明快に理解できるようにするには、どうしても【夏の銀河各部の名称】が必要となる。
ゆえに、わたくしは下図のごとく【夏の銀河各部の名称】を定めた。
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◆上図の左上に、わたくしが「十字の銀河」と名づけた銀河がある。
「十字の銀河」は、「倭人国」の【倭】の字源となった。
わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・23」にて指摘したように、
わが国の中国古代文字研究の第一人者とされる白川静(しらかわしずか)博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)は、
【委】の字について「いねの象形。いねの字は禾穂(かすい)の垂れた形」と解説する。
また、同書は【年】の字について「穀霊(こくれい)に象(かたど)る禾(いね)の形の作りものを被(かぶ)って舞う男性の姿」と解説する。
さらに、同書は【倭】の字について「穀霊に象る禾(いね)の形のかぶりものを被った女性と男性の姿をあらわす」と解説する。
要するに、白川静著『字統』は【倭】の字は「穀霊に象る禾(いね)のかぶりものを被った女性と男性が舞う(踊る)姿をあらわしている」と解説していることになる。

下図は、上記した白川静著『字統』の【禾】・【委】・【年】・【倭】の字源となった「十字の銀河」の解説図である。
下図に示したように、「十字の銀河の頭部の北となりの銀河」が「穀霊(稲魂・いなだま)のかぶりもの(作り物)」に見立てられたことになる。
「十字の銀河の西半分」には「乳房・妊婦のおなか・右足と、子宮」に観える銀河部があるゆえ、「十字の銀河」は「穀霊のかぶりものを被って舞う女性の姿」をあらわした。
「十字の銀河の東半分」は「左手に狩猟に用いる弓を持つ男性の姿」に見立てることができるゆえ、「十字の銀河」は「穀霊のかぶりものを被って舞う男性」をもあらわした。
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だから、上図の【倭】の字源銀河解説図にもとづいて、上記したようにわたくしは、
伊邪国から狗奴国までの20ヵ国を、10ヵ国ずつ1グループに二分して、
(
)「【倭】の字源における女性グループの10ヵ国」と、()「【倭】の字源における男性グループの10ヵ国」に分けることにした。

今回のブログで解明する「躬臣国(こじこく)・巴利国(はりこく)・支惟国(しいこく)・烏奴国(あなこく)・奴国(なこく)の5小国」は、(C)「【倭】の字源グループの10ヵ国グループにおける、5番目から9番目までの小国」ということになる。

◆『魏志倭人伝』は、対馬国(つしまこく)から数えて25番目の小国は「躬臣国(こじこく)」であったと記す。
卑弥呼が歴史上に始めて登場する170年頃から50年前の120年に成立していた『説文解字(せつもんかいじ)』は、【躬(きゅう)】の字源を「身()なり」と解説する。
下図の右側に配する【身(しん)】の金文形は「みごもっている女性の側身形(そくしんけい)」である。
下の左図に示したように、【身】の金文形は「顔を天頂に向けて天頂緯度線を測定する人が、みごもった女性のごとく腹部をぐーんと前につきだす姿勢」を図案する。
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偏【身】に【弓】を加えると【躬】の字となる。
下図に示す「十字の銀河」は【身】の字源銀河であった。
「十字の銀河の西半分」には「乳房」や「妊婦の腹部(おなか)・乳房」や「子宮」に相当する箇所がある。
ゆえに、「十字の銀河の西半分」は「女体(にょたい)」をあらわす。
そして、「十字の銀河の東半分」は「男性の姿」に相似する。
というのも「十字の銀河の左手(東側の手)は狩猟に用いる【弓】の形に似る銀河部を持っているからである」。
ゆえに、「妊婦(みごもった女性)の前へ突き出て円く(まる)くふくらむ腹部(おなか)を有する、十字の銀河の西半分が偏【身】をあらわし、「十字の銀河の左手が持つ弓」が【弓】をあらわす。
だから、「十字の銀河」は偏【身】に【弓】が加わる【躬】の字源となった。
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下図は、上図に示した天文図の定式〈右西・左東〉と異なり、地図の一般形式と同じく〈右東・左西〉の図にした。
下図の左上に配した小国名「躬臣(こじ)」の【臣】の金文形について、わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静(しらかわしずか)博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)は「目をあげて上を視()る形」と解説する。
下図の「鬼の横顔に似る銀河」は「目をあげて上(十字の銀河)を視る横顔」である。
したがって、【臣】の字源銀河は「鬼の横顔に似る銀河」であった。
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『説文解字』は、【臣】の字形について「君に事(つか)ふる者なり。屈服する形に象(かたど)る」と解説する。
これゆえ、上図における【躬】の字源「十字の銀河」は「主君」、【臣】の字源「鬼の横顔に似る銀河」が「主君(十字の銀河)を見上げて、つかえる臣下の横顔」に見立てられたことになる。

