G-T0XYQT12LL ピラミッド: 卑弥呼の逆襲

ピラミッド

2015年12月29日 (火)

古代エジプト文字の字源・27

 なぜ「糞ころがし」は太陽神のシンボルとされて崇拝されたか
 
◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズは一貫して、前回(26)まで私が「文字作成銀河」と呼ぶ銀河範囲の各部の形から古代エジプト文字(ヒエログリフ)が作られた事実を証明してきた。この「文字作成銀河」の写真は下に掲載した。
Ginga
 
 前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・26」において――世界中の古代王朝は〔文字が銀河から作られた学術〕をもって起源し、この学術を権力基盤とした。そして、この文字の学術が反体制側の人々が習得して革命に利用すると容易に王朝が崩壊することに気づき、世界中の古代王朝は一様に〔文字が銀河から作られた学術〕を最も厳重な機密にした。また、この学術を手に入れて革命に成功して樹立された王朝も、前王朝を見倣(なら)って文字の学術を厳重な機密とした。このように〔文字が銀河から作られた事実〕は世界単一的に厳重な機密となり、文字が銀河から作られた学術が反体制側の人々に容易に習得されないための方法として、世界の古代王朝は「文字作成銀河」の各部に名称を付けなかった。この歴史の名残(なご)りが現在も存続して、世界中探しても文字となった銀河各部には名称が存在しない――と指摘した。
 これゆえ、私は下のごとく文字作成銀河の各部の名称を定めた。
Photo_2
(C) 2015 OHKAWA
 

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズでは幾度となく――古代エジプト神話には文字を作って字数を増やす役目があり、また上掲した文字作成銀河は作った文字やことば()を知ることができる字書・辞典の役割を有した――ことを証明してきた。
 古代エジプトでは、小さな虫の「タマオシコガネ」つまり俗称「糞(ふん)ころがし」が、神々の中で最も位(くらい)の高い太陽神のシンボルとされた。糞ころがしは、動物の糞を球状に丸めて転がし、そこに卵を産みつけるという習性をもつ。このような奇妙な虫が、古代エジプトにおいていったいなぜ崇拝され、お守りや印章の図案として用いられてたいへん人気のあるシンボルであったのか、この謎は解明されていない。というのも、この謎は〔すべてのヒエログリフが文字作成銀河から作られ事実〕に起因するものであったからである。けれども、〔ヒエログリフは銀河から作られた事実〕を学者や研究者たちはまったく気づいていないので、この秘密は未解明の謎となったのである。
 A図に糞ころがしのヒエログリフを示した。このヒエログリフの発音は〈ケペル〉であり、「スカラベ(糞ころがし)」を意味する〈ケペレル〉を構成する単語の中の決定詞となった。
E931
(C) 2015 OHKAWA
 
 エジプトの北限はナイル川河口北端の北緯3138分であり、南限は北緯2138分~北緯22度である。このエジプト全土の天頂を通過する銀河は上掲した写真と銀河各部の名称図に示した「秋の銀河」と「夏の銀河の東北部」であり、この天頂付近にめぐってきた銀河範囲の形状を古代エジプト人たちは「スカラベ(糞ころがし)」に相似すると見立てた。
 今から5100年前ころ、エジプト第1王朝が始まる少し前に、ヒエログリフは、突然、ほとんど完成された状態で出現した。第1王朝(紀元前2920-同2770)から第6王朝(紀元前2323-同2150)までの今から約5000年前から約4000年前の都を、北緯30度のメンフィスと定めた。
 〔歳差(さいさ)〕という天文現象を利用すると、B図に示すように、今から6000年前から4000年前の第6王朝時代までの北緯30度・メンフィスの天頂緯度線を表示することができる。
E932
(C) 2015 OHKAWA
 
 上のB図に図示した銀河の範囲は、「糞ころがし」に見立てられた「秋の銀河・夏の銀河の東北部」となる(注 上掲した銀河各部の名称図の上半分)

◆A図の「糞ころがし」のヒエログリフは、中央に頭・羽を有する胴体を描く。糞ころがしの頭には、〔太陽の光線のように観える鋸(のこぎり)状のギザギザ〕がある。
E933

(C) 2015 OHKAWA
 
   上のC図に示すように、「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河の隣の銀河」は〔糞ころがしの前の両足〕に見立てられた。
 また、「鬼の姿に似る銀河」と「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔太陽光線のように観える鋸状のギザギザ〕に相当する。
 
 そして「わし座α星(アルタイル)=彦星より北側の銀河」と「人の横顔に酷似する銀河の胸部に観える銀河部」が、〔糞ころがしの後ろの両足〕のような形をしている。
 結局、C図に示す「糞ころがしに似る銀河」は、「秋の銀河・夏の銀河の東北部」となる。この「糞ころがしに似る銀河」は、現在においてもエジプト全土(北緯2138分~北緯3135)の天頂付近(高度70度~高度90度の天頂)にめぐってくる。
 ところが、日本列島においても6000年前から現在まで、古代エジプト人たちが〔糞ころがしの姿に観えると見立てた銀河〕は天頂付近にめぐってきた。にもかかわらず、いったいどうしてわが国では〔糞ころがし〕を最高位の太陽神のシンボルとしなかったのであろうか。
 わがブログ「古代エジプト文字の字源」の19回・20回で証明したように、D図左上に示したガーディナーのリスト「M5」の「太陽円盤」のヒエログリフの字源は「はくちょう座γ星とこの星を円形に囲む銀河部」であった。
E934

(C) 2015 OHKAWA
 
 わがブログ「古代エジプト文字の字源・23」で証明したように、D図左下のガーディナーのリスト「M8」の「光線を発する太陽円盤」のヒエログリフの字源は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と隣接する3本の放射線の銀河部」であった。
 D図左側の中央のガーディナーのリスト「M6」の「聖なるコブラがついた太陽円盤」のヒエログリフの字源は、D図中央図上部の「鬼の姿に似る銀河」である。D図右上のガーディナーのリスト「I12」の〈イアルト〉と発音するヒエログリフとなった「聖なるコブラ」をあらわす「ウラエウス」という呼称の語源となったギリシア語は、「立ち上がる女」をあらわすエジプト語であったと指摘される。「鬼の姿に似る銀河」は「立ち上がる女」に見立てられ、また「鬼の姿に似る銀河の後頭部とアゴにつく両目」は「コブラの両目」のごとく鋭い。だから、「聖なるコブラがついた太陽円盤」の字源は「鬼の姿に似る銀河」であった。
 A図の「糞ころがし」のヒエログリフにおける「太陽の光線のごとくに観える鋸状のギザギザ」の部分は、C図に示す「聖なるコブラがついた太陽円盤」の字源「鬼の姿に似る銀河」と「光線を発する太陽円盤」の字源「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」であった。ゆえに、「糞ころがし」は神々の中で最高位の太陽神のシンボルとなったのである。
 というのも、銀河各部の形状は立体形には見えず平面形の状態で見えるゆえ、糞ころがしが転がす球体の糞は太陽円盤の円形となるからである。また、D図右側中央の太陽円盤が加わるコブラはヒエログリフが出現する以前から、太陽と結びつけられていた。また、主だった神々はほとんどが太陽と関わりを有していた。太陽はホルス神と同一視されて崇拝され、わがブログ「古代エジプト文字の字源」の22回と23回で証明したように、「ホルス神」はD図右下の太陽円盤となった「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」から創造された。ゆえに、糞ころがし(スカラベ)もまた太陽と結びつけられることになったのである。

◆マリア・カルメラ・ベトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエオログリフ事典』(創元社)116頁は古代エジプトのスカラベ(糞ころがし)への思いを、紀元前12世紀に生存したローマ帝政期の文人・プルタルコが下記のごとく述べていると解説する。
 「彼らによるとスカラベにメスはいない。すべてはオスで、球形に丸めたある種の物資に精子をまき、天空を横切る太陽をまねて、その球を転がして歩くという」。
 わがブログ「古代エジプト文字の字源・7」において、E図に示すように、〈メト〉と発音する「男根」のヒエログリフの字源は「夏の銀河の西南部と彦星・わし座α星までの銀河」であることを証明した。
E941
(C)2015 OHKAWA

 F図に示すように、「夏の銀河の西南部」は〔球形の糞とスカラベ・糞ころがしの姿(側身形)〕に相似する。
E942

   E図の「男根」のヒエログリフの字源においては、「夏の銀河の西南部」は〔男根の精巣(せいそう)を包む陰嚢(いんのう)〕に見立てられた。ゆえに、〔球形の糞とスカラベの姿〕に観える「夏の銀河の西南部」の形状にもとづいて、古代エジプト人たちは「スカラベにメスはいなく、すべてオスで、球形に丸めたある種の物質に精子をまき、天空を横切る太陽にまねて、その球を転がして歩く」と考えるようになったのである。
 それというのも、「夏の銀河の西南部」には「黄道の大円の一部」が存在したからである。
 「黄道」は「太陽が天球上を一年間に通過する大きな円形の道」である。
 6000年前には、「夏の銀河の西南部」には922日~111日までの天球上の太陽の位置を示す黄道の円弧(カーブ)が存在した。5000年前には「夏の銀河の西南部」には1011日~1118日までの太陽の位置を示す黄道の円弧があった。4000年前には「夏の銀河の西南部」を1022日~1128日までの太陽の位置をあらわす黄道の目盛りが存在することになった。現在は、128日~18日までの太陽の位置を示す黄道の円弧がある。
 このように6000年以来現在まで、「夏の銀河の西南部」には太陽が位置する黄道の大円の一部の円弧が存在した。したがって、古代エジプト人たちは球形の糞に卵を産みつける糞ころがしの生態について「球形に丸めたある種の物質に精子をまき、天空を横切る太陽にまねて、その球を転がして歩く」と考えたのである。
 以上のごとく、古代エジプトでは「秋の銀河・夏の銀河の東北部と夏の銀河の西南部」で構成される「文字作成銀河」を〔糞ころがしの姿〕に見立てていたことになる。
 だから、初頭部で指摘したように――文字作成銀河はヒエログリフ(文字)の字源やヒエログリフで構成されることば(単語)の語源を明確に知ることができる字書・辞典の役割を有するものであったことになる。

 
◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズは、今回をもって一区切りをつけて休止することにした。というのも、つい最近、静岡県沼津市東熊堂に所在する「高尾山(たかおさん)古墳」は東日本における最大で最古の古墳であることが発見されたからである。(注 「高尾山古墳」が東日本における最大で最古の古墳であることについては、インターネットのブログ「高尾山古墳」で調べていただきたい)
 わがブログ「古代エジプト文字の字源」の1回や2回で訴えたように、わが古代文字=ヒエログリフの研究目的は――「漢字」もまた〔文字作成銀河から作られた文字〕であり、わが国には今から約4050年前の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)には夏音(かおん)文字が伝来し、夏音文字は『魏志』倭人伝の「卑弥呼」はじめ人名・小国名・官職名として現存し、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く11音文字となって多数現存することになった――この事実を科学的に証明するためのものであった。というのも、ヒエログリフも漢字と同じく文字作成銀河から作られたと科学的に証明できれば、漢字が文字作成銀河から作成されたという解明とわが国に夏音文字が伝来したという解明は科学的に証明されて事実となるからである。
 中国の正史『新唐書』日本伝は――710年に中国に渡った日本国の遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習う(壬申の乱の後、稍々(やや)夏音文字を復興することにした)」と中国王朝に告げた――と記す。その10年後の712年に完成した『古事記』上巻の随所には、天照大御神・大和朝廷が後世に絶対に伝えてはならぬと厳重に禁じたタブーの歴史、つまり高尾山古墳周辺地域で〔愛〕を建国理念とすることを神に誓って日本国が誕生した淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚の歴史を伝えるために夏音文字が多数記載されることになった。
 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士は著書『字統』(平凡社)9頁終わりの2行目から10頁にかけて「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によって得られた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」と記載する。ゆえに、白川静博士は「中国で現存する上古音よりもわが国の『魏志』倭人伝や『古事記』上巻や『万葉集』などに残る字音のほうが古い字音である」と指摘していることになる。
 千賀四郎編集『日本古代史の旅3 邪馬台国』(小学館)30頁で――卑弥呼の発音について」と題する注で「卑弥呼の文字を中国漢字の上古音で読めば「ピミカ」になる――と指摘する。したがって、白川静著『字統』は中国に現存する最古の上古音の「ピミカ」よりも「ヒミコ」の字音のほうが古いと指摘するものとなる。
 「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む字音は今から約4050年前に伝来した夏音文字の字音である。秋田県鹿角(かづの)市に所在する後期縄文時代初頭のわが国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡には夏音文字の学術が伝来した痕跡(こんせき)が現在も明確に残る。学者たちは「卑弥呼」を「ヒミコ」と読むゆえ、夏音文字は確かに実在したことになる。
 わが国に現存することになった夏音文字は今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理「鳥獣の文(鳥獣の足跡ともいう)」を伝え、倉頡が定めた3つの掟を厳重に守る文字であった。倉頡は自らが考案した文字が最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、反体制側の人々が文字作成銀河から文字を作った学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易に滅亡すると考えた。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟を破った者には神罰が下されて即刻に死刑に処せられると定めた。
■倉頡が定めた3つの掟
1
 文字作成銀河の各部の形状から文字が作られた事実を暴露した者
2
 文字を容易に習得するために、文字作成銀河の各部に名称を付けた者
3
 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者

◆わが国では、上記の3番目の掟によって夏音文字は遺跡から出土しないことになった。しかし、約3300年前の殷代(いんだい)後半の甲骨文字以降中国では3番目の掟が破られてその後に出現した楷書は書いた文字を消せなくてもよい文字であったため、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻と日本建国の〔愛〕の理念を伝える『万葉集』などの古文献における夏音文字は楷書で表記されて現存することになった。
 わが国には夏音文字が書かれた資料は出土しないことになったが、先人たちは倉頡の3つの掟によって「文字作成銀河の各部の形状が字源・初文(最初の文字の字形)・原義」であった事実を後世の人々が科学的に知ることができる遺跡や遺物を下記のごとく複数作った。
 前述した(1)大湯環状列石、(2)260年~290年に作成された静岡県浜松市細江町の行政区域を表示する地図の形として現存する1千万坪の大鳥の地上絵、(3)京都市に所在する金閣寺の庭園、(4)京都市に所在する竜安寺(りょうあんじ)の石庭、(5)滋賀県彦根市の行政区域をあらわす地図の形として現存する1602年~1622年に徳川家康が命じて井伊氏彦根藩が作った3千万坪の大鳥の地上絵、(6)京都市に所在する徳川幕府に命令された小堀遠州が1623年~1645年までに作った桂離宮の庭園、(7)京都市に所在する江戸幕府が1655年頃~1659年に作った修学院離宮の上御茶屋(かみのおちゃや)の庭園、(8)1738年に定められた皇室の最大の神事である大嘗会(だいじょうえ)における天皇即位式に用いられる王冠の菅蓋(かんがい)の意匠、そして(9)最近に発見された230年頃から築造が着手されて250年頃に完成した静岡県沼津市東熊堂に所在する高尾山古墳などが、夏音文字が実在したことを証明できる遺跡や遺物である。これらの遺跡や遺物によって、()漢字は文字作成銀河から作られ、わが国には夏音文字は確かに伝来し、()夏音文字の遺跡・高尾山古墳は上記の8つの夏音文字の遺跡・遺物と直接的に結びついて『古事記』上巻の記事は〔愛〕の理念の基に建国された日本国誕生の真実の歴史を伝えるものであることを科学的に具体的に証明できる。したがって、()〔誤読〕を用いて夏音文字の学芸を抹殺した現在の学者たちが“絶対に間違っているはずがない”と断定・主張する1725年に没した新井白石がおこなった『魏志』倭人伝に関する考え方、1801年に没した本居宣長の『古事記』研究における両意見は〔完全なる誤読の産物〕であることが決定的事実となる。つまり、高尾山古墳によって『古事記』に記載された伊耶那岐命と伊耶那美命説話の記事はまるで1カ月前の出来事のごとく鮮烈によみがえらせることができる事態となった。
 ですから、日本人にとって最も大事な日本国誕生史の真実が白石以来の約290年間にわたる学者たちの〔誤読〕によって冤罪(えんざい)死刑されて抹殺されないために、〔誤読〕にひれ伏して奴隷と化す学者たちの空理空論に冤罪死刑にされて抹殺されないために、来年には真実の日本国誕生史の動画製作やブログ作成が1日でも早く私は着手しなければならないので、この「古代エジプト文字の字源」シリーズはいったん休止することにした。

