G-T0XYQT12LL 漢字の起源と発明を解明す・25: 卑弥呼の逆襲

« 漢字の起源と発明を解明す・24 | トップページ | 漢字の起源と発明を解明す・26 »

2024年8月19日 (月)

漢字の起源と発明を解明す・25

愛あざやかに蝶が舞う琵琶湖周辺の5小国の秘密

◆漢字は、【夏の銀河各部の形状】から作られて起源した。
【夏の銀河】とは「夏にもっとも長時間見える、巨大な銀河」のことをいう。
【春の銀河】、【秋の銀河】、【冬の銀河】とよばれる銀河もあるが――【夏の銀河】が「もっとも巨大で、しかも、もっとも印象深い形をしている」。
「夏の銀河」は通常「天の川」、「銀河」とも呼ばれ、時には「銀漢」とも呼ばれる。
「銀漢各部の形状から作られた文字」を省略して、中国でもわが国でも「漢字」と表記した。

下に、【夏の銀河のカラー写真】を配した。
この写真は、PIXTA(ピクスタ)が撮影した。
Photo_20240819093201

今から約5000年前、中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえていた倉頡(そうきつ)は【夏の銀河各部の形状から文字(漢字)作成する方法(理論)】を発明した。
この事実を詳細に具体的に組織的に説明していたのが、
卑弥呼が登場することで有名な古文献の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』である。
江戸時代中期に生存した新井白石(16571725)以来今日まで約300年間、多数の学者たちによって『魏志倭人伝』は「邪馬台国(やまたいこく)について説明する文献史料である」と定められた。
しかし、それ以前は「朝廷・天皇家が権力基盤とした最高学問【倉頡の文字作成方法(理論)】を説明する聖典(せいてん)であり――国家と王朝が独占管理して革命に利用されないようにもっとも厳重に機密を保持しなければならない秘書(秘密の書物)」であった。
〔注 上記したように『魏志倭人伝』が「【倉頡の文字作成理論】を説明する最高学問の聖典」であった事実は、このブログの前にて紹介したわが著書『大嘗祭の証明』(kindle版)にて詳細に解説して証明した。〕

現在、学者たちは「倉頡が漢字を発明したと伝える倉頡伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)の作り話である」と断定する。
しかし、この定説は根本的にまちがっている。
というのも、上記したように『魏志倭人伝』によって「倉頡伝説は事実であった」と詳細に組織的に明確に証明することができるからである。

◆『魏志倭人伝』には――昔(むかし)、昔、夏代黎明期(かだいれいめいき・紀元前2050年頃)、帝益(えき)の孫の王子と若者たちが大海を越えて日本列島の男鹿半島・八郎潟の偏(ほとり)に定住した――と、【東南の地平線から「銀河系の中心方向周辺の銀河」が昇る黎明(れいめい・夜明け)の天文図の光景】をもって、喩(たと)え話(ばなし)にして説明する記事がある。
益氏の王子と若者たちは、
(
)三皇時代の易占(うらない)に用いる記号の結縄(けつじょう)
(
)五帝時代の最初の漢字の書契(しょけい)
(
)夏代黎明期(かだいれいめいき)の夏音(かおん)文字、
(
)黄帝の女性生殖器官と出産の医学研究、
(
)倉頡の文字作成理論、
(
)精密な中国海岸線地図と精密地図作製方法
を教え広めた。

紀元前21世紀の夏代黎明期(かだいれいめいき)から2世紀末の後期弥生時代までの約2200年間、
上記した三皇時代の結縄と五帝時代の書契と夏代黎明期の夏音文字は、様々な神をあらわす名・地名・人名・動物や植物の名称・様々な事物の名などをあらわして残され保存された。
これゆえ、結縄・書契・夏音文字は『魏志倭人伝』において、人名・小国名・官職名・動物や植物の名・様々な事物の名などに記されて残った。
また、夏音文字は712年1月28日に元明(げんめい)天皇に献上された『古事記』の上巻の随所に〔音〕という注がつき、楷書を音符・意符に用いて多数残っている。
したがって、現在、学界が断定する「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という絶対的定説もまた、空理空論であったことになる。