それゆえ、下図に示すように、【躬】の地宜(ちぎ・平面的に図化した地図の形)をあらわす地域は、「現在の大阪府と兵庫県東部、旧国の摂津(せっつ)・和泉(いずみ)・河内(かわち)」であった。
そして、【臣】の地宜をあらわす地域は「現在の兵庫県南部の淡路島(あわじしま)」であった。
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上図における「【躬】をあらわす地宜の大阪府と兵庫県東部」は「黄帝」をあらわしたと考えられる。
というのも、前ページの「【躬】と【臣】の字源銀河の解説図」における【躬】の字源「十字の銀河」には「子宮」に相当する銀河部があり、黄帝は【女性の生殖器官と出産】について研究したからである。
「十字の銀河」には「胎児を育てる子宮」に相当する銀河部位が存在するゆえ――「十字の銀河の子宮」から【黄帝の女性の生殖器官と出産の研究】が連想される。
そして、【臣】をあらわした「淡路島」は、前ページの「【躬】と【臣】の字源銀河の解説図」では「鬼の横顔に似る銀河」に見立てられた。
下図に示すように、「鬼の横顔に似る銀河」には「目が四つ」ある。
倉頡伝説において、下図の「四つ目の、鬼の横顔に似る銀河」は「四つ目の怪人(かいじん)・倉頡(そうきつ)」と表現された。
ゆえに、学者たちは「目が四つある怪人」という表現にびっくりして「人間には目が四つ無い! だから、倉頡伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)の作り話だ」と決めつけた。
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以上からして、【躬】の「大阪府と兵庫県東部の地宜」は「天頂緯度線を測定する黄帝の姿」をあらわし、【臣】の「淡路島」は「黄帝を尊敬して、つかえた倉頡」をあらわしたことになる。
前回のわがブログ「漢字の起源と発明を解明・26」にて詳細に解説したように――25番目国の「邪馬国(やまこく)、現在の奈良県の地宜(ちぎ・平面的に図化した地図の形」は、
下図に示すように、「【馬】・フタコブラクダが満足(まんぞく)そうに草を食べて頬(ほほ)を大きくふくらませる横顔」に相似する。
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ゆえに、上図の「邪馬国、旧国の大和す地宜」は「大和が豊かな食料に恵まれる王国」であった様子を示す。
上図の「邪馬国、大和の【馬】・フタコブラクダの横顔」は「堂々たる王者の風格」をあらわす。
だから、24番目の「奈良県・邪馬国」につづく25番目の「躬臣国、現在の大阪府・兵庫県東部の地宜」もまた「王者の風格」、つまり「徳の高い黄帝の風貌(ふうぼう)」をあらわすと解し、さらに「淡路島の地宜」は「黄帝を尊敬してつかえた倉頡の姿」に見立てて――卑弥呼は小国名を「躬臣国」と定めたにちがいない。
あるいは、「大阪府・兵庫県東部の地宜」を「夏()の始祖の帝禹(ていう)」にも見立てて、「淡路島の地宜」を「帝禹を尊敬してつかえた益(えき)」にも見立てて――卑弥呼は「男子の理想像」をあらわす「躬臣国」という小国名を考えついたにちがいない。

26番目の小国は「巴利国(はりこく)」である。
【杷()】の初文(最初の文字)は【巴】である。
【杷】の字義は「さらい」つなり「土をならしたり、穀物をかき集めた農具」である。
「巴利」を「杷利」つまり「杷(さらい)に相似した農作業に用いた利器(りき)」と解釈すると、
「巴利国(はりこく)」は「旧国の播磨(はりま)、現在の兵庫県西部」であったことになる。
というのも、下図の右側の「播磨の地宜」は左側の「エブリ」と呼ばれる農具の形に相似するからである。
卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)の遺跡から、「エブリ」が出土している。
「エブリ」はその形から「いっぺんに幅広(はばひろ)く多くの土を多数の歯でつかんで掘りおこすのに便利な木製の農具」であったと考えられる。
ゆえに、「播磨の地宜」は「いっぺんに多くの土を掘りおこす利器(便利な農具)のエブリの主体部の形」に相似するということで、卑弥呼は小国名を「巴利国」と定めたと考えられる。
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エブリの主体部と柄()の形からして、エブリは屈強(くっきょう)な男子が使う農機具であったことになる。
言いかえると、エブリは男子の腰(骨盤)に多くの負担(ふたん)がかかる農具であったことになる。
ゆえに、エブリを使って何時間も働くことができる人物は頑強(がんきょう)な骨盤(こつばん)とがっしりとした骨組みの男子でなければならなかった。

