漢字の起源と発明を解明す・24
愛と子宮での出来事と花をあらわす弥奴国(みなこく)・好古都国(こかたこく)・不呼国(ふここく)の秘密
◆漢字は、【夏の銀河各部の形状】から図案されて起源した。
【夏の銀河】とは「すべての夏の星座が漬(つ)かる銀河」である。
「夏の銀河」は通常「天の川」、「銀河」とも呼ばれ、時には「銀漢」とも呼ばれる。
「銀漢各部の形状から作られた文字」を省略して、中国でもわが国でも「漢字」と表記した。
下に、【夏の銀河のカラー写真】を配した。
この写真は、PIXTA(ピクスタ)が撮影した。
今から約5000年前、中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえていた倉頡(そうきつ)は【夏の銀河各部の形状から文字(漢字)作成する方法(理論)】を発明した。
この事実を詳細に説明していたのが、
卑弥呼が登場することで有名な『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』である。
現在、学者たちは「倉頡が漢字を発明したと伝える倉頡伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)の作り話である」と断定する。
しかし、この定説は根本的にまちがっていた。
というのも、上記したように『魏志倭人伝』によって「倉頡伝説は事実であった」と詳細に組織的に明確に証明することができるからである。
◆『魏志倭人伝』には――今から約4070年前(紀元前2050年頃)、夏代黎明期(かだいれいめいき)の帝益(えき)の孫の王子と若者たちが大海を越えて日本列島の男鹿半島・八郎潟の偏(ほとり)に定住した――と示唆(しさ)する記事がある。
益氏の王子と若者たちは、
(1)三皇時代の易占(うらない)に用いる記号の結縄(けつじょう)、
(2)五帝時代の最初の漢字の書契(しょけい)、
(3)夏代黎明期(かだいれいめいき)の夏音(かおん)文字、
(4)黄帝の女性生殖器官と出産の医学研究、
(5)倉頡の文字作成理論、
(6)精密な中国海岸線地図と精密地図作製方法
を教え広めた。
これゆえ、夏音文字は『魏志倭人伝』において人名・小国名・官職名・動物や事物の名などに記されて残った。
また、夏音文字は712年1月28日に元明(げんめい)天皇に献上された『古事記』の上巻の随所には〔音〕という注がついて多数残っている。
したがって、現在、学界が断定する「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という絶対的定説もまた、空理空論であったことになる。
◆前回のわがブログ「漢字の起源と発明を解明す・23」にて説明したように、
『魏志倭人伝』は【倉頡が発明した文字作成理論】について、
倭人国を構成するの対馬国(つしまこく)から狗奴国(くなこく)までの30ヵ国を、【10ヵ国ずつ3つのグループ】に分けて、【倉頡の文字作成理論】について説明している。
この【3つのグループ】に、わたくしは下記のごとく名称をつけた。
(A)最初の「対馬国から巳百支国(じはきこく)までの10ヵ国の名称」は「【瀚海(かんかい)と【倭】の字源グループ】」
(B)2番目の「伊邪国(いやこく)から華奴蘇奴国(かなさなこく)までの10ヵ国の名称」は「【倭】の字源における女性グループ」、
(C)3番目の「鬼国(きこく)から狗奴国(くなこく)までの10ヵ国の名称」を「【倭】の字源における男性グループ」と名づけることにした。
前回の「漢字の起源と発明を解明す・23」では、
最初の対馬国から数えて11番目の「伊邪国(いやこく)」は「現在の京都府中部と兵庫県の一部であり、旧国の丹波(たんば)」であったことを証明した。
また、対馬国から12番目の「都支国(たきこく)」は「旧国・志摩を除く現在の三重県と和歌山県南東部の、旧国の伊勢と紀伊南東部の熊野」であったと証明した。
このブログでは、対馬国から13番目の「弥奴国(みなこく)」と、14番目の「好古都国(こかたこく)」と、15番目の「不呼国(ふここく)」の位置と範囲を解明する。
現在方位にもとづくと、「弥奴国」は「都支国」の北隣となる「現在の愛知県西部の、旧国の尾張(おわり)」、
「好古都国」は「現在の愛知県東部の、旧国の参河(みかわ)」、
「不呼国」は「現在の静岡県西部の、旧国の遠江(とおとうみ)」であった。
下図に、対馬国から「21番目の鬼国(きこく・旧国の志摩)」と、「都支国・弥奴国・好古都国・不呼国の位置と範囲」」を示した。
◆倉頡(そうきつ)はみずから発明した文字の学芸は最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易に滅亡するにちがいないと心配した。
これゆえ、倉頡は「文字の学芸を容易に習得するために、文字が作られた銀河各部に名称をつけた者はじめその家族および一族全員を死刑にする」と定めた。