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2015年12月27日 (日)

古代エジプト文字の字源・26

●「食道のついた心臓」と「マアト神」のヒエログリフの秘密

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズは一貫して、前回(25回)まで私が「文字作成銀河」と呼ぶ銀河範囲の各部の形から古代エジプト文字(ヒエログリフ)が作られた事実を証明してきた。この「文字作成銀河」の写真は「古代エジプト文字の字源・23」の冒頭に掲載した。
 世界中の古代王朝は〔文字が銀河から作られた学術〕をもって起源し、この学術を権力基盤とした。そして、この学術が反体制側の人々が習得して革命に利用すると容易に王朝は崩壊することに気付き心配して、世界中の古代王朝は一様に〔文字は銀河から作られた学術〕を最も厳重な機密にした。また、この学術を手に入れて革命が成功して樹立された王朝も、前王朝と同じく文字の学術を厳重な機密とした。このように〔文字が銀河から作られた事実〕は世界単一的に厳重な機密とし、文字が銀河から作られた学術が容易に習得されないために、世界の古代王朝は「文字作成銀河」の各部に名称を付けなかった。この歴史の名残(なご)りが現在まで存続し、世界中を探しても銀河各部には名称が存在しない。これゆえ、私は下のごとく文字作成銀河の各部の名称を定めた。
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(C) 2015 OHKAWA

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズでは幾度となく――古代エジプト神話には文字を作って字数を増やす役目があり、また上掲した文字作成銀河は作った文字やことば(語)を知ることができる字書・辞典の役割を有した――ことを証明してきた。
 アンドルー・ロビンソン著/片山陽子訳『文字の起源と歴史』(創元社)は107頁で――古代エジプト文字のヒエログリフが出現した紀元前3100年頃より以前であった前王朝期、すなわち王朝が始まる何世紀前から図案や記号が用いられていたことがわかっている。これらの図案には、王朝期のヒエログリフとひじょうに似ているものも、まったく同じものもある――と指摘し、前王朝期の「鍬(くわ)の絵は魂や心を表した」と指摘する。
 A図に示すように「十字の銀河」は〔人の立つ姿〕に相似し、その右足が踏む地面となる線は「鬼の姿に似る銀河」を、その左足が踏む地面となる線は国際天文学会が名づけた「北アメリカ星雲」を貫通する(上掲した「文字作成銀河の各部の名称図」の左上に「十字の銀河」「鬼の姿に似る銀河」「北アメリカ星雲」がある)。
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(C) 2015 OHKAWA

 リチャード・H・ウィルキンソン著/伊藤はるみ訳『図解古代エジプトシンボル事典』(原書房)は――古王国時代の『ピラミッド・テキスト』の第1394~5行は「大地は鍬で掘りおこされた。供物はささげられた……おおゲブ[大地の神]よ、汝の息子オシリスのために、口を開きたまえ」と記している――指摘する。
 わがブログ「古代エジプト文字の字源・19」で詳細に解説して証明したように、下のB図に示すように「大地の神のゲブ」は「鬼の横顔に似る銀河」から創造された。
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(C) 2015 OHKAWA

 わがブログ「古代エジプト文字の字源」は19回以来前回(25回)までに、C図に示す「人の横顔に酷似する銀河」から「オシリス神」が創造されたことを証明してきた。
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(C) 2015 OHKAWA 
 
 C図右側の図に示すように「人の横顔に酷似する銀河の口」の東隣には〔オシリス神が口を開けて呼吸する息〕に観える「生命の息の星屑」と記した星屑の群れがある。この「生命の息の星屑」の上にある「星屑」は、C図左上の「生命(いのち)」をあらわす記号の〈アンク〉の字源・字形・字義となった。だから、上記した『ピラミッド・テキスト』の第1394~5行の中にある「おおゲブ[大地の神]よ、汝の息子のために、口を開きたまえ」という文は――〔口を少し開けて息を呼吸するオシリス神の「生命の息の星屑」〕と「生命」の記号の〈アンク〉の星屑が永遠に存続して〔鍬〕すなわち農作物の不作や飢饉で地上からエジプトの人々が息絶えて絶滅しないように、「ゲブ[大地の神]」が創造された「口を大きく開く鬼の横顔に似る銀河」に向かって“永遠に口を閉じずに開けているように!”と祈願するものであったことになる。
 A図に示したように、「十字の銀河の左右の足」が踏む「大地」(地面)は「大地の神のゲブ」が創造された「鬼の横顔に似る銀河」と「鬼の身に相当する銀河」からなる。つまり、A図の「鬼の姿に似る銀河」は「鬼の横顔に似る銀河」と「鬼の身に相当する銀河」とで構成される。だから、A図の「十字の銀河の左右の足」からの延長線が貫通する「鬼の姿に似る銀河」は〔地面。土地〕に見立てられたことになる。
 したがって、前王朝期においては、D図に示すように「十字の銀河の下半身」が〔鍬〕の絵のモデルであったと考えられる。
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(C) 2015 OHKAWA

 というのも、「十字の銀河の下半身」は「鍬」のヒエログリフの字形に相似し、その足元の部分は〔地面〕に相当し、またその両足のすぐ近くに〔地面を泥のようにやわらかくして原始的な木製の鍬でも耕作や開墾が容易にできて豊かな実りをもたらしたナイル川の洪水〕に見立てられた「激流の銀河」が存在するからである。
 また、上記したように前王朝期の〔鍬〕の絵は「魂や心」をあらわしたゆえ、A図に示したように「鬼の姿に似る銀河」を〔地面。土地。農地〕に見立てたことになる。

◆A図を90度転回すると、E図のごとくになる。
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(C) 2015 OHKAWA

 上のE図に示すように、「鬼の横顔に似る銀河の舌」は「十字の銀河の右足」をなめるかのごとく見え、その右足の地面となる線は農作物(食べ物)を食べる口を貫通し、さらにその線は延びて「鬼の姿に似る銀河の〔心臓部分〕」を貫(つらぬ)く。「十字の銀河の左足」の〔地面〕となる線は、「北アメリカ星雲」の中央を貫通する。「北アメリカ星雲」は〔心臓〕の形に相似し、また〔心臓〕の色のごとく赤い。〔心臓〕は〔心〕と〔魂〕のイメージとなり、人は心臓で生きているので古代エジプト人たちは「死んでも滅びない魂によって生命は再生復活する」と考えた。
 E図が示すように、〔鍬が掘る地面〕となる「十字の銀河の両足の延長線」は〔鬼の姿に似る銀河の心臓〕と〔心臓〕の形に相似する「北アメリカ星雲」を貫通し、古代エジプト人は〔心臓〕から〔魂〕を連想した。だから、前王朝期においてはE図の延長線が示すように、〔鍬〕の絵は〔魂と心〕をあらわすことになったのである。

◆E図右下に配置した「食道のついた心臓」と解釈されたヒエログリフの発音は〈ネフェル〉、「善い」を意味する形容詞の発音もまた〈ネフェル〉となる。食道と心臓はつながらず、気管と心臓はつながる。しかし、〈ネフェル〉という言葉はいかなる時にも「気管」と意味では使われなかった。プトレマイオス朝時代には〈ネフェル〉という言葉が「喉」や「食道」の意味でも使われていた。だから、〈ネフェ〉のヒエログリフは「食道のついた心臓」という解釈が、現在、有力説となる。
 医学的な視点では、食道と心臓がつながっているという考えは誤りである。しかし、E図が示すように、〔食べ物となる作物を作る鍬〕に見立てられた「十字の銀河の下半身」と〔食べ物を食う口・食物が通過する食道・心臓〕に見立てられた「鬼の姿に似る銀河の部分」は一直線状につながる。医学的には〔食道と心臓がつながる〕ものではないが、「すべてのヒエログリフは銀河の形状から作る」という原則にもとづいて「食道のついた心臓」を字形とするヒエログリフが生まれたのである。
 「食道のついた心臓」のヒエログリフ上部は、〔十字形〕である。この〔十字形〕は、E図右上の「十字の銀河の胸部の〔十字形〕」をあらわしている。というのも、〔人体の形〕に酷似する「十字の銀河の胸部」の下には〔人の心臓〕が存在するからである。ゆえに、「食道のついた心臓」のヒエログリフは「十字の銀河の胸の下にある心臓」をもあらわす図案であったことになる。
 「食道のついた心臓」のヒエログリフは「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」が〔人体〕に見立てられて、ガーディナーのリストのセクションAの「男性とその職業」とセクションBの「女性とその職業」などの多数のヒエログリフが作られたことを現在に伝える。
 F図に、A1~A55までの55字のガーディナーのリストのセクションA「男性とその職業」のあらわすヒエログリフの代表例を示した。
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(C) 2015 OHKAWA

 G図左側に、B1~B7までの7字のガーディナーのリストのセクションB「女性とその職業」を表現するヒエログリフの代表例を配した。G図右側に、C1~C20までの20字のガーディナーのリストのセクションC「人の姿をした神」を図案したヒエログリフの代表例を配した。
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(C) 2015 OHKAWA

 B図の「鬼の横顔に似る銀河」やC図の「人の横顔に酷似する銀河」は〔人の横顔〕にそっくりであり、またE図の「北アメリカ星雲」は〔目〕に見立てられ「鬼の横顔に似る銀河の両目と後頭部につく両目」は〔目〕をあらわした。さらに「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」は〔人体〕に観えるので、D1~D63までのうちの「横顔」、「目」、「乳房」、「手」、「足」を図案するガーディナーのリストのセクションDの「人体の一部グループ」の63文字中の50字のヒエログリフが作られた。
◆H図に「マアト女神」と「ダチョウの羽」のヒエログリフを示した。
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(C) 2015 OHKAWA

 マアト神(H図左図)は、彼女のシンボルであるダチョウの羽(H図右図)を頭につけている。上記した『図解エジプトシンボル事典』の34頁は「マアト女神は、古代エジプト人の世界観の基本であり、法、正義、真実といった概念の根底にある、秩序を形として表したものである。(中略)。マアトのヒエログリフは、たくさんの小像や護符のペンダントに描かれ、また同じポーズの女神マアト像は多くの絵画に登場している。」と解説する。
 I図は、『図解エジプトシンボル事典』の35頁からの転載図である。上記の文が指摘したように、マアト女神は手の平に載せられる小さな像で表示された。
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(C) 2015 OHKAWA

 J図に示すように、「マアト女神」はI図の「手の平にのるマアト女神の小像」に合致して、「人の横顔に酷似する銀河の右手」となる「鬼の姿に似る銀河」の中にある「はくちょう座α星」から創造された。したがって、H図左図の「マアト女神」のヒエログリフの字源は「はくちょう座α星」となる。
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 J図に示すように、「はくちょう座α星」の東隣には、E図において「人の心臓」をあらわした「鬼の姿に似る銀河の心臓」がある。
 上記した『図解エジプトシンボル事典』は「女神マアトは、真実と正義にも強く結びつけられており、裁判官はそのつとめからマアトの神官と呼ばれていた。死者の心臓の重さをはかる冥界の審判では、心臓はマアトの羽根と重さを比べられることになっていた。そこでほとんどの『死者の書』には、天びんばかりの一方の皿の上に、マアトの羽か女神自身の姿が描かれている。」と解説する。
 上記の文中にある「マアトの羽」は、H図右図の「ダチョウの羽」である。J図に示すように、「心臓」の西隣は「マアト女神」が創造された「はくちょう座α星」である。このように「死者の心臓」に見立てられた銀河部と「マアトの神」が創造された「はくちょう座α星」が隣り合うゆえ、冥界の審判では天秤(てんびん)の皿にのせられた死者の心臓は片方の皿にのるダチョウの羽(マアトの羽)と重さを比べられることになったのである。
 わがブログ「古代エジプト文字の字源・20」では証明したように、J図に示す北半球に住む人々が最も銀白色に輝いて見える「北天の最耀部(さいきぶ)」をじっくりと観察すると〔ダチョウの羽〕のヒエログリフの字形のような形をしている。ゆえに、「北天の最耀部」が、H図右図の「ダチョウの羽」の字源となった。1等星の「はくちょう座α星」は白色に輝く美しい星である。したがって、「はくちょうα星」は白色に輝く「北天の最耀部」と同じく白色に輝くゆえ、「ダチョウの羽」を頭につける「マアト女神」は「はくちょう座α星」から創造されたことになる。また、「はくちょう座α星」は「ダチョウの羽」のヒエログリフの字源でもあったことになる。
 上記した『図解古代エジプトシンボル事典』は「マアトはラーの娘で、ラーとともに太陽舟にのる姿でもよく描かれる」と解説する。J図左上に配する〈ラー〉「太陽」のヒエログリフの字源は「はくちょう座γ星とこの星を円形に囲む銀河部」である。J図に示すように「人の横顔に酷似する銀河」から創造された「オシリス神」の息子の「ホルス神」は「人の横顔に酷似する銀河」より上側の「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」から創造されたように、〈ラー〉「太陽」の字源銀河より上側の「はくちょう座α星」からラーの娘の「マアト女神」は創造されたことになる。
 以上のごとく、これまでわがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズで何度も証明してきたように、古代エジプト文字・ヒエログリフは銀河から作られたと考えると謎や疑問点や不思議な点と事柄がことごとく“なるほど、そうだったのか!”と納得できて事実となる。だから、銀河からヒエログリフが作られたことは事実であったことになる。

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2015年12月24日 (木)