【古事記上巻 并(あわ)せて序】には、712年1月28日に『古事記』を献呈した元明(げんめい)天皇を讃(たた)える、下記のごとくの文章がある。
「名は文命(ぶんめい)よりも高く、徳は天乙(てんいつ)にも冠(まさ)りたりと謂()ひつべし」
上記の文章を現代語に訳すると、
「元明(げんめい)天皇陛下のお名前の尊さは夏()の帝禹(ていう)よりも高い帝禹の政治を補佐した益(えき)のごとくであり、徳の高いことは殷(いん)の湯王(とうおう)よりもすぐれた補佐役(ほさやく)の伊尹(いいん)のごとくです」となる。
わが国には、帝禹の政治を補佐した王・益の孫の王子と若者たちが日本列島の男鹿半島・八郎潟の偏(ほとり)に定住して【倉頡の文字作成理論】と夏音文字を教え広めた。
ゆえに、倭人国では帝禹よりも帝禹の政治を補佐した益(えき)を偉大視するようになり――「お名前の尊さは帝禹の政治を補佐した王の益のごとし」という表現が最大の賛辞(さんじ)となったのである。

司馬遷(しばせん)著『史記』夏本紀(第二)には、下記のごとくの帝禹について説明する記事がある。
「身を労して心血(しんけつ)をそそぎ、屋外におること十三年、自家の門前を通りかかっても入室して休息しなかった。衣食を薄(うす)くして鬼神(きじん)への供物(くもつ)を豊富にし、家室(かしつ)の造りを質素にしてその費用を田畑のあいだの溝(みぞ)づくりにまわした。」
上記したように「鬼神を事(まつ)る五帝時代の黄帝や夏代の帝禹は、衣食に費用をかけず贅(ぜい)を尽()くす王室で生活せずに、率先(そっせん)して先頭に立って重労働の農作業に勤(いそ)しんだ。」
だからこそ、「巴利国の地宜」は「エブリ」という「腰(骨盤)に多くの負担(ふたん)がかかる農具」に相似すると見立てられたにちがいない。
つまり、卑弥呼は「巴利国の地宜」をもって「王たる者、エブリのような腰に多大な負担がかかる農具を使って何時間も労働することができる、がっしりとした骨組みを有するたくましい肉体の持主でなければならないという理想像」をあらわしたことになる。

◆次の27番目の小国名を、卑弥呼は「支惟国(しいこく)」と定めた。
「支惟国」の【支()】の字義は「ささえる。わかれる」である。
そして、「支惟国」の【惟()】の字義は「頭脳で考える」である。
ゆえに、下図に示すように、【支】は「考える器官の大脳(だいのう)を支(ささ)える視床(ししょう)・小脳(しょうのう)・脳幹(のうかん)など」をあらわすことになった。
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「旧国の安芸(あき)」、つまり「現在の広島県西部の地宜」だけの場合――「頭蓋骨(ずがいこつ)、あるいは頭蓋骨でおおわれる脳の側面形」に相似しない。
しかし、下図のごとく、「支惟国の範囲」を「安芸(広島県西部)に、備後西部(びんごせいぶ・広島県東部)」を加えると、その形は「頭蓋骨や脳の側面形」に相似する。
つまり、下図に示すように、「現在の三次市(みよしし)と福山市(ふくやまし)を結ぶ福塩線が通る、馬洗川(ばせんかわ)や芦田川(あしだがわ)が流れる地域を東の境界線」にすると、
「この地域の地宜」は「頭蓋骨の側面形」、あるいは「脳の側面形」に相似する。
したがって、下図の「頭蓋骨の側面形」に相似する「現在の広島県西部(旧国の安芸)と、広島県東部の備後西部」が「支惟国の範囲」であったことになる。
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下図に示すように、金文形の【隹(すい)】と【惟()】は同一形で、両者共に「隹」、つまり「小鳥」を表現する図案となる。
『説文解字』は【隹(すい)】の字を「鳥の短尾(たんび)なるものの總名(そうめい)なり」と解説する。
【呼】の字源となった「鳰(にお)・カイツブリ」は「カモの仲間より一回り小さい小鳥であり、尾の羽根は非常に短いため、鳰の尾は外観から判別できない」。
ゆえに、「鳰」は【隹】を代表する小鳥」であった。
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『説文解字』は【惟】の字を「凡(おおよ)そ思ふなり」と解説する。
この【惟】の「凡そ思ふなり」という解説にもとづくと、「カワセミ」は「短尾ではないが、凡そ小鳥」に類別されることになる。
ゆえに、「支惟国」の【惟】の字は「鳰(にお)」をあらわさず、凡その考えにもとづいて「カワセミ」をあらわしていることになる。