この倉頡が死刑と定めた掟(おきて)のためであろうか――現在にいたっても【夏の銀河各部の名称】は存在しない。
これからおこなう「弥奴国・好古国・不呼国という、3小国名の秘密」を解明する説明が煩雑(はんざつ)にならずに容易に理解できるようにするには、どうしても【夏の銀河各部の名称】が必要となる。
ゆえに、わたくしは下図のごとく【夏の銀河各部の名称】を定めた。
◆上図の左上に、わたくしが「十字の銀河」と名づけた銀河がある。
「十字の銀河」は、「倭人国」の【倭】の字源となった。
前回のわがブログ「漢字の起源と発明を解明す・23」にて指摘したように、
わが国の中国古代文字研究の第一人者とされる白川静(しらかわしずか)博士が著作した『字統(じとう)』(平凡社発行)は、
【委】の字について「いねの象形。いねの字は禾穂(かすい)の垂れた形」と解説する。
また、同書は【年】の字について「穀霊(こくれい)に象(かたど)る禾(いね)の形の作りものを被(かぶ)って舞う男性の姿」と解説する。
さらに、同書は【倭】の字について「穀霊に象る禾(いね)の形のかぶりものを被った女性と男性の姿をあらわす」と解説する。
要するに、白川静著『字統』は【倭】の字は「穀霊に象る禾(いね)のかぶりものを被った女性と男性が舞う(踊る)姿をあらわしている」と解説している。
下図は、上記した白川静著『字統』の【禾】・【委】・【年】・【倭】の字源となった「十字の銀河」の解説図である。
下図に示したように、「十字の銀河の頭部の北となりの銀河」が「穀霊(稲魂・いなだま)のかぶりもの(作り物)」に見立てられたことになる。
「十字の銀河の西半分」には「乳房・妊婦のおなか・右足と、子宮」に観える銀河部があるゆえ、「十字の銀河」は「穀霊のかぶりものを被って舞う女性の姿」をあらわした。
「十字の銀河の東半分」は「左手に狩猟に用いる弓を持つ男性の姿」に見立てることができるゆえ、「十字の銀河」は「穀霊のかぶりものを被って舞う男性」をもあらわした。
だから、上図の【倭】の字源銀河解説図にもとづいて、上記したようにわたくしは、
伊邪国から狗奴国までの20ヵ国を、10ヵ国ずつ1グループに二分して、
(B)「【倭】の字源における女性グループの10ヵ国」と、(C)「【倭】の字源における男性グループの10ヵ国」に分けることにした。
◆前ページにて【倭】の字源解説に用いた「十字の銀河」の西となりの銀河を、
下図に示すように、わたくしは「鬼の姿に似る銀河」またの名を「四つ目の銀河」と名づけた。
この「四つ目の銀河」の南西に隣接する銀河を「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河」と名づけた。
「人の横顔に酷似する銀河の額(ひたい)」には国際的に天文学界において「北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)」と名称が決められた銀河部がある。
下に、「はくちょう座のε(エプシロン)星と、γ(ガンマ)星と、δ(デルタ)星と、β(ベータ)星が構成する三角形状に包囲される「人の横顔に酷似する銀河と、北天の最輝部」の図を配した。
「北天の最輝部」とは「北半球に住む人々にとって最も輝いて見える銀河部」のことをいう
下図における「点々の部分」は「銀白色」に、「点々が濃い部分」は「桃花鳥色(トキ色)」に輝く。
わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・16」にて証明したように、
対馬国から6番目国の「不弥国(ふみこく)」の【弥】の字源は「水鳥のカンムリカイツブリ」であった。
卑弥呼は「福岡県の福津(ふくつ)市の津屋崎(つやざき町の海岸線)を【弥】の字源「カンムリカイツブリの頭」に見立て、
また「釣川(つりがわ)から宗像(むなかた)平野部までの地宜(ちぎ・平面的に図化した地図の形)」を【弥】の「カンムリカイツブリの首と胴体と翼」に見立てて、
これらの形状は「空を飛んで陸地に降下してこないカンムリカイツブリの姿に観える」と解して――
卑弥呼は「宗像地方」の小国名を「不弥国」と定めた。
◆【弥】の「カンムリカイツブリ」の全長は46㎝~61㎝である。
この「カンムリカイツブリの全長」は出産予定日の第38週~第40週の体長が48㎝~53㎝の大きさに育った出産児とほぼ同じである。
ゆえに、倉頡は「出産児」を「カンムリカイツブリ」で喩(たと)えることにした。
というのも、胎児は母親の子宮の羊水(ようすい)の中で、40週間余り・10カ月余も過ごす「水中生活者」であるからである。
出産後の人は1時間も水中に潜(もぐ)ったままでいれば確実に窒息(ちっそく)して死ぬ。
にもかかわらず、40週間余もの長いあいだ羊水の中ですごす胎児は、なぜ窒息して死なないのか?