古代エジプト文字の字源・25

 作られた理由・根拠不明のヒエログリフの字源解明

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズは一貫して、前回(24)まで私が「文字作成銀河」と呼ぶ銀河範囲の各部の形から古代エジプト文字(ヒエログリフ)が作られた事実を証明してきた。この「文字作成銀河」の写真は前々回の「古代エジプト文字の字源・23」の冒頭に掲載した。
 世界中探しても、文字となった銀河各部には名称が存在しない。これゆえ、私は下のごとく文字作成銀河の各部の名称を定めた。
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◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズでは幾度となく――古代エジプト神話には文字を作って字数を増やす役目があり、また上掲した文字作成銀河は作った文字やことば()を知ることができる字書・辞典の役割を有した――ことを証明してきた。
 「古代エジプト文字の字源」の19回~23回までの5回、エジプト神話に登場するオシリス神、イシス神、ホルス神、トト神、そしてセト神が創造された各銀河を解説し証明してきた。この神々が登場するエジプト神話は下記のごとくである。
 「オシリス神は弟のセトに殺されて死体を切り刻まれる。妹であり妻であったイシスが、バラバラになった体を集めて、オシリスを復元した。そして息子のホルスは父オシリスを殺害した叔父のセトに片目をくりぬかれ、その目は切り刻まれて捨てられた。しかし、学問と文字の神であり、魔術の神のトト神が辛抱づよくそれらを集めて元通りにした。ホルスが復讐をとげて、父の後を継いだ。」
 A図に、上記の神々のモデルとなった各銀河部を示した。この詳細な解説は、前述したように、わがブログ「古代エジプト文字の字源」19回~23回までを参照していただきたい。
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(C) 2015 OHKAWA


 A図に示したように、イシス神は国際天文学会が「コールサック」と呼ぶ天体部から創造された。「コール」は英語で「石炭」、「サック」は英語で「袋」を意味するので、「コールサック」は「石炭を入れる袋のごとく真っ黒な暗黒天体部」ということになる。
 今回は、「コールサック」の各部分から作られたヒエログリフの字源の秘密を解明する。この解明によって、イシス神は「コールサック」から創造されたことが確実となる。

◆イアン・ショー&ポール・ニコルソン著/内田杉彦訳『大英博物館 古代エジプト百科事典』(原書房)は紀元前3000年初頭の第1王朝ジェルの代に「天狼星(てんろうせい)の出と太陽年の始まりを結びつけていた可能性があると指摘されている」と記述する。「天狼星」とは全天第一の輝星の「おおいぬ座α星シリウス」である。光度が-1.4等星のシリウスは「イシスの星」と称して崇拝されていた。
 つまり、イシス神はおおいぬ座α星シリウスの化身ということになる。
 今から約5000年前の紀元前3000年初頭ころ、エジプト暦は――夏至の日の太陽が地平線から昇る少し前、1365.25日の周期のイシスの星が東の地平線上に姿をあらわす時を正月元旦とし、45年に1回の閏(うるう)年を置く恒星暦にして太陽暦を採用していた。
 イシス神の化身の「イシスの星」は「天狼星」と称された。ゆえに、なぜイシス神は〔狼の姿〕で表現されずに「コールサック」から創造されたのであろうか。それはイシス神がオシリス神の妻にして妹であったからである。イシスの星(天狼星)が南中する時(真南にて子午線通過する時)、A図に示した「オシリス神」となった「人の横顔に酷似する銀河」は約2時間前に西の地平線下に没していた。このように両者は遠く離れるゆえに「イシス神」を〔天狼星〕つまり〔狼〕の姿であらわすと、遠く離れる「オシリス神=人の横顔に酷似する銀河」の妻にして妹に解釈することがむずかしくなる。だから、「オシルス神=人の横顔に酷似する銀河」に隣接する「コールサック」から「イシス神」は創造された。これによって、両神と両天体部が夫婦にして兄妹となるように関連づけられることになったのである。

◆上記した『大英博物館 古代エジプト百科事典』は、イシス神について下記のごとく説明する。
 「エジプトの典型的な妻および母の美徳を要約したような女神。オシリスの妹であり妻でもあって、またホルスの母でもあることから、ホルスの地上における化身とみなされていたエジプト王の象徴的な母となった。」
 A図に示した「イシス神」が創造された「コールサック」の部分から、B図左側に示す「生命」をあらわす記号の〈アンク〉と「イシスの結び目」と呼ばれる〈ティト〉の二つのヒエログリフが作成された。
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 「オシリス神」が創造された「人の横顔に酷似する銀河の頭部」から垂れる〔オシリスの頭髪〕のように観える星屑の形は、〈アンク〉の字形にソックリであり、また〈ティト〉=「イシスの結び目」と称されるヒエログリフにも相似する。
 リチャード・H・ウィルキンソン著/伊藤はるみ訳『図解古代エジプトシンボル事典』(原書房)は、〈ティト〉「イシスの結び目」について、下記のごとく指摘する。
 「起源はよくわからないのだが、このヒエログリフは、もともとはアンクのヒエログリフから変化したものだったと思われる。二つはとてもよく似ていて、アンクの横棒がティトでは下へたれているだけの違いだ。文字として使われた例を見ると、ティトの意味や象徴しているものはアンクとほとんど同じで、たいていは生命や安楽と訳することができる。」
 これゆえ、B図に示したように、〈ティト〉「イシスの結び目」と〈アンク〉「いのち」のヒエログリフの字源は同一であったのである。
 マリア・カルメラ・ベトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)は、〈アンク〉について次のごとく説明する。
 「このヒエログリフが何をあらわしているかについて、研究者の意見はさまざまに分かれている。ガーディナーによれば、これはサンダルの緒だという。今日、多くの解説書がこの説を支持しているが、確かな根拠があるようには思えない。(中略)
 いずれにせよ、この文字は〈アンク〉という発音をもつヒエログリフとして、古代エジプト文字の誕生以来、あらゆる時代を通して用いられてきた。この文字を使って書かれる〈アンク〉という言葉は、動詞なら『生きる』、名詞なら『いのち』という意味をあらわしている。」
 B図における「〈アンク〉の字形に酷似する星屑の群れ」はエジプトの母を要約したイシス神の胸部にある。子は母たちの胸の乳房の乳を飲んで、いのちを与えられて育つ。ゆえに「コールサック中央のイシス神の胸部に相当する星屑の群れ」を字源・字形とする〈アンク〉は、動詞なら「生きる」、名詞ならば「いのち」を意味することになった。
 B図に示すように、〈アンク〉の字源となるイシス神の乳房はイシス神の手にも相当し、あるいはオシリス神の手の部分に隣接する。だから、エジプト絵画で描かれる神々の手には〈アンク〉が握られている。
 また、B図に示すように〈アンクの下部〉はオシリス神が吹きかける息のように観える星屑の部分(B図では「生命の息の星屑」と記した)となる。ゆえに、C図に示すエジプト絵画で表現された〔神から王、王から臣下に与えられる〈アンク〉〕は「生命(いのち)の息吹き」とされた。
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 〈アンク〉を「サンダルの緒」と考える有力説の場合、なぜ動詞なら「生きる」、名詞なら「いのち」を意味するのか合点(がってん)がゆかない。またなぜ神々の手に〈アンク〉が握られるのか、〔神から王、王から臣下に与えられる〈アンク〉〕はなぜ「生命の息吹き」とされたかについても明白にならず合点がゆかない。さらに〈アンク〉と〈ティト〉の字形と字義がなぜ相似するのか不明となる。

◆A図の「イシスの後頭部から項(うなじ)に相当するコールサック」の部分に、国際天文学会が「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と名づけた二つの星雲がある。
 D図の写真上部の大きな星雲が「北アメリカ星雲」であり、D図の写真における下部の小さな星雲が「ペリカン星雲」である。

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 国際天文学会の名称「ペリカン星雲」は〔ペリカンの姿に相似する〕と見立てられて、その名になった。しかし、D図の写真が示すように、「ペリカン星雲」はむしろ〔キツネの姿〕に相似する。
 「ペリカン星雲」は、E図左側に図示したように〔キツネの姿〕によく似ている。
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 ゆえに、「ペリカン星雲」はE図右側に配する「3枚のキツネの毛皮」のヒエログリフの字源となった。
 
A図の左下の〈ウベン〉「太陽と光線」におけるヒエログリフ上部の円形部は、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」から図案された。その円形下部に加えられる「3本線」は、「ペリカン星雲に隣接する3本の放射線」を表現する。つまり、E図右側のヒエログリフの「キツネ」は「ペリカン星雲」のことであり、「3枚の毛皮」は「3本の放射線」であったのである。
 F図の上図はステファヌ・ロッシニー著/矢島文夫訳『図説エジプト文字入門』河出書房新社に掲載された、3字のヒエログリフが構成する〈メス〉「生む」の単語をあらわす。
 F図の下図に、3字のヒエログリフのガーディナーのリストの分類番号と意味を記した。
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 F図上下図の右端のヒエログリフは「生む」をあらわす表意文字または決定詞となる。
 G図右側のヒエログリフは「生む」の異体字である。この異体字もF図の左端の「3枚のキツネの皮」をあらわす文字とされる。
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 H図に示す「北アメリカ星雲から垂れる長方形の暗黒天体部の西の辺」は、F図中央のガーディナーのリスト「R29」の「折りたたまれた布」のヒエログリフの字源となった。
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 古王国時代の壁画に描かれた織機からはずされたばかりの真新しい布は、F図の「R29=折りたたまれた布」の字形と同じ形をしたものがある。ゆえに、このヒエログリフは〔誕生したばかりの新生児を包む布〕をあらわしているにちがいない。また、このヒエログリフは赤やオレンジなど派手な色で描くと定められている。H図に示した布を掛けるところとなる「北アメリカ星雲」は赤くオレンジ色に輝くゆえ、これが原因で「折りたたまれた布」のヒエログリフは赤やオレジなどの派手な色で表現すると定まったと考えられる。

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」の22回・23回で証明したように、イシス神から生まれた子のホルス神は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」から創造された。
 I図左図の「ホルスの目」のヒエログリフの字源は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」であり(H図を参照)、「ホルスの目」はI図右図の「ハヤブサ神ホルス」をあらわした。したがって「ホルス神」は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」から創造されたことになる。
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 前述したように、F図の左側に配した「3枚のキツネの毛皮」の字源は「ペリカン星雲と隣接する3本の放射線」であった。また、F図中央の「折りたたまれた布」の字源は「北アメリカ星雲と長方形の暗黒天体部の西の辺」であった。これらの字源部は、イシス神が創造された「コールサック」の一部分である。
 上記したように、『大英博物館 古代百科事典』は「エジプト王はイシス神が生んだ息子のホルス神の地上における化身であった。ゆえに、イシス神はエジプト王の象徴的な母となった」と指摘する。「ホルス神」をあらわす「ホルスの目」の字源は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」であり、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「イシス神」が創造された「コールサック」の一部分である。
 以上のごとく「イシス神」は「コールサック」から創造されたと考えると、学者や研究者たちが未だ解明できない「生命」をあらわす記号の〈アンク〉や「3枚のキツネの毛皮」の字源・字形・字義の秘密が矛盾や不合理な点もなく全体的・系統的な合理が成立して、簡単に明確となる。
 だから、天狼星=イシスの星の化身「イシス神」は「コールサック」から創造されたことは事実となる。

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2015年12月14日 (月)

古代エジプト文字の字源・24

ギザの三大ピラミッドとスフィンクスの秘密の解明(2)

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズは一貫して、前回(23回)まで私が「文字作成銀河」と呼ぶ銀河範囲の各部の形から古代エジプト文字(ヒエログリフ)が作られた事実を証明してきた。  この「文字作成銀河」は前回の「古代エジプト文字の字源・23」の冒頭に掲載した。  世界中探しても、文字となった銀河各部には名称が存在しない。これゆえ、私は下のごとく文字作成銀河の各部の名称を定めた。
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(C) 2015 OHKAWA

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズでは幾度となく――古代エジプト神話には文字を作って字数を増やす役目があり、また上掲した文字作成銀河は作った文字やことば(語)を知ることができる字書・辞典の役割を有した――ことを証明してきた。
 「古代エジプト文字の字源」の19回から前回までの5回、エジプト神話に登場するオシリス神、イシス神、ホルス神、トト神、そしてセト神が創造された各銀河を解説し証明してきた。この神々が登場するエジプト神話は下記のごとくである。
  「オシリス神は弟のセトに殺されて死体を切り刻まれる。妹であり妻であったイシスが、バラバラになった体を集めて、オシリスを復元した。そして息子のホルスは父オシリスを殺害した叔父のセトに片目をくりぬかれ、その目は切り刻まれて捨てられた。しかし、学問と文字の神であり、魔術の神のトト神が辛抱づよくそれらを集めて元通りにした。ホルスが復讐をとげて、父の後を継いだ。」  
 A図に、上記の神々のモデルとなった各銀河部を示した。この詳細の解説は、前述したように、わがブログ「古代エジプト文字の字源」19回以降から前回までを参照していただきたい。
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(C) 2015 OHKAWA

 ギザの三大ピラミッドとスフィンクスは奴隷によって建造されたのではなく、学術的には人民が協力した公共事業であることは判明している。しかし、何のためにギザの三大ピラミッドとスフィンクスは建造されたかについては、この謎を解くために一生をささげた人々が多数いるが未だに具体的に解明されていない。この謎はA図に示した銀河各部の形状に注目して、上記のエジプト神話で語られる内容と登場する神々そして神話から生まれたヒエログリフの字源銀河を考えると簡単に明白となる。
 A図の上部の斜線で示した暗黒天体部から、B図に示す「セト神」が創造された。
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(C) 2015 OHKAWA

 マリア・カルメラ・ベトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)はB図の「セト神」と「セトの動物」のヒエログリフについて下記のごとく説明する。
 「セト神は、世界の混乱と無秩序をあらわす神である。ヒエログリフでは、動物の頭をもった人間の姿で表現されている(B図左図)。この動物のモデルについてはさまざまな説があるが、おそらくこれは、砂漠に住むとされた架空の動物のひとつなのだろう。犬のような形であらわされた異体字(B図右図)は、苦しみや暴力に関する言葉を決定するのによく用いられた。普段は気候の安定しているエジプトに時おり襲いかかるさまざまな嵐をさす言葉も、この文字によって決定された。」
 上記したように、王はじめ人民は命を脅(おびや)かす邪気とエジプト王朝・国家の繁栄を衰退させる邪気の存在を信じ、この恐怖を“セト神”と呼び、嵐・飢饉はじめさまざまな悲惨な出来事や混乱はセト神の仕業(しわざ)と考えていた。だから、ギザ台地の三大ピラミッドとスフィンクスは何のために建造されたか未だに具体的に解明されていない謎は――人々が悲しみ悩む悲劇・悲運をもたらすさまざまな要因を“セト神”と呼び、このセト神の邪気を祓って幸せな暮らしを求めた人民たちの協力のもとに公共事業として三大ピラミッドとスフィンクスは建造されたことになる。

◆〔歳差(さいさ)〕と呼ばれる天文現象に則ると、C図に示すように、6000年前~4000年前の北緯30度の天頂緯度線が明らかとなる。C図における(2)の紀元前3000年と(3)の紀元前2000年の中間の天頂緯度線が、約4500年前の三大ピラミッドが建造された当時の北緯30度の天頂緯度線を示すことになる。
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(C) 2015 OHKAWA

 D図に、4500年前の北緯30度の天頂緯度線とその周囲の銀河を表示した。
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(C) 2015 OHKAWA