前ページにて示した「背後から見た脳幹(のうかん)の形」だと、「脳幹は【惟】の小鳥・カワセミの姿」に相似しない。
しかし、下図に示す側面形の場合、「脊髄(せきずい)につながる脳幹」――つまり「脊髄につながる中脳(ちゅうのう)・橋(きょう)・延髄(えんずい)の側面形」は「尾が鳰よりも長い、【惟】の小鳥・カワセミの姿」に相似する。
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ゆえに、前者の「背後から見た脳幹のカワセミの姿に相似しない形」と、後者の「カワセミの姿に相似する側面形」は異なるゆえ、【惟】の字について、上記したように『説文解字』は「凡(おおよ)そ思ふなり」と解説した。
しかし、後者の「カワセミの姿に相似する側面形」にもとづいて、
【惟】の字義は、前者の「凡そ思ふなり」に相反(あいはん)する「脳幹がある頭脳の中心の奥深い所で考える」、つまり「深く考える」という意を有することになった。
そして、「支惟国」の【惟】の字義は後者の「深く考える」であった。
以上のごとく、卑弥呼は「支惟国」という小国名をもって
「男子たる者、知性にあふれる深い思惟力(しいりょく)で何事も思考しなければならない」と、「男子の理想像」を示した。

◆下図に示すように、対馬国から28番目の「烏奴国(あなこく)は「現在の四国の高知県、旧国の土佐(とさ)」であり、
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番目の「奴国(なこく)」は「現在の愛媛県・香川県・徳島県、旧国の伊予(いよ)・讃岐(さぬき)・阿波(あわ)」であった。
「烏奴国」と「奴国」の【奴】の字義は「強大な力」である。
ゆえに、下図に示すように、北緯3415分の緯度線は「香川県の北端を貫通し、鳴門(なると)の渦潮(うずしお)をも貫通している」。
「鳴門の渦潮」は「世界的に最高級の速度で大きな渦(うず)を巻く」。ゆえに、「鳴門の渦潮」は【奴】の「強大な力」をあらわした。
だから、「奴国の範囲」は「現在の愛媛県と、鳴門の渦潮に隣接する香川県・徳島県」であり、「烏奴国の範囲」は「現在の高知県」であったと考えられる。
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また、下図に示すように――高知県中央南端に所在する「浦戸湾(うらとわん)の地宜」は【烏(からす)】、つまり「翡翠(ひすい)・カワセミの姿」に相似すると見立てられ、また、「浦戸湾の地宜」は「高知県中央の南端に生じたアナ()」のごとくに観える。
ゆえに、小国名「烏奴」は「カワセミの巣穴(すあな)」つまり、「あな()」を意味することになった。
したがって、「烏奴国」は「現在の高知県」であったと考えられる。
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天敵のヘビ・イタチ・キツネなどに襲撃(しゅうげき)されないように、カワセミは河川や湧水泉(ゆうすいせん)における垂直な土手(どて)や崖(がけ)に巣を作る。
にもかかわらず、カワセミの巣は河川・湧水泉などの増水・氾濫(はんらん)においても水没しない。
カワセミの巣は河川・湧水泉・池・湖の近くに作られる。
このように、カワセミは小魚などの餌となる水生動物が豊富にある場所に巣穴を作って、子育てに、安眠・休息できる場所を選ぶ。
巣穴の近くには、ダミー(替え玉)の穴(あな)がある。
ゆえに、カワセミは利口(りこう)・賢(かしこ)いということになり――上記したように、カワセミは「深く考える」を字義とする【惟】の字で表現されることになったのであろう。

カワセミの巣穴(すあな)は内径7㎝、深さは50100㎝である。
奥に向かって掘り、奥には広い産座(さんざ)があり、そこには「淤(お・どろ)」、つまり「やわらか土」
と親鳥が吐きだした魚の骨を敷き、その産座に卵を産む。
またカワセミのオスは、メスに餌の魚の頭をむけてあたえる習性がある。
メスはオスの魚を受け取って結婚、交尾、そして産卵して抱卵(ほうらん)する。
育雛(いくすう)はメスとオスが約30分ごとに交替(こうたい)しておこなう。