◆前回のわがブログ「漢字の起源と発明を解明す・23」にて説明したように、
『魏志倭人伝』は【倉頡が発明した文字作成理論】について、
倭人国を構成する対馬国(つしまこく)から狗奴国(くなこく)までの30ヵ国を、【10ヵ国ずつ3つのグループ】に分けて説明している。
この【3つのグループ】に、わたくしは下記のごとく名称をつけた。
(
)最初の「対馬国から巳百支国(じはきこく)までの10ヵ国の名称」は「【瀚海(かんかい)と【倭】の字源グループ】」
(
)2番目の「伊邪国(いやこく)から華奴蘇奴国(かなさなこく)までの10ヵ国の名称」は「【倭】の字源における女性グループ」、
(
)3番目の「鬼国(きこく)から狗奴国(くなこく)までの10ヵ国の名称」を「【倭】の字源における男性グループ」と定めた。

◆前回の「漢字の起源と発明を解明す・24」では、
最初の対馬国から数えて13番目の「弥奴国(みなこく)」は「現在の愛知県西部の、旧国の尾張」であったことを証明した。
また、対馬国から14番目の「好古都国(こかたこく)」は「現在の愛知県東部の、旧国の参河」であったと証明した。
さらに、対馬国から15番目の「不呼(ふこ)国」は「現在の静岡県西部の、旧国の遠江」であったと証明した。
上記の「弥奴国、好古都国、不呼国」の3小国は、(B)「【倭】の字源における女性グループ」に組する。

このブログでは、対馬国から16番目の「姐奴国(つなこく)」と、17番目の「対蘇国(つさこく)」と、18番目の「蘇奴国(さなこく)」と、19番目の「呼邑国(こおこく)」と、20番目の「華奴蘇奴国(かなさなこく)」の位置と範囲を解明する。
これら「姐奴国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国」もまた、()「【倭】の字源における女性グループ」の5小国である。
これら「5小国の地宜の解説と証明」によって、()「【倭】の字源における女性グループ」に属する10ヵ国すべての小国名が【倉頡の文字作成理論】をあらわしている証明が完了する。

下の図に示したように――
16
番目の「姐奴国」は「現在の福井県中・北部の敦賀市(つるがし)以北の、旧国の越前(えちぜん)」であった。
17
番目の「対蘇国」は「現在の岐阜県中・南部の、旧国の美濃(みの)」であった。
18
番目の「蘇奴国」は「現在の福井県南西部の、旧国の若狭(わかさ)」であった。
19
番目の「呼邑国」は「現在の滋賀県であり、旧国の近江(おうみ)」であった。
20
番目の「華奴蘇奴国」は「現在の京都府南部の、旧国の山城(やましろ)」であった。
0000224

上記した19番目の「呼邑国」の【呼】の字源は「鳰(にお)」であり、現在の滋賀県・旧国の近江の「琵琶湖」の古称は「鳰ノ海」であった。
「呼邑国」以外の「姐奴国、対蘇国、蘇奴国、華奴蘇奴国」という4小国の名称は「蝶の羽化(うか)、成虫と蛹(さなぎ)、蝶の餌(えさ)となる草の華(はな)など」をあらわしている。

わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・24」にて詳細に解説して証明したように、15番目の「不呼国、現在の静岡県・旧国の遠江の浜名湖の地宜(ちぎ・平面的に図化した地図の形)」は「花弁が集まる花冠(かかん)」に相似する。
したがって、「蝶は花(花冠)の蜜を餌」とするゆえ、
15
番目の「花の地宜の浜名湖が所在する不呼国(ふここく)」に続く16番目の「姐奴国(つなこく)」は「背中に大きな羽根が生える、アゲハチョウなどの美しい蝶の形をした小国」であった。