 世界最大の石造建築物のギザの三大ピラミッドは、約4500年前の第4王朝時代(紀元前2575-同2465年)に建造された。
 クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドが所在するギザ台地は北緯30度01分である。第4王朝時代の都は北緯29度59分のメンフィスであった。したがって、ギザとメンフィスの緯度はわずか2分しか違わない。ゆえに、D図の天頂緯度線はギザとメンフィスの中間の北緯30度のものとした。D図の上部に示したように、北緯30度の天頂緯度線の上側の縁(D図では右側の縁)が北緯30度01分のギザの天頂緯度線、北緯30度の天頂緯度線の下側の縁(D図では左側の縁)が北緯29度59分のメンフィスの天頂緯度線に相当する。わずか2分しか違わない天頂緯度線は、わがブログのように小さな図では明確に表示することができない。ゆえに、C図以降の北緯30度の天頂緯度線の上側の下側の縁で、ギザ台地とメンフィスの天頂緯度線を判断していただきたい。
 これまでわがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズで幾度となく指摘したように、D図の天頂緯度線が貫通する(ギザとメンフィスの天頂にめぐってきた)「激流の銀河」は、「ナイル川の洪水」に見立てられた。定期的におこるナイル川の氾濫(はんらん/洪水)によってエジプトは繁栄した。はるか南のアフリカ中央部で大量の雨が降ると、ナイル川の両岸の肥沃(ひよく)な土を押し流した。また、ナイル川の洪水に見舞われた土は泥状にやわらかくなるため、原始的な木製のクワを使って牛と人がコンビを組むと容易に耕作・開墾(かいこん)することができたので、エジプトは豊かな実りにめぐまれて繁栄した。ギザ・メンフィス周辺では毎年9月初めのころに大洪水がピークに達した。このときにナイル川の水がおよばなかった土地は不毛の砂漠となった。エジプトは耕地と砂漠が強烈なコントラスを描き、人々に緑豊かな耕地は「生」を赤茶けた砂漠は「死」のイメージを植え付けた。エジプト美術では、植物の緑と水の青は生命を象徴することになり、砂漠を連想させる赤やピンクは死や冥界(めいかい)を象徴する色となった。

◆D図に表示しなかったが後ろのI図で図示したように、「北天の最耀部(さいきぶ)」とその東隣の銀河を、E図左図に示すはくちょう座の5つの星が歪(いびつ)な四角形となって包囲する。つまり、はくちょう座α星の西隣の斜線で示したセト神の邪気によってE図右図のはくちょう座の5つ星は歪(ゆが)んだ四角形になったと考えて、その邪気を祓うために正四角錘の真正ピラミッドが設計されたのであろう。
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(C)  2015 OHKAWA

 E図に示した「至冬至点」の線は、夏至の日の午前零時の子午線をあらわす。今から約5000年前、エジプト暦は〔夏至の日の太陽が地平線から昇る少し前、1年365.25日の周期の「イシスの星」が東の地平線上に姿をあらわす時を正月元旦とする恒星暦にして太陽暦を採用していた。  エジプト暦では正月元旦の東の地平線に出現する全天第一の輝星の光度(-1.4等星)のおおいぬ座のα星・シリウスを「イシスの星」と呼んで崇拝した。D図に示したように、「人の横顔に酷似する銀河」に隣接する「コールサック」から、上記したエジプト神話に登場する「オシリスの妻にして妹のイシス神」が創造された。
 そしてエジプト神話に登場するオシルス神は、エジプト暦の正月元旦の直前の太陽(ラー)を象徴する神であった。A図左上に配する太陽〈ラー〉の字源は、はくちょう座γ星とこの星を包囲する銀河部である。この太陽〈ラー〉の字源銀河部を額(ひたい)に有する「人の横顔に酷似する銀河」からオシリス神が創造された。オシルスは〔今まで過ごした1年が死に、新しい1年が始まる神〕であったので、冥界を支配するとともに死者が再生復活する神となった。  
 E図に示すピラミッドの底辺の四角形の中心は、A図左上に示した太陽〈ラー〉のヒエログリフの字源となる「はくちょう座γ星」が相当する。だから、はくちょう座の5つ星の歪んだ四角形から正四角錘の真正ピラミッドが設計されたと考えるべきことになる。

◆A図とD図に示した「ホルスの目」は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」であり、この二つの星雲から「オシリスとイシスの間に生まれた息子・ホルス神」が創造された。
 ギザの大スフィンクスの古代名は「ホル・エム・アケト」すなわち「地平線のホルス」であった。
 F図に示す「激流の銀河が西へ伸びる髭(ひげ)のような形の先端部」は〔ナイル川の洪水がピークに達した時のギザ台地から見える遠くの地平線〕に見立てられた。というのも「西に延びる髭のような形の銀河の先端部」は天頂緯度線にそって平行となったゆえ、西から東に向かって〔平らな1本の線〕となって移動したので〔地平線〕のごとくに観えたからである。この〔地平線〕のごとくに観えた「西に延びる髭のような形の銀河の先端部」は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と連結する。したがって、「ホルス神」のモデルの「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「地平線のホルス」ということになった。このため、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」に見立てて建造された〔スフィンクス〕の古称は「地平線のホルス」となったのである。
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(C) 2015 OHKAWA

 G図は、三大ピラミッドとスフィンクスの位置を示す。ピラミッドとスフィンクスが建造された当時、洪水がピークになった時にG図右側中央のスフィンクス神殿と河岸神殿はナイル川の水に漬(つ)かった。しかし、三大ピラミッドまでは浸水しなかった。
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 洪水がピークに達した時にナイル川の水が足元までおよんだスフィンクスの眼前には水平線がひろがり、遠く地平線が望まれた。だから、この点からも、スフィンクスは「地平線のホルス」と呼称されたのである。  以上のごとく、スフィンクスは毎年定期的にナイル川の洪水が起きて豊かな実りで繁栄することを願って建造されたことになる。

◆前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・23」の冒頭に掲載した「文字作成銀河」の写真を凝視すると――H図の上部に示すように、斜線で表示した「セト神のモデルとなった暗黒天体部」の隣にある「北アメリカ星雲」は〔クフ王のピラミッドの側面形〕に、「3本の放射線状の銀河部」は〔カフラー王のピラミッドの側面形〕に、「人の横顔に酷似する銀河の前髪部分の三角形の銀河部」は「メンカウラー王のピラミッドの側面形」に相似することを発見できる。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 だからH図の「三つのピラミッドの銀河」は、ギザ台地にピラミッドとスフィンクスが建造された秘密を具体的に示すことになる。つまり、ピラミッドとスフィンクスはエジプトを衰退させて混乱と無秩序をもたらすセト神の邪気を祓うために建造された。
 ギザ台地に建造されたスフィンクスはネメス頭巾をかぶった王の頭部にライオンの胴体がつく。スフィンクスは古代エジプト語では「シェセプウ・アンク」といい、「力強き王の生ける似姿」を意味した。ゆえに、スフィンクスの頭部は王の頭部と指摘される。B図が示し上記した『[図説]ヒエログリフ事典』の説明からして、セト神は〔砂漠に棲む凶暴な野犬のような動物〕に見立てられた災いの神であったことになる。だから、野犬のように凶暴なセト神を威嚇(いかく)して追い払うために、スフィンクスの胴体は百獣の王のライオンの胴体となったのである。
 D図は、4500年前のエジプト暦の新しい1年が生まれる正月元日と今まですごしてきた1年が死ぬ(終わる)夏至の日の午前零時の様子を示す。
 I図もまた、ピラミッドとスフィンクスが建造された当時、新しい1年が生まれる正月元日の始まりと過ぎ去った1年が死ぬ夏至の日の午前零時の銀河の様子を示すものとなる。
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 I図の天頂緯度線より上の端(南端)と下の端(北端)の銀河図の部分は高度が78度ぐらいとなる。つまり、I図は三大ピラミッドから高度78度~90度までの天頂付近を仰ぎみたときの銀河図となる。 I図が示すように、新しい1年が生まれ過ぎ去った1年が死ぬ夏至の日も午前零時、ギザ台地と都のメンフィスの天頂付近を仰ぐと「三つのピラミッドの銀河」が見えた。天頂緯度線の高度は90度であるゆえ、「三つのピラミッドの銀河」の高度は天頂緯度線に沿って3度~4度離れた86度から87度ぐらいであった。
 これゆえ、天頂付近のピラミッドの四角形となった「5つ星」や「三つのピラミッドの銀河」やスフィンクスのモデルとなった「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と、そして広大なギザ台地に建造された三大ピラミッドとスフィンクスとが呼応しあう様子は荘厳・神秘的であった。
 I図の「三つのピラミッドの銀河」の北隣の斜線で示した暗黒天体部から「セト神」が創造された。したがって、エジプトの人々の命を脅かす災いと王朝・国家を衰退させる災い(旱魃や嵐や異民族の侵入や砂漠を旅して迷って死ぬ)などのさまざまな災いは「セト神」と総称されていた。
 「セト神」が創造された暗黒天体部は、三大ピラミッドとスフィンクスに見立てられた「はくちょう座の5つ星」「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」「三つのピラミッドの銀河」をはじめA図に示したエジプトに繁栄をもたらす神々が創造された銀河の傍(そば)に存在する。だから、三大ピラミッドとスフィンクスはセト神の呪(のろ)いや災いの邪気を祓(はら)うための公共事業として建造されたことになる。

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2015年12月 9日 (水)

古代エジプト文字の字源・23

 ギザの三大ピラミッドとスフィンクスの秘密の解明(1)

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズは、前回(22)まで私が「文字作成銀河」と呼ぶ銀河範囲の各部の形から古代エジプト文字(ヒエログリフ)が作られた事実を証明してきた。
 この「文字作成銀河」は下に掲載した。
Ginga
 
 世界中探しても、文字となった銀河各部には名称が存在しないので、私は下のごとく各部の名称を定めた。
Photo
(C) 2015 OHKAWA

  ◆前回の「古代エジプト文字の字源・22」で指摘して証明したように――古代エジプト神話には文字を作って字数を増やす役目があり、また上掲した文字作成銀河は作った文字やことば()を知ることができる字書・辞典の役割を有した。
 
 前回のわがブログでは、下に記したエジプト神話の後半部に登場するホルス神とトト神が文字作成銀河の形状から創造された秘密について解明した。
 「オシリス神は弟のセトに殺されて死体を切り刻まれる。妹であり妻であったイシスが、バラバラになった体を集めて、オシリスを復元した。そして息子のホルスは父オシリスを殺害した叔父のセトに片目をくりぬかれ、その目は切り刻まれて捨てられた。しかし、学問と文字の神であり、魔術の神のトト神が辛抱づよくそれらを集めて元通りにした。ホルスが復讐をとげて、父の後を継いだ。」
 今回は、上記の神話の前半部に登場するセト神のモデルとなった銀河を解明する。このセト神の秘密の解明によって、世界的に有名なギザの三大ピラミッドとスフィンクスが建造された理由が明らかとなる。今回はセト神が創造された銀河に関する事柄の解説で終わるが、次回はギザの三大ピラミッドとスフィンクスがなぜ建造されたか、その秘密を解明する。

◆前回のわがブログでは、A図に示す〔トキ〕と〔書記および文字を書く行為〕のイメージとなる各銀河の形状から学問と文字の神であるトト神が創造された秘密を解明した。
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015 OHKAWA

 わがブログ「古代エジプト文字の字源」のシリーズにおける1921回までおいて、A図中央右側にある「北天の最耀部(さいきぶ)」を額(ひたい)に有する「人の横顔に酷似する銀河」から、B図のオシリス神が創造されたことを証明した。「北天の最耀部」とは「北半球に住む人々が最も輝いて見える銀白色の銀河部」である。つまり、漢字の「銀河」の[]は「銀白色に輝く北天の最耀部」のことであった。ホルスの父オシリスがかぶる〈アテフ〉冠は「北天の最耀部」からデザインされた。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 オシリス神が創造されたA図の「北天の最耀部の側面」はトキの翼の形に相似し、またトキの翼の裏と風切羽と尾羽のごとくトキ色(桃の花のごとくの淡紅色)に輝く。ゆえに、A図の右端に記したようにオシリス神が創造された「人の横顔に酷似する銀河」は〔トト神と書記の顔〕に見立てられてトト神が創造された。A図の「書記の姿や文字を書く行為に似る銀河」にもとづいて、C図左図の「トキ」のヒエログリフが作られ、C図右図に示すトキの頭と人体が組み合わせるトト神が創造された。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 A図における文字を書く〔筆〕に見立てられたのは、国際天文学会が「北アメリカ星雲(上部)・ペリカン星雲(下部)」と名づけた2つの星雲である。
 A図とD図は同一銀河の範囲図である。

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(C) 2015 OHKAWA
  

 前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・22」で解説・証明したように、D図における「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」からE図左図の「ホルスの目」のヒエログリフが作られ、E図右図に示すオシリス神の息子の「ホルス神」が創造された。
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(C) 2015 OHKAWA
 
◆F図右図に示す「コールサック」の「コール」は「石炭」、「サック」は「袋」を意味する。ゆえに、国際天文学会が「コールサック」と名づけた銀河部は「真っ黒な石炭を入れる袋のような形をした暗黒天体部」ということになる。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 「コールサック南部」は〔円く前に突き出た妊婦のおなか〕のような形であるゆえ、〔ホルス神の母、またオシリス神の妻にして妹のイシス神〕に見立てられた。オシリスが創造された「人の横顔に酷似する銀河」に隣接する「コールサック」からイシスが創造され、「人の横顔に酷似する銀河」と「コールサック」の中間にある「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」から二人の息子のホルスが創造された。
 F図における「コールサックの北部」にして〔イシスの背中〕に相当する、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲の西隣の暗黒天体部」が「叔父のセト神」のモデルであると考えられる。この「セト神が創造された暗黒天体部」は斜線で表示した。
 G図の左図に示すように、セト神は動物の頭を有する人間の姿で表現された。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 マリア・カルメラ・ベトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)はセト神とG図右図の「セトの動物」のヒエログリフについて下記のごとく説明する。
 「セト神は、世界の混乱と無秩序をあらわす神である。ヒエログリフでは、動物の頭をもった人間の姿で表現されている(G図左図)。この動物のモデルについてはさまざまな説があるが、おそらくこれは、砂漠に住むとされた架空の動物のひとつなのだろう。犬のような形であらわされた異体字(G図右図)は、苦しみや暴力に関する言葉を決定するのによく用いられた。普段は気候の安定しているエジプトに時おり襲いかかるさまざまな嵐をさす言葉も、この文字によって決定された。」
 冒頭に掲載した「文字作成銀河」の写真が示すように、F図の斜線で表示した暗黒天体部は〔犬の姿〕に相似する。数日前のある局のテレビ放送は野犬の群れに悩まされる市の状況を伝えた。その市の群れをなす野犬は凶暴で人が近づくと威嚇(いかく)し家畜を殺して食べ田畑を荒らして甚大な被害をもたらしていた。古代エジプトにあっても、砂漠に棲む群れをなす野犬は現在同様に田畑の作物を餌にして家畜を殺し敵対する人を襲ったことになる。だから、F図に斜線で示した暗黒天体部は〔群れをなす凶暴な野犬の姿〕に相似すると見立てられて、セト神は混乱と無秩序をもたらす砂漠に住む野犬のような頭を有する悪魔と想像されたにちがいない。