ゆえに『魏志倭人伝』には「唯々(ただ)男子一人有りて飲食を給(きゅう)し、辞()を伝えて出入りす」という記事がある。
上記のごとく、男子はカワセミのオスのごとく卑弥呼の飲食を給仕(きゅうじ)し、卑弥呼の辞(ことば)を伝えるために卑弥呼の居間に出入りする役目をつとめていた。
だから、卑弥呼はカワセミの習性を利用して、「倭人国の男子たちは、日々、妻子や両親・兄弟姉妹が飢()えないように食料を手にいれる農作業はじめ狩猟・採集に熱心(ねっしん)に努力せよ」と卑弥呼に給仕する男子をもって――「男子の理想像」をあらわしていたことになる。

カワセミが魚を捕獲(ほかく)するために水中に飛び込むと、同心円形を描く波紋(はもん)がひろがる。
この「カワセミの同心円形の波紋」と「天敵のオオカミに襲撃されると、子どもを中心に隠してジャコウウシの群れが組む円陣(えんじん)」は「同じ円形」ということで――
「カワセミ」もまた「ジャコウウシ」と同じく【奴】の「強大な力」、言いかえると「【禾】・【委】・【倭】の時計回りに90度転回する方位規定を成立させる魔力(まりょく)を有する」と考えられるようになった。
ゆえに、小国名「烏奴国」の【奴】は「方位規定を時計回りに90度方位を転回させる、ジャコウウシのような強大な力を秘める呪力(じゅりょく・魔力)」をあらわした。

上記したように、カワセミは垂直な「土手(どて)」に巣穴を作る。
下に、「土手」という名詞における【土】の字源銀河を示した。
【土】の字源銀河は「鬼の姿に似る銀河」である。
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下に、【奴()】・【又(ゆう)】・【右(ゆう)】の字源解説図を配した。
上図が示したように、【土】の字源銀河の「鬼の姿に似る銀河」が【奴】の字源銀河でもある。
【土】の字源銀河「鬼の姿に似る銀河」は【又(ゆう)】の字源銀河にして、【又】は【右(ゆう)】の初文(最初の文字)であり、【右】の金文形は「右手と渦巻の北アメリカ星雲・ペリカン星雲」で構成される。
ゆえに、【又】は【右】の初文であるとともに、【又】は【奴】の初文でもあった。
したがって、【奴】と【又】は同一形となった。
ゆえに、「鬼の姿に似る銀河」は【土】の字源にして、【奴】・【又】・【右】の「右手」の【手】の字形でもあった。
だから――「鬼の姿に似る銀河」は【土】に【手】が加わる「土手」の語源となった。
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下に、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が「カワセミの巣穴」に見立てられた解説図を配した。
上記したように「鬼の姿に似る銀河」は「土手」に、「長方形の暗黒天体部」は「平坦な水面となる河川、湧水泉、池、湖」に見立てられた。
というのも、カワセミは「平坦な水面となる河川、湧水泉、池、湖」に生息したからである。
「激流の銀河」は「増水時における急流、氾濫(はんらん)して渦巻く激流」に見立てられた。
これゆえ、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「増水時や氾濫した時にも水没しないカワセミの巣穴」に見立てられた。
というのも、カワセミは巣穴を尻(しり)から出るときに、素早く回転して飛び立つからである。
ゆえに、【奴】の金文形にあって「渦巻き」に図案された「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「カワセミの巣穴」に見立てられた。
だから、「カワセミ」は【奴】の「ジャコウウシのごとき強大な呪力(じゅりょく)を有する」と信じられるようになった。
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下に、「出産児の頭蓋骨「邪馬」の解説図を配した。
下の下図に示したように、【奴】の「渦巻きの、北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の西となりには「邪馬の銀河」がある。
「邪馬」は「出産児の頭蓋骨にある小泉門(しょうせんもん)・矢状縫合(やじょうほうごう)・大泉門(だいせんもん)の結合組織性(けつごうそしきせい)の膜(まく)」である。
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出産児の頭蓋骨の縫合は完成しておらず、骨どうしの間の小泉門・矢状縫合・大泉門は重ねあわせることができる仕組みとなる。
出産第1期の開口期(かいこうき)の終わり、出産児はアゴを胸につける屈位(くつい)の姿勢となり、後頭部の小泉門を先進(せんしん)させて、骨盤入口へ入りこむ。
出産児が骨盤入口に入りこむときに、頭()を時計回りに90度旋回(せんかい)する――この旋回を、産婦人科では「第1回旋(かいせん)」とよぶ。
そのあと、産道を通過する出産児の頭()は反時計回りに90度旋回する「第2回旋」と「第3回旋」をおこなう。
出産児第2期の娩出期(べんしゅつき)の終わりには、出産児の頭()は時計回りに90度旋回する「第4回旋」して、母体の背が正面になるように顔を曲げて、天を仰ぐかのごとく上を向くポーズとなる。