◆倉頡(そうきつ)はみずから発明した文字の学芸は最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易に滅亡するにちがいないと心配した。
これゆえ、倉頡は「文字の学芸を容易に習得するために、文字が作られた銀河各部に名称をつけた者はじめその家族および一族全員を死刑にする」と定めた。
この倉頡が死刑と定めた掟(おきて)のためであろうか――現在にいたっても【夏の銀河各部の名称】は存在しない。
これからおこなう「5小国名の範囲と位置の秘密」を解明するには、「蝶の成虫と蛹(さなぎ)に見立てられた銀河」を表示する必要がある。
ゆえに、わたくしは下図のごとく【夏の銀河各部の名称】を定めることにした。
00003_20240819093501
上図の左上に、「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」がある。
「十字の銀河」の北となりのバック(背景)となる銀河と、「鬼の姿に似る銀河」の北となりの銀河を「羽根()の形」に相似すると見立てると――

下図のごとく、「十字の銀河」は「蝶の羽根の一部」と化し、「鬼の姿に似る銀河」が「蝶の成虫の体」となる。
また、「鬼の姿に似る銀河」のみだと、その形は「蛹(さなぎ)の姿」に相似する。   
0000113_20240819093501

◆上記したように、15番目の「不呼国、遠江の浜名湖は、蝶が蜜を吸う花の形」に相似する。
ゆえに、16番目の「「姐奴国(つなこく)、現在の福井県中・北部の、旧国の越前の地宜」は「背中に大きな翼が生える蝶、アゲハチョウの成虫の姿」に相似すると見立てられた。
下に、「姐奴国の地宜」が「背中に大きな羽根が生えた美しく艶(あで)やかな蝶(チョウの姿に相似する様子」を図示した。
0000225

これまでわがブログ「漢字の起源と発明を解明す」が詳細に解説し証明したように、「姐奴国」の【奴】の字源・原義は「ジャコウウシの強大な力」であったゆえ、要するに「強大な力」であった。
ゆえに、「姐奴国」の【奴】の字は「蝶が体を持ち上げて空を飛翔(ひしょう)する羽根の強大な力」をあらわした。

「姐奴国(つなこく)」の【姐】の字は偏【女】に【且()】が加わって成立する。
【且】は「食材をのせて包丁で切るための平らな俎板(まないた)の初文(最初の文字)」である。
【且】の古代字形(契文形・金文形)には様々も異なる形があるゆえ、字源となった銀河や事物について決定することはできない。
しかし、「女性の背中は乳房や腹部の凹凸がある正面形と異なって、俎板(まないた)の食材をのせる面のごとく平らである」。
だから、【姐】の字は「背中が美しい妖艶な気っ風(きっぷ)のよい姐御(あねご)や、また豊かな乳房を有するたくましい母親」を意味することになったと考えられる。
上図に示した「姐奴国・越前の地宜における蝶の胸部は、たくましい母親の豊かな乳房の形」をしている。
ゆえに、『説文解字』は【姐】の字を「蜀(しょく)の人、母を謂()ひて姐といふ」と解説し、
白川静著『字統』は【姐】の字について「姉御(あねご)という」と解説する。