◆「セト神」に見立てられた暗黒天体部の足元には、F図左側に配する字形が異なる二つの「太陽」を表現したヒエログリフの字源がある。
 その一つは「太陽」や「日」を意味する〈ラー〉を発音する〔シンプルな太陽〕である。この「太陽」のヒエログリフは、「北天の最耀部」の北隣の「はくちょう座γ星とこの星を円形に包囲する銀河」から図案された。
 もう一つの「輝く。光線。昇る」などの太陽の輝きに関する言葉の中で使われる〈ウベン〉と発音する〔太陽と3本の光線〕のヒエログリフは、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と3本の放射線の銀河部」から作られた。

「歳差(さいさ)」と呼ばれる天文現象にもとづくと――H図のごとく、5000年前と4000年前の夏至の日の午前零時のはくちょう座の位置を示すことができる。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 5000
年前の夏至の日の午前零時、F図左下に配する〈ウベン〉と発音する〔太陽と3本の光線〕の字源となった銀河部が子午線通過しようとしていた(F図に示すように、はくちょう座α星の東隣は北アメリカ星雲・ペリカン星雲である)4000年前の午前零時、F図左側に配する〈ラー〉と発音する〔シンプルな太陽〕の字源銀河となった「はくちょう座γ星とこの星を円形に包囲する銀河部」が子午線通過した。
 だから、この二つの「太陽」をあらわすヒエログリフは〔夏の強烈な太陽光線〕をあらわした。砂漠の旅人はじめ人々は眩(まぶ)しい夏の強烈な直射日光によって、夜間、I図右上に示す〔緯度を1分の精確さで測量できる〔玄〕(天頂緯度線と子午線)をキャッチできる健康な目〕を失った。
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 前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・22」にて指摘したように、〔[]をキャッチできる目〕は原始から氷河期において人類が滅亡しないですんだ本能としてそなわった能力であり、道路網が未発達な古代エジプト人が道に迷わずに最も大事な命を確保できた誰もが失うことを心配した最も大切な能力であった。だから、E図左図の「ホルスの目」は「ウジャトの目」とも呼ばれた。この〈ウジャト〉の元の意味の「健康な目。回復した目」は「命が確保できて寿命が伸びるすべての人々が願望する[]をキャッチできる目」であったのである。ゆえに、エジプト神話における「オシリス神は弟のセトに殺されて死体は切り刻まれた。そして息子のホルスはセトに目は切り刻まれて捨てられた」という表現は「[]をキャッチできる目を失った」と意味したことになる。
 「世界の混乱と無秩序」をあらわしたセト神は「人々が[]をキャッチできる目を失って地上から人々がいなくなってエジプトが滅亡すると心配していた恐怖」をあらわし、また「暦が乱れてナイル川に洪水が起きなくなって豊かな実りに恵まれずにエジプト中が飢餓に陥る混乱と無秩序となる様子」をあらわすものであったことになる。

◆前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・22」で解説したように、J図に示すがごとく「ホルスの目」は6つの〈ヘカト〉と呼ぶ分数に分けられた。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 K図は「32分の1ヘカト」の字源銀河の解説図である。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 L図は「64分の1ヘカト」の字源解説図である。
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 前回のわがブログで解説したように、L図の〔ホルス神=ハヤブサの目の下の黒斑〕をあらわす「64分の1ヘカト」の字源銀河は〔1度の64分の1の約1分(0.94分=56)〕すなわち「緯度を1分の精度で測量できる[]をキャッチできる目」をあらわした。
 E図右図のホルス神はハヤブサの頭と人体を有する。
 ホルス神は初期の王朝が創設される以前から広く崇拝されていた。というのも、古代エジプト人たちは誰でもI図に示した[]をキャッチできる目を持ちたいと願い、〔[]をキャッチできる健康な目〕を象徴するものが「ハヤブサの目」であったからである。ハヤブサははるか上から急降下して獲物を捕獲するとき、時速250㎞以上のスピードを出すといわれる。I図に示す〔[]のキャッチ〕は4~6秒ぐらいでおこなわなければならなかった。この〔寸秒でおこなわれた[]のキャッチ〕は〔ハヤブサが高速で急降下しておこなう獲物のキャッチ〕にたとえられて、ハヤブサの頭を有するホルス神が創造された。ハヤブサの目の下にある黒斑は、高空での高速飛行中にあって光を吸収して眩(まぶ)しさを防ぐものとされる。夏の強烈な日光が照る砂漠を旅する人々は眩しい日の光で目がやられると、緯度1分の精度で測定できる[]をキャッチする健康な目を失った。ゆえに〔[]をキャッチできる目〕はL図の〔眩しさを防ぐハヤブサの目の下の黒斑〕に見立てられた。これゆえ「64分の1ヘカト」のヒエログリフの字源となる「長方形の暗黒天体部の西辺の星屑」は、「緯度を1分の精度で測定できる[]をキャッチできる目」をあらわした。
 したがって、K図の「32分の1ヘカト」の字源銀河は〔1度の32分の1の約2(1.875)〕をあらわした。
 H図に示した5000年前から4000年前は、先王朝時代末(5000年前)から第6王朝時代(紀元前2323-同2150)までとなる。当時の都は北緯2959分のメンフィスであった。ギザの三大ピラミッドとスフィンクスが建造されたクフ王・カフラー王・メンカウラー王の第4王朝は約4500年前(紀元前2575-同2465)である。三大ピラミッドとスフィンクスがあるギザは北緯3001分である。したがって、メンフィスとギザの緯度差は2分となり、K図の「32分の1ヘカト」があらわす「2分」に合致する。F図に示したように、「2分」をあらわす「32分の1ヘカト」の字源は「セト神の足元となる暗黒天体部」である。
 だから「32分の1ヘカト」のヒエログリフは「[]をキャッチできる目であればギザとメンフィスの緯度の2分の差を測量できる」と示すものとなる。
 つまり、F図に示した「セト神」が創造された暗黒天体部から〔人々が[]をキャッチできる目を失い暦が乱れて豊かな実りをもたらすナイル川の洪水が起きなくなって混乱と無秩序のセト神に支配される状況〕を心配して、このようなエジプト滅亡・この世が終わりとならないことを願ってギザの三大ピラミッドとスフィンクは建造されたのである。

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2015年12月 7日 (月)

古代エジプト文字の字源・22

 エジプト神話は文字を作り、また辞典となった

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズは、前回(21)まで一貫して私が「文字作成銀河」とよぶ銀河範囲の各部の形から古代エジプト文字(ヒエログリフ)が作られた事実を証明してきた。
 「文字作成銀河」は「古代エジプト文字の字源」の1回・15回・20回の冒頭に掲載し、前回の21回の初頭部にも掲載した。
 世界中探しても、文字となった銀河各部には名称が存在しないので、私は下のごとく各部の名称を定めた。
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(C) 2015 OHKAWA
 

◆前回の「古代エジプト文字の字源・21」では、A図に示す各部から鳥のトキの頭を有するトト神が創造されたことを証明した。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 B図に示すように、「北アメリカ星雲と長方形の暗黒天体部の西の辺」は〔トキの顔とくちばし〕に相似すると見立てられた。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 この〔トキの顔とくちばし〕となった「北アメリカ星雲と長方形の暗黒天体部」は、A図では〔文字を書く筆〕に見立てられた。
 前回にてカラー写真を掲載して証明したように、A図の「人の横顔に酷似する銀河の額(ひたい)」にある「北天の最耀部(さいきぶ)の西側」はトキの翼のような形となる。この「トキの翼に似る北天の最耀部」はトキの翼の裏面と風切羽と尾羽のごとくトキ色(桃の花のごとくの淡紅色)に輝く。A図に示したように、「人の横顔に酷似する銀河」は〔文字を書く官職の書記の顔〕、「鬼の姿に似る銀河」が〔書記の筆を持つ右手〕、「長方形の暗黒天体部」は〔文字を書くパピリスの巻物〕に見立てられた。
 だからA図に示す銀河から、C図に示すガーディナーのリスト「G26」と分類される「トキ」のヒエログリフとトキの頭と人体を有するトト神が創造された。
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(C) 2015 OHKAWA

 トト神は書記および文字を筆記する行為の守護神であった。トキの頭と人体を有するトト神が書記および文字を筆記する行為の守護神であることは、A図の銀河を観察すれば容易に理解できる。A図の「トト神の銀河」は、すべての古代エジプト文字(ヒエログリフ)は文字作成銀河から作られ、古代エジプト王朝創立の神々もまた文字作成銀河から創造されたことを今日に伝える。王や女王・神官・書記は文字作成銀河から神々が創造され文字が作られた共通知識(学術)を有する特権階級であった。
 これゆえ、古代エジプト神話は文字を作って字数を増やす役目があり、また文字作成銀河は作った文字やことば()を知ることができる字書・辞典の役割を有した。

 
◆エジプト王朝創立の神話は――オシリス神は弟のセトに殺されて死体を切り刻まれる。妹であり妻であったイシスが、バラバラになった体を集めて、オシリスを復元した。そして息子のホルスは父オシリスを殺害した叔父のセトに片目をくりぬかれ、その目は切り刻まれて捨てられた。しかし、学問と文字の神であり、魔術の神のトト神が辛抱づよくそれらを集めて元通りにした。ホルスが復讐をとげて、父の後を継ぐ――と創作された。
 この神話の後半部、すなわちオシルスとイシスの間に生まれた息子ホルスの片目をトト神が辛抱づよく集めて元通りにしたという神話部のモデルとなった銀河と幾つかの文字が作られた秘密を、今回は解明する。この神話の前半部のモデルとなった銀河と幾つかの文字が作られた秘密は次回において解明する。

◆D図の左上に配するガーディナーのリスト「F1」の「雄牛の頭」が字形となるヒエログリフは、紀元前16世紀ごろに出現した原シナイ文字の〈アルプ〉と発音する「雄牛の頭」を図案する字となり、紀元前11世紀ごろから出現したフェニキア文字の〈アレフ〉と発音する文字に受け継がれて、現在、世界70ヵ国以上で公用語の文字として使われるABCアルファベットの[]の字の初文(最初の文字、つまり原字)となった。
 D図の右図が示すように、「雄牛の頭」のヒエログリフの字源範囲には「人の姿に似る銀河・激流の銀河(A図参照)・長方形の暗黒天体部」に「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」や〔雄牛のアゴ〕に相当する「コールサックの北部」が存在する。
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(C) 2015 OHKAWA

 D図が示すように「北メリカ星雲・ペリカン星雲」は〔雄牛の目〕に相当する。
 A図では「北アメリカ星雲」は〔筆の上部〕、B図では〔トキの頭〕に見立てられた。
 D図において〔雄牛の目〕となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が「ホルスの目」となり「ホルス神」となった。
 「ホルスの目・ホルス神」となった「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は、片目であって両目ではない。また後でその秘密を解明するように、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」からなる「ホルスの目」は6つの部分に分割されて、6つのヒエログリフが作られた。ゆえに、神話では「叔父のセトにホルスの目は切り刻まれて捨てられた」と語られた。そして、「ホルスの目・ホルス神」となる「北アメリカ星雲」はA図における「トト神」をあらわす〔文字を書く筆〕となり、B図では「トト神の頭」となる〔トキの頭〕となった。
 だから、エジプト王朝は「ホルスは父オシリスを殺した叔父のセトに片目をくりぬかれ、その目は切り刻まれて捨てられた。しかし学問と文字の神のトト神が辛抱づよくそれらを集めて元通りにした」という物語を作って文字数を増やし、文字作成銀河を字書・辞典としてあつかっていたことになる。

◆上記の神話にもとづいて、E図に示した「ホルスの目」のヒエログリフが作られた。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 ガーディナーのリストの「D10」のヒエログリフは、表意文字または決定詞として「ホルスの目」を」意味する〈ウジャト〉を構成する文字の中で使われる。〈ウジャト〉の元の意味は「健康な目。回復した目」である。
 わがブログ「古代エジプト文字の字源」が前回まで証明したように――ヒエログリフの学術体系を一つに集めて束ねる基軸は、F図の右上に示す〔天頂緯度線と子午線のキャッチ〕、漢字でいうと〔[]のキャッチ〕であった。
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(C) 2015 OHKAWA

 [](天頂緯度線と子午線)をキャッチできると精確に1度の60分の1の1分の誤差も測量できる。ゆえに、日々の鍛錬によって研ぎ澄まされる[]をキャッチできる眼力は原始から氷河期において人類が滅亡しないですみ、道路網が未発達であった古代の人々が道に迷わずに最も大事な命を確保することができた最高最良の能力であった。だから古代エジプトの人々にとって〈ウジャト〉の元の意味の「健康な目。回復した目」とは「命が確保できて寿命が伸びるすべての人々の願望であった[]をキャッチできる目」であった。
 E図の「ウジャトの目」と呼ばれた「ホルスの目」は、G図左図に示すハヤブサの頭部を有する「ホルス神」をあらわすことになった。G図右図の「ハヤブサ」のヒエログリフは表意文字として「ホルス神」の名前〈ヘルゥ〉をあらわした。
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(C) 2015 OHKAWA

 ホルス神は初期の王朝が創設される以前から広く崇拝されていた。それは、前述したように古代エジプト人は誰もが「[]をキャッチできる健康な目を持ちたい」と願望し、〔[]をキャッチできる健康な目〕の譬(たと)え・象徴するものが「ハヤブサの目」であったからである。その証拠に、「ホルス」という名は「はるかにいる者」「上にいる者」と意味し、「はるか上空にいるハヤブサ」をあらわした。ハヤブサは上から急降下して獲物を捕獲するとき、時速250㎞以上のスピードを出すといわれる。F図の[]のキャッチ(天頂緯度線と子午線のキャッチ)はわずか46秒でおこなわなければならなかった。この〔寸秒で行われた[]のキャッチ〕は〔ハヤブサが降下攻撃するときのスピード〕にたとえられて、ハヤブサの頭を有するホルス神が創造された。
 G図左図に示すホルスがかぶる冠は、H図の左側に配置する「二重冠」である。わがブログ「古代エジプト文字の字源・18」で証明したように、「二重冠」は上エジプト王がかぶる「白冠(しろかんむり)」と下エジプト王がかぶる「赤冠(あかかんむり)」を組み合わせた冠である。H図中央の「赤冠」はH図右図の「鬼の姿に似る銀河と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」から作られた。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 「白冠」はA図に示した「北天の最耀部」から作られた。「北天の最耀部」とH図右図の「鬼の姿に似る銀河」は共に〔ボウリングのピン〕の形に相似すると見立てられた。ゆえに、「二重冠」と「赤冠」の字源は同一となり、「二重冠」の字源はH図右図の「鬼の姿に似る銀河と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」ということになった。というのも、「北天の最耀部」と同じく〔ボウリングのピン〕の形に相似すると見立てられたD図の「鬼の姿に似る銀河」は「雄牛の頭の一部分」となり、D図の「雄牛の目」となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」はE図に示すように「ホルスの目」となったからである。このような「赤冠」と「二重冠」の字源銀河は同一銀河という秘密にもとづき、ホルスは二重冠をかぶっているのである。