このような「出産児の第1回旋と第4回旋」は【禾()】・【委()】・【倭()】の字源「時計回りに90度転回する方位規定」をあらわした。
ゆえに、卑弥呼王朝では、【倭】の字源「時計回りに90度転回する方位規定」に則(のっと)って、日本列島本州における〔東〕は〔南〕になる」と定める転回日本列島地理を制定した。
この【倭】の字源「方位規定が時計回りに90度転回して、〔東〕が〔南〕となる転回日本列島地理」を成立させた原動力は「強大な力」を意味する【奴】であった。

上記したように、カワセミの巣穴の産座には、淤(お・泥)、つまり「やわらかい土」と親鳥が吐き出した魚の骨を敷かれる。
このカワセミが垂直な土手や崖における土中を奥深く掘る巣穴の産座に敷く淤()、つまり「やわらかい土・どろ」は、日本列島の本州の〔東〕が〔南〕となる――【倭】の字源「方位規定を時計回りに90度転回させる、強大な呪力(じゅりょく)」が秘められていると信じられるようになった。

以上のような事柄から、卑弥呼は「高知県の浦戸湾の地宜」を「烏奴」と表現した。
そして、小国名「烏奴」の【奴】は「強大な力で巨大な渦巻きを描く、鳴門の渦潮」であったと考えられる。
小国名「烏奴」の【烏()】の字は今日では「カラス」を意味するが――、
【烏】の字源は「カラス」と限定できない。
白川静著『字統』は【烏】の金文形について「於()の字形に近い」と指摘する。
白川静著『字統』は【於】の金文形について「烏の羽を解()いて、縄にかけわたした形。烏は死烏の全形、於はその羽を解いて縄にかけわたした形で、これを耕作の地にさげて、烏害を避けようとしたものであろう」と推測する。
白川静著『字統』の【烏】と【於】の字説は、あくまでも推測である。
ゆえに、【烏】の字源は「カラス」であったと限定することができない。


下に【烏】と【於】の金文形を配した。
下の左端の【烏】の金文形は「死烏(死んだ烏)の姿」よりも、むしろ「小枝に止まるカワセミの姿」に相似する。
下図の【於】の二つの金文形は「死烏の羽を解いて縄にかけわたした形」に相似するが、
金文は夏音文字よりも1000年以上後世の文字であるゆえ――夏音文字の【於】の字源が「死烏の羽を解いて縄にかけわたした形」であったと限定することはできない。
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◆偏【三水(さんずい)】に【於】を加える【淤()】の字は「やわらかい土。どろ」を意味する。
ゆえに、【於】・【淤】の字源は「五帝時代・夏代において、河川の増水や氾濫の後に水が退()いて原始的な木製の鍬(くわ)でも容易に耕作できたやわらかい土」であったと考えられる。
ゆえに、五帝時代や夏代や倭における卑弥呼時代は【淤】の「やわらかい土」は「豊かな実り、つまり豊作をもたらす土」を意味したことになる。
ゆえに、【烏】の字源は「巣穴の産座に、【淤】、つまり、やわらかい土を敷くカワセミ」であったにちがいない。

次回のわがブログ「漢字の起源と発明を解明す・28」で詳細に解説して証明するが――
『古事記』上巻に登場する「伊耶那美命(いざなみのみこと)」は、『魏志倭人伝』の末部に「卑弥呼の宗女(そうじょ)の壱与(いよ)、年十三の時に立ちて王と為()る」と記される、つまり「十三歳の時に小国・日本の女王となった、卑弥呼が統率(とうそつ)する巫女界(ふじょかい)を代表する壱与、後年に倭女王と就任したる壱与」であった。
「伊耶那美命の夫の伊耶那岐命(いざなきのみこと)」は、上記の「壱与の記事」の前の「魏の正始八年(247)の記事」に登場する「朝鮮半島の帯方郡政庁(たいほうぐんせいちょう)に訪れて倭国と狗奴国の戦況を説明した武将の載斯烏越(そしあお)」であった。