この秘密を、女性の生殖器官と出産について研究する黄帝は解明することができなかった。
それゆえ、この秘密を倉頡は「人間よりも長らく水中に潜(もぐ)っていることができる、カンムリカイツブリ」で喩えることにした。
【弥】の字源となった「カンムリカイツブリの首から体下面(たいかめん・胴体の下面)まで」は「すべて銀白色」である。
上記したように、「北天の最輝部」もまた「銀白色」に輝く。
ゆえに、下図に示すように、「不弥国(ふみこく)」の【弥】は「北天の最輝部」に見立てられた。
下図の右側は、【弥】の字源「カンムリカイツブリが繁殖行動するときのオスとメスが求愛ダンスする姿」をあらわしている。
(注 この図は今泉吉典監修者代表『イラスト・アニマル【動物細密・生体画集】』 平凡社発行の143ページより転載した)。
上記したように、「不弥国」の【弥】は「北天の最輝部」に見立てられたゆえ、
上図に示したように、対馬国から13番目の「弥奴国(みなこく)」の【弥】もまた「北天の最輝部」に見立てられたことになる。
下に示した右側は「脚で水面を蹴(け)った水しぶきを浴(あ)びてビショ濡(ぬ)れになる、熱烈な求愛ダンスをするカンムリカイツブリのオスとメスの図」である。
下図の左側は「現在方位にもとづく上南・下北の、現在の愛知県西部の地宜」である。
上図に示したように、「現在の愛知県西部の地宜」は「熱烈な求愛ダンスをして繁殖行動をするカンムリカイツブリのメスの姿」に見立てられたことになる。
というのも、右図の「脚で水面を蹴って水しぶきを浴びるカンムリカイツブリの姿」は「カンムリカイツブリの尾のほうの水面がざわついて張る(広がる)状態」となるからである。
この「尾のほうの水面がざわついて張る」の略称は「尾張」、つまり旧国の「尾張」となる。
ゆえに、「現在の愛知県西部、旧国の尾張」の小国名は「弥奴国」であったことになる。
「弥奴国」の【奴】の字源・原義は、わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・15」にて詳細に解説したように、下記のごとき3つの事柄をあらわした。
(1)「子どもを出産するための母親のジャコウウシのごとき強大な力」
(2)「子どもの出産において――母体(妊婦)が大声をあげて、いきみ・きばる怒責(どせき)」
(3)「ジャコウウシのごとき強大な力を有する18歳くらいの青年」
つまり、「弥奴国」の【奴】は「求愛ダンスするとき、メスが体を水面に垂直状に立つことができる、強大な力」をあらわした。
上図に示した「現在方位にもとづく尾張の上南・下北の地宜」は【弥】の「カンムリカイツブリのメス」が【奴】の「強大な力で、体を水面に垂直状に立つ姿勢」に相似する。
だから「尾張」の小国名は「弥奴国」であったことになる。
◆旧国・尾張のとなりは旧国・参河(みかわ)、現在の愛知県東部である。
下に、「愛知県東部、旧国の参河の地宜」を示した。
上図の「参河の地宜」を「求愛ダンスをするオスのカンムリカイツブリの姿」に見立てれれば、ことは簡単にすむ。
――しかし、「参河」は「【倭】の字源における女性グループ」の一員となる小国である。
したがって、「参河」は「求愛ダンスをする【メスのカンムリカイツブリ】の姿」と解釈すべきことになる。
ゆえに、「尾張と参河の地宜」は共に「カンムリカイツブリのメスの姿」に見立てなければならない。
このため、上記した「熱烈な求愛ダンスをするカンムリカイツブリのオスとメス」の解釈は誤っていたことになるが――
「尾張と参河の地宜」を同じ「メスのカンムリカイツブリの姿」となるという解釈も釈然(しゃくぜん)とせず、なんとも合点がいかず――このままの解釈だと中途半端(ちゅうとはんぱ)な状況で終わることになる。
下に、「参河」の【参】の周代に出現した2種の金文形(周代に出現した字形)を示した。
この【参】の2種の金文形は「巫女(みこ)が妊婦の姿に扮(ふん)して、子どもの出産をよろこび祝って踊る姿」を図案するものと考えられる。
この「巫女(みこ)の頭部の三又(みつまた)に分かれる図案」は「三又に分かれる北天の最輝部の形状を女性の生殖器官の一部分に見立ててデザインした簪(かんざし)」を表現しているにちがいない。
というのも、「おなかが円い妊婦」に適応(てきおう)するのは「女性の生殖器官の一部分の形に作られた簪」だからである。
前回のわがブログ「漢字の起源と発明を解明す・23」にて詳細に解説したように、
対馬国から11番目の「伊邪国(いやこく)」と12番目の「都支国(たきこく)」は共に「男王の一大率(いちだいそつ)が住む伊都国(いとこく)国と女王・卑弥呼がすむ邪馬壱国(やまいこく)」を意味した。
下図に示したように、「伊都国」の【伊】の字源は「女性の生殖器の子宮で育つ胎児の胸をアゴにつける屈位(くつい)の姿勢」であった。
ゆえに、対馬国から13番目の「弥奴国(みなこく)・尾張」と14番目の「好古都国(こかたこく)・参河」は、共に上図の【参】の金文形が示す「女性の生殖器官に関する秘密」をあらわしていたと考えられる。