◆I図に示すように、叔父のセトが切り刻んだとされるホルスの目は6つの部分に分数が割りふられた。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 J図の上図はガーディナーのリスト「D4」のヒエログリフ、中央図は「D11」の「2分の1ヘカト」、下図は「D14」の「16分の1ヘカト」のヒエログリフである。
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(C) 2015 OHKAWA

 K図はガーディナーのリスト「「D15」の「32分の1ヘカト」のヒエログリフの字源解明図である。
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(C) 2015 OHKAWA

 L図はガーディナーのリスト「D16」の「64分の1ヘカト」のヒエログリフの字源解明図である。
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(C) 2015 OHKAWA

 M図に示す国際天文学会が名づけた英語名の「コールサック」は「石炭を入れる袋」を意味する。ゆえに、古代エジプトでは「コールサック」の形を〔穀物を入れる袋〕に見立てた。「長方形の暗黒天体部」は〔袋の口〕、「鬼の姿に似る銀河」は〔計量する人の手〕、「人の横顔井に酷似する銀河」は〔穀物を計量する人の横顔〕に見立てた。
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 マリア・カルメラ・ベトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)はトトが魔術の神とされる秘密について「6つの分数の和はトトに復元された全体、すなわち1をあらわさなければならないはずだが、じっさいは63/64にしかならない。この不足分の1/64は、トトの魔術が補ったとされている。」と説明する。穀物の計量は乾燥した水分によって変わる。乾燥して間もないころの水分の多い時に精確に計った量は、1カ月後に乾燥した時に精確に計った量よりもわずかに少ない。これが、64分の1少ないトトの魔術となった。
 また、トトの魔術が補った〔1/64の不足〕はF図に示す〔[]のキャッチ〕は〔1度の64分の1の約1(0.94分=56)の誤差まで精確に測定できる〕を表示することになった。この「64分の1ヘカト」のヒエログリフは、L図とM図に示したように「ハヤブサの目の下の黒斑」の図案とされた。ハヤブサの周囲の目の下の黒斑は、高空での高速飛行中の光を吸収して、まぶしさを防ぐものとされる。エジプトは緑豊かな高地と赤茶けた砂漠のコントラストからなる。この砂漠に旅するときに強烈な太陽の日差しで目が痛むと、1度の64分の1分の精度で測定できる眼力を失った。ゆえに、まぶしさが防ぐハヤブサの目の下の黒斑の役割にもとづき、「ホルスの目」は「緯度が約1分の精度で測定できる眼力〕をあらわすことになった。この「ホルスの目」をあらわす「64分の1ヘカト」の字源は「緯度1分の差が測量できる長方形の暗黒天体部の西の辺の星屑」である。このような「道に迷わずに命が確保できる約1分の誤差まで測定できる、[]をキャッチできるまで回復した健康な目」を、エジプト神話は「叔父のセトに切り刻まれて捨てられたホルスの目を、学問と文字の神であり魔術の神であるトト神が辛抱づよくそれらを集めて元通りにした」と説明するものであったのである。
 以上のごとく古代エジプト王朝は文字作成銀河から神話を作って文字を増やし、また文字作成銀河を文字やことば()を知ることができる辞典と定めていたのである。

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2015年11月29日 (日)

古代エジプト文字の字源・21

 桃花鳥(トキ)のトト神が学問と文字の神であった秘密の解明
 
◆天然記念物の「トキ」という鳥は漢字で「朱鷺」「鴇」と表記し、また「桃花鳥」とも書く。トキは全身白色で、翼の裏(うら)の面と風切羽と尾羽が淡紅色をおびる。わが国の伝統色においては、トキの翼の裏面・風切羽・尾羽の「淡紅色」を「トキ色」と呼ぶ。
 上記したように「トキ」はわが国では「桃花鳥」と表記する。この「桃花鳥」は文字とおり「桃の花の色」のことであるが――日本の伝統色では、トキの翼の裏面・風切羽・尾羽の色である「トキ色」に少し赤色を加えたのが「桃花色」である。したがって、日本の伝統色にもとづいて厳密にいうと「トキ色」と「桃花色」は別なる色となるが――これからの解説においては、「桃花鳥」を「トキ」と読むことにもとづいて「トキ色」=「桃花色」とする。
 前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・20」において、下に示すカラー写真を掲載した。このカラー写真は、わが国の天体写真の第一人者とされる藤井旭氏が撮影した。
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(C)2015 OHKAWA
 

 前回のブログで解明・証明したように、A図に示すオシリス神がかぶる〈アテフ〉冠は国際天文学会が「北天の最耀部(さいきぶ)」と名づけた銀河部からデザインされた。
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(C) 2015 OHKAWA
 

 「北天の最輝部」は「北半球の人々が最も輝いて見える銀河部」のことである。
 A図の〈アテフ〉冠中央の「白冠(しろかんむり)」のモデルとなったボウリングのピンのような形をした「北天の最耀部」の中心部は銀白色に輝く。上に掲載したカラー写真の銀河において、〔銀白色に輝くボウリングのピンの形をした部分〕を〔トキの胴体〕に見立てると――B図に示すトキの胴体の西隣の〔トキの翼〕に相当する部分は〔桃花色〕に輝く。ゆえに、日本の伝統色の「桃花色」と「桃花鳥」を「トキ」と読む秘密は、B図に示す〔翼〕の部分となる「北天の最耀部」から起源し、由来するものであったことになる。
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(C) 2015 OHKAWA

  なお、B図における「北天の最耀部」「北アメリカ星雲」「ペリカン星雲」「コールサック」は国際天文学会が付けた名称である。それ以外の銀河下部の名称は、私が付けた名称である。

◆マリア・カルメラ・ベテロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)は「学問と文字の神であり、魔術の神、月の神ともいわれたトトが、なぜトキとむすびついたのかはよくわかっていない。」と指摘する。
 実際には――学問と文字の神、魔術の神、月の神のトトが、なぜトキとむすびついたのか、この秘密はまったく解明されていない。
 古代エジプト文字=ヒエログリフは、下に示す私が「文字作成銀河」と呼ぶ各部の形状から作られた。この文字作成銀河の白黒写真もまた、藤井旭氏が撮影した。
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(C) 2015 OHKAWA

   私が付けた文字作成銀河各部の名称は、下のごとくなる。
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(C) 2015 OHKAWA

  すべてのヒエログリフは文字作成銀河から作られた。そして、トキは書記と文字を筆記する行為の守護神のトト神となった。古代エジプト王朝の学問は文字作成銀河から医学・天文学・暦学・数学・幾何学などが起源し、またすべてのヒエログリフ(文字)は文字作成銀河から考案・発明された。
 下記にて解説・証明する「トト神となった銀河範囲」は、上記した学問とヒエログリフの中心部となった。だから、トキ=トト神は学問と文字の神となった。
 古代エジプト王朝の学問と文字の体系における基軸は、C図左図の右上に示す〔天頂緯度〕であった。食糧となる獣を追跡して道無き大地を歩く原始の時から広大な雪や氷の光景が続く氷河時代を生きぬいて種を保存した狩猟遊動民であった人類は、C図左図の〔天頂緯度〕をキャッチできる目の能力を鍛錬して「迷った! 死ぬ! 飢えてすぐに死ぬにちがいない」という恐怖を排除できたので種を保存することができた。ゆえに、原始の時から受け継がれた伝統と遺伝子によって、人間の目は鍛錬すると天頂緯度線をキャッチできて緯度が1度の60分の11分まで精確に測定できる能力を有していた。いっぽう、C図右図の北極星の高度で緯度換算すると、誤差が90倍の90(1.5)以上となって、古代エジプトの人々は森林や砂漠において位置も方角もまったく不明になって命を失う羽目になった。
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(C) 2015 OHKAWA

 C図右図の紀元前3000年の北極星=りゅう座α星は天の北極から約45分離れていた。ゆえに、天の北極を中心にして約90分の円を描いた。だから、りゅう座α星の高度で緯度換算すると誤差が90分となって、人々は道に迷って命を失った。古代にあって、すべての北極星は緯度の誤差が90分以上となる命を失う疫病神であったのである。だから、今日地球上に生き延びたすべての民族は、〔天頂緯度のキャッチする能力〕によって今日の日を生きていることになる。〔北極星の高度を緯度換算する方法〕では人類は全滅したのである。
 〔天頂緯度をキャッチする術〕から学問や文字を手に入れた民族の文化・文明は進化して莫大な富を有することになり、天頂緯度をキャッチする術を廃止して道に迷わないですむマーキングを考案して縄張り定住生活に安穏した民族は文化・文明が停滞して貧しくなった。

◆C図左図の天頂緯度をキャッチすると緯度が1分まで精確に測量できて命が確保された。だから、(1)〔天頂緯度と重なる銀河部をキャッチして、緯度が1分まで精確に測定できる術〕を古代エジプト王朝は「魔術」と呼んだ。また、人間の瞳孔は、自動カメラのごとく、本人の意志にかかわりなく周囲の明るさに応じて絞りが働いて、約2mmから約7mmまで縮小・拡大する。光がまったく入らない暗闇から観察すると、暗い銀河部や暗い星たちがよく観えるようになる。ゆえに、太陽が輝く昼間は瞳孔が2mmまで縮小するので、天空に存在する銀河が見えない。これゆえ、(2)〔真っ暗闇ならば銀河がよく見えて、目に入る明るい光の量が増せば増すほどに銀河が見えなくなる瞳孔の仕組み〕もまた「魔術」と呼ばれることになった。さらに、(3)〔文字作成銀河の各部の形状からヒエログリフ(文字)が作られ・読み書きされた行為・技(わざ)〕もまた、いわゆる「魔術」とされた。だから、文字作成銀河から生まれた学問と文字の神のトト神は「魔術の神」ということにもなったのである。
 太陽が輝く昼間には銀河は見えない。しかし、月が出る夜間には銀河は見える。銀河各部の形は月が出現しない新月によく見え、満月の日にはその光でよく見えなくなる。したがって、新月・三日月の夜には銀河はよく見えるので、トト神は「月の神」となった。
 D図のガーディナーのリストの「M11」と「M12」における「三日月」のヒエログリフは5字のヒエログリフで〈イアフ〉を構成し、この〈イアフ〉の文字群の中にあって「月」や月神の名をあらわす表意文字または決定詞となった。古代エジプト暦では、新月の前日から1ヵ月が始まった。新月には月をあらわれないので形に示すことができないゆえ、「月」のヒエログリフは銀河各部の形がよく見える月の「三日月」であらわされた。また、D図右図の「M12」の上部は「満月」をあらわし、下部の「三日月」は「満月の日より以後の新月の前日の三日月」を図案して「新月の前日から1ヵ月が始まる古代エジプト暦の法則」をあらわすものと考えられる。
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(C) 2015 OHKAWA
 

◆E図に「トキ」のヒエログリフとトキの頭を有する「トト神」を図示した。
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(C) 2015 OHKAWA

 F図の上部には「北アメリカ星雲」と「長方形の暗黒天体部」がある。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 G図に示すように、「北アメリカ星雲と長方形の暗黒天体部の西の辺」は〔トキの顔とくちばし〕に相似すると見立てられてE図に示した「トキ」を意味するヒエログリフが作られ、トト神が創造された。
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  前述したように、トト神は書記および文字を筆記する行為の守護神であった。
 F図に示すように、「激流の銀河・長方形の暗黒天体部」は〔筆と紙となったパピルスが自生するナイル川の岸〕に見立てられた。「人の横顔に酷似する銀河」は〔書記の顔〕、「鬼の姿に似る銀河」は〔文字を書く右手〕、「北アメリカ星雲と長方形の暗黒天体部の西の辺」は〔筆〕、「長方形の暗黒天体部」は〔パピリスで作った紙〕や〔書記が使ったパレット〕に相似すると見立てられた。
 だから、F図に示す「トト神をあらわす銀河」は「トキ」と密接に結びつき、ヒエログリフは銀河から作られた事実を明確に示す。したがって、B図下部に示した〔トキの胴体・翼〕の形に相似する〔北天の最耀部〕を有する「人の横顔に酷似する銀河」から〔人体〕を連想して、E図の右側に配する〔トキの頭部と人体が合体するトト神〕が創造された。

◆G図に示した「トキ」のヒエログリフの字源になった銀河部とF図の「書記の姿や書記が持つ道具をあらわす銀河」を「トト神」と定めて、王・神官・書記たちは「文字作成銀河の各部の形は文字とする」と定めて読み書きをおこない、古代エジプト王朝は〔文字作成銀河から作られた文字の学術と芸術〕を独占管理して厳重な機密とした。いいかえると、F図の銀河を見て〔書記の姿や文字を筆記する行為〕や〔トト神〕に見立てることができない人物は、王・神官・書記になれず、権力・富・名誉そして学問を手に入れることができなかった。
 以上のごとく、B図のトキの翼のごとく美しくトキ色に輝く銀河部を側面に有するとともにトキの全身のごとく真っ白な「北天の最耀部」に注目すると、F図・G図に示した「書記および文字を筆記する行為に観える各部の銀河」によって、今日まったく解明されていない学問と文字の神、魔術の神、月の神であるトト神がトキとむすびついた理由・根拠はいとも簡単に明らかとなる。
 すべてのヒエログリフは文字作成銀河から作られ、文字作成銀河の各部は文字となり、この方法に則って王・神官・書記たちは読み書きをした。そして、彼らは、文字=文字作成銀河の各部の形と定めた学識の基に政事(まつりごと)を治めていたのである。

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2015年11月27日 (金)

古代エジプト文字の字源・20

 ヒエログリフ「アテフ冠」の字源解明

◆今回は前回「古代エジプト文字の字源・19」の続きである。前回では、ヒエログリフの「オシリス神」の字源を解明した。オシリスは冥界(めいかい)の支配者(死者の国の王)であり、「夜の太陽」となった。オシリス神がかぶる冠の名称は〈アテフ〉である。この「アテフ冠」のヒエログリフの字源の秘密を、今回は解明する。
 すべてのヒエログリフは、私が「文字作成銀河」と名づけた範囲から作られた。この「文字作成銀河」の写真を下に掲載する。この白黒写真は、わが国の天体写真の第一人者とされる藤井旭氏が撮影した。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 ヒエログリフの字源・字形・字義となった文字作成銀河における各部分は明確な形を有する。しかし、世界中を探しても文字作成銀河の各部には名称が存在しない。そこで私は下に示すがごとく、文字作成銀河の各部の名称を定めた。

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(C) 2015 OHKAWA


 ◆A図左図に示すオシリスがかぶる冠は、A図中央のヒエログリフとなる。このヒエログリフはガーディナーのリストの「R8」と分類され――表意文字または決定詞として、この冠の名称〈アテフ〉の中で使われる。
 イアン・ショー&ポール・ニコルソン著/内田杉彦訳『大英博物館 古代エジプト百科事典』(原書房)は「オシリスがかぶるのは独特の〈アテフ〉冠で丈(たけ)の高い〔白冠(しろかんむり)〕の両側面に羽毛飾りがついているが、雄羊の角(つの)をつけて表される場合もある」と記述する。A図右図は「白冠」のヒエログリフである。
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(C) 2015 OHKAWA
 