◆下の上図に示すように、「旧国の美濃(みの)の・東部の地宜」は「ジャコウアゲハの成虫の姿」におよそ相似すると見立てられ、
「美濃の西部の地宜」は「ジャコウアゲハの蛹(さなぎ)の姿」に相似すると解釈された。
ゆえに、「美濃」は「ジャコウアゲハの成虫と蛹が一対となる小国」、つまり「成虫と蛹の一対の国」を略して、卑弥呼は小国名を「対蘇国(つさこく)」と定めた。
「対蘇国」の【蘇】は「幼虫が死んだようになった蛹(さなぎ)から蘇(よみがえ)って成虫になる」を意味した。
0000115_20240819093701
「美濃」は、「現在の岐阜県の中部・南部」であり、この県名の「岐阜(ギフ)」という名がつく「ギフチョウ」と呼ばれる「アゲハチョウ」が生息する。
【倉頡の文字作成理論】を象徴する聖獣の【牛】の字源の「ジャコウウシ」と同じく「ジャコウアゲハ」は共に麝香(ジャコウ)の匂いがする。
この点からしても、「美濃」は「ジャコウアゲハの成虫と蛹の姿が一対となる小国」ということで「対蘇(つさ)国」と、卑弥呼は名づけたことになる。
〔注 ジャコウウシのオスとジャコウアゲハのオスが麝香の匂いがはなつが――ジャコウアゲハのオスの姿は人の男性よりも女性の姿に相似するというイメージのほうが強い。ゆえに、卑弥呼は対蘇国・美濃を「【倭】の字源における女性のグループ」に組するようにしたのである。〕

白川静著『字統』は【蘇】の字について、下記のごとく解説する。
――『説文解字』は「桂荏(けいじん)なり」とあり、紫蘇(しそ)の類であるとする。字は蘇息・蘇生の意に用いる。金文には国名に用い、字を穌に作る。その字形は、あるいは魚に桂荏などを加え、生気を保たせる意をもつものであるかも知れない。国名以外の古い用法がみえず、字義を確かめがたい。

上記のごとく、白川静著『字統』の【蘇】の字源解説は不明確である。
対馬国から15番目の「不呼国(ふここく)」は「現在の静岡県西部の、旧国の遠江」であった。
「遠江」の小国名【不呼】の「花の台(うてな)」に見立てられた「浜名湖の支湖の引佐細江(いなさほそえ)の北東岸」には、「都田川(みやこだがわ)が上流から運ぶ土砂と水を外()く河口」がある。
下に、中央に「都田川」、右上に「引佐細江」を配した地図を示した。
K402_20240819093801

上図中央の「都田川流域(みやこだがわりゅういき)の沖積平野(ちゅうせきへいや)の地宜(ちぎ)」は「子宮で育つ胎児」に、また「胎児が育つ子宮」に、あるいは「胎児が大きく育った出産児が通過する産道」に見立てられた。

大量の雨が降ると、都田川が氾濫(はんらん)して沖積平野一面が水に漬()かる。
洪水の水が引いてしばらくすると、都田川に魚が棲()みはじめ、禾(いね)科の草が沖積平野に繁茂(はんも)して蘇(よみがえ)り、また様々な艸(くさ)が繁茂して蘇生(そせい)する。
しかし、以前と同様に、沖積平野には小さな木が生えても、大木はほとんど生えない。
ゆえに、【蘇】の字には【木】の字が組しておらず――【蘇】の字は【艸冠(くさかんむり)】の下に【魚】と【禾】の字を加えて組織される。

つまり、漢字が起源した五帝時代初頭以来、鉄製の鍬が出現した古代まで――
わが国においては、中期縄文時代初頭(中国の五帝時代初頭)から3世紀中半の卑弥呼時代まで――河川の氾濫(はんらん)による洪水によって従来と同じ生活が再び維持(いじ)され、あるいは上流から肥沃(ひよく)な土が押し流されて豊かな実りをもたらすことになった。
つまり、洪水の後に従来と同様な生活が蘇生し、あるいはより豊かな実りを手に入れる幸運にも恵まれることもあった。
ゆえに、「様々な艸(くさ)が繁茂(はんも)して蘇生(そせい)し、川に魚がもどってきて棲()み、禾(いね)科の植物が川の流域の土地に繁茂して以前と同様の生活が蘇(よみがえ)る」ということで、【蘇】の字が成立することになったと考えられる。