下図に示すように、「邪馬壱国」の【邪馬】は「出産児が産道入口に入り込んで産道を通過して誕生するまでの、出産児の頭蓋骨にある小泉門(しょうせんもん)・矢状縫合(やじょうほうごう)・大泉門(だいせんもん)の結合組織性(けつごうそしきせい)の膜(まく)が重ねあわせて【小斜径(しょうしゃけい)】となることができる仕組み」であった。
「邪馬壱国」の【壱】の字源は「女性の生殖器官の子宮や産道」である。
だから、「弥奴国・尾張と好古都国・参河の地宜」は、共に「女性の生殖器官にておきる秘密」をあらわしていたにちがいない。
◆前回のわがブログ「漢字の起源と発明を解明す・23」にて解説したように、
下図に示したように、対馬国から21番目の「鬼国(きこく)、旧国志摩(しま)の英虞湾(あごわん)の形」は「鷹(たか)の強い雛(ひな)が同じ巣で育つ弱い雛を餌(えさ)にして食べる弱肉強食の様子」に見立てられた。
下に「弥奴国・尾張と好古都国・参河の地宜」があらわした秘密「女性の生殖器官の正面形」を配した。
下図における「卵巣(らんそう)」と「卵管采(らんかいさい)と「卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)」が、
「弥奴国・尾張と好古都国・参河の地宜の秘密」であったことになる。
上図の「卵管采」は「人の指の形」に相似し、「卵管膨大部」は「人の5本指とつながる手の形」に相似する。
ゆえに、「卵管采は、卵巣(らんそう)を愛撫(あいぶ)するがごとくの形」をしている。
人の一生は女性の卵(らん)と男性の精子の合体からはじまる。
卵と精子の合体がおこなわれる場所は、一般的に卵管膨大部であるといわれている。
卵巣からでた卵は卵管膨大部で精子と合体する。これを「受精(じゅせい)」と呼ぶ。
そして、分裂をくりかえしながら、卵管膨大部とつながる卵管(らんかん)の中を子宮のほうへ移動していく。
およそ7日目ごろに、受精は子宮壁(しきゅうへき)に着床(ちゃくしょう)するといわれている。
着床が成功すれば、妊娠(にんしん)が成立したことになる。
女性の生殖器官と出産を研究した黄帝は、「卵巣あるいは卵管膨大部のいずれかの場所における、卵と精子が合体する受精のような仕組み」を想像し、
この「受精のような仕組み」を、黄帝は「左右の卵巣と卵管采・卵管膨大部・卵管と同じく二つ存在する」と推理したにちがいない。
そして、上記した「鬼国の英虞湾の形状」が示したように、
黄帝は「子宮壁に着床する際、強い受精が弱い受精を餌にして食べて死滅させる」と考えたであろう。
だから、黄帝は「人の子は、一般的に一人で誕生する」と考えたことになる。
黄帝は「双子で生まれるのは、着床の際に、受精の仕組みの弱肉強食がおこらないからである」と考え、また「双子以上の多産も、着床の際に、受精の仕組みの弱肉強食がおきないのが原因」と考えたであろう。
卑弥呼も、黄帝の同様な考え方をしたと推測される。
◆下に、「好古都国(こかたこく)」の【好(こう)】の字源銀河と契文形(けいぶんけい・殷代後半の甲骨文字の字形)を示した。
【好】の契文形について、白川静著『字統』は、下記のごとく解説する。
「女は母の形に作り、あるいは子を抱く形につくるものであって、婦人がその子女を愛好することを示す字である。」
ゆえに、下図に示すように【好】の字における【女】の字源は「十字の銀河」、【子】の字源は「鬼の姿に似る銀河」であった。
それゆえ、「十字の銀河の右腕(西側の腕)と子宮から鬼の姿に似る銀河の頭に垂れる2本の帯状の銀河」は「母親の両手が子女の頭を撫(な)でで愛好する(可愛がる)様子」をあらわす。
上図の「母親の両手が子女の頭を撫(な)でで愛好する(可愛がる)様子」は、前ページにて「女性の生殖器官の正面形の図」をもって説明した「卵管膨大部・卵管が卵巣を愛撫(あいぶ)するがごとくの形状」と合致する。
下に、「現在方位にもとづく、上南・下北の弥奴国・尾張と好古都国・参河の地宜」を示した。
結局、前述したように、「現在の愛知県西部、旧国の尾張の地宜」を「熱烈な求愛ダンスをして繁殖(はんしょく)する【弥】・カンムリカイツブリのオスが【奴】・強大な力で水面に垂直状に立つ姿勢」に見立てて、
卑弥呼は「現在の愛知県西部の、旧国の尾張」の小国名を「弥奴国」と定めた。
また、卑弥呼は「旧国の尾張の知多半島(ちたはんとう)の地宜(ちぎ)」を「女性生殖器の卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)・卵管(らんかん)と卵巣(らんそう)」のいずれか――その形状からして、多分(たぶん)、「卵管膨大部・卵管」に相当すると解釈したと考えられる。
この解釈にもとづいて、卑弥呼は「知多半島の北部・尾張の陸地」を「卵管膨大部・卵管とつながる子宮」に見立てたことになる。
卑弥呼は上図の「現在の愛知県東部の、参河の地宜」は前ページに配した「【好】の字源銀河の形状」に適合すると考えて、「参河」の小国名を「好古都国(こかたこく)」と決めた。
また、卑弥呼は「参河の渥美半島(あつみはんとう)の地宜」を、多分、その形状から「女性生殖器官における卵巣(らんそう)」に見立てて、