 マリア・カルメラ・ベトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)は〈アテフ〉冠は「ダチョウの羽2枚と雄羊の角を組合せた冠である」と指摘する。したがって、A図中央の〈アテフ〉冠は、中央が白冠、白冠の両側面がダチョウの羽、下部は雄羊の角の組合せということになる。
 B図左図はガーディナーのリストの「H6」となる「ダチョウの羽」のヒエログリフである。この「ダチョウの羽」の字形は〈アテフ〉冠における白冠の両側面の羽毛飾りの形と同じである。「ダチョウの羽」のヒエログリフは表意文字として、「羽」を意味する〈シュート〉の中で使われる。
 B図右図はガーディナーのリストの「E10」となる「雄羊」のヒエログリフである。このヒエログリフは決定詞として「雄羊」を意味する〈バー〉や、その同義語につく。また、羊頭神クヌムの名前も決定する。
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(C) 2015 OHKAWA

 B図右図の「雄羊」のヒエログリフは、水平にのびてねじれる角を有する大柄な羊の姿をデザインする。この羊はエジプトに先史時代から生息していた「古代エジプトアシナガヒツジ」であり、中王国時代(紀元前2000年紀前半)に絶滅した。しかし、絶滅以後も「雄羊=古代エジプトアシナガヒツジ」のヒエログリフは存続し、多くの羊頭神の名前を決定し、また各地で崇拝された聖羊をあらわすのにも用いられた。
 B図右図の古代エジプトアシナガヒツジの水平にのびるねじれる角は、A図中央に配置する〈アテフ〉冠の下部に付け加えられた。
 前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・19」において、〈アテフ〉冠中央の「白冠」のヒエログリフの字源は、C図に示す「人の横顔に酷似する銀河の額(ひたい)」にある国際天文学会が「北天の最輝部(さいきぶ)」と名づけた銀河部であると指摘した。
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(C) 2015 OHKAWA

 その証拠に「白冠」は「北天の最輝部」の形に相似する。「北天の最輝部」とは「エジプトの人々はじめ北半球に住む人々が最も輝いて見える銀白色の銀河部」のことである。
◆「北天の最輝部」を額(ひたい)に有する「人の横顔に酷似する銀河」には、C図に示すように、はくちょう座の中央部が漬()かる。
 D図の中央に示すように、上掲した文字作成銀河における「北天の最輝部」の形は注意ぶかく凝視すると、「白冠」の形よりもむしろB図左図の「ダチョウの羽」のヒエログリフの字形に相似する。
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(C) 2015 OHKAWA

 「北天の最輝部」の下部は、B図右図の「雄羊の角」の形に相似する。「人の横顔に酷似する銀河」の左目(東側の目)の横には、はくちょう座の39番と41番の星がある。この二つの星や星屑を連結すると「ねじれた雄羊の左の角」のように観える。また、「人の横顔に酷似する銀河」の右側にも、はくちょう座η星・17番・8番・4番と「ねじれた雄羊の右の角」の形となって幾つかの星屑が並ぶ。
 国際天文学会の名称「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」を〔雄羊の目〕と見立てると、「長方形の暗黒天体部」は〔雄羊の顔〕に相当し、「鬼の姿に似る銀河とその西隣の星屑の並び」は〔雄羊の水平に伸びるねじれる角〕のごとくに観える。
 また〔雄羊の目〕となる「北アメリカ星雲」は「ダチョウの頭・両目・くちばし」の形に相似する。
 そして、国際天文学会の名称「コールサック(石炭を入れる袋のように真っ黒な銀河部)とその南隣の暗黒天体部」は〔人・ダチョウ・雄羊が走る足の形〕のごとくに観える。 
 E図に、〔走るダチョウの姿〕を示した。「コールサック」が下・「南の暗黒天体部」が上になるように反転すると、「コールサックとその南の暗黒天体部」は「ダチョウの走る足」のごとくに観える。
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(C) 2015 OHKAWA
 
◆人間の目は、自動露出カメラのように、本人の意志にかかわりなく、周囲の明るさに応じて絞り(虹彩/こうさい)が働いて瞳孔径(どうこうけい/瞳孔の直径)が約2mmから7mmくらいまで縮小・拡大する。これゆえ、視界の中に光がまったく入らない真っ暗な闇となる場所から銀河を見上げると、瞳孔径は最大に拡大する。
 現在、日本の各地の町では夜間になっても地上灯火で明るいので、瞳孔径が縮小されて銀河の各部の形が見えない。
 上掲した文字作成銀河の白黒写真は、おそらく瞳孔径が6mmぐらいの形をあらわすものであろう。下に藤井旭氏が撮影した、文字作成銀河の上半分のカラー写真を掲載した。このカラー写真は、上掲した文字作成銀河の状況より少し淡い光が入った、瞳孔径が45mmぐらいの銀河の形状を示すものであろう。
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(C) 2015 OHKAWA

   F図に、上のカラー写真各部の銀河各部の形と名称を示した。
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 F図に示すように、銀白色に輝く「北天の最輝部の中央」は「白冠」の形に相似するようになる。それゆえ、「北天の最輝部の両側面」はA図中央の〈アテフ〉冠の両側面に付くダチョウの羽毛飾りに相当する。
 このカラー写真の銀河にあっても、「雄羊の左の角」に観えるはくちょう座の39番と41番の星たちの連なりと、「雄羊の右の角」となるはくちょう座η星と17番・8番・4番の星たちの並びが鮮やかに輝く。
 だから、A図中央の「白冠・ダチョウの羽・雄羊の角」で構成される〈アテフ〉冠は、F図の「北天の最輝部とその周辺の星屑」をデザインするものであったことになる。
 ダチョウは繁殖に先立ち、オスは座って白い翼を大きくひろげて、からだを左右に動かし、のど袋をふくらましてグウグウと低い声で鳴いて威嚇(いかく)する。
 〔白い翼をひろげてすわるダチョウの姿〕に合致して、G図のヒエログリフ「オシリス神」の字形は〔すわる姿〕に図案される。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 ということからして、F図の「北天の最輝部」は〔白い翼を大きくひろげてすわるダチョウの姿〕に見立てられたと考えられる。

◆D図に示した「コールサックとその南隣の暗黒天体部」は、前述したように〔人・ダチョウ・雄羊が走る足の形〕のごとくに観える。
 エジプトでは、ナイル川は「少年が走るほどの速さで流れる」と形容された。それゆえ、「コールサックとその南隣の暗黒天体部」の〔走る人の足の形〕は「走る少年の速さで流れる」と形容された「おだやかなナイル川の流れ」をあらわしたことになる。
 毎年9月初めころになると定期的にメンフィス周辺ではナイル川の大洪水がピークに達した。「洪水におけるナイル川の激流の速度」はE図の「走るダチョウの速度」にたとえられたにちがいない。
 それゆえ、エジプト南部に所在する「第1急湍(きゅうたん)におけるナイル川の流れ」は「走る雄羊の速度」に形容されたことになる。「急湍」は「船が航行できない、岩の多い急流」であり、第1急湍はナイル川上流の国境近くのアスワン村付近にある。(エジプトの南の隣国のスーダンには、ナイル川の第2~第6までの急湍がある)
 第1急湍の主(ぬし)は「クヌム神」である。前述したように、B図右図の「雄羊(古代エジプトアシナガヒツジ)」のヒエログリフは「クヌム神」の名前をあらわした。
 H図は、ガーディナーのリスト「C4」の「クヌム神」のヒエログリフである。このヒエログリフは表意文字または決定詞としてクヌム神の名称〈ケネムゥ〉をあらわした。
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   クヌム神は、第1急湍にあるエレファンティネ島を信仰の中心地とし、この島の南方からやって来るナイル川の洪水を管理する役目を有した。つまり、ナイル川の洪水はクヌムが起こすものとされた。クヌムを怒らせるとメンフィス周辺の洪水が起きなくなり、農業が出来なくなり飢饉がおとずれるとされた。
 したがって、A図中央の〈アテフ〉冠の下部に添えられる「雄羊の角」は〔飢饉が起きないための魔除けの役目〕を有するものであったことになる。
 C図に示したように、「北天の最輝部」の隣の「はくちょう座γ星を包囲する円形の銀河部」はガーディナーのリスト「M5」の「太陽」を意味するヒエログリフとなった。これゆえ、「北天の最輝部周辺の銀河」の形状からデザインされた〈アテフ〉冠をかぶるオシリス神は「夜の太陽」をあらわした。そしてその角を〈アテフ〉冠下部につけ加えられた羊の頭を有するクヌム神は「太陽神の魂」をあらわすとされた。このように、オシリス神とクヌム神は「太陽尾」という共通点を有する。

◆ 今回までのわがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズで解明した数々の合理と科学にもとづいて、ヒエログリフは文字作成銀河から作られたことは事実であると証明される。

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2015年11月24日 (火)

古代エジプト文字の字源・19

 ●「オシリス神」の解明
 
◆前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・18」にて紹介したように、アンドルー・ロビンソン著/片山陽子訳『[図説]文字の起源と歴史』(創元社)は「ヒエログリフは紀元前3100年頃、ちょうどエジプト王朝が始まる少し前に、突然、ほとんど完成された形で出現したようにみえる。ただしその図案や記号の多くは前王朝期、すなわち王朝が始まる何世紀前からあったことがわかっている。」と指摘する。
 わがブログは前回までにおいて、ヒエログリフが出現する以前の図案や記号、ヒエログリフに用いられた図案や記号、そして神々もまた私が「文字作成銀河」と呼ぶ範囲から作られたことについて証明してきた。「文字作成銀河」の写真はわがブログ「古代エジプト文字の字源」の1回と15回初頭部に掲載した。
 夜空には、明確な形を有する壮麗な文字作成銀河が輝く。人類の美術のみなもとは文字作成銀河であり、エジプトや中国はじめ世界中の古代王朝は銀河から文字を作り、この文字の発明が学術・美術の第一歩となり、また王政の始まりとなった。したがって銀河から作られた文字は王朝をささえる最も強力な権力基盤となり、反体制側の人々が文字の学術を手に入れて革命に利用して王朝が崩壊しないように最も厳重な機密にするために、銀河から文字が作られた秘密を暴露する者を即座に死刑にした。
 中国の五経の第一に挙げられる『易経』の繋辞(けいじ)下伝は「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った」と説明し、この文章で「文字作成銀河」を「天象」とあらわした。
 孔子と並ぶ思想家の老子の教えを説く『老子』の第1章から第37章までの上篇(道経)は「銀河から漢字が作られた、最初の漢字は文字作成銀河の各部の形状であった。」と後世に伝える文献であった。だから、『老子』は「字源・文字の原形・原義は銀河各部の形状であった。歴代王朝は書いた文字が用済みになったらならば必ず文字を消さない者や文字を消すことを忘れた者を即座に死刑にした。ゆえに、殷代(いんだい)後半の亀の甲羅に刻んだ甲骨文字以前の原初漢字(五帝時代・夏代・殷代前半)の字形は文字作成銀河の各部の形状であった」と証言する書物であった。ゆえに、老子は役人に捕まって死刑となることを恐れて宿無し犬のごとく住所不定の逃亡者となった。
 このような老子の生涯が伝えるように、銀河から文字が作られた学術が厳重な機密になった歴史的伝統によって、世界中探しても私が「文字作成銀河」と名づけた銀河の各部には、名称が存在しない。そこで私は下記のごとく、文字作成銀河各部の名称を定めた。
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(C) 2015 OHKAWA 
 
◆前述したように、紀元前3100年頃から、古代エジプト文字(ヒエログリフ)は出現した。
 イアン・ショー&ポール・ニコルソン著/内田杉彦訳『大英博物館 古代エジプト百科事典』(原書房発刊)は紀元前3000年初頭の第1王朝ジェルの代に、「天狼星(てんろうせい)の出と太陽年の始まりを結びつけていた可能性があると指摘されている」と記述する。
 「天狼星」は全天第一の輝星の「おおいぬ座のα星シリウス」である。
 光度-14等星のシリウスは「イシスの星」と称して崇拝された。つまり、イシス神はおおいぬ座シリウスの化身であった。
 紀元前3000年頃、エジプト暦は――夏至の日の太陽が地平線から昇る少し前、1365.25日の周期のイシスの星が東の地平線上に姿をあらわす時を正月元旦とし、4年に1回の閏年(うるうとし)を置く恒星暦――にして太陽暦を採用していた。
 シリウスの化身のイシス神は、オシリス神の妹にして妻であった。オシリスとイシスはともに、天空の女神ヌトと大地の男神のゲブから生まれた兄と妹であった。

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」の14回と15回において、A図に示す第30王朝(紀元前380-同343)が作成した「天地創造図」の彫刻に注目して――オシリスとイシスの母ヌトと父ゲブは、上掲した「文字作成銀河」の左上の「オス鹿の横顔に似る銀河」における「十字の銀河周辺の銀河」から創造されたことを詳細に証明した。A図の彫刻はニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する。
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(C) 2015 OHKAWA
 

 B図に示すように、天空の女神ヌトは「原初の海」に見立てられた「四つ輪の銀河」から創造され、大地の男神ゲブは「十字の銀河」から創造された。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 またC図に示すように、「銀河輝く天」のイメージとなる「十字の銀河」から「女神ヌト」は創造され、「大地」や「天空の銀河を見上げる人」のイメージとなる「鬼の姿に似る銀河」から「男神ゲブ」が創造された。
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(C) 2015 OHKAWA

◆D図左図に「オシリス神」の頭部と王冠を示した。上記した『大英博物館 古代エジプト百科事典』は【オシリス】の項目で「オシリスがかぶるのは独特の〈アテフ〉冠で丈の高い〔白冠(しろかんっむり)〕の両側面に羽毛飾りがついているが、雄羊の角をつけて表される場合もある」と記す。D図左図のオシリスがかぶる冠中央の〔ボウリングのピン〕の形をした部分が、D図右図「白冠」である。「白冠」は〔ボウリングのピン〕の形の「北天の最輝部(さいきぶ)」からデザインされた。
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(C) 2015 OHKAWA

 前回の「古代エジプト文字の字源・18」において「白冠」は、国際天文学会で「北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)」と名づけられた銀河からデザインされたことを証明した。というのも、「北天の最輝部」は〔ボウリングのピン〕のような形をしているからである。
 エジプト暦が起源した紀元前3000年ころの首都は、上エジプト(エジプト南部地方)と下エジプト(エジプト北部地方)の接点に近いメンフィスであった。メンフィスは北緯30度であるゆえ、〔歳差(さいさ)〕という天文現象にもとづくと、E図の下部に示す北緯30度の(2)紀元前3000年の天頂緯度線が示すようにメンフィスの天頂に「北天の最輝部」がめぐってきた。
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(C) 2015 OHKAWA