中期縄文時代初頭(五帝時代初頭)から卑弥呼時代までにおいて、わが国においては、洪水・氾濫(はんらん)よりも日照り・旱魃(かんばつ)に苦しんでいたのである。
日照りが続いて乾いて堅く(かた)くなった田や畑の土を、当時の原始的な木製の鋤(すき)で耕す農作業は大変な重労働となった。
いっぽう、洪水に見舞われた土は泥状でやわらかいゆえ、当時の木製の鍬でもたやすく耕すことができた。
だから、上記したように「洪水で再びもとの生活がもどってくる」ということで、【蘇()】の字が成立したと考えられる。

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館編者『シンポジウム 弥生人の四季』(六興出版発行)は、〔金属の刃先〕と題して、下記のごとく説明する。
「弥生時代後期後半にはくわやすきの刃先に鉄が用いられた。岡山県の上東(じょうとう)遺跡出土のすきの身の先端部には、鉄の刃先を挿入(そうにゅう)した痕跡が残っている。当時の刃先は薄い鉄板の両側を折り曲げただけの簡単なものだが、従来の木の刃先と比べれば、開墾・耕作に伴う負担が大幅に軽減させた。この鉄製の鍬・鋤先は中国・朝鮮半島に類品がなく、国産品と考えられている。」

上記先頭の「弥生時代後期後半」は「卑弥呼が生存した同時代」となる。
上記のごとくの「薄い鉄板の両側を折り曲げた簡単な鉄製の鋤(すき)」を用いても、日照りが続いて堅くなった土を耕すのは木製の鋤とほぼ変わらず大変な重労働であったにちがいない。

◆下に、対馬国から13番目の弥奴国(みなこく)・尾張、14番目の好古都国(こかたこく)・参河、15番目の不呼国(ふここく)・遠江、そして17番目の対蘇国(つさこく)・美濃の4小国図を配した。
0000227

前ページにて解説したように、「不呼国・遠江の都田川流域の沖積平野(ちゅうせきへいや)」は「胎児や女性生殖器官の子宮や産道」に相似すると見立てられた。
前回のわがブログ「漢字の起源と発明を解明す・24」にて詳細に解説し証明したように、
「弥奴国・尾張の知多半島(ちたはんとう)」は「女性生殖器官の卵管采(らんかんさい)・卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ・卵管」に見立てられ、「知多半島北部の陸地」は「子宮」に見立てられた。
「好古都国・参河の渥美半島(あつみはんとう)」は「女性生殖器官の卵巣(らんそう)」に見立てられ、「渥美半島北部の参河の陸地」は「子宮」に見立てられた。

上図に示したように、対蘇国・美濃は弥奴国・尾張と好古都国・参河と隣接する。
したがって、対蘇国・美濃も女性生殖器官と関連を有すると考えるべき必要がある。
下に、卵管采(らんかんさい)・卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)・卵管と卵巣(らんそう)と子宮と産道の図を配した。
0000120_20240819094001
下に、上図に「卵巣上体(らんそうじょうたい)と子宮広間膜(しきゅうこうかんまく)を加える女性の生殖器官の半分形」を示した。
「女性の背中側にある卵巣上体・子宮広間膜」は「羽根()」のような形をしている。
ゆえに、「女性の羽根のような形をした卵巣上体・子宮広間膜を含む生殖器官」は「羽根が背中に生える蝶の成虫」に相似すると見立てられたにちがいない。
000088_20240819094101

下図に示すよう、「女性の生殖器官の大半を包囲して、子宮で育つ胎児の命をまもる骨盤の形」もまた「蝶の成虫の姿」に相似する。
このような事情からも、「姐奴国・対蘇国・蘇奴国・華奴蘇奴国の地宜」は「蝶」や「蛹(さなぎ)」をあらわすことになった。
0000108_20240819094201
◆下に、「蘇奴国・若狭の地宜」と「蛹の背中を裂()いて、羽化(うか)し始める蝶の姿」が相似する様子をあらわした。
「蘇奴」の【蘇】は「死骸(しがい)のような蛹から命がよみがえる蝶」をあらわし、【奴】は「蛹の背中を裂く強大な力」をあらわす。
0000228