そして、「渥美半島の北部・参河の陸地」を「卵巣とつながる子宮」と解した。
以上のような考えならば、「弥奴国・尾張と好古都国・参河」は共に「女性の生殖器での受精の出来事(秘密)」をあらわすことになる。
ゆえに、「弥奴国・尾張と好古都国・参河」は共に「【倭】の字源における女性グループ」に組する小国となる。
「好古都国」の「古都」は「中国南部の呉地の杭州市(こうしゅうし)」をあらわしたと考えられる。
杭州市は浙江省(せっこうしょう)の首都、銭塘江(せんとうこう)の北岸に所在し、物産豊かな美しい都市である。
紀元前221年に秦(しん)が杭州市に銭塘県(せんとうけん)を置いて以来、約2200年の歴史が続いた。
杭州市の西側に所在する西湖(さいこ)は四季折々に美しく、杭州のシンボルとも絶賛される存在である。
下図に示すように、【倭】の字源となる「十字の銀河」は「女体(にょたい)」に相似し、
「十字の銀河の腰」には「女性の生殖器器官の子宮に相当する銀河部」がある。
下図に示したように、杭州市のシンボル的存在の「西湖の地宜」は「十字の銀河の子宮の形」に相似する。
上図の「西湖の地宜の天地(上下)を逆さにした形」は「虞美人草(ぐぶじんそう)の実の形」に相似する。「虞美人草」は「ケシ科の越年草」である。
ゆえに、「虞美人草の実」は「ケシの実の形」に相似するゆえ、結局、「西湖の形」にも相似する。
上記したように、紀元前221年に秦が杭州市に銭塘県を設置した。
この秦の末期(紀元前3世紀)に生存した武将の項羽(こうう)の愛人の名が「虞美人」であり、
虞美人の墓に生えて出したという伝説の「ヒナゲシ」を「虞美人草」と呼んだ。
卑弥呼は、約400年前の項羽と虞美人との恋愛を想像して、
(1)「尾張」の小国名「弥奴国」の由来となった「カンムリカイツブリのオスがメスと交わす熱烈な求愛ダンス」を「項羽が熱愛した虞美人への情熱」に見立て、
(2)「杭州湾の西側に所在する西湖の形」は「虞美人草(ヒナゲシ)の実の形」に相似すると見立て、
(3)「遠江の浜名湖の地宜をヒナゲシの花の形」に相似すると見立てて、
卑弥呼は「遠江」に隣接する「参河」の小国名において、「杭州市」を「古都」とあらわすことにした。
だから、「好古都国」の【古都】は参河に隣接する遠江の浜名湖の地宜と共通する「女性の生殖器官の子宮の形をした西湖(さいこ)が所在する、杭州市」であった。
そして、上記したように「好古都国(こかたこく)」という小国名の【好】の字は「女性の生殖器官の子宮、子宮とつながる卵巣(らんそう)」をあらわした。
つまり、卑弥呼は「渥美半島が【好】の字の卵巣」に、「渥美半島より北部の陸地」は「子宮」に見立てた。
ゆえに、「現在の愛知県東部の、旧国の参河」の小国名を、卑弥呼は「好古都国」と定めたことになる。
◆上記したように、「旧国の参河」の小国名における「古都」は「杭州市」であった。
杭州市は、杭州湾河口の近くの西側に所在する。
「杭州市の東にある杭州湾」は「不呼(ふこ)」をあらわす。
「不呼」は、対馬国から14番目の「好古都国(こかたこく)・参河」の次の隣国である15番目の「現在の静岡県西部、旧国の遠江(とおとうみ)」の小国名をあらわした。
白川静著『字統』(平凡社発行)は、「不呼国(ふここく)」の【不】の字源について「もと象形(しょうけい)で花の萼拊(がくふ)の形である」と解説する。
つまり、わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・17」にて解説したように、
【不】の字源は「花弁が輪状(わじょう)に集まる花冠(かかん)を支える台(うてな・萼拊)と、女性の生殖器官の産道は同じ役割ではない」と否定・打消しをあらわす「ず」であった。
「字書の聖典」とたたえられる『説文解字』は、【呼】の字源を「息を外(は)くなり」と解説する。
下に、「上東・下西の杭州湾の地宜」を示した。
この「杭州湾の地宜」を卑弥呼は「ヒナゲシの花の形に相似する」と見立て、「銭塘江(せんとうこう)の河口に近い杭州湾の西岸」を「花の台(うてな)の形に相似する」と見立てた。
ゆえに、「杭州湾の西岸」が【不】の字源をあらわすことになった。
「銭塘江の水は杭州湾の西岸へ外(は)かれて流れこむ」。
ゆえに、「杭州湾の西岸」は『説文解字』の【呼】の字源をあらわすことになった。
だから、「【不】と【呼】の杭州湾」は「不呼」という「静岡県西部の、遠江の小国名」をあらわした。
◆上記したように、白川静著『字統』は【不】の字源を「もと花の萼拊(がくふ)である」と解説する。
下の上図「女性の生殖器官の正面形」における「卵管采(らんかんさい)と卵管の役割」は、
下の下図の「花の生殖器官図」における「花粉をめしべにつける、花のおしべと花糸(かし)の役割」に類似する。
また、上図の「子宮の役割」は下図の「子房(しぼう)の役割」に類似すると見立てられた。
しかし、上図の「女性の生殖器官」における「出産児が通過する産道の役割」と、下図の「花の生殖器官図」における「花弁を輪状に集める花冠(かかん)をささえる台となる、萼拊(がくふ)の役割」は類似せず両者はたがいに異なる役割を有する。