 E図に示すように、「白冠」と「北天の最輝部」の形はともに〔ボウリングのピン〕のような形をしている。だから、オシリス王冠中央の「白冠」は「北天の最輝部」をあらわした。
 E図の上部(東側)には、ヌトとゲブが創造された「四つ輪の銀河」(B図)と「十字の銀河・鬼の姿に似る銀河」(C図)が存在する
 A図の彫刻にて描かれたエジプトの天地(ヌトとゲブ)創造神話では「ゲブはヌトに星を胎生(たいせい)させた」と語られる。ゆえに、シリウス星の化身のイシス神はヌトから生まれたオシリス神の妹にして妻となった。
 F図に示す「はくちょう座γ(ガンマ)星とγ星を円形に包囲する銀河部」の形は、左上に示すガーディナーのリストの「M5」の〈ラー〉と発音する「太陽」や「日」を意味するヒエログリフの字源となった。
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(C) 2015 OHKAWA

 紀元前3000年初頭の暦の起源によって、エジプト王朝は「天球上における太陽が1年間に通過する軌道」すなわち「黄道(こうどう)」を知ることになった。黄道の天球上における太陽の日々の位置は、西から東へ進む。黄道の逆向きに、銀河や星は東から西へと進む。このため、ヒエログリフの字形は(1)東を左側に配置する形式だけでなく、(2)東を右側に配置する形式でも図案されることになった。
 G図に示すように、「十字の銀河」の東半身は〔弓を左手(東側の手)に持つ男性の姿〕に相似する。そして、「十字の銀河」の西半身には〔子宮、乳房、妊娠したおなか〕に相似する部分を有する女体」に観える。
E742
(C) 2015 OHKAWA

 F図に示す東側の国際天文学会が「コールサック(石炭を入れる真っ黒な袋)」と名づけた暗黒天体部は〔妊娠した女性のおなか〕のごとくに観える。ゆえに、「コールサック」は「イシス神」に見立てられた。したがって、「コールサック」に隣接する「白冠」のモデルとなった「北天の最輝部」を額(ひたい)に有する「人の横顔に酷似する銀河」は「オシリス神」に見立てられたことになる。
 F図の「女体・イシス神の妊娠したおなか」に見立てられた「コールサック」は〔東側〕となるが、G図の「十字の銀河」における「女体」は〔西側〕にあるので、両者の向きは互いに相反する。前述したように、銀河や星は〔東から西へ進む〕のに対して、黄道における太陽の日々の位置は〔西から東へ進む〕ゆえ、両者の向きは相反する。
 ゆえに、エジプト暦が起源して黄道が完成した当時、F図とG図の〔男女の姿に似る銀河〕の東西の向きが相反することにもとづいて、「十字の銀河」すなわち「天空の女神ヌト」から生まれた「オシリス神」は「北天の最輝部」と「人の横顔に酷似する銀河」から創造され、「天空の女神ヌト」から生まれた「イシス神」は「天狼星・シリウス」と「コールサック」から創造されたと考えるべきことになる。

◆「北天の最輝部」は〔エジプトの人々にとって最も輝いて見える銀河部〕であり、「シリウス」は〔全天において最も輝く星〕である。ゆえに、「人の横顔に酷似する銀河」は「オシリス神」に見立てられ、「シリウス」は「イシス神」に見立てられてオシルス神の妹にして妻となった。
 F図に示したように「北天の最輝部」に隣接する「はくちょう座γ星を包む円形の銀河部」は「太陽」を意味するヒエログリフの字源となった。このため、「北天の最輝部」をあらわす白冠をかぶるオシリスは「夜の太陽」をあらわした。また、オシリスは冥界の支配者(死者の国の王)となった。
 死の神・オシリス神は再生の可能性を内に秘める神となり、イシス神は死者の内臓を守る保護女神の一人となった。
 H図の「オシリス神」のヒエログリフはガーディナーのリストにない文字となったが、表意文字または決定詞として、オシリス神の名前「ウシル」の中で用いられた。
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  次回は、D図に示したオシリスがかぶる白冠を中央に配する〈アテフ〉冠の秘密を解明する。 

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2015年11月17日 (火)

古代エジプト文字の字源・18

 ガーディナーのリストのR1「白冠」とR3「赤冠」の字源銀河
 
◆アンドルー・ロビンソン著/片山陽子訳『[図説]文字の起源と歴史』(創元社発行)107頁で「ヒエログリフは何世紀もかけて進化してきたのではなく、紀元前3100年頃、ちょうどエジプト第1王朝が少し始まる前、突然、ほとんど完成された形で出現したようにみえる。ただし、その図案や記号の多くは前王朝期、すなわち王朝が始まる何世紀前からあったことがわかっている。」と記述する。
 紀元前3100年頃、上エジプトのティニス地方のナルメル(ネメス)王によって、上下エジプトの統一がなしとげられ、都は上下エジプトの接点に近いメンフィスに定められた。上下エジプトを統一したナルメル王は、先王時代から初期王朝にかけて重要な都市であったヒエラコンポリスの神殿にスレート製のパレット(化粧皿)を奉納した。
 A図が『[図説]文字の起源と歴史』の106頁から転載したナルメル王のパレットの写真である。


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(C) 2015 OHKAWA

  これまでの「古代エジプト文字の字源」シリーズで証明してきたように、ヒエログリフに利用された図案や記号をはじめすべてのヒエログリフは、私が「文字作成銀河」と名づけた範囲の各部の形状から作成された。「文字作成銀河」の写真は、1回と15回の初頭部に掲載した。
 ヒエログリフの字源・字形・字義となった「文字作成銀河の各部」の名称は、世界中探しても存在しない。銀河各部の名称無しではヒエログリフの字源を明確に解説することは不可能であるので、文字作成銀河の各部の名称を私は下記のごとく定めた。
Photo
(C) 2015 OHKAWA

  ナルメル王が首都と定めたメンフィスは北緯30(北緯2959)である。
 〔歳差(さいさ)〕という天文現象を用いると、ナルメル王が生存した紀元前3100年頃の天頂にめぐってきた銀河を、B図に示すように再現することができる。

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(C) 2015 OHKAWA

  B図が示すように、メンフィスの天頂に「長方形の暗黒天体部」・「激流の銀河」・「十字の銀河の左足(東の足)」がめぐってきた。「激流の銀河」は〔ナイル川の洪水〕に、「長方形の暗黒天体部」は〔ナイル川の洪水で水浸しになった土地〕に見立てられた。メンフィス周辺では毎年9月初めころに大洪水となり、この定期的におこるナイル川の洪水によって土地や泥のようにやわらかくなったので原始的な木製のスキでも容易に耕作でき開墾できた。だから、ナイル川の洪水は豊かな実りをもたらしてエジプトは栄えた。ナイル川の洪水は人々に水と豊かな食糧を与えて強い生命力の源となった。

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」の12回と13回にて詳細に解説したように、首都メンフィスの古称は「プタハのカーの家」であった。
 C図に示す表意文字になったプタハ神は美術や工芸をつかさどる古都メンフィスの主神であった。
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(C) 2015 OHKAWA

  マリア・カルメラ・ベトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社発行)によると――メンフィスのプタハ神殿は「フゥト・カ・ペテフ」、つまり「プタハのカーの宮殿」とよばれていた――ことになる。ゆえに、「プタハのカーの家」と「プタハのカーの宮殿」 は同義であり、なぜならば「宮殿」は「王宮」を意味したからである。王の称号の「ファラオ」は「大いなる家」を意味する。ゆえに、「大いなる家(ファラオ)」は「王宮」を意味するから、メンフィスの古称の「プタハのカーの家」は「プタハのカーの大いなる家=王宮」であったことになる。
 「プタハのカーの家」の〈カー〉と発音する「霊」を意味するヒエログリフの字源となった銀河は、D図に示す天頂にめぐってきた「長方形の暗黒天体部」であった。
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(C) 2015 OHKAWA


  以上を要約すると、メンフィスの古称の「プタハのカーの家」の語源は「長方形の暗黒天体部」であった。

◆A図に示すナルメル王のパレットの頂部中央には、E図左図に示すような形をした彫刻画がある。この彫刻画の上部はE図中央のような「2匹のナマズ」を描く記号となる。また、その下には、E図右図の「工具の鑿(のみ)」をあらわす記号となる。

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(C) 2015 OHKAWA


   この「2匹のナマズ」と「のみ」の記号の発音は〈ナルメル(armer)〉となる。ゆえに、棍棒(こんぼう)で敵を打ちのめしている王の名は「ナルメル」と解読された。
 前述したようにB図・D図に示す「激流の銀河」は 〔ナイル川〕に見立てられた。
 F図に示すように「激流の銀河」は〔ナイル川に生息する、ヒゲのあるナマズの顔〕に観える。また「激流の銀河」を〔ナイル川〕に見立てると、「激流の銀河」の北隣(上部)の「鬼の姿に似る銀河」は〔2匹の魚〕に観え、この〔2匹の魚の形〕に合致してパレットには「2匹のナマズ」の記号は彫られた。そして、「のみ」の記号は「長方形の暗黒天体部の東の辺」から作られたと考えられる。
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(C) 2015 OHKAWA


  前回のブログ「古代エジプト文字の字源・17」で指摘したように、「激流の銀河の東側」は〔ナイル川の上流〕・「激流の銀河の西側」は〔ナイル川の下流〕に観える。したがって、ナイル川の上流となるエジプト南部地方が「上エジプト」、ナイル川の下流となるエジプト北部地方が「下エジプト」と名づけられた。ナルメル王は上流のエジプト南部の上エジプトティニス地方の出身者であったゆえ、〔「逆流の銀河の東側の上流」は上エジプトをあらわすことにもとづいて「長方形の暗黒天体部の東の辺」は「上エジプト出身のナルメル王」を象徴した。ゆえに、「のみ」のモデルはF図に記すように「長方形の暗黒天体部の東の辺」であったと考えられる。ナルメル王のパレットの絵は、のみで彫られた。またナルメル王が首都と定めたメンフィスは彫刻はじめとする美術の中心地であったゆえ、メンフィイスの主神・プタハは美術工芸・彫刻の神であった。だから、「長方形の暗黒天体部の東の辺」は工具・彫刻に用いる道具「のみ」に見立てられたにちがいない。 
 このようにナルメル王のパレットにおける各部の彫刻画を判じ絵式に考えれば、ヒエログリフは文字作成銀河各部の形状から作られたことが察知できる。
 ヒエログリフは複数の文字記号で単語を構成するが、この方法は判じ絵式に考えて単語が解読された。この判じ絵式方法は、ヒエログリフが文字作成銀河から判じ絵式に考えて作られたことに起因する。

◆G図に、ガーディナーのリストの「R1」の「白冠(しろかんむり)」のヒエログリフと、ナルメル王のパレットに浮き彫りされた〔白冠をかぶるナルメル王の横顔〕を示した。「白冠」のヒエログリフは表意文字または決定詞として、「白冠」を意味する〈ヘジュト〉を構成する文字の中で用いられた。
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(C) 2015 OHKAWA

 H図に、ナルメル王が生存した紀元前3100年頃のメンフィスの天頂緯度線と「北天の最輝部(さいきぶ)」の形を示した。
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(C) 2015 OHKAWA

 

 「人の横顔に酷似する銀河の額(ひたい)の部分」にある「北天の最輝部」とは「北半球に住む人々が最も輝いて見える銀白色の銀河部」のことである。
 〔ナルメル王がかぶる白冠〕と「北天の最輝部」は共に〔ボウリングのピンの形〕に相似する。「人の横顔に酷似する銀河」と同じくナルメル王のパレットにおける〔ナルメル王の顔〕もまた〔横顔〕である。だから、ヒエログリフ「白冠」の字源は「北天の最輝部」であった。

◆I図左図のガーディナーのリストの「R3」の「赤冠(あかかんむり)」は、表意文字または決定詞として「赤冠」を意味する〈デシェレト〉を意味する文字の中で用いられた。
 「赤冠」の字源銀河は、I図右図に示す銀河であると考えられる。「赤冠」の下部(基盤部)は「王や女王が座る玉座(ぎょくざ)」の形となり、「玉座」から先端が「コイル(渦巻き)」となる部分が伸びる。I図右図に示すように、「鬼の姿に似る銀河の臀部(でんぶ)=しりの部分」が「玉座」をあらわすことになった。「王が座る椅子」つまり「玉座」は〔臀部で座る〕から、「鬼の姿に似る銀河の臀部」は「玉座」に見立てられた。そして、「コイル」の部分は〔渦巻き〕のごとくにに観える「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」がモデルとなった。
E703
(C) 2015 OHKAWA

  上記したマリア・カルメラ・ペトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』は「赤冠」について「この文字は最も古いヒエログリフのひとつで、前4千年紀半ばの壺の表面にすでに描かれている(当時から文字としての意味をもっていたかどうかは不明)(中略)。しかし、この赤冠は非常に古い時代から、下エジプト地方の支配者の権力の象徴だったことはまちがいない。」と解説する。
 古代エジプト人は、地面に臀部を付けて座って食事をとり、仕事をおこなった。これゆえ「臀部を付けて座る椅子」は権力者の象徴となった。したがって、I図右図における「鬼の姿に似る銀河の臀部」は「椅子」に見立てられ、「赤冠」の基盤部の王冠は「王が座る椅子(玉座)」の形となったのである。
 「赤冠」の字源となった「鬼の姿に似る銀河の臀部と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「北天の銀河」より北側に所在する。ゆえに、「赤冠」は北部エジプト=下エジプト地方を治める王の権力の象徴となった。したがって「北天の最輝部」の形に相似する「白冠」は南部エジプト=上エジプトの王がかぶる王冠となった。
 J図に、「白冠」と「赤冠」を合体した「二重冠」のヒエログリフを示した。
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(C) 2015 OHKAWA

  上記した『[図説]ヒエログリフ事典』は「二国の統一後、追うは上エジプトとの結びつきを強調したいときに、この白い冠を用いたようだ。ふだん用いていたのは、下エジプトの赤い冠と組み合わせた二重冠のほうだった。」と解説する。
 「白冠」の字源は、王の強大な権力が光輝く様子を明確にあらわす、最も輝く「北天の最輝部」であった。このことも原因して「白冠」は「上エジプトの結びつきを強調する」だけでなく「上下エジプトを統一した王の光輝く威光」を象徴することになったのである。

◆前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・17」において、K図に示すセクションBの「すわる女」のヒエログリフの字源は「鬼の姿に似る銀河」であることを証明・解説した。
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(C) 2015 OHKAWA

  L図左側に配する「十字の銀河」の西側半身には「子に乳を授ける乳房」、「子宮」、「胎児が宿る妊婦の円いおなか(十字の銀河の右足・乳部に相当する部分)」がある。ゆえに「十字の銀河」を〔授乳する母親〕に見立てると、「鬼の姿に似る銀河」は〔乳を飲んで育つ乳児〕に観える。
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  K図のセクションBの「すわる女」のヒエログリフの右端は、ガーディナーのリストの「B6」の「育てる」を意味する文字である。この「B6」の女性は椅子に座る。だから「赤冠」下部の「玉座(王や女王が座る椅子)」のモデルは、I図右図の「鬼の姿に似る銀河の臀部」であったことになる。
 したがって、判じ絵式に考えると「B6」の「子を育てる女性」のモデルは「十字の銀河」、「育てられる子」のモデルは「鬼の姿に似る銀河」、「女性が座る椅子」は「鬼の姿に似る銀河の臀部」から図案されたことになる。

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