アゲハチョウの幼虫は4回の脱皮(だっぴ)をくりかえして蛹となり、その蛹の姿は強大な力を有するジャコウウシに似て太くずんぐりとしている。
「アゲハチョウの4回の脱皮」は「骨盤入口に入りこむときから膣口(ちくこう)から頭が誕生するまでの出産児の4回の回旋(かいせん)」に共通すると見立てられたにちがいない。
ジャコウアゲハは幼虫から死骸のごとき蛹となり、その蛹の背中を裂いて命が蘇(よみがえ)り、わずか数分で空中をひらひらと舞う成虫となる、強くてたくましい命を示す。
ゆえに、「現在の福井県南西部の、旧国の若狭(わかさ)」の小国名を、卑弥呼は「蘇奴国(さなこく)」と定めたことになる。

◆下図に示すように、「現在の滋賀県、旧国の近江(おうみ)」は、対馬から19番目の「呼邑国(こおこく)」であった。
前回のわがブログ「漢字の起源と発明を解明す・24」における「不呼国・遠江」にて詳細に解説して証明したように、【呼】の字源は「鳰(にお)」であった。
「近江、琵琶湖」の古称は「鳰ノ海」であった。
0000117_20240819094401

【囗()】の下に【巴()】を加える【邑(ゆう)】の字について、白川静著『字統』は「囗()は都邑(とゆう)の外郭(がいかく)、城壁を繞(めぐ)らしている形。(中略)。巴は人の跪居(ききょ)するさま。城中に多くの人のあることを示す」と解説する。
したがって、上図における「琵琶湖を包囲する比良山地(ひらさんち)・野坂山地(のさかさんち)・伊吹山地(いぶきさんち)・鈴鹿山地(すずかさんち)」は「城壁」に見立てられたことになる。
つまり、「滋賀県・近江」は【呼】の字源地宜の「鳰ノ海」の周囲に【邑】の「多くの人が住む地域」であるゆえ、
卑弥呼は「呼邑国(こおこく)」という小国名に定めたことになる。

卑弥呼は――上図における「滋賀県・近江の地宜」は【呼】の字源「鳰ノ海」が「子宮と子宮にて育つ胎児」、【邑】の字源「城壁となる山地」を「骨盤」に見立てた――と考えられる。
つまり、卑弥呼は【呼】の字源の「鳰ノ海を羊水に潜(もぐ)っていても窒息しないで死なずに生きることができる不思議な生命力を有する胎児」に見立て、
また、卑弥呼は【呼】の字源「鳰の海」を「【邑】の字源・骨盤に包囲されてまもられる子宮」に見立てて、
「旧国の近江」の小国名を「呼邑国(こおこく)」と定めたことになる。

しかし、日本一最大の湖の「琵琶湖」を、「カイツブリ科最大のカンムリカイツブリ」と見立てずに、なぜ「カイツブリ科最小の鳰の姿」に相似すると見立てたのであろうか?
その理由は、下図に示すように、「琵琶湖の南端の岸の形」が「カンムリカイツブリの頭の形」に相似しないからである。
下図に示したように「琵琶湖の南端の岸の形」は「鳰の頭の形」に相似する。
だから、「琵琶湖」の古称は「鳰ノ海」となった。
0000229

下に、「琵琶湖の地宜」を示した。
この「琵琶湖の地宜」は「母親の鳰が翼をひろげてはばたいて巣の過熱(かねつ)をふせぎ卵に涼しい風を送って冷やしている姿」をあらわしている。
つまり、「琵琶湖の北岸」は「涼しい風を送って巣の卵をひやす母親の鳰のはばたく翼」ということになる。
0000230