この「出産児が通過する産道と花の台(うてな・萼拊)の役割は同じでは非(あら)ず」という否定・打消しをあらわして、「不呼国」の【不】の字源・字義となった。
このため、【不】の契文(けいぶん)と金文の字形は「花の台(うてな)」を表現する図案となった。
ゆえに、白川静著『字統』は、【不】の字源を「もと象形で花の萼拊(がくふ)の形である」と解説した。
「遠江」は「都から遠い静岡県西部に所在する浜名湖」を意味した。
下に図示したように、「卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)の浜名湖」は遠州灘(えんしゅうなだ)とつながっていなかった。
「現在の浜名湖」は遠州灘とつながる汽水湖(きすいこ)である。
下図に示したように解釈すると、「卑弥呼時代と現在の浜名湖の地宜」は「花の形」に類似する。
下図に右下の「浜名湖の支湖の、引佐細江(いなさほそえ)」は「花の萼拊(がくふ)、つまり花の台(うてな)」に相当する。
上記したように、「花の台」は【不】の字源である。
前述したように、上図の「浜名湖の形」を、卑弥呼は「虞美人草・ヒナゲシの花の形に相似する」と見立てた。
上記したように、『説文解字』は「不呼国」の【呼】の字源を「息を外(は)くなり」と解説する。
下に、【不】の字源「花の台」となる「浜名湖の支湖の、引佐細江(いなさほそえ)」とその周辺の地宜を示した。
下の右側の「大崎半島の付け根から都田川(みやこだがわ)の河口まで」が「人の横顔」に相似するゆえ、「引佐細江」は「人が息を外く口(くち)」のごとくに観える。
ゆえに、【不】の「花の台」となる「引佐細江」は【呼】の字源をも示すことになった。
なお、「都田川の水は土砂を運んで引佐細江に吐(は)く(息を外く)」ゆえ、「都田川の河口と引佐細江」もまた【呼】の字源をあらわした。
下の左側の「村櫛半島(むらくしはんとう)の地宜」は「人の長い横顔」に相似するゆえ、「舘山寺(かんざんじ)東方の内浦(うちうら)」も「息を外くなり」の【呼】の字源をあらわす。
「内浦の北となりの地宜」は「鳥の頭と翼の形」に相似する。ゆえに、【不】の「鳥飛んで上翔(じょうしょう)する。下(くだ)り来(こ)らざるなり」という否定・打消しの「ず」をあらわすことになった。
下図の「浜名湖と支湖・引佐細江(いなさほそえ)」が示す【不】と【呼】の地宜にもとづいて、
卑弥呼は「遠江」を「不呼国」という小国名に定めた。
◆わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・17」にて詳細に解説して証明したように、
『古事記』上巻の「天照大御神と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約説話の末部は
「九州の宗像(むなかた)地方の男王の天菩比命(あめのほひのみこと)には七人の副官・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)が従っていた」と説明する。
「宗像王の天菩比命」は、『魏志倭人伝』に登場する「外相(外務大臣)の難升米(なしめ)」であった。
「不弥(ふみ)国・宗像地方の王・難升米(天菩比命)は「精密な中国海岸線地図を知っている、精密な地図を作製する長官」であった。
『古事記』上巻の「天照大御神と須佐之男命の誓約説話」の末部は
「難升米(天菩比命)に従う七人目の副官」は「遠江国造(とおとうみのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらどりのみこと)であった」と記す。
遠江の豪族の建比良鳥命とその一族は「遠江」の小国名は「不呼国(ふここく)」であったことを明確に示す「1千万坪の大鳥の地上絵(地図)」を作製した。
この「1千万坪の大鳥の地上絵(地図)」は、『三国志』魏書東夷伝末部の通称『魏志倭人伝』の成立時代(280年~289年)と同時代の260年頃から着手され、約30年後の290年頃に完成した。
『魏志倭人伝』に記述された最終年は「250年頃」と推定されるゆえ、「遠江の1千万坪の大鳥の地上絵の作製」は、『魏志倭人伝』が成立した直後の10年後には早くも着手されていたことになる。
現在まで、卑弥呼の地上絵内(細江町内)の7ヵ所の遺跡から9口の銅鐸(どうたく)が出土している。
この銅鐸を天頂緯度の測定と三角土地測量使用して、ちょうど1千万坪にする卑弥呼の地上絵が作製されたと考えられる。
卑弥呼の地上絵内から出土した9口の近畿式・三遠式(さんえんしき)銅鐸の製作・使用年代は、260年~290年頃と推定されている。
ゆえに、前述したように、卑弥呼の地上絵は260年頃~290年頃に作製されたことになる。
「長官の難升米が居住する不弥国・宗像地方」と「副官の建比良鳥が居住した不呼国・遠江」の【不】の字源は共に「鳥の【弥】・カンムリカイツブリが飛んで上翔し、下り来らざるなり(地上に下りて来ない)」という否定・打消しの「ず」である。
下に、遠江の建比良鳥命とその一族が作製した、