『古事記』上巻の〔伊耶那岐命(載斯烏越)と伊耶那美命(壱与)説話〕の冒頭は「淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚(せいこん)」についての説明である。
「淤能碁呂」の4字には〔音〕という注がつく。
ゆえに、「淤能碁呂」の4字は「楷書を音符・意符として用いた夏音文字」であったことになる。
「淤能碁呂」の先頭字【淤】は「やわらかい土。どろ」を意味する。
ゆえに、上記したように、【淤】の初文の【於】の字源は「五帝時代・夏代において、河川の増水や氾濫の後に水が退()いて原始的な木製の鍬(くわ)でも容易に耕作できたやわらかい土」であったことになる。
だから、「烏奴国」の【烏】の字源は「巣穴の産座にやわらかい土を敷くカワセミ」であったと考えるべきことになる。

淤能碁呂島の聖婚説話において、「淤能碁呂」の4字の夏音文字の、その前に「許々袁々呂々邇」という7字に〔音〕という注がつく夏音文字が記される。
この「許々袁々呂々邇」の7字の夏音文字は「こをろこをろに」と読む。
「許々袁々呂々邇」の前には「塩」という字が記される。
「塩許々袁々呂々邇」はつまり「塩こをろこをろに」は、「塩作りの窯(かま)の中で沸騰(ふっとう)するドロドロとした重くなった塩の湯をゆっくりとかき回す擬音(ぎおん)」を表現していることになる。

伊耶那岐命と伊耶那美命の結婚式において、「二人は塩を作る小屋(式場)に入り、窯(かま)の中に天沼矛(あめのぬぼこ)をさしおろし、ドロドロとした塩の湯をかきまわして、鳴門の渦潮の様子を表現する儀式」をおこなった。
ゆえに、「潮許々袁々呂々邇」ではなく、「塩を作る窯の前」で「鳴門の渦潮」をあらわす儀式をおこなったゆえ、「塩許々袁々呂々邇」と記されたことになった。
そして、「天沼矛」とは「九州の玄界灘(げんかいなだ)に浮かぶ沖ノ島と伊豆諸島の神津島(こうづしま)が同緯度であるとあらわすと共に、日本列島の本州の地底の土が沼()のようにやわらかいをもあらわす呪器(じゅき)の矛」であったことになる。
ゆえに、「天沼矛」はたとえば「碁石の石のような形をした沖ノ島と、将棋の駒(こま)のような形の神津島(こうづしま)の小さな飾りがついた矛」であったであろう――日本列島の西端の玄界灘に浮かぶ沖ノ島と、日本列島の東端の伊豆諸島の神津島と、鳴門の渦潮」は同緯度(北緯3415)であるゆえ、
沖ノ島と神津島の飾りのついた矛(天沼矛)で窯の沸き立つドロドロとした塩の湯をコヲロコヲロに(許々袁々呂々邇)と鳴門の渦潮に見立ててかきまわして――【日本列島の本州は地底が沼のようにやわらかくなっているので、本州の方位は【倭】の字源のとおりに時計回りに90度転回する】とあらわす儀式がおこなわれた。

だから、「淤能碁呂」という4字は「地底の土が【淤】()のようにやわらかい、【能】(熊・クマ)の横穴の巣が縦穴になるがごとく、【碁】(沖ノ島と神津島)が【呂】(同緯度)となるために緯度が経度のごとく縦(たて)になって方位が90度転回して〔東〕が〔南〕となる転回日本列島本州地理」をあらわした。
このように、『古事記』の〔能碁呂島の聖婚説話〕は「伊耶那岐命と伊耶那美命は塩を作る窯(かま)の前にて、卑弥呼が提唱した転回日本列島本州地理の儀式をおこなった」と記述している。