内田亨代表著作者『原色現代科学大事典 5――動物Ⅱ』(学習研究社発行)は、下記のごとく「鳰の巣の温度」について説明する。
(鳰の巣の温度は)、常に水温・気温より多少高く保持される。つまり太陽熱が巣材(すざい)中にたもたれ、巣材の醗酵(はっこう)熱も加わり(これは弱いが)、親鳥が長く巣を去っても卵はひえない。親鳥が卵を巣材でおおって去るのは、卵をかくすことのほかに直射による加熱をさけるためもあるらしい。(中略)。なお、東映製作の映画「水辺の鳥」で、露出卵(ろしゅつらん)あるいは巣材をかぶせた卵の上に親鳥が立って、翼をひろげてふるわせ、空気を送る動作が撮影されている。親鳥が巣の過熱を感じたときにおこなう反応的行動と思われる。」

上図の「琵琶湖の地宜」は「加熱する巣の卵に涼しい風を送るため、母親の鳰が卵の上に立って翼をはばたく姿」に相似すると見立てられた。
だから、「鳰の海、琵琶湖の地宜」は、上記した「鳰の親鳥が巣の温度を管理する、母親の深い強い愛」をあらわした。

◆対馬国から20番目の「華奴蘇奴国(かなさなこく)」は「現在の京都府南部の、旧国の山城(やましろ)」であった。
下図に示すように、対馬国から17番目の「対蘇国の地宜」は「ギフチョウやジャコウアゲハの蛹(さなぎ)と成虫が一対となる形」に見立てられ、18番目の「蘇奴国の地宜」は「蛹の背中を裂いて羽化(うか)し始める蝶の姿」に相似すると見立てられた。
ゆえに、20番目の「華奴蘇奴国の地宜」は「蛹の背中を裂いて羽化した蝶が華(はな)の化身(けしん)となり、羽根の【奴(強大な力)】で体を持ち上げて空中をひひらと舞う姿」をあらわしている。
だから、卑弥呼は「現在の京都府南部の、旧国の山城」の小国名を「華奴蘇奴国」とした。
0000119_20240819094701
したがって、「華奴蘇奴国の地宜」は「死骸のような蛹(さなぎ)から美しく命が蘇(よみがえ)り、華(はな)のように華麗な蝶の成虫がわずか数分で【奴(強大な力)】で体を浮かせて空を舞う、強くたくましい命」を示していることになる。
ということは、「華奴蘇奴国の地宜」は、前ページで解説した19番目の「呼邑国」の「鳰ノ海・琵琶湖の地宜」が示すように「母親の子への強い愛情」を示していることになる。
言いかえると、「華奴蘇奴国の地宜」は「自らの身を裂いてたとえ死んでもよいから、妊娠したわが子を生まんとする強い母性」をあらわしていることになる。

上図に右下に示したように、「華奴蘇奴国」の【華】の金文形は「蝶の形に相似する小さな花を房(ふさ)のようにつける藤のような華(はな)の形」をあらわしている。
また、「華奴蘇奴国の地宜」は「ダイコンを餌にするモンシロチョウの成虫の姿」に相似する。
モンシロチョウの餌となる「ダイコンの花」は、「小さな花が房(ふさ)のようにつく華」である。
また、「華奴蘇奴国の地宜」は「ウスバシロチョウの成虫の姿」に相似し、「ウスバシロチョウの餌となる草のムラサキケマン」は「小さな花が房のようにつく紫色の華」である。
あるいは、「華奴蘇奴国の地宜」は「スジグロシロチョウの成虫の姿」に相似し、「スジグロシロチョウの餌となるイヌガラシやタネツケバナの華」は「小さな花が房のようについている」。

以上のごとく、「華奴蘇奴国の地宜」は「小さな花が房のようにつく華が咲く草を餌とする、小さな可憐(かれん)な様々な蝶の姿」に相似する。

対馬国から20番目の「華奴蘇奴国」の【華】は「蝶の餌(えさ)となる草に咲く花」をあらわす。
わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・23」にて解説し証明したように、次の21番目の「鬼国(きこく)の地宜」も「鷹の巣の雛(ひな)の餌」をあらわしていた。
下図に示すように、「鬼国、旧国の志摩(しま)の英虞湾(あごわん)の地宜」は「飢()えたときに、強く育った雛(ひな)が同じ巣で育つ弱い雛を餌にして食べる形」をしている。
このように、20番目の「華奴蘇奴国」と21番目の「鬼国」という小国名は「餌」が共通する仕組みになっていて、巧妙(こうみょうにリレーがなされている。
0000217_20240819094801