現在の静岡県西部の遠江の一画の浜松市浜名区細江(ほそえ)町の行政区画を表示する地図を配した。
細江町の面積はちょうど1千万坪(33.9km2)である。
かつては、1989年(平成元年)頃の細江町は「静岡県引佐郡細江町」であり、つぎに細江町は「静岡県浜松市北区細江町」と変わり、現在は「静岡県浜松市浜名区細江町」である。
現在の地図帳には下の地図は消滅しているかもしれないが、
細江町が「引佐郡細江町」あるいは「浜松市北区細江町」であった、つい最近までは、下に示した「1千万坪の細江町の地図」は地図帳に存在していた。
わたくしは、下の「1千万坪の細江町の地図」を「卑弥呼の地上絵」あるいは「建比良鳥の地上絵」と呼ぶことにした。
◆下図における中央の「卑弥呼の地上絵における、都田川(みやこだがわ)流域の沖積平野(ちゅうせきへいや)の地宜」は「子宮で育つ胎児の姿」に相似する。
ゆえに、「都田川流域の沖積平野は、胎児が育つ子宮や胎児が成長して通過する産道にも相似する」。
上図の「都田川流域の沖積平野」は「「浜名湖の支湖の、引佐細江に上流からの土砂と水を外(は)く」。
だから、前ページに示した(1)「【不呼】となる引佐細江周辺の地宜」と、
(2)「都田川流域の沖積平野の地宜」にもとづいて、
卑弥呼は「現在の静岡県西部の、旧国の遠江」の小国名を「不呼国」と決めたことになる。
わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・17」において、
(2)「都田川流域の沖積平野の地宜」については解説しなかった。
というのも、
(1)「【不呼】となる引佐細江周辺の地宜」のあとに、(2)「都田川流域の沖積平野の地宜」について続いて解説すると、
卑弥呼が「遠江の小国名」を「不呼国」と定めたことが明確となって、
建比良鳥命とその一族が「不呼国」という小国名を明確に示した「1千万坪の卑弥呼の地上絵の作製」について説明する必要が無くなると考えたからである。
「不弥国の難升米(天菩比命)」と「不呼国の建比良鳥命」との「精密な中国海岸線地図を知っている、精密な地図を作製する役職の長官と副官の関係」が明確になるように説明するために、
(1)「【不呼】となる引佐細江周辺の地宜」に続いて、(2)「都田川流域の沖積平野の地宜」について解説しなかったのである。
◆わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・16」にて解説したように、「不呼国」の【呼】の字源は「鳰(にお・カイツブリ)」であった。
この世に生まれた人は1時間も水中に潜(もぐ)ったままだと窒息(ちっそく)して確実に死ぬ。
女性の生殖器官と出産を研究した黄帝は、長い月日、羊水の中で生活する胎児がなぜ窒息(ちっそく)して死なないのか? この秘密が解明できなかった。
それゆえ、倉頡は、カイツブリ目最小の「鳰(カイツブリ)」で、「水中(羊水)生活者の胎児」に喩(たと)えることを思いついた。
鳰(にお)の全長は25㎝~29㎝である。
第12週~第20週の胎児の体長は20㎝~30㎝くらいである。
鳰は湖や沼や川に浮かんで、頻繁(ひんぱん)に水に潜り、陸上で生活することはほとんどない。
鳰の体は水の生活に適している。鳰は小さい体にもかかわらず、人間よりもずっと長く水中に潜っていることができる。
だから、倉頡(そうきつ)は「鳰」で「長いあいだ、母体の子宮の羊水の中で潜ったまま、息を外(は)きつづけて羊水を吸いこまずに窒息死しない胎児」に喩(たと)えることにした。
倉頡は【乎(こ)】の字を作って(1)「羊水の中に潜って息を外(は)きつづける小さな胎児」と、(2)「鳰(にお)」の両者をあらわすことにした。
しかし、後世、【乎】は字源を失って「よぶ」と意味する文字としてもっぱら用いられるようになった。
このため、偏【口】に【乎】を加える【呼】の字が「長いあいだ羊水の中に潜っても、窒息死しない小さな胎児」と「鳰」をあらわすことになった。
下に、前ページにて取り上げた「【不呼】をあらわした上東・下西にした杭州湾の地宜」を、
「上南・下北に改めた杭州湾の地宜」を配した。
下図が示すように、「杭州湾の地宜」は「鳰の姿」に相似して、【呼】の字源をあらわす。
下図における「卑弥呼の地上絵の〔翼〕と記した境界線」は【不】の字源「鳥・(【弥】のカンムリカイツブリ)が飛んで上翔(じょうしょう)し、下り来らざるなり」と否定・打消しの「ず」の形状をあらわす。
また、下図における左下の「引佐町(浜名区)の金指(かなさし)地区と井伊谷(いいのや)地区の地宜」は【呼】の字源「鳰の横顔と浮巣(うきす)の形」に設計されている。
だから、「1千万坪の卑弥呼の地上絵」は【不】と【呼】の字源を明確に示すゆえ、「遠江は不呼国であった」と確信できる。
下に示したように、卑弥呼の地上絵の北に隣接する「浜松市浜名区引佐町の金指地区と井伊谷地区の地宜」は【呼】の字源「鳰の横顔と浮巣の形」となる。
◆下に、卑弥呼の地上絵における「経緯度原点のA地点と、滝峯不動尊(たきみねふどうそん)と八幡宮の3地点を結ぶ大三角形」を表示した。