下図に示すように、日本列島の西の端にある沖ノ島と日本列島の東の端にある神津島は同緯度(北緯3415)である。
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下図に示すように、卑弥呼は中国北部の海岸線地域が冷たい気候であり、中国南部の海岸線地域の気候が暖かい状況を注目した。
そして、日本列島における西端の沖ノ島は冬になると雪が降って冷たい気候に対して、沖ノ島と同緯度の日本列島の東端にある神津島が冬になっても雪が降らない暖かい気候であることに注目した。
ゆえに、中国の海岸線地域の〔北冷〕と倭地の〔西冷〕が示すように両地域は共に「冷たい気候区」であり、中国の海岸線地域の〔南暖〕と倭地の〔東暖〕が示すように両地域は共に「暖かい気候区」であるゆえ、
下図のごとく、卑弥呼は「日本列島の本州の〔東〕は中国海岸線地域の〔南〕のほうに延びている」と考えた。
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下図に示すように、『魏志倭人伝』は卑弥呼が立論した転回日本列島地理に則(のっと)って、末盧国(まつろくに)から邪馬壱国(やまいこく)までの方位を正確に記している。
下図に左側に示すように、沖ノ島と鳴門の渦潮と神津島は同緯度(北緯3415)である。
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上図の「転回日本列島地理」は【倭】の字源をあらわすゆえ、卑弥呼は国号を「倭人国」と定めた。
上図に示したように、〔沖ノ島と神津島〕と共に、〔沖ノ島と神津島と同緯度の鳴門の渦潮〕も転回日本列島地理を形成する原動力になった。
だから、『古事記』の〔伊耶那岐命と伊耶那美命の聖婚説話の冒頭〕では「鳴門の渦潮」をあらわす「塩を作る窯の前に立って二人が天沼矛を持ってさし入れて、コヲロコヲロに(許々袁々呂々邇)とかきまわして鳴門の渦潮を表現する儀式の様子が記述された。

『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命の〔淤能碁呂島の聖婚説話〕や〔国生み説話〕は、〔音〕という注がつく【夏音文字の字源・字義】をまったく解明しないで無視する学者たちによってーー
〔淤能碁呂島の聖婚説話〕における「塩許々袁々呂々邇とかき鳴らす」という文は「伊耶那岐命と伊耶那美命が【天空に浮かぶ雲の上から天沼矛をさし下ろして】、やわらかい大地と海をかきまわして日本列島を作った」と訳する解釈が定説となる。
このため、次に続く〔国生み説話〕は「天に浮かぶ雲上に住む伊耶那美命が【淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま・淡路島)はじめ伊予之二名島(いよのふたののしま・つまり、烏奴国と奴国に分かれる四国)など様々な島や小国】を分娩(ぶんべん)・出産した」という解釈が定説となる。
しかし、このような定説の解釈は【誤訳・誤解・空論】であった。
つまり、「淤能碁呂島」は【卑弥呼が立論した本州の〔東〕を〔南〕と定めた転回日本列島地理】をあらわした。
「国生み」は「卑弥呼が【臣】という字であらわしたが、この変名が淡道之穂野狭別島(淡路島)であり、また卑弥呼が定めた四国の名を改めた、あるいは卑弥呼が名称をつけなかった様々な島や不都合(ふつごう)になった国々の名を――伊耶那美命は考えて改めた」と解釈しなければならなかったのである。

◆以上のごとく、対馬国から28番目の「烏奴国(あなこく)」は「現在の四国の高知県、旧国の土佐」であった。
次の29番目の「奴国(なこく)」は「鳴門の渦潮」に隣接する現在の四国の香川県・徳島県と愛媛県、旧国の讃岐(さぬき)・阿波(あわ)と伊予(いよ)」であった。

前述したように、沖ノ島と神津島を結ぶ北緯3415分は、日本列島の本州の〔東〕を90度転回して〔南〕にした転回日本列島地理の原動力である。
この「日本列島の本州の方位を時計回りに90度転回させる原動力」は【奴】の字源「強大な力」であった。
この【奴】の字源「強大な力」を有する緯度線上に、「鳴門の渦潮」が所在する。
「鳴門の渦潮」は世界的に最高級の速度で、ゴウゴウとすさまじい音響をたてながら豪快(ごうかい)に巨大な渦を巻く。
「鳴門の渦潮」は、巨大な日本列島の本州の〔東〕を〔南〕に変える【奴】の字源「強大な力(エネルギー)」を有する。
だから、29番目の「奴国」は「現在の愛媛県・香川県・徳島県」であったことになる。

◆卑弥呼は、「奴国」を貫通する北緯3415分の緯度線を、男子に1度の60分の1の精度で測定できる優れた眼力を有するように願った。
というのも、村々に住む男子たちは家族が幸せな生活を過ごすために食料を集め、また様々な生活用品を求め、あるいは集落の存続と繁栄を願って遠い地域の新しい文化やすぐれた発明・技術や進歩的な知性などを取り入れるために天頂緯度を測定して旅に出ていた。
ゆえに、天頂緯度測定に失敗し、または旅の途中で天頂緯度を測定していた時に崖から落下して命を絶つ事故で帰らぬ人となった事例も多数あったにちがいない。
ゆえに、卑弥呼は「優れた眼力を有して常に精確に天頂緯度測定ができるように男子や、命を絶つようなことにならないように常に用心深く天頂緯度を測定する男子を、男子の理想像」と考えていたのであろう。

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