◆わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・23」にて解説したように、
白川静著『字統』(平凡社発行)は、
【委】の字について「いねの象形。いねの字は禾穂(かすい)の垂れた形」と解説する。
また、同書は【年】の字について「穀霊(こくれい)に象(かたど)る禾(いね)の形の作りものを被(かぶ)って舞う男性の姿」と解説する。
さらに、同書は【倭】の字について「穀霊に象る禾(いね)の形のかぶりものを被った女性と男性の姿をあらわす」と解説する。
要するに、白川静著『字統』は【倭】の字は「穀霊に象る禾(いね)のかぶりものを被った女性と男性が舞う(踊る)姿をあらわしている」と解説している。

下図は、上記した白川静著『字統』の【禾】・【委】・【年】・【倭】の字源となった「十字の銀河」の解説図である。
下図に示したように、「十字の銀河の頭部の北となりの銀河」が「穀霊(稲魂・いなだま)のかぶりもの(作り物)」に見立てられたことになる。
「十字の銀河の西半分」には「乳房・妊婦のおなか・右足と、子宮」に観える銀河部があるゆえ、「十字の銀河」は「穀霊のかぶりものを被って舞う女性の姿」をあらわした。
「十字の銀河の東半分」は「左手に狩猟に用いる弓を持つ男性の姿」に見立てることができるゆえ、「十字の銀河」は「穀霊(こくれい)のかぶりものを被って舞う男性」をもあらわした。
000057_20240819094901

だから、上図の【倭】の字源銀河解説図にもとづいて、上記したようにわたくしは、
伊邪国から狗奴国までの20ヵ国を、10ヵ国ずつ1グループに二分して、
(
)「【倭】の字源における女性グループの10ヵ国」と、()「【倭】の字源における男性グループの10ヵ国」に分けることにした。

そして、今回のブログをもって、対馬国から11番目の「伊邪国(いやこく)」から20番目の「華奴蘇奴国(かなさなこく)」までの、
(B)
「【倭】の字源における女性グループの10ヵ国の小国名」は、
【倉頡の文字作成理論】にもとづいて「各小国の地宜と各小国に用いられる文字の字源・字義」がすべて理にかなって合理が成立する仕組みになっていることを解説して証明した。
だから、『魏志倭人伝』は学者たちが主張するように「邪馬台国を説明した古文献」ではなかった。

『魏志倭人伝』の大半の記事は「卑弥呼の死から約40年後に、晋(しん)王朝が秘蔵(ひぞう)していた卑弥呼が書いた文書を伊都国の港で魏王朝の人々は用いる楷書に書き直した文書(倭人国の国書)を晋の歴史編纂官の陳寿(ちんじゅ)が1字も誤らないように慎重(しんちょう)に書き写した史料」、そのものであったことになる。
だから、『魏志倭人伝』は「卑弥呼が【倉頡の文字作成理論】についえ詳細に具体的に組織的に説明する古文献」であったことになる。

|

« 漢字の起源と発明を解明す・24 | トップページ | 漢字の起源と発明を解明す・26 »

卑弥呼」カテゴリの記事

邪馬台国」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

アルファベットの起源」カテゴリの記事

漢字の起源」カテゴリの記事

日本国誕生史の証明」カテゴリの記事

大嘗祭の証明」カテゴリの記事

まぼろしの邪馬台国」カテゴリの記事

漢字の起源と発明を解明す」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 漢字の起源と発明を解明す・24 | トップページ | 漢字の起源と発明を解明す・26 »