この「大三角形」の基(もと)に三角形の網や鎖(くさり)を形作って、その頂に三角点を埋設し、1千万坪の卑弥呼の地上絵が作製された。
当時は現在のように、短期間で精密に地宜を作成できる光波測距儀(こうはそくきょぎ)による三角測量が行うことができなかった。
ゆえに、地図作製係の副官・建比良鳥命(たけひらどりのみこと)とその一族は260年頃から着手して、およそ30年もの長い年月を費やして290年頃に、卑弥呼の地上絵を完成させたことになる。
上図の「大三角形を表示する卑弥呼の地上絵」は、
紀元前2050年頃の夏代黎明期(かだいれいめいき)に男鹿半島・八郎潟の偏(ほとり)に定住して、中国にて200年~250年間、
「虞(ぐ)」の重職に従事していた益氏の王子一行がもたらした「精密な中国海岸線地図と、精密な地図作製方法」をあらわしている。
前ページで説明したように、また下図に示すように、「その額(ひたい)に北天の最輝部がある、人の横顔に酷似する銀河」を
「はくちょう座のε・γ・δ・βの4つの星が三角形状に包囲する」。
上図における北天の最輝部を三角形状に包囲する4つの星のうちの「はくちょう座のγ星」をのぞく、
「はくちょう座のε・δ・βの3つの星は三角形を形成する」。
この「三角形」を注目して、黄帝王朝は「精密な地図作製方法」を考案したと考えられる。
前述したように、「三角形に包囲される、北天の最輝部」は【不」と【弥】の字源となった。
上図の「卑弥呼の地上絵における大鳥の頭部(横顔)」は「不弥国(ふみこく)の津屋崎町の海岸線の形」に設計されている。
だから、上図の「卑弥呼の地上絵における大三角形」は益氏(えきし)がもたらした「精密な中国海岸線地図と、精密な地図作製方法」をあらわしていることになる。
◆下に、「夏の銀河における〔鳥〕の形の解説図」を配した。
「鬼の姿に似る銀河」は「生子(せいし・出産児)」に見立てられ、「北アメリカ星雲」は「象の横顔と鼻の形」に相似すると見立てられた。
下に、「北アメリカ星雲」を「象の横顔と鼻の形に相似する」と見立てて成立した【為】の字源解説図を示した。
下図の右下の【為】の契文形(けいぶんけい・甲骨文字の字形)は「象の顔・鼻・胴体」を図案する。
わがブログ「漢字の起源と発明を解明す・18」における「投馬国(とうまこく)」の解説では、「北アメリカ星雲」は「ジャコウウシの横顔」に見立てられた。
「象」と「ジャコウウシ」のどちらも「強大な力の持ち主」で共通する。
下図に示したように、「卑弥呼の地上絵」は「大鳥・生子(出産児)・象の横顔と鼻の三要素」から構成されている。
下図に示したように、卑弥呼の地上絵は「象が引佐細江から吸い込んだ水をはきだす強大な力」で「【弥】のカンムリカイツブリの頭が〔南〕から〔東〕へ移動する(転回する)仕掛け」になっている。
下に示したように、〔南(西南)〕にある【弥】の「カンムリカイツブリ」の頭を〔東〕へ移動する卑弥呼の地上絵」は、下の左図が示すように「中国全土を洩れなく包みこむ海岸線地図」をあらわす。
ゆえに、下図が明確に示しているように、卑弥呼の地上絵を作成した遠江の豪族の建比良鳥命は、精密な中国海岸線地図を知っている不弥国・宗像地方の王の難升米(なしめ・天菩比命)に従う、
七人の副官・建比良鳥命のうちの一人であったことになる。
なぜ、上図に示した【弥】の「〔南(西南)〕あるカンムリカイツブリの頭を〔東〕へ移動する仕掛け」が必要となったかと言えば――
「卑弥呼の地上絵」は国家と王朝が独占管理して最も厳重な機密とした【倉頡の文字作成理論】を表示するものであったからである。
多くの人々が「卑弥呼の地上絵」は最も重大な王朝お国家機密の【倉頡の文字作成理論を暴露(ばくろ)する大罪(たいざい)】を犯(おか)していることが容易に気づくような形に設計すると、たちまち噂(うわさ)になって大騒ぎになって時の天照大御神・大和王朝に報告されて、
建比良鳥命とその家族および一族全員、即刻(そっこく)死刑となる。
当時、強大な権力と武力を誇示(こじ)して人民を弾圧(だんあつ)する天照大御神・大和王朝が反逆分子たちを敵視・抹殺(まっさつ)して国家統一を目指していた。
この天照大御神・大和王朝の強行政策を憎悪した遠江の建比良鳥命と一族は、
子々孫々・後世まで大和王朝の人民を弾圧した横暴な歴史を語り受け継ぐために卑弥呼の地上絵の作成を決意した。
そして、卑弥呼の地上絵の作成途中の280年~290年ころになると――
人民を愛(いつく)しむ政治をおこなっていた邪馬壱国・出雲王権の大国主命(おおくにぬしのみこと)を敵視して、
天照大御神・大和王朝は武力で出雲王権を討伐し滅亡しようとしていた。
このように、当時は、反逆する勢力を武力で徹底的に滅亡させる天照大御神・大和王朝が天下を治めていたため、
卑弥呼の地上絵は一目(ひとめ)で【倉頡の文字作成理論】をあらわす地図であると察知できないように――工夫(くふう)を加えて得体(えたい)の知れない形にする必要があったのである